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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第92話 基礎が沈み、十二が燃える

 町の芯を打つ日だってのに、ゼノは朝っぱらから鍋の匂いを嗅いでいた。


ダンジョン基礎。

今日から本番。

なのに最初に鼻へ来るのが、煮えた汁と焼いた肉の匂いってのが、この町らしい。


でも、嫌いじゃなかった。


むしろ、これでいいと思った。


腹が減った人間は、夢のために働かない。

まず飯だ。

飯の湯気が立って、ようやく人は「今日もやるか」の顔になる。


まだ朝靄の残る草原に、もう音がある。


鍋の蓋が鳴る。

木椀が触れる。

誰かが欠伸を噛み殺す。

仮宿舎の戸が開き、人足がぞろぞろ出てくる。

昨日までただの草原だった場所が、二日で“朝を迎える場所”の顔になっていた。


仮宿舎は二棟。

飯場は火が絶えない。

倉庫にはもう荷が積まれている。

道も、ただ荒れた轍ではない。人が通り続けたせいで、町になる筋がちゃんと見え始めていた。


その全部の真ん中に、今日からさらに重いものを沈める。


ダンジョンだ。


町の中心。

人を呼び、金を呼び、宿を埋め、飯を売らせ、温泉郷の歌まで巻き込んで回していく芯。


ゼノは草原の真ん中で、その予定地をじっと見ていた。


少しだけ落ちた地形。

風の抜け。

王都側から見た時の顔。

温泉郷へ人が流れる線。

何度も紙の上で引いた。何度も書き直した。

だが、地面の上に立つと、やっぱり違う。


頭の中の線は軽い。

土は重い。

建てるってのは、そういうことだ。


「……ここですね」


ゼノが言うと、隣でロイドが短く頷いた。


「ここだな」


現場頭も来ていた。

もう初日の「何だこいつ」みたいな顔はしていない。今日は最初から、きっちり現場の顔だ。


「で」

腕を組んだまま聞く。

「今日はどこまでやる」


「基礎までです」


その返しに、現場頭は小さく鼻で笑った。

妥当だ、という顔だった。


「全部はいかねえのか」


「いきません」

ゼノははっきり言った。

「ここで焦って上まで乗せると、あとで全部歪みます」


「言うようになったな」

現場頭が口の端を上げる。

「ようやく現場の言葉だ」


「最初からそうです」


「いや、お前はたまに建築の顔した怪物になる」


「それは否定しにくいですね」


周りに小さく笑いが落ちた。


でも、その笑いの下にはずっと張ったものがある。

人足たちも分かっているのだ。今日やるのは宿舎でも飯場でもない。町の心臓の、最初の骨だ。


そういう日は、妙に静かになる。


ゼノは一歩前へ出た。


昨日までの仮設の流れを見る。

人がどこを通り、荷がどこを抜けるかを見る。

戻ってくる冒険者がどこで溜まり、見物人がどこで詰まり、商人がどこへ店を出したがるかまで想像する。


ダンジョンは、ただ穴があればいいわけじゃない。


入口の顔がいる。

前に立つ広場がいる。

人を飲み込み、人を吐き出し、それでも詰まらない余白がいる。

その下に、沈まない基礎がいる。


ゼノは、ゆっくり息を吸った。


『《建築補助:思考設計》』


誰にも見えない線が、地面の下へ落ちる。


土が鳴る。


低い。

昨日の宿舎とは違う。あれは速かった。今日のは重い。

地面そのものが、考えさせられている音だった。


王都側の人足たちも、この音には少し慣れてきている。

だが、今日ばかりはまた別だったらしい。何人かが無意識に喋るのをやめた。


地面が低く響く。

円でも四角でもない、もっと複雑な基礎線が、頭の中から土へそのまま写っていく。


荷重。

流れ。

入口正面の圧。

戻ってくる人間の溜まり。

広場へ抜ける荷の逃がし。

全部を踏まえた土台。


『《生活魔法:構造認識》

 《生活補助:地層調律》

 《生活魔法:安全固定》

 《生活術式:定着》』


地面が、沈んだ。


いや、沈んだというより、正しいところへ座った。


表面の草が裂ける。

土が割れ、均され、芯になる位置だけが深く落ちる。外縁は逆にわずかに持ち上がる。

基礎を受けるための土の顔が、一気に剥き出しになった。


「うお……」


若い人足が思わず声を漏らす。


「何度見ても慣れねえな」

現場頭が言った。


「慣れなくていいですよ」

ゼノは答えた。

「その代わり、今日はここから先、ちゃんと見てください」


石材を運ばせる。

木枠を置かせる。

型を合わせる。


ゼノが土台を沈め、王都側がその上へ現実の手を入れる。


それが今日は、妙に噛んだ。


最初の頃は、ゼノの速さに人がついていけていなかった。

だが今は違う。どこを押さえるべきか、どこを急ぎ、どこで雑にしちゃいけないか、王都側もかなり分かってきている。


「流れ、悪くないな」

ロイドが図面を見ながら言った。


「ですね」

ゼノは頷く。

「やっと“俺が全部やる”から離れてきた」


「最初からそうしろ」


「最初は見せた方が早かったので」


「理屈だけは立派だな」


ガルドは少し離れた場所で、ずっと地面を見ていた。

土を見る人間の目は、こういう時にも案外外さない。


「沈み方がいい」

低く言う。

「土が嫌がってない」


「ありがたいですね」


「ありがたいな」

ガルドは頷いた。

「土に嫌われると、あとで面倒だ」


神たちは神たちで、もちろん黙っていない。


《視聴者数:2,548,943》


〈コメント:きた基礎回!〉

〈コメント:町の心臓だ〉

〈コメント:鍋の匂いから入るの好き〉

〈コメント:この作品、飯と工事と歌が全部強い〉


《フィクサル:右奥、半寸甘い》

《ゼノ:朝から細かいな》

《フィクサル:基礎で甘いと死ぬ》

《ラグゼル:入口前は広く取れ。人が溜まる》

《エモーシア:戻ってきた人が座れる縁、残して》

《リュケオン:もっと“入る前のワクワク”欲しい!》

《ゼノ:工事中の基礎に何求めてんだよ》

《ノクティア:でも分かるわ。入口って顔だもの》

《ゼノ:お前ら、こういう時だけ妙にまともだな》


 舌打ちしながらも、ゼノは手を動かす。


『《生活魔法:完全固定》

 《生活魔法:圧着固定》

 《構造補正:微調整》』


石が噛む。

型が締まる。

入口前の余白が、ほんの少しだけ広がる。


たかが基礎。

まだ建物でもない。

なのに、見ている人間へ「ここが中心になる」と分からせる顔になる。


現場頭がそれを見て、口元だけで笑った。


「お前さ」


「何ですか」


「基礎にまで見栄え入れるよな」


「基礎だからです」

ゼノは答える。

「最初の顔なので」


「そういうとこなんだよ」


でも、ちゃんと笑っていた。


もう現場の人間も分かってきている。

ゼノの余計なこだわりは、大抵あとで意味になる。


昼には、基礎の大枠が見えた。


まだダンジョンはない。

入口も立っていない。

だが、町の芯がどこへ沈むのか、それだけは誰の目にも分かるようになった。


人足たちの顔も、自然とそちらへ向く。


「あそこか」

「でかいな」

「本当に作るんだな」


そういう声が落ちる。


ゼノはそれを聞きながら、少しだけ息を吐いた。


いい。


まだないものを、もうある前提で人が喋り始める。

あの空気が出たら強い。町はそこから急に現実になる。


夕方までかけて、基礎まできっちり通した。


そこで止める。


気分が乗れば、このまままだ上へ行ける。

神の加護が重なれば、もっと派手にもやれる。

でも、今日はここで止めるのが正しい。


「終わりか」

現場頭が汗を拭いながら聞く。


「終わりです」

ゼノは答えた。

「今日は基礎までで切ります」


「……珍しいな」

ロイドが言う。


「珍しいですか?」


「お前、乗ると止まらんからな」


「止まる時は止まりますよ」


「説得力が薄い」


笑いが少し落ちた、そのあとだった。


ゼノは王都側の人間たちを見回した。


「あと」

言う。

「ここから二日、休みにします」


現場の空気が、ぴたりと止まる。


「……は?」

若い人足が素で言った。


現場頭まで目を瞬いた。

「二日?」


「はい」

ゼノは頷いた。

「明後日、ミラベルの発表公演です」


そこで、止まっていた空気の質が変わる。


「十二人のやつか?」

誰かが言う。


「そうです」

ゼノは答える。

「温泉郷にも、王都にも、近くの村や町にも紙を撒いたやつです」


「知ってるぞ」

現場頭が言う。

「文官どもが朝からその話してた」


「なら話は早いです」

ゼノは言った。

「ここで無理に二日続けるより、一回休む。この二日間は自由です。町はそのあと、また動きます」


王都側の人足たちが顔を見合わせる。


休み。

しかも理由が歌姫団の公演。


普通の現場なら、意味が分からない。

だがここは、もうだいぶ普通じゃない。


飯場で朝飯を食って、温泉が近くにあって、湖の舞台から歌が聞こえる。そんな場所で何日か働いたあとなら、その狂い方にも妙な納得が出る。


「……お前の町、ほんと変だな」

現場頭が言った。


「そうですか?」


「工事して、飯食って、温泉入って、歌見て休めってんだろ」


「はい」


「変だよ」


「でも悪くないでしょう」


現場頭は少し黙ってから、笑った。


「……悪くねえな」


それで十分だった。


《視聴者数:2,571,204》


〈コメント:二日休みうまいわ〉

〈コメント:現場とライブがちゃんと繋がってる〉

〈コメント:この町ちょっと住みたい〉

〈コメント:現場頭もう完全にゼノ側だろ〉


《ラグゼル:悪くない切り方だ》

《エモーシア:休ませるのも仕事よ》

《フィクサル:基礎で止めたのは正解》

《リュケオン:そして次はライブだな!》

《ノクティア:ようやく光の群れが出るのね》

《ゼノ:お前も楽しみなんだろ》

《ノクティア:少しだけよ》


 その夜の温泉郷は、もう完全に前日だった。


商縁通りの流れが違う。

紙を見た客が増えている。

湖の方へ向く視線も多い。


音舞殿では、最後の詰めが続いていた。


ミラベル十二人。


 一曲目『ミラベル』。

 二曲目『笑って奪え』。

 既存曲を三つ挟んで、六曲目『きみのリボンがほどける前に』。

 七曲目『恋の順番待ちなんて、してられない』。

 八曲目『ひみつのハートは、きみにだけ』。


流れはもうほとんど固まっている。

午前公演と午後公演の二部構成。

でも、“ほとんど”と“本番で立てる”の間には、やっぱり深い溝がある。


「ルミナ」

イグニスが言う。

「死ぬな」


「それ毎回言いますよね!?」

「毎回死にそうな顔してるからだ」

「だって本番近いんですもん!?」


場が笑った。


昨日までより、ずっと自然な笑い方だった。

緊張は消えていない。けれど、もう逃げ腰の笑いじゃない。


エレナは静かに真ん中を張る。

セレスが輪郭を締める。

リィナは流れを切る。

ミュラは甘くし、ミルファは跳ね、ナディアは押し、リーシャは残す。


新入り五人も、もう新入りだけの顔ではない。


ルミナは相変わらず死にそうだが、笑うとちゃんと陽黄が光る。

ノエルは薄藤の静けさを持ち始めた。

サニアは緋橙のまま前へ出る。

ベルナは紅紫を危なく混ぜる。

ユノは青磁のまま、全体を繋ぎ始めている。


「ノエル、引きすぎ」

リィナが静かに言う。

「でも昨日よりいいです」


それだけで、ノエルの肩の力が少し抜ける。


「ベルナ」

セレスが淡々と声をかける。

「危ないのは良いです。安売りしないでください」


「好き、その言い方」

ベルナが笑う。


「褒めてません」


「知ってる」


横でサニアが吹き出した。


ノクシアの方も止まっていなかった。


リリアンが前で手を打つ。


「そこ、遅い!」

「はいはい!」

「ジュリア、返事が軽い!」

「軽い方がかわいいでしょ!」

「今はかわいさじゃなくて揃い!」


カレンが強く入り、レティアが流し、フィアが静かなまま熱を持ち、エマが相変わらず喧嘩みたいな目で踊る。


だが、その喧嘩の仕方が変わった。

前みたいな、ただ噛みつくだけのギラつきじゃない。見せるための火花に変わっている。


「エマ」

リリアンが言う。

「今の、いい」


エマが一瞬だけ止まる。

「……雑」


「でも嬉しいでしょ」


「うるさい」


その返しに、ジュリアとレティアが笑った。

カレンは「今のほんと良かったって」と余計なことを足し、エマがさらに嫌そうな顔をする。


でも、その嫌そうな顔も前より柔らかい。


五人の夜は、ちゃんと群れになり始めていた。


《視聴者数:2,606,319》


〈コメント:ノクシア側も熱い!〉

〈コメント:エマ好きだわ〉

〈コメント:ミラベルは光、ノクシアは夜って対比いい〉

〈コメント:リリアンが両方見てるの強い〉


《ノクティア:いいじゃない。夜の方も育ってる》

《リュケオン:うわーライブ前の空気たまんねえ!》

《エモーシア:この“まだ本番じゃない熱”が良いのよ》

《フィクサル:浮かれるな。明後日だ》

《ゼノ:分かってる》

《ノクティア:本当に? 顔、ちょっと楽しそうよ》

《ゼノ:悪いか》

《ノクティア:全然》


 ゼノは少し離れた位置から、その二つの群れを見た。


十二の光。

五人の夜。


明後日、客の前に立つのは光の方だ。

だが夜も、もうすぐだ。


片方だけが走っているんじゃない。

町の基礎が土に沈み、歌の方も前へ出る。今はちゃんと全部が噛み合っている。


忙しい。

だが、その忙しさが今はひどく気持ちいい。


基礎が噛んだ。

現場が回り始めた。

歌の方も、十二人になった意味を客へぶつける寸前まで来ている。


ゼノは小さく息を吐く。


明日は最後の確認。

その次が本番。


ようやくここまで来た。

ここから先は、もう作っただけじゃ駄目だ。奪わなきゃいけない。


町も。

客も。

熱も。


全部だ。


――――

次回

 第93話 前夜、舞台はまだ秘密を抱いている


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