110.Winter again
ある晴れた昼下がり、暁はセシルとともに寮の中庭のベンチに座っていた。この時期は気温も上がってくるが、ベンチの辺りはちょうど寮の影になっていて快適だ。どこからか入って来た猫もここで眠っている。
「今みたいな気候がずっと続けばいいんだけどな」
「ええ……じきに夏が来ます。それで、お話というのは?」
「愛の話さ」
「失礼させてもらいます」
ベンチから立ち上がろうとするセシルを暁は呼び止める。
「まあ、待ってくれ。ちゃんと本題はあるんだが、セシルさんを目の前にして愛を語らないのは失礼かと思ってね」
「全然失礼ではないのですぐに本題に入ってください」
「OK。この前の緑が丘の人身売買の件、主導していた黒幕はまだわかってないんだよな」
「はい。そうです」
「おそらくナンブーコだ」
「……何か根拠が?」
「何も。ただ以前ベティちゃんからナンブーコはフリークス化の実験のためにいろいろな所から子供を拉致しているらしい話を聞いた」
「そう言えば、ロココさんが実験体655番という話でしたね」
「その実験を今でも進めているなら子供が必要になる。これも根拠はないが、以前館山コミューンでヴィクス家が行っていた人身売買も奴の仕業じゃあないかな。それから、ナビ・コミューンで起きたミストラルの暴走事件も」
「あれも、ですか?」
セシルは流石にそれは陰謀論じみてきているのではないかと訝しむ。確かに結果的にミストラルは暁の確保のために動き、横須賀に宣戦布告を行ったが、そこまで裏で手を回すことができるものだろうか。
「こっちは根拠がある。宣戦布告を受けた記事を読んだ後にベティちゃんに電話をして事情を聞いていたんだが、様子がおかしかった。おそらく事件にナンブーコが絡んでいたからだ」
「様子がおかしかった、とは?」
「いつもは電話を切るときに俺が切るまで待っているのに、その時は俺より早く切った」
「……」
それが事実だとして、いかほどの信用性があるだろうか、とセシルは眉間に指をあてた。ただ、何か後ろめたいものがあるときに普段とは行動が変わってくるという点についてはセシルも同意できる部分がある。
「とりあえず頭の片隅には入れておきます」
◇
イインセキセの社長室の中で険しい表情をしているナンブーコを、ベティは心配そうに見つめていた。
「館山・横須賀のルートが相次いで押さえられた。ミストラルの件もうまくはいかなかった」
「す、すみません。私がもっとちゃんとやれればよかったんですが……」
深く頭を下げた後、顔を上げたベティの目に飛び込んできたのはナンブーコの鋭い視線だった。思わず姿勢を正す。
「……風早暁を確保できないだけならまだしも、研究材料の調達にまで影響が出るのは困る。しばらく横須賀周辺のコミューンでの活動は控えたほうがいいな」
「はい。私もそう思いますねぇ~。で、横須賀に手を出さないことを決めたときに悪いんですが……」
ベティは一枚の資料をナンブーコの机に置いた。それに目を通したナンブーコは首を傾げた。
「なんだこれは……」
「あ、やっぱりナンブーコさんもご存じないんですねぇ……もしかすると何か関わってるのかと……」
「知らない……」
その資料には一隻の船の写真が添えられていた。
◇
暁とセシルの会話が終わり、そろそろ部屋に戻ろうとしている時だった。セシルの携帯が鳴りだしたのだ。
「はい。…………え? は、はい分かりました」
「なんの電話だったんだ?」
「三笠公園に不審な物体が近づいているらしく、調査のために防衛隊が出動したようです」
「不審な物体? 魔甲虫じゃあないのか」
「監視装置から確認したところ魔甲虫ではなく船のようです」
「なるほど……」
正体不明の船のような物体と聞いて、暁の野次馬根性がふつふつと湧き上がってきた。
「おもしろそうだ。俺は三笠公園に行ってみようと思う。セシルさんもどうだい?」
「お断りします。私は本部のほうで状況注視します」
「それは残念」
暁は素直に引き下がると、三笠公園へと出かけた。公園の名前の由来でもある戦艦三笠はその活躍から200年以上経った今でも、この場所に鎮座している。公園は割といつもにぎわっているが、今日はほとんどの人が海のほうを眺めている。
「あれ、風早さん。どうしたんですか?」
暁の姿を確認した防衛隊員が声をかけてきた。
「おもしろい話を聞いたから散歩がてらにな。正体不明の船と言うのは?」
「あれですよ」
隊員が指さした先には一隻の黒い船を取り囲む防衛隊の監視船の姿があった。遠目ではあったが、かなり古い船のように見える。
「何かわかったのか?」
「船体はかつて日本海軍に所属していた陽炎型駆逐艦に似ています」
「日本海軍? ずいぶん古い船だな」
「実際に古いかどうかは中を確認しないとなんとも」
「誰か乗ってるのか?」
「音声で呼びかけているんですが、応答なしです。聴音の結果、機関は停止してるようで海流に乗ってここまでやって来たと思われます。これから臨検する予定です」
「一面の雪景色って見たことあるか?」
「え?」
突然話題を変えてきた暁に隊員は困惑した。そして同時に嫌な予感もしてきた。こういう時は必ず暁が何かをしでかすからだ。
「いえ、ありませんが……そもそも横須賀だと雪はほとんど積もらないですよ」
「そうか。俺は父親の実家が長野にあってな。子供の頃雪遊びをやったことがある」
「はあ……」
隊員の当惑をまったく無視して、暁は会話を続ける。
「実家に泊まった日は必ず朝早く起きることにしていた。なぜだかわかるか?」
わかるわけがない。そんな隊員の表情を見て、暁はニヤッと笑った。
「誰も足を踏み入れていない雪に一番最初に足跡を付けるためさ」
そして、暁は《インターステラー》を使って宙に舞った。隊員が止める間もなく、船に向かって飛んでいく。そうして、防衛隊が臨検に入る前に暁は不審船の甲板に足を踏み入れたのだった。
「ふうん……」
はっきり言って暁は船のことは良くわからない。先ほど隊員が言っていた「陽炎型駆逐艦」というのも何のことかは分からなかった。きっと戦艦の一種なのだろうと勝手に納得して甲板の上を歩く。重力波を感知してみたが、船の中から動いているものは感じ取れない。
とりあえず情報のありそうな所を探そうと、暁は艦橋に目を付けた。ひとっ飛びに艦橋の中に入ると、辺りを見回すが良くわからない計器があるだけで、この船の素性が分かりそうな情報は何1つとして見つからなかった。
ジジッ……
その時、その船全体がノイズがかかったように揺らめいた。
「……これは」
その揺らめき方に暁はかつて会った1人の少女を思い出す。そして、突如として船はその場所からかき消えた。暁がフリークスでなければ、そのまま海に落ちていただろう。
包囲していた船が突然消えたことに監視艇が困惑しているのを尻目に、暁はこの先で起こることに期待を寄せた。間違いない。かつて久里浜原発で出会った少女、千里香真夜との再会が近づいているのだ。




