11話:しがない薬房主人のスローライフ(※ただし月商85億と重すぎる姉つき)
【書類選考という名の容赦なき足切り】
あの夜会の狂乱から数日後。
下町の片隅に佇む『ノア薬房』の執務机の上には、視界を完全に遮るほどの分厚い羊皮紙の束が、天高くそびえ立っていた。
「……壮観だな」
レンは湯気の立つハーブティーを一口すすり、積み上がった書類の山――王国の名だたる貴族や豪商たちから届いた『ノア薬房・第一期加盟店申請書』を見上げた。
夜会で提示した「濃縮ベース粉末の定期購入」「売上ロイヤリティの納入」「マニュアル遵守と抜き打ち査察の受け入れ」という、こちら側に圧倒的有利な契約条件。にもかかわらず、届いた申請は当初想定していた第一期募集枠の10倍を軽く超えていた。
「おい、レン……また公爵家の特急便で追納分が届いたぞ……」
店の奥から現れたのは、近衛騎士団の制服ではなくラフな平服を纏ったエドワードだった。その両手には、さらに分厚い書類の束が抱えられている。目の下にはうっすらと隈が浮かび、もう片方の手にはしっかりとノア薬房特製の『濃縮胃薬』が握られていた。
「ご苦労様です、兄上。わざわざ近衛騎士団長自ら配達までしていただいて」
「からかうな……。あの夜会以来、王宮でも貴族たちから『ノア殿との仲介を頼む』と詰め寄られて胃が休まる暇がないんだ。おまけにエレオノーラ姉さんが……」
エドワードは忌々しそうに、しかし怯えを隠せない様子で身震いした。
「『エドワード、あの夜の男爵令嬢との進展はどうなっていますの? まさか手紙の一通も送っていないなどと言いませんわよね?』と、毎日朝昼晩、部屋に手紙と脅迫状じみたメモを送りつけてくるんだぞ……!」
「あはは、あの夜のハイネル男爵令嬢ですね。無事に解放されたようで何よりでしたが、姉上の執念はまだ続いていましたか」
「笑い事か! 俺は筋肉と剣の修練で忙しいんだ! なぜ見ず知らずの令嬢に愛の詩を綴らねばならんのだ!」
「まあまあ。とりあえず胃薬のおかわりを淹れますから、そこに座って休んでください」
レンは手際よく薬草を調合しながら、机の上の申請書をパラパラとめくった。
王国有数の穀倉地帯を治める伯爵家、鉱山都市を押さえる子爵家、王都の大手商業ギルド――。
どれも魅力的な立地と資金力をアピールしているが、レンの目は元ドラッグストア店長としての冷徹さを失っていない。
「さて……資金力だけで選ぶと、現場の衛生管理を舐めて品質事故を起こすタイプが混ざっていますね。まずは『領内の水質検査データ』と『店舗予定地の図面』を期日通りに提出できた家だけに絞り込みますか」
「お、おい……大貴族からの申請を、そんな書類の不備ひとつで落とす気か?」
恐れおののくエドワードに対し、レンは極上のビジネススマイルを浮かべてペンを走らせた。
「当然です。相手が伯爵だろうが侯爵だろうが、本部のマニュアルを守れない加盟店に看板は貸せません。――ブランドの価値を守るのが、本部(僕)の仕事ですから」
下町の小さな薬房から、王国全土の流通を塗り替える選別作業が、淡々と、しかし容赦なく始まった。
【歩留まりボーナスと防諜の分断サプライチェーン】
王都から馬車で半日ほど離れた、緑豊かな農業都市の集荷場。
ここがサプライチェーンの起点となる【第1工程:選別・洗浄・乾燥】の現場だった。
初秋のからりとした風が吹き抜ける作業場に、十数人のベテラン選別工たちが集められていた。その中央で、レンは作業台に積まれたばかりの新鮮なハーブの束を手に取り、葉の表裏を指先で手早く確かめる。
「――作業内容は至ってシンプルです。泥を落とし、流水で洗浄したのち、傷んだ葉や茎を完全に除外して低温乾燥室へ回してください」
集荷場の親方である初老の男が、不思議そうに眉をひそめた。
「それだけでいいんで? てっきり、何か門外不出の特別な魔法でもかけるのかと……」
「ええ、特別な技術は不要です。その代わり――」
レンは胸ポケットから一枚の契約書を取り出し、親方の前に滑り込ませた。
「納品時の『歩留まり率』を毎回厳格に測定します。入荷した生葉の総重量に対して、基準を満たした良品がどれだけ残ったかの割合です」
「ぶ、どまり……?」
聞き慣れない単語に首を傾げる作業員たちへ、レンは極上のビジネススマイルを向けた。
「基準値は85%。これを下回れば次回の発注量を減らしますが――もし丁寧な選別によって85%を上回った場合、上振れした重量分の利益を、そのまま工房のボーナスとして加工賃に上乗せして還元します」
ざわり、と作業員たちの間にどよめきが走った。
「ぼ、ボーナス……!? ちゃんと選り分ければ、その分だけ金貨が増えるってことかい!?」
「その通りです。雑な仕事をすれば損をし、腕を振るえば確実に報われる。……ちなみに、もうひとつの提携集荷場にも全く同じ条件を提示しています。どちらの歩留まり率が高く、より高品質な原料を仕上げてくださるか、毎月の納品を楽しみにしていますね」
(うまい具合に競争意識に火がついたな)
目の色を変えて互いに顔を見合わせる職人たちの熱気を確認し、レンは内心で小さく頷いた。
彼らが扱っているのが「何の薬の原料か」など、教える必要はない。徹底した選別のインセンティブさえ機能すれば、世界最高峰の生薬ベースが自動的に集まるのだ。
「さて、次は東部の蒸留工房へ向かうとするか」
集荷場を後にしたレンが待機させていた馬車へ戻ると、御者台の横に腕を組んで仁王立ちしていたエドワードが、太い眉を寄せて呆れ顔を向けた。
「おい、レン。わざわざ別々の都市の工房を回って、洗浄、抽出、粉末化と細切れに発注書を配り歩く意味が本当にあるのか? 一箇所の大きな錬金工房に丸投げした方が、移動の手間も省けるだろうが」
「兄上、それをやったら3日でレシピが盗まれて終わりですよ」
レンは苦笑しながら馬車に乗り込み、手元の工程管理表にペンを走らせた。
「東部の工房にはエタノール抽出だけをさせ、南部の工房には油分の濃縮だけをさせる。粉末化の工程すら3つの工房に分割して、誰も前後の工程を知らないようにするんです。……『自分が何の一部を作っているかすら分からない状態』を作ることこそが、最大の防諜ですから」
「……相変わらず、商人としての頭の回り方が恐ろしいな」
エドワードが感服したように息を吐いた、その時だった。
「――あら、レン。防諜なら、このわたくしに任せてくだされば万全ですのに」
「ぶふっ!?」
馬車の奥、薄暗い座席の影からスッと伸びてきた白い手が、レンの肩を優しく抱き寄せた。
「な、なんで姉さんが馬車の中にいるんだァッ!?」
エドワードが悲鳴を上げて腰の剣帯を鳴らし、レンは引き攣った顔で隣を振り返る。
そこには、完璧な旅装ドレスに身を包み、妖艶な笑みを浮かべたエレオノーラが優雅に脚を組み替えて座っていた。
「公爵家の総力を挙げて、各工房の周囲に密偵を張り巡らせておきましたわ。……ふふ、これでレンの秘密も、レンの体も、すべてわたくしの監視下……いえ、保護下ですわね」
「姉上、それは業務委託ではなく単なるストーカーです。今すぐ馬車から降りてください」
「嫌ですわ。愛しい婚約者(予定)の出張に同伴するのは、妻の当然の権利でしょう?」
「まだ予定どころか影も形もありません!」
秋晴れの街道に、エドワードの胃痛交じりの唸り声と、美貌の元姉による重すぎる愛の囁きが響き渡るのだった。
【東部と南部の並行抽出ライン】
馬車は農業都市を離れ、街道を東へと進んでいた。
座席の隣では、エレオノーラが満足げにレンの腕へぴったりと寄り添い、向かいの席ではエドワードが「胃が……」と呟きながら手元の水筒を煽っている。
「姉上、腕を組まれると工程表に羽ペンを走らせにくいのですが」
「あら、気にせずお書きになってよろしくてよ? わたくしの体温を感じながらの方が、良い着想が湧くのではありませんこと?」
「湧くのは冷や汗だけです」
ため息をつきつつも、レンは車窓から見えてきた赤煉瓦の煙突群――東部・蒸留都市の景観へと視線を移した。この街にある老舗の香料・蒸留工房が、次の発注先だ。
東部・第2工房(第2工程:アルコール減圧抽出)
「……なるほど、高純度の醸造アルコールを用いて、この指定温度(40度以下)で揮発成分だけを減圧抽出する、と」
工房の主である眼鏡をかけた錬金術師が、レンから手渡された仕様書を食い入るように見つめた。
「ええ。熱をかけすぎると香気成分が壊れます。抽出液は加熱せず、そのまま密閉樽へ詰めてください。……それ以上の加工や、他の薬草との混合は一切不要です」
「簡単な作業だな。これならうちの蒸留釜でいくらでも回せるが……一体何に使うんだ? 高級酒の割り材か、それとも香水のエッセンスか?」
「さあ、ただの『特製フレーバーエキス』とだけご理解ください」
レンが営業用の微笑みを崩さずに告げると、職人は肩をすくめて契約書にサインした。
彼らにとっては、単なる「割のいい酒造・香料用の半製品づくり」に過ぎない。
南部・第3工房(第3工程:油脂濃縮分離)
翌日、馬車は南部の温暖な港湾都市へと移動していた。潮風が香る一角にある、石鹸や化粧油を扱う大手油脂工房。
「依頼内容は、送られてくる指定乾燥葉から、こちらの特製植物油を使って『脂溶性成分』と『高純度保湿成分』だけを分離濃縮することです」
工房長の中年女性が、仕様書に目を落としながら頷く。
「ええ、うちの圧搾・分離技術ならお安い御用よ。……でも、水溶性のエキスは全部捨てちまっていいのかい? もったいない気もするがね」
「問題ありません。不要な水溶成分はこちらの工房で徹底的に分離し、上澄みの濃厚なオイルエキスだけを樽詰めして出荷してください」
「了解したよ。上質なボディオイルの基剤づくりってところだね」
「ええ、その認識で結構です」
2つの工房との契約を終え、港の見える宿の休憩室に戻ったところで、エドワードが感心したように腕を組んだ。
「なるほどな……。東部の工房は『水とアルコールに溶ける成分』だけを取り出し、南部の工房は『油に溶ける成分』だけを濃縮している。別々の街で、互いが何を作っているかも知らんわけだ」
「その通りです」
レンは羊皮紙のチェックボックスにペンを走らせる。
「東部の人間は『香料エキスを作っている』と思い込み、南部の人間は『高級オイルを作っている』と思い込む。どちらか一方の工房にスパイが潜入してレシピを丸ごと盗んだところで、手に入るのは『効果の出ない中途半端な半製品』だけです。2つのエキスが合流するのは、このずっと先の工程ですから」
完璧に分断されたサプライチェーン。
その堅牢さにエドワードが深く頷いていると、背後からスッと甘い香りが漂ってきた。
「ふふ……東と南、2つに分かれた運命の欠片が、レンの手の中で一つに結ばれる……まるで、幾多の困難を乗り越えて結ばれるわたくしたちのようですわね」
「姉上、詩的な例えで業務フローに割り込んでくるのはやめてください。しかも結論が不穏です」
「照れなくてもよろしいのに。さあ、次は粉末化の3連工房ですわね? どこへでもお供いたしますわ、レン!」
美貌の元姉の執念深い熱視線を受け流しながら、レンは次の目的地――『スプレードライ3連工房』へのルートを指でなぞるのだった。
【職人都市における粉末化3連工房】
2つの抽出液(東部のアルコールエキスと南部の濃縮オイル)が、公爵家の護衛馬車によって厳重に回収され、次なる地――王都北部に広がる職人都市へと運び込まれた。
ここには、錬金術やガラス工芸、魔導機器の加工を得意とする高度な工房が集積している。レンはこの街にある3つの専門工房を訪れ、粉末化の工程を3分割して順に発注をかけていった。
北部・第4工房(第4工程:プレミックス均一調合)
「持ち込まれる2種類のエキスに、こちらが指定する『結晶化安定糖(デキストリン類似の糖類粉末)』を規定の比率で均一撹拌してください」
レンが調合比率の表を差し出すと、白髪の調合親方が眼鏡を押し上げて確認した。
「ふむ……油分とアルコール成分を、糖の粉末で乳化・均一化させるわけだな? 高級な粉末菓子の原料や、保存用の香料シロップを作る時と同じ要領だ」
「ええ、その通りです。ダマが残らないよう、魔導撹拌機で規定時間きっちり回した『乳化液』の状態で樽に密閉し、指定の回収便へ渡してください」
「了解した。調合後の液体をどこへ運ぶのかは聞かない約束だったな」
「ご協力感謝します。作業の正確さに応じて、毎月の上乗せ報酬をお約束しますよ」
北部・第5工房(第5工程:スプレードライ噴霧乾燥)
続いて訪れたのは、天井まで届く巨大な円筒形の金属塔――魔導式の熱風乾燥塔を備えた工房だ。
「前の第4工房から届く乳化液を、上部の特殊ノズルから微細な霧状にして塔内へ噴射してください。落下中に下方から60度の温風を当て、水分を一瞬で蒸発させます」
塔を見上げながら、塔主の魔導技師が太い腕を組む。
「瞬間乾燥か。水分だけを綺麗に飛ばして、底に落ちてくる『粗粉末』を回収すればいいんだな? 焦げ付きや熱変性には細心の注意を払おう」
「助かります。集めた粉末は一切手を加えず、遮光缶に封入して即座に出荷してください」
北部・第6工房(第6工程:整粒・分級・ナノメッシュ選別)
最後に向かったのは、無塵室のように清掃が行き届いた精密粉体加工の工房だった。
「第5工房から運ばれてくる粗粉末を、この『極微細メッシュ(多孔質フィルター)』に通し、粒子の大きさを完全に均一化してください。基準より大きい粒やダマはすべて弾いてください」
作業着を着た工房長が、ルーペでメッシュの網目を確かめながら頷く。
「粒度の均一化だな。水や油に触れた瞬間、一瞬で溶けきるようにするための仕上げ加工だ。……しかし、この粉は何の成分なんだ? ほんのり薬草の香りがするが……」
「高級な洗顔パウダーのベース基剤、とだけお伝えしておきます」
レンが涼しい顔で微笑むと、工房長は「詮索は無用ってわけかい」と苦笑してサインに応じた。
3つの工房すべてとの契約を完了し、宿のサロンへ戻ったレンは、工程表に大きく完了のチェックを入れた。
「……よし。第4工房は『混ぜるだけ』、第5工房は『乾かすだけ』、第6工房は『粒を揃えるだけ』。どれか1つの工房を丸ごと買収したところで、前後がブラックボックスだから絶対に粉末の再現はできない」
「……恐ろしい手回しの良さだな」
向かいのソファで、エドワードが深く息を吐きながら感服の眼差しを向けた。
「運搬はすべて我が公爵家の直属部隊が担い、工房同士の接触は皆無。仮に職人を一人拉致して拷問したところで、『自分は粉を網に通しただけです』としか答えようがないわけか」
「その通りです。情報漏洩を防ぐ最大の鍵は、関わる人間に『自分が何を作っているか』を理解させないことですから」
前世のドラッグストア店長時代に学んだOEMサプライチェーンの極意を語るレン。
すると、その背中へふわりと柔らかな感触が押し当てられた。
「まあ……! なんて冷徹で知的なのかしら、レン……!」
背後から首筋に両腕を回してきたエレオノーラが、うっとりと頬を紅潮させて吐息を漏らす。
「他人に一切の隙を見せず、全てを完璧に掌握するその支配力……あぁ、本当に素敵ですわ! 早くその怜悧な頭脳で、わたくしのことも骨の髄まで支配……いえ、愛してくださらないかしら……!」
「姉上、抱きつくのは業務妨害です。それとセリフの途中で本音が物騒に歪んでいましたよ」
「照れ隠しですわね? 可愛らしいこと」
「胃が……おいレン、胃薬の粉末はまだ完成しないのか……!」
エドワードが頭を抱えて唸る中、いよいよ最終工程――本部(下町)での「最終配合と封印パッキング」へと向けて、馬車は王都への帰路につくのだった。
【魔力刻印と二大専属物流の設立】
王都へ戻ったレンは、旅装を解く間もなく下町エリアの区画へと足を運んでいた。
『ノア薬房』から徒歩5分、人通りの少ない裏路地にひっそりと佇む煉瓦造りの頑丈な建物。元々は貴族の隠れ蔵だった場所を、レンが秘密裏に買い取って改装した「ノア薬房特命パッキング工房」だ。
ここで、各地から集まった中間粉末が最終ブレンドされ、完成品としての『濃縮ベース粉末』へと姿を変える。
特命工房での最終配合と「魔力刻印」
無菌室さながらに徹底清掃された工房内には、身元が完全に保証された極少数の専属作業員のみが配置されていた。
各地の工房から届いた「均一微細粉末」に、レン自身の手で調合された「触媒となる微量活性ミネラル」を黄金比で投入。機械式の回転ドラムで完全均一にブレンドされた後、湿気と光を遮断する特殊なアルミ蒸着風の革袋へ、寸分の狂いもなく精密充填されていく。
パウチの口が熱圧着で密閉されると、レンは机に向かい、自らの魔力を込めた金属印を蝋の上に強く押し当てた。
ジュッ――と微かな音と共に、紫がかった光の紋章が刻印される。
「……よし。これで完成だ」
レン独自の魔力波長を焼き付けたこの「改ざん防止封印」は、一度剥がせば二度と元の輝きに戻らない。途中で袋を開けたり、粗悪な粉末で薄めて再封印しようとすれば一目でバレる仕組みだ。
専属物流の立ち上げ|「ベルフォール・ロジスティクス」
この極秘物資を各地の工房間、そして王国中のFC加盟店へと運ぶための「血流」――それこそが、今回新たに立ち上げられた2つの専属輸送会社だった。
特命工房の応接室で、レンは2枚の認可証を机の上に並べた。
「兄上、姉上。これが今回設立する専属物流網の概要です」
1. 原料・中間品専属輸送会社『ベルフォール・サプライライン』
業務内容:農園からの生薬集荷、東部・南部の抽出工房から北部粉末工房への搬送、そして特命工房への搬入まで、「製造工程間の横持ち輸送」を専門に担当。
運用体制:公爵家の元・輜重部隊と私兵を再編。工房の場所や搬入スケジュール自体がトップシークレットのため、完全武装の護衛付き特急便で巡回する。
2. 完成品・FC納入専属会社『ノア・エクスプレス』
業務内容:特命工房でパッキングされた完成品(濃縮粉末・希釈マニュアル・専用容器)を、「王国各地のFC加盟店へ定期納品」する表の流通会社。
運用体制:公爵家の信用保証のもと、アシュフォード侯爵家の街道警備網と連携。各店舗の受領印と引き換えに現金の回収も行う代金引換(COD)システムを導入。
「なるほどな……」
エドワードが腕を組み、書類を見つめながら深く頷いた。
「製造工程の中身を運ぶ部隊と、完成した商品を店舗に配る部隊を会社ごと分けるわけか。これなら、配送員が『どこで粉が作られているか』をFC店主に漏らす心配もない」
「その通りです。物流を握る者が商売を制する。……これで、農園からFC店の店頭に並ぶ瞬間まで、一切の隙がない一本の強固なサプライチェーンが完成しました」
レンが満足げにペンを置いた、その瞬間。
「まあ……! なんて素晴らしい手腕ですの、レン!」
隣に座っていたエレオノーラが、両手を胸の前で組んでうっとりと瞳を潤ませた。
「我が公爵家の武力と輸送網を、レンの頭脳と完全に一体化させる……これぞまさに『夫婦の共同作業』の第一歩ですわね!」
「姉上、それは単なる『業務提携』と『物流アウトソーシング』です。勝手にロマンスを捏造しないでください」
「ふふ、照れなくてもよろしくてよ。物流会社の筆頭大株主兼最高顧問には、もちろんこのわたくしが就任いたしますわ。……これでレンの事業も、資金の流れも、毎日の行動スケジュールも、ぜーんぶわたくしの手の中で把握できますものね……!」
「……おいレン、こいつを役員に入れたらお前のプライバシーがゼロになるぞ」
エドワードが引き攣った顔で耳打ちしてくる横で、エレオノーラは妖艶な笑みを浮かべ、書類に美しい筆致でサインを走らせていた。
こうして、現代のフランチャイズ理論と公爵家の絶対的権力が融合した、王国史上初の一大サプライチェーンが完全に産声を上げたのだった。
【スローライフ志望、気づけばメガ企業CEOへ】
数ヶ月後――。
王都の中心街、かつての大貴族の屋敷を改装して建てられた白亜のビルディング。その最上階にある広大な執務室で、レンはふかふかの革張りソファに深く腰を沈め、窓の外を見下ろしていた。
眼下には、王都の大通りを行き交う無数の馬車。
その車体にはすべて、青と銀でデザインされた『ノア薬房』のロゴマークが誇らしげに掲げられている。
「……どうしてこうなった」
レンは手元のハーブティーをすすり、思わず深いため息を漏らした。
前世のブラック企業でボロボロになり、この異世界に転生したときの目標は極めてささやかだったはずだ。
『下町の路地裏で小さな薬房を開き、適度に稼ぎながら、誰にも邪魔されず気ままにスローライフを送る』――ただそれだけだった。
それが今やどうだ。
店舗網:王国全土にFC加盟店が100店舗以上。
製造体制:完全分断された鉄壁のサプライチェーンと3つの専属物流会社。
国際展開:ヴァレンティノ帝国との国家規模ライセンス提携が秒読み。
「のんびり店長どころか、前世の勤め先を遥かに超える超巨大複合企業の『創業者兼グループCEO』じゃないか……」
しかも、役員報酬やロイヤリティは毎月金貨の山となって転がり込んでくるため、財力だけなら中堅の領主貴族を丸ごと買い取れるレベルに達してしまっている。
コンコン、と控えめなノックの音が響き、扉が開いた。
「CEO、本日分の月次決算書と、帝国側からの修正契約案をお持ちしましたわ」
入ってきたのは、専属秘書のような隙のない佇まいで書類を抱えたリリアだった。
男爵令嬢としての気品を保ちつつも、その手際の良さは完全に敏腕役員の風格である。
「ありがとう、リリア。……でも頼むから、その『CEO』って呼び方はやめてくれないか? まだ下町の薬房の店長気分が抜けてないんだ」
「何を仰っているのです、お兄様。いまや王国の流通と医療インフラを一身に背負う最高権力者ですのよ? 自覚をお持ちになってくださいませ」
くすりと微笑むリリアの背後から、ドタドタと慌ただしい足音が近づいてきた。
「おい、レン……! 助けてくれ……!」
飛び込んできたのは、近衛騎士団長の正装を着崩し、顔を青ざめさせたエドワードだった。手には当然のように胃薬の瓶が握られている。
「どうされたんですか、兄上。……あ、いえ、物流統括本部長殿」
「肩書きで呼ぶな! 姉さんだ……! エレオノーラ姉さんが、『ノア・グループの経営企画室長』という謎の役職を勝手に新設して、俺の近衛騎士団の執務室にまで婚姻届の束を持って乗り込んできたんだぞ……!」
「またですか……」
「『エドワード、グループの将来のために今すぐこの公爵令嬢とサインを交わしなさい! そうすればレンの配偶者枠が空きます!』だと! 弟(CEO)が偉くなりすぎて、姉さんの外堀埋めが国家規模の暴走を始めているんだよ!!」
頭を抱えて叫ぶ筋肉騎士団長。
すると、開け放たれた執務室の扉から、カツン、カツンと優雅極まりないヒールの音が響いてきた。
「あら、エドワード。逃げ足だけは一流ですわね」
真紅の豪奢なドレスを纏い、妖艶な笑みを浮かべたエレオノーラが、悪びれもせず執務室へと足を踏み入れる。その紫の瞳がレンを捉えた瞬間、とろけるような甘い歓喜に染まった。
「レン、今日も世界で一番凛々しくて素敵ですわ……! さあ、今日の重役会議の議題は『新規出店計画』と……『わたくしたちの婚約披露宴の日程』についてですわね?」
「後半の議題は全会一致で即時否決です」
レンは即答し、山積みの書類へと視線を落とした。
小さな薬房の平穏な日常は完全に消え去り、手元には巨大企業の全責任と、重すぎる愛をぶつけてくる美貌の元姉、そして胃痛に苦しむ元兄。
(……まあ、前世の理不尽な搾取に比べれば、自分で全てを支配できる分だけマシか)
レンは小さく苦笑し、王国最強の「CEO」として、新たな決済書類にサインを走らせるのだった。
【ノア・ホールディングス グループ資産および事業概要(第11話時点)】
・グループ推定総資産:金貨1,850万枚(約1兆8,500億円)
・王都中央本社ビル(敷地3,000坪・地下研究施設完備)
・王国主要街道沿いの中継倉庫・集荷拠点 18箇所
・専属輸送会社2社(『ベルフォール・サプライライン』『ノア・エクスプレス』)の全株式
・月間グループ収益(128店舗全店利益 + 専属物流2社利益):金貨4,500万枚(約4,500億円/月)
※年間換算:約5兆4,000億円規模
内訳:
・王国内FC加盟・直営 128店舗の独占医薬品販売利益(高粗利の特効薬・化粧水)
・専属運送会社2社(製造ライン間輸送+王国全土FC配送網)による物流インフラ独占利益
・店舗網:王国内直営・FC加盟店 128店舗
・海外展開:ヴァレンティノ帝国 国家特許ライセンス提携準備中(優先交渉権締結済)
「……月間収益4,500億、年間5兆4,000億。128店舗の利益に加えて、王国中の物資輸送を押さえた運送会社の物流利益がそのまま流れ込んできてるじゃないか……」
レンは額を押さえ、深いため息をついた。




