第94話 十二人で、客席を奪う
公演の日の朝は、温泉郷の空気そのものが少し熱かった。
まだ陽が高くなる前だというのに、商縁通りにはもう人が流れている。湯へ向かう足より、湖の方へ急ぐ足の方が多い。紙を握ったまま早足になる旅人。王都から来たらしい上等な靴。近くの村や町から来た家族連れ。いつもの賑わいに似ているのに、今日はちゃんと目的のある賑わいだった。
「午前の部、もう並んでるらしいぞ」
「午後も見る?」
「今回、十二人なんだろ?」
「新曲三つって書いてた」
「共鳴鈴も新しい色が出るって」
「札入りのやつだろ? 欲しいな」
今回の特別公演は、午前と午後の二部構成。
いつもの“温泉郷へ遊びに来たついでに見る舞台”とは違う。
今日は最初から、ミラベルを見るために人が来ている。
音舞殿の裏からその流れを見ながら、ゼノは小さく息を吐いた。
「……来てますね」
隣でロイドが鼻を鳴らす。
「お前が王都まで紙を回したんだろうが」
「そうなんですけど」
「撒いといて今さらびびるな」
その通りだった。
でも、紙の上で“来るはずだ”と考えるのと、実際に朝から人が押し寄せているのを見るのは別だ。
今日のために来た顔がある。
舞台を見に来た顔がある。
それが、思ったよりずっと胸にきた。
ゼノはそのまま控室の方へ向かった。
扉を開けた瞬間、少しだけ空気が変わる。
香油と布の匂い。髪を結い直す手。リボンの擦れる音。小さな笑い声。緊張で少しだけ上ずる声。
開演前の控室だけが持つ、あの独特の熱だ。
ミラベルの十二人は、もう衣装に着替え終わっていた。
今回の衣装は、本当に強かった。
ただ可愛いだけじゃない。
立った時に可愛く見えるだけじゃなく、動いた時に目を持っていくようにできている。
エレナの紅は、見た瞬間に真ん中だと分かる。華やかだが、押しつけがましくない。
ミュラの琥珀は甘い。耳と尻尾まで込みで反則みたいに可愛い。
リーシャの薄桃は守りたくなるのに、舞台に立つとちゃんと埋もれない。
そして新入り五人も、色をもらってから一気に“入っただけの子”じゃなくなっていた。
陽黄のルミナ。
薄藤のノエル。
緋橙のサニア。
紅紫のベルナ。
青磁のユノ。
十二人並ぶと、もうそれだけで見栄えが違う。
だが、今の控室は見栄えより会話の方が忙しかった。
「ねえ、これやっぱ短くない?」
ミルファが自分のスカートをつまんで言う。
「短くないよ」
ベルナが笑う。
「むしろそれで脚長く見えるやつ」
「そうなんだけど、なんか落ち着かない!」
「分かる」
ルミナがすぐ乗った。
「私もずっと変な感じです……!」
「ルミナは衣装のせいじゃなくて、朝からずっと変」
ナディアが言う。
「だって今日なんですよ!?」
ルミナが半泣きみたいな顔で言い返す。
「今日ってことはお客さんいるんですよ!?」
「今さら何言ってるの」
サニアが笑う。
「そこまで来てから慌てるの、逆に才能あるよ」
「褒めてないですよね!?」
「全然」
場が小さく笑う。
ノエルは髪飾りに触れながら、鏡越しに小さく息を吐いていた。
その横でユノが、何度も袖口を直している。
「ユノちゃん、それさっきから三回目」
リーシャがやわらかく言う。
「……気になる」
「大丈夫。可愛いよ」
「そういう問題じゃなくて」
「うん、分かる。分かるけど、可愛いのも本当」
ユノはそれで少しだけ困ったみたいに笑った。
リーシャはこういう時、ちゃんと相手の緊張をほどく。
一方でエレナは、鏡の前で最後の確認をしながらも、ちゃんと全体を見ていた。
「サニア」
「なに?」
「二曲目で前に出るのはいいけど、笑いすぎないで」
「えー、いいじゃん」
「よくない。あそこで崩れすぎると軽くなる」
「分かった分かった。半分くらいにする」
「半分もいらない」
「厳し」
そう言いながら、サニアは楽しそうだった。
セレスは静かに肩飾りを整え、ベルナを見た。
「ベルナ」
「ん?」
「その顔のまま七曲目へ行くと、少し強すぎます」
「だめ?」
「だめではないです。でも、出し切らない方がもっと効きます」
「……ああ、そういうやつか」
「そういうやつです」
ベルナは少しだけ目を細めて、鏡の中の自分を見た。
「好きだなあ、そういう言い方」
「褒めてません」
「知ってる」
ミュラは、控室のすみでエレナに寄りかかりかけて怒られていた。
「ミュラ、衣装崩れる」
「ちょっとだけ」
「ちょっとでも」
「だって緊張するにゃ」
「語尾で誤魔化さないで」
けれど、エレナの声は少しだけやわらかかった。
今日のエレナは静かだ。静かだけれど、中心の強さはいつもより太い。
リィナはその様子を見て、小さく言う。
「いいですね」
「何が?」
ミルファが聞く。
「騒がしいのに、ちゃんとまとまってる」
その言葉に、ノエルが少しだけ顔を上げた。
“まとまっている”と言われることが、今はたぶん一番効く。
そこへ、リリアンがベルナの髪飾りを直しながら入ってきた。
「騒いでるくらいでちょうどいいわ」
さらっと言う。
「本番前に静かすぎる控室は、大体ろくな舞台にならないもの」
「それ本当?」
ミルファが聞く。
「本当」
リリアンは即答した。
「浮ついてるくらいでいいのよ。あとは舞台に出た時、ちゃんと一本になるなら」
ゼノはその言葉を聞きながら、自然とリリアンを見た。
何でもない顔をしている。
だが、衣装の細部を直す手つきも、全体を見る目も、やっぱり知りすぎている。
怪しい。
《リュケオン:また見てるな》
《エモーシア:分かりやすいわね》
《ノクティア:でもあの女、ほんとに衣装うまいのよね》
《ラグゼル:知りすぎてる》
《フィクサル:今は公演に集中しろ》
《ゼノ:分かってるよ》
「ゼノ」
壁際からイグニスの声が飛んできた。
「はい」
「顔」
「そんなにですか」
「かなり」
「最悪ですね」
「最悪だな」
でも、その返し方に少しだけ笑いが落ちた。
張りつめすぎていない。いい空気だ。
やがて開演の合図が入る。
控室の中の空気が、そこで一度きゅっと締まった。
ルミナが明らかに固まり、ノエルが一度だけ深呼吸する。
サニアは逆に口元を上げた。
ベルナは目だけ細める。
ユノはリーシャの手に一瞬だけ触れて、それで少し落ち着いた顔になった。
「行こう」
エレナが言う。
大きい声ではない。
でも、その一言で十二人の背筋がそろう。
「はい」
「うん」
「行こ」
「……はい」
ばらついた返事なのに、不思議と一つに聞こえた。
午前の部、開演。
音舞殿の席は、ほぼ全て埋まっていた。
座って待つ客。立ったまま身を乗り出す客。湯上がりの顔。王都から来たらしい服。村の子どもたち。商縁通りの常連まで、今日は妙にまっすぐ舞台を見ている。
そのざわめきの前へ、十二人のミラベルが出る。
舞台袖にノクシアの五人も入ってきた。
ジュリア。カレン。レティア。フィア。エマ。
今日は出ない。だからこそ、見る目が本気だ。
「……うわ」
カレンが小さく言った。
「始まるとやっぱやばいね」
「控室で見るのと全然違う」
ジュリアも珍しく真面目な声になる。
エマは腕を組んだまま、何も言わなかった。
ただ、目だけは最初から外していない。
一曲目、『ミラベル』。
最初はエレナ、ミュラ、リーシャの三人で入る。
これが、効いた。
エレナが立った瞬間、客席の空気がすっと落ち着く。
ああ、ミラベルだ、と身体が先に理解する。
そこへミュラの甘さがふわっと乗って、リーシャのやわらかさが残る。
そのあとで、十二へ広がる。
花が一気に増えた。
でも散らない。
ルミナの陽黄は少し危なっかしいのに、そこが可愛い。頑張って笑っているのが見えるのに、その必死さごと目を引く。
ノエルの薄藤は静かだ。前へ出すぎないのに、気づくと見てしまう。
サニアの緋橙は元気がいい。強いのに重たくならない。
ベルナの紅紫は、ちょっと危ない。ちょっと危ないのに、そこがいい。
ユノの青磁は派手じゃないのに、全体を綺麗につなぐ。
客席のざわめきが、途中でもう変わった。
「かわいい……」
「増えてるのに全員見える」
「黄色の子、めっちゃ頑張ってていいな」
「いや薄藤の子もやばい」
「真ん中の赤はやっぱり強い……」
舞台袖で、レティアが息を漏らす。
「ちゃんと全員見える」
「そこ、すごいよね」
フィアが静かに答えた。
二曲目、『笑って奪え』。
ここで温度が変わる。
さっきまでの可愛さが、そのまま“取る笑い”になる。
ナディアが前へ出る。サニアが食らいつく。ベルナが危ない色を足す。そこをエレナが崩しすぎずにまとめ、セレスが締める。
「うわ、好き」
舞台袖でカレンが言った。
「でしょ」
ジュリアも頷く。
「これ、笑ってるのにちゃんと食いに来てる」
エマが低く言う。
「……腹立つ」
「褒めてる?」
レティアが笑う。
「知らない」
「褒めてるね」
「うるさい」
三〜五曲目の既存曲も、ちゃんと熱を落とさなかった。
そして終盤。
六曲目、『きみのリボンがほどける前に』。
空気が少し甘くなる。
でも、甘いだけじゃ終わらない。
ルミナが笑った瞬間、前の方の客席が揺れた。
ノエルの静けさが残る。
ユノが繋ぐ。
ミュラがさらう。
リーシャがやわらかく前へ出る。
かわいい、の種類が増えている。
七曲目、『恋の順番待ちなんて、してられない』。
ここで十二人に増えた意味を叩きつける。
一人が強いんじゃない。
増えたぶんだけ、目が迷う。
迷うのに、どれも見たい。
「やば」
カレンがまた呟く。
「推し決められないやつじゃん、これ」
「分かる」
ジュリアが笑わないまま言う。
そして最後。
八曲目、『ひみつのハートは、きみにだけ』。
これが午前の部の客席を完全に持っていった。
近い。
甘い。
やわらかい。
なのに、ちゃんと刺さる。
一人ひとりが“今、こっちを見た”と思わせる。
手を振る順番。
笑い方。
目線の落とし方。
衣装の揺れ方まで全部噛んでいる。
歌い終わったあと、一瞬だけ拍手が遅れた。
客が、少し息を呑んでいたのだ。
それから一気に爆ぜる。
拍手。歓声。名前を呼ぶ声。笑い声。
舞台袖から見ていても、午前の部でかなり取ったのが分かった。
《視聴者数:2,611,920》
〈コメント:一曲目からつええええ〉
〈コメント:12人ちゃんと全員見えるのやばい〉
〈コメント:新入り五人にもちゃんと推しできる〉
〈コメント:終盤三曲が強すぎる〉
〈コメント:午前からもう取ってる〉
《エモーシア:かわいい……!》
《ラグゼル:掴んだな》
《フィクサル:いい入りだ》
《リュケオン:終盤三連で持っていった!》
《ノクティア:光の方、やるじゃない》
《ゼノ:当然だ》
今回は挨拶の儀をしない。
特別公演で、しかも二部構成だからだ。
余韻を切らず、そのまま共鳴鈴の販売へ流す。
今回からは、十二色の象徴色を持つ共鳴鈴。
しかも、次回使える挨拶の儀の札入り。
「えっ、札入ってるの!?」
「推し色どうしよう!」
「陽黄ほしい!」
「いや紅紫!」
「薄藤もやばいんだけど」
「札付きなら二個いる!」
そうだ。
今回、挨拶の儀をしないからこそ、次へ繋ぐ札が効く。
熱を切らない。
でも次の約束を渡す。
午前の熱は、そのまま午後へ繋がった。
そして午後の部は、さらに濃かった。
午前を見て残った客。
噂を聞いて増えた客。
午後だけ狙って来た客。
舞台袖のノクシアも、午前以上に黙っていた。
「……やば」
今度はジュリアが先に言った。
「知ってたけど、やばい」
カレンが頷く。
エマは腕を組んだまま、舞台から目を離さない。
「むかつく」
低く言う。
「でも、いい」
「それ、かなり褒めてる」
レティアが笑う。
「うるさい」
午後のミラベルは、午前より吹っ切れていた。
ルミナがちゃんと笑えた。
ノエルが残った。
サニアが食った。
ベルナが危うさをうまく混ぜた。
ユノが繋いだ。
元の七人も、それを全部受け止めて押し上げる。
最後の『ひみつのハートは、きみにだけ』が終わった時、拍手はもう爆発に近かった。
声。拍手。笑い。名前を呼ぶ声。
舞台袖で見ていたノクシアの五人の顔まで、少し変わっていた。
「見た?」
ジュリアが言う。
「見た」
カレンが答える。
「腹立つね」
エマが言う。
「うん」
フィアが頷く。
「でも、いい」
レティアが笑う。
「次はこっちって顔してるよ、みんな」
ゼノは、その言葉に少しだけ笑った。
そうだ。
今日で終わりじゃない。
ここからだ。
光が客席を奪った。
なら次は、夜がどう噛むか。
温泉郷の熱は、まだしばらく落ちそうになかった。
――――
次回
第95話 拍手のあとで、夜が口を開く




