第90話 現場頭の照れ隠し
町づくりの初日なんて、本来はもっと地味なものだ。
朝っぱらから人を集めて、荷を下ろして、縄を張って、杭の位置で揉めて、昼にはもう全員泥だらけ。
それで夕方に「まあ今日はこんなもんか」と腰を叩いて終わる。
少なくとも、王都側の連中はそう思っていた。
だが、ゼノがいる時点で、だいたいそうはならない。
――
朝。
王都の外縁を抜けた先の草原は、まだ本当に何もなかった。
風だけが抜ける。
背の低い草が揺れる。
遠くに温泉郷へ続く道が見える。
耕作放棄地の名残が少しあるだけで、人の暮らしの匂いはどこにもない。
そこへ荷馬車の列が入ってきた。
木材。縄。布。釘。
炊事釜。樽。桶。
寝台の骨組み。仮倉庫用の板材。
粗い石材まで混じっている。
夢の材料なんて一つもない。
どれもこれも、現場の匂いしかしない荷だ。
ゼノは少し離れた位置から、その列を眺めていた。
隣にロイド。
少し後ろにガルド。
「来ましたね」
ゼノが言う。
「来たな」
ロイドが答える。
「始まるか」
ガルドが草原を見たまま言った。
「始まります」
ゼノは頷く。
「ほんとに、ここからです」
それだけの会話なのに、妙に重い。
今までは紙だった。
図面だった。
言葉だった。
でも、資材が草原へ入った瞬間、それはもう現実だ。
《視聴者数:2,401,331》
〈コメント:きたああああ初日!〉
〈コメント:ほんとの最初だ〉
〈コメント:まだ何もない草原なのが逆に熱い〉
〈コメント:ここから町になるのやばい〉
《フィクサル:ここからだ》
《ラグゼル:最初の流れを間違えるな》
《エモーシア:最初は安心できる形を》
《リュケオン:派手に始めろ!》
《ゼノ:お前は毎回それだな》
《ノクティア:だって地味な初日なんてつまらないもの》
《ゼノ:知ってる》
先頭の荷馬車が止まった。
王都側の現場頭が荷台から飛び降りる。
日に焼けた顔に、厚い肩。礼だけはきっちりしている。
「王都土木部、先行組です」
固い声で言う。
「指示通り、簡易宿舎一棟分、飯場一棟分、仮倉庫一棟分の資材を先に持ってきました」
「ありがとうございます」
横で文官が目録を読み上げていく。
数量は合っている。釘も縄も、炊事釜もちゃんと来ていた。寝台はまだ骨だけだが、それで十分だ。
「で」
現場頭が聞く。
「どこから建てる」
ゼノは草原を振り返った。
「その前に、草を集めてもらえますか」
「……草?」
追放された日のことを思い出しながら、ゼノは足元のセラフィアグラスを一本抜いて見せた。
「これです。できるだけ多く」
「何に使う」
「皆さんの寝台に敷きます」
現場頭が本気で嫌そうな顔をした。
「は?」
「ベッドです」
「草が?」
「はい」
「意味が分からん」
「でも回復します」
「なおさら分からん」
それでも、ゼノが真顔なので、現場頭は数名の若い人足に顎をしゃくった。
「ほら、行け。草だ」
「草って何ですか」
「知らん。集めろって言ってんだ」
人足たちが釈然としない顔で散っていく。
《フィクサル:覚えていたか》
《エモーシア:疲労回復は大事ね》
《リュケオン:働きまくれってことだな!》
《ノクティア:前世なら労基が飛んでくるわよ》
《ゼノ:こっちでもわりと危ない気はしてる》
《フィクサル:だが有効だ》
《ゼノ:まあな》
「それで」
ゼノは改めて言う。
「最初は飯場です。そのあと簡易宿舎。一棟目は今日立てます」
現場頭の眉が上がる。
「今日?」
「今日です」
「飯場と宿を?」
「やります」
ロイドが横でちらっとこっちを見る。
あれは“始まるな”の顔だ。
ガルドはもう笑いをこらえていない。
「……ほんとにやるんだな」
現場頭が言う。
「やるために呼びました」
ゼノは前に出た。
草を踏む。
柔らかい土。
昨日まで誰も住んでいなかった地面。
でも、今日から変わる。
飯場。
宿舎。
倉庫。
寝台。
鍋。
人の流れ。
頭の中で一気に組む。
風の抜け。
火を置く位置。
水桶の並び。
飯を配る導線。
寝台の詰めすぎない間隔。
夜に出入りしても全員を叩き起こさない配置。
線が走る。
「……じゃあ、建てますか」
王都側の人間たちが、一瞬きょとんとした。
「建てる?」
現場頭が聞き返す。
「はい」
ゼノは答えた。
「俺が」
そこで神たちが一斉にうるさくなる。
《フィクサル:見せろ》
《ラグゼル:流れを作れ》
《エモーシア:最初は人が安心する形》
《リュケオン:派手にいけ派手に!》
《ノクティア:最初の一棟で退屈させないでよ》
《ゼノ:お前ら全員うるせえ》
《フィクサル:褒めている》
《ゼノ:どこがだよ》
見えない加護が落ちる。
ゼノは地面へ片手をついた。
『《建築補助:思考設計》』
びり、と空気が震えた。
土が鳴る。
木材が浮く。
板が走る。
縄が滑る。
杭が土へ沈み、布が張られ、釜を置く場所だけがわずかに低く整う。
『《生活魔法:構造認識》
《生活魔法:安全固定》
《生活補助:地層調律》
《生活術式:定着》』
今度は草原そのものが低く唸った。
飯場の柱が立つ。
梁が噛む。
仮の屋根が形になり、配膳台が通り、薪置きの影までできる。
そのまま横へ線が走る。
宿舎の枠。
床板。
入口。
寝台を入れられるだけの、最低限だがちゃんとした空間。
「……は?」
現場頭が口を開けた。
「何だこれ」
若い人足が本音で言う。
「生活魔法です」
ロイドが平然と答えた。
「生活の規模じゃねえだろ!」
今度は文官が叫んだ。
ガルドが肩を揺らして笑う。
「分かるぞ、その気持ち」
口元を上げる。
「最初に見ると大体そうなる」
ゼノは止まらなかった。
『《生活魔法:完全固定》
《生活魔法:圧着固定》
《生活魔法:重量分散》』
支柱が深く噛む。
床が沈まず安定する。
屋根の張りが一段きれいになる。
そこへ神たちが追い打ちをかける。
《フィクサル:左の柱、半寸甘い》
《ゼノ:細かいな》
《フィクサル:最初で雑だと後で死ぬ》
《ラグゼル:配膳台、半歩広げろ。人が詰まる》
《エモーシア:腰掛けを増やしなさい。疲れた人は座れるだけで黙る》
《リュケオン:鍋をもっと目立たせろ!》
《ゼノ:鍋に情熱注ぎすぎだろ》
《ノクティア:でも絵になるわよ》
《ゼノ:……それは否定しにくい》
舌打ちしつつ、ゼノは手を動かした。
柱がさらに噛む。
配膳台が半歩広がる。
腰掛けが増える。
釜の置き場が、なぜか少しだけ立派になる。
「おい!」
現場頭が叫ぶ。
「今、最後なんかやっただろ!」
「利便性です」
「見栄えも入れたろ!」
「……少し」
「認めるのかよ!」
場が笑う。
昼前には、王都側の人足たちの顔が変わっていた。
最初は「何だこれ」だった。
今は「次、何運べばいい」に変わっている。
現場頭がゼノを見る。
「……で、次は?」
ゼノは少しだけ口元を上げた。
「寝台です」
「寝台」
「飯場の釜は今日は火まで入れなくていい。まず、人が荷を置いて寝られる形を完成させます」
「了解!」
若い人足の返事が、朝よりずっと大きい。
午後には宿舎の中へ寝台の骨が並び始めた。
集めさせたセラフィアグラスを敷き詰める。
飯場の配膳台に器を仮置きする。
倉庫の板を噛み合わせる。
薪置きの屋根も整える。
何もなかった草原に、初めて“人が留まるための建物”が立った。
たった一日で、ゼロではなくなった。
日が傾く頃、現場頭が大きく息を吐いた。
「……初日でここまで来るとは思わなかった」
「でしょうね」
ロイドが言う。
「その顔で言うな」
ガルドが低く笑う。
「でも悪くねえ。ここから人の匂いがしてくる」
ゼノは草原を見回した。
仮設飯場。
簡易宿舎。
倉庫。
寝台。
配膳台。
薪置き。
かなりいい。
だが、このまま建設だけで終えるのは少し惜しい気がした。
「今日は温泉郷へ行きます」
ゼノが言う。
「温泉郷?」
現場頭が聞く。
「はい」
ゼノは頷く。
「飯は向こうで。風呂もあります」
「風呂!?」
若い人足が即座に食いついた。
「あります」
ゼノは答える。
「あと、温泉湖で歌も見られます」
「また歌かよ」
現場頭が呆れたように言う。
「また歌です」
ゼノは平然と返した。
「うちの町は、そういう作りなので」
ロイドが鼻で笑う。
「戻りたくねえとか言い出すなよ」
「それは困りますね」
結局、少し躊躇したあとで、現場頭も人足たちも温泉郷へ向かった。
――
温泉郷へ戻ったのは夕方だった。
土と木の匂いをつけたまま、王都側の人足たちがぞろぞろ入ってくる。
最初は落ち着かなかった連中も、温泉があると聞いた途端に素直になった。現金なものだ。
ゼノも湯に浸かった。
「……っ」
熱が身体へ落ちる。
肩がほどける。
腕のだるさが、湯の中で少しずつ抜けていく。
ガルドが隣で言った。
「初日にしては飛ばしたな」
「飛ばさないと、あの草原ただ広いだけで終わりそうだったんで」
「それは分かる」
ロイドも湯船の縁で息を吐く。
「だが、お前はそろそろ“ここで止める”を覚えろ」
「今日は止まりましたよ」
「どこがだ」
「夕方には戻ってきたので」
「基準がおかしい」
少し笑いが落ちる。
湯から上がって飯屋へ向かう途中、温泉湖の方から拍手が聞こえた。
「……あ」
ゼノが足を止める。
今日の湖の舞台は三人だった。
エレナ。
ミュラ。
リーシャ。
人の集まりも悪くない。
湯上がりの客。王都側の人足。いつもの温泉郷の顔なじみ。
その前に、三人が立っていた。
まずエレナが目を引く。
紅の髪飾りが夕方の光にきれいに映える。
背筋が真っすぐで、立っているだけで真ん中だと分かる。
なのに、笑う時だけ少しだけ年相応に柔らかくなる。
ミュラは可愛いが本能みたいに出る。
琥珀の飾りが揺れるたびに、獣耳も尻尾も込みで客の目をさらっていく。
甘い。でも甘えすぎない。あざといのに嫌じゃない。
そしてリーシャ。
薄桃の色は夕方の湖だと少し反則だった。
柔らかい。
儚い。
でも消えそうじゃない。守りたくなる顔をしているのに、歌へ入るとちゃんと前へ出る。
「うわ……」
若い人足が後ろで漏らす。
「かわいい……」
「だろうな」
現場頭が腕を組んだまま言う。
「分かる」
その返しが面白くて、ゼノは小さく笑った。
ちょうどその時、曲が入る。
一曲目は『ミラベル』。
三人で歌うには少し広い曲のはずなのに、不思議と薄くならない。
エレナが真ん中で軸を作る。
ミュラが甘く広げる。
リーシャが柔らかく拾う。
湖の前で、三色の光がふわっと開く感じだった。
拍手が起こる。
続いて入ったのは『笑って奪え』。
さっきまでの可愛さが、そのまま別の顔になる。
エレナの目が少しだけ鋭くなる。
ミュラの笑顔が“取る側”の笑顔に変わる。
リーシャまで、サビへ入ると逃げない。
「同じ子たちか?」
王都側の男が思わず言う。
「同じです」
ゼノが答えた。
「そういうところが、うちの歌姫団なんで」
歌い終わる。
今度の拍手は、さっきより一段大きかった。
王都側の人足たちが、普通に見入っている。
昼間、木材を担いでいた顔とは思えないほど、ぽかんとしているやつまでいた。
いいな、とゼノは思った。
町づくり初日の締めとして、かなりいい。
温泉があって。
飯があって。
歌がある。
そういう流れの中で、新人の五人も舞台袖でちゃんと流れと振りを覚えている。
《視聴者数:2,476,518》
〈コメント:きたあああアイドル成分!〉
〈コメント:エレナ、ミュラ、リーシャの3人強い〉
〈コメント:温泉のあとに湖の公演、最高すぎる〉
〈コメント:笑って奪え三人版いいな〉
〈コメント:建設回なのに満足度高すぎる〉
《エモーシア:かわいい……!》
《リュケオン:これこれこれ!》
《ラグゼル:現場の人間にも効く》
《フィクサル:悪くない締めだ》
《ノクティア:光の方までちゃんと取るの、ずるいわね》
《ゼノ:最初からそういう町にするって言ってるだろ》
《ノクティア:ええ。だから面白いのよ》
晩飯の席では、さっきまで歌なんて、と言っていた人足たちが普通にその話をしていた。
「真ん中の赤い子、強かったな」
「獣耳の子、反則だろ」
「最後の薄桃の子、あれで前に来るのずるい」
現場頭まで焼き魚を食いながら言った。
「……まあ、悪くねえな」
「照れ隠しですか」
ゼノが言う。
「うるせえ」
現場頭は言った。
「でも、ああいうもんが近くにある現場ってのは、ちょっと面白い」
その言葉に、ゼノは少しだけ口元を上げた。
伝わるやつには、ちゃんと伝わる。
町づくりの初日。
本来なら泥と汗だけで終わるはずの一日だった。
でも実際には、無詠唱の生活魔法が飛び、神どもが好き勝手うるさく、夕方には温泉があって、夜にはミラベルの歌まであった。
だったらもう十分だ。
草原には最初の飯場と宿舎が立った。
温泉郷には今日もちゃんと歌があった。
町も。
歌も。
どっちも止まらない。
どうせ自分たちは、最初からそういうふうにしか進めない。
――――
次回
第91話 現場の湯気、歌の熱




