表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/104

第85話 動き出す町の前

 翌朝、ゼノは朝から落ち着かなかった。


落ち着かない理由は二つあった。


一つは、町だ。

ダンジョン町の構想は、もう紙の上では遊びではない。

レオニスが土地を押さえ、こっちも費用と資材と人手の概算を出した。

ここから先は、夢ではなく工程の話になる。


もう一つは、歌だ。

十二人のミラベル。

動き始めたノクシア。

異国の踊り子リリアン。


気になる。


特にノクシアは、放っておくとエマが噛みつき、ジュリアが笑い、レティアが遊び、カレンが走り、フィアだけが静かに全体を見ている、あの危うい五人だ。

今いちばん面白くて、今いちばん目を離したくない。


だが、今日はそっちじゃない。


「顔があっち向いてるな」

ロイドが言った。


温泉郷を出る前、荷馬車の横で帳面袋を肩に提げたまま、呆れたようにこっちを見る。


「向きますよ」

ゼノは答えた。

「今いちばん面白い時期なんで」


「町も面白い時期だろ」


「そっちは失敗すると死ぬので、面白いって言いにくいんですよ」


「それはそうだ」


今日の王都行きは、ゼノ一人ではなかった。

前回同様、マギウスも一緒だ。


だが歌の方は、あえて切った。


ミラベルとノクシアは、イグニスとリリアンに任せる。

任せる、と決めたから任せなければ。


それができないと、たぶんこの先で全部抱えすぎて潰れる。


「大丈夫ですかね」

ゼノが小さく言うと、ロイドが鼻を鳴らした。


「誰の話だ」


「ノクシアです」


「お前の顔見てると、お前がいない方がまともに進む気もする」

ロイドは少し笑いながらも平然と言う。

「イグニスとリリアンなら、少なくとも甘くはならん」


「ひどいですね」


「事実だ」


マギウスが後ろで笑った。

「まあ、今日は町だ。歌は置いとけ」


「分かってます」


本当は、半分くらいしか分かっていない。

でも、そう言うしかなかった。


《視聴者数:1,985,429》


〈コメント:気になるのはノクシアか?〉

〈コメント:多分違う〉

〈コメント:歌より女だろ〉

〈コメント:ゼノわかりやすい〉


《ラグゼル:わかりやすい男だ》

《フィクサル:素直になるのも大事だ》

《エモーシア:心が暖かくなってるのかしら》

《ゼノ:お前ら良い加減しろ》

《リュケオン:ついに恋バナくるか》


ゼノは相手にするのをやめた。


 ――


 王都に着く頃には、ゼノの頭はもうかなり切り替わっていた。


レオニスの私的な執務室へ通されると、王子はもう机に向かっていた。

ラウスもいる。

侍従長までいた。


つまり、今日は本当に“話を決める日”なのだ。


「来たか」

レオニスが言う。


「はい」

ゼノが一礼する。


マギウスも最低限の礼をした。

王子は頷き、すぐに言った。


「まず結論から言う。建設の人の募集は始めている」


ゼノは小さく息を吐いた。


「やっぱり早いですね」


「お前が遅いだけだ」

レオニスは平然と言う。

「で、今日はその先だろう」


「はい」


ゼノは紙を広げた。


町の骨格図。

資材の概算。

人手。

工程。

仮設から本設へ移る順番。


王子は黙って見ている。

侍従長も。

ラウスだけが、いつも通りほとんど顔を動かさない。


「まず、最初に全部は建てません」

ゼノが言う。

「入口、広場、ギルド、本格宿場、工房区画、耕作地再生、会場。全部を同時にやると、資材も人も散ります」


「当然だな」

レオニスが言う。


「なので初動は絞ります」


紙の上の一角を指で叩く。


「人が来るには、まず寝る場所と食う場所が要ります」


王子の視線が少し細くなった。

その顔は、“続きを言え”の顔だ。


「ダンジョンが動き出す前でも、土木と警備と測量の人間は入ります」

ゼノは続ける。

「その人達が泊まる。食う。道具を置く。なので簡易の宿と飯屋が先です」


侍従長がそこで初めて口を開いた。


「常設ではなく、仮設を先に?」


「はい」

ゼノは頷く。

「木組み中心でいい。簡易でもいい。だが、雨風を凌げて、飯が出せて、荷を置ける。そこを先に立てます」


マギウスも続いた。


「冒険者の町だろうが何だろうが、最初は現場です」

低く言う。

「現場に飯と寝床がないと、全部が鈍る」


レオニスはそれを聞いて、静かに頷いた。


「必要資材は」

短く聞く。


ゼノは紙をめくる。


「簡易宿二棟。飯屋兼炊き出し所一棟。倉庫小屋二棟。井戸周りの仮設囲い。人足の仮設詰所。これを最初に」

炭筆で書いた数字を叩く。

「木材、石材、縄、布、釘、炊事釜、食器、簡易寝台。あと、馬車回しのための整地材」


「人手は」

ラウスが聞いた。


「最初の搬入だけで二十。設営で十五。整地と基礎見でさらに二十」

ゼノが答える。

「ただし、全員を常駐させる必要はない。交代で回せます」


侍従長が紙の数字を見ながら言う。

「宿と飯屋を先に立てるなら、先行搬入も整理しやすい」


「そうです」

ゼノは頷く。

「いきなりダンジョン入口を掘るより、まず人が留まれる形を作る。その方が後の流れが死にません」


「いい」

レオニスが言った。

「そこは同意する」


短いが、十分に重い一言だった。


《視聴者数:2,082,774》


〈コメント:現実的で好き〉

〈コメント:まず宿と飯屋、わかる〉

〈コメント:ちゃんと工程の話になってるの強い〉

〈コメント:王子も本気だなこれ〉


《ラグゼル:正解だ》

《フィクサル:人が留まれなければ始まらん》

《エモーシア:食べる場所を先に作るの、好きよ》

《ゼノ:今日は静かだなお前ら》

《リュケオン:真面目回だからな》


ゼノは紙をさらにめくった。


「工程はこうです。今日ここで決まれば、王都側は必要資材の運び込みと、人の手配を始める。うちも温泉郷側で受け入れの準備をする。二週間後から先行設営に入る」


「二週間」

レオニスが繰り返す。


「短いですか」

ゼノが聞く。


「いや」

王子は言った。

「短くていい。熱があるうちに動いた方がいい」


ゼノは、そこで少しだけ肩の力が抜けた。


やはりこの人は、決めたあとの動きが早い。

だからこっちも、曖昧な話では来られない。


「ただし」

レオニスが言う。

「二週間後に始めるなら、こちらも優先順位を明確にする。資材搬入は宿、飯屋、倉庫、詰所を先。ダンジョン入口の本格掘削は、その後だ」


「それでいいです」

ゼノは即答した。


「必要な人間も、まずは設営職と土木寄りを厚くする」

侍従長が言う。

「兵も最小限つけるが、警備というより管理補助だな」


マギウスが小さく頷いた。


「初動で武装だけ多いと、町じゃなく軍営に見える」

マギウスが言う。

「それは避けた方がいい」


「同感だ」

レオニスが言った。

「ここは戦場を作るわけじゃない」


その一言で、部屋の空気が少し締まる。


そうだ。

ダンジョンは危険だ。

人も来る。

金も動く。

だが、目指すのはただの討伐拠点ではない。


町だ。


「運び込みは王都側で始める」

レオニスが言う。

「木材、鉄材、簡易炊事具、寝台、布、縄。人も選ぶ。二週間後の着手を前提に、先に道も整えさせる」


「ありがとうございます」

ゼノは言った。


「礼は早い」

王子が返す。

「形になってから言え」


「そうでした」


「だが、悪くない運びだ」

 レオニスは言う。

「宿と飯屋を先に出したのはいい。人はまずそこからだ」


ラウスがそこで少しだけ目を上げた。


「殿下」

 

「何だ」


「温泉郷側にも、早めに知らせた方が良いかと」

「当然だ」

レオニスは言う。

「ゼノ、お前が戻って話せ。二週間は短い」


「はい」


そのあとも、話は細かかった。


どこまでを王都側が持つか。

温泉郷側の受け皿をどうするか。

簡易宿の規模。

飯屋に必要な炊き出し量。

先行して入る人間の寝台数。

馬の扱い。

荷下ろしの場所。


夢を見る時間は終わったのだと、改めて思う。

今やっているのは、全部、現実の話だった。


そして、それが思った以上に嫌じゃないのも事実だった。


話が終わる頃には、外の光が少し傾いていた。


帰り際、レオニスがふと聞いた。


「歌の方はどうだ」


ゼノは、そこで少しだけ目を瞬いた。

町の話だけで終わると思っていた。


「気になりますか」


「気になる」

王子はあっさり言う。

「王都から戻ってから、温泉郷でまた何か始めたんだろう」


「相変わらず耳が早いですね」


「紙を撒いたのもお前だ」


「そうですね」


少しだけ迷ってから、ゼノは言った。


「新しい踊り子を拾いました」


ラウスの口元が、ほんの少しだけ動いた。

笑ったのかもしれない。


「またか」

レオニスが言う。


「またです」


「今度は何だ」


「異国の踊りです」

ゼノは答える。

「新しい歌姫団ノクシアに教えています。」


王子はそこで、少しだけ目を細めた。


「忙しいな、お前は」


「はい」


「潰れるなよ」


その一言は短かった。

だが、不思議とちゃんと届いた。


ゼノは少しだけ笑って答えた。


「その前に、王都が先に潰れないでくださいよ」


「誰に言ってる」


「ですよね」


 ――


温泉郷へ戻ったのは、二日後の夕方だった。


湯気がある。

木の匂いがある。

やっぱり、この帰ってきた時の空気は少しだけ肺にやさしい。


そのままゼノは、歌舞殿の方へ向かった。


中では、ミラベルとノクシアがちょうど一区切りついたところらしかった。

汗。

熱。

床に座り込んでいる者。

腕を回している者。

壁に寄りかかる者。


リリアンもいる。

しかも、当然みたいな顔で座って果実水を飲んでいた。


「戻ったか」

イグニスが言う。


「はい」

ゼノは頷いた。

「決まりました」


その一言で、空気が少し変わる。


ミラベルの十二人も、ノクシアの五人も、視線がこっちへ集まった。


「二週間後から始めます」

ゼノははっきり言った。

「王都側が先に資材の運び込みと人の手配を始めます。最初は、簡易の宿と飯屋、倉庫、詰所からです」


エレナが息を呑む。

ルミナたちは、まだぴんと来ていない顔もある。

だが、ロイドやマギウスはすぐに意味が分かった顔になった。


「早いな」

ダリオが言う。


「早いです」

ゼノは答えた。

「だから、温泉郷側も受け入れ準備に入ります。町の話が、ようやく本当に動きます」


ノクシアの方では、エマが少しだけ目を細めた。


「じゃあ、ほんとに作るんだ」


「だから前から言ってます」

ゼノが言う。


「言ってたけど」

エマは言った。

「言うのとやるのって違うじゃん」


「有言実行です」


その返しに、ジュリアが笑う。

レティアも口元を上げる。

カレンは何だか面白そうで、フィアは静かに頷いた。


ミラベルの方では、ミルファがまず声を上げた。


「うわ、ほんとに始まるんだ……」


「始まるよ」

ナディアが言った。

「ここまで来て止まる方が変だろ」


ゼノは、その場の全員を見回した。


「忙しくなります」

言う。

「歌も止めない。町も止めない。だから各自、ちゃんと休んでちゃんと動くこと」


「いちばん怪しいの、お前だろ」

ダリオが言う。


「それはそうですね」

ゼノは素直に答えた。


イグニスが少しだけ呆れた顔をしたが、何も言わなかった。

その沈黙が逆に怖い。


夜、全部が一区切りついてから、ゼノは温泉郷の飯屋へ向かった。


王都へ行って、戻ってきて、歌舞殿でみんなに話して、ようやく頭の中の線が少し落ち着いた頃だった。


飯屋の戸を開けると、焼いた魚の匂いと、出汁の湯気が一気に顔へ当たった。


客はそこそこ入っている。

仕事帰りの職人。

湯上がりの旅人。

顔見知りの村人。


その奥で、ひときわ異質な色が目に入った。


「……いた」


リリアンだった。


奥の席で、何でもない顔をして魚を食べている。

異国の布。

金具。

褐色寄りの肌。

この温泉郷の飯屋にいるのに、その一角だけ別の国の灯りみたいだった。


しかも、やたら馴染んでいる。


魚の身をきれいにほぐし、骨を脇へ避け、湯気の立つ汁を一口飲む。

箸はまだ危なっかしいが、食べ方そのものは妙に上品だった。


リリアンが顔を上げる。


「あら」

少し笑う。

「来ると思った」


「偶然です」

ゼノは言った。


「嘘ね」

リリアンは即答した。

「でも、そのくらいの方がかわいいから許す」


ゼノはため息をつきながら、向かいへ座った。


「前、いいですか」


「もう座ってるじゃない」


店の女将が追加の茶を持ってきた。

どうやらリリアンは、もうすっかり“変わった旅の美人客”として受け入れられているらしい。


「温泉郷の飯、どうですか」

ゼノが聞く。


リリアンは茶碗を少し持ち上げて、魚の残りを見た。


「好き」

あっさり言う。

「王都の料理より、こっちの方が暖かい」


その返しに、ゼノは少しだけ笑った。


「分かるんですね」


「旅してると、そのくらいは分かるわ」

リリアンは言う。

「綺麗なだけの皿は飽きるの。こっちは最初から、ちゃんとお腹に入れるための味がしてる」


魚をもう一口。

食べ方が本当にきれいだ。


ゼノはそこを見ていた。


「何」

リリアンが言う。


「いや」

ゼノは視線を戻す。

「旅慣れてるなと思って」


「慣れるわよ」

リリアンは笑う。

「海を越えて、港を変えて、言葉の違う街で食べて寝て踊ってれば」


その言い方が、妙に軽い。

だが、その軽さの下に薄くないものがあるのも分かる。


「南西の海の向こうって言ってましたよね」

ゼノが聞く。

「どんな国なんですか」


リリアンはそこで、少しだけ目を細めた。


「ひとつじゃないわ」

言う。

「海を渡ると、国って線じゃなくなるの。港ごとに匂いが違う」


ゼノは、その言い方が好きだった。


「例えば?」


リリアンは茶を飲み、少しだけ遠くを見る顔になった。


「最初にいたのは、赤い帆の港町」

言う。

「朝は魚と塩の匂い。夜は香油と酒。船乗りと商人と踊り子が、だいたい同じ顔して笑ってる街」


「いい街ですか」


「いい男は少なかったわね」


「そこですか」


「大事よ」

リリアンは真顔で言う。

「でも、客は多かった」


少し笑ってから、続ける。


「その次は砂の都。昼が長くて、夜がもっと長い街。あそこはね、布が薄いほど金になるの」


「分かりやすいですね」


「分かりやすいわよ」

リリアンは肩をすくめる。

「でも、あの街で学んだの。見せるのは肌じゃなくて、“見せそうで見せない間”だって」


ゼノは、その一言に少しだけ背筋が動いた。


なるほど、と思う。

あの日の広場で男たちが吸われていた理由の一つが、そこにあった。


「向こうの宴で一回、王の甥だか何だかに呼ばれたことがあって」

リリアンが言う。

「金は出す、宝石も出す、その代わり今夜だけお前を囲うって顔をされたの」


「嫌ですね」


「嫌だったわよ」

リリアンは笑った。

「だから踊ってる最中に、そいつの膝の上に置いてあった杯だけ蹴り落として帰った」


ゼノが目を瞬く。


「……は?」


「いい音したわよ」

リリアンは楽しそうに言う。

「広間が一回しんとしたあと、女たちが笑ったの」


「それで無事だったんですか」


「無事じゃなかった」

リリアンはあっさり言った。

「三日追われた」


「笑えないですよ」


「でも、その三日で別の一座に拾われたの」

リリアンが言う。

「その座長が、あんた面白いわねって」


そこでゼノは少し黙った。


面白いから拾われる。

その感覚が、どこか自分に近い気がした。


「その一座では?」

ゼノが聞く。


「五人組だった」

リリアンは言った。

「歌うのは二人。残りは踊り。真ん中は毎回変わる。客席を正面から取る日もあれば、横から崩す日もある」


ゼノの指先が少しだけ動く。


ノクシアだ。


「そこで覚えたの」

リリアンが続ける。

「一人で完璧でも、五人だと負けることがあるって。逆に、一人じゃ届かないものを、五人だと奪える時もある」


その言葉が、妙に深く落ちた。


「解散したんですか」

ゼノが聞く。


「したわ」

リリアンは魚の最後の身を外しながら言う。

「一人が男に行って、一人が金に行って、一人は故郷に帰った。そういうものよ」


「寂しくないですか」


リリアンはそこで少しだけ笑った。

だが、その笑いはさっきまでより少し静かだった。


「寂しいわよ」

言う。

「でも、消えたものを抱えたまま踊るのも、踊り子の仕事」


その言い方が、やけに綺麗だった。


ゼノは、そこで初めて少しだけ危ないと思った。

この女は、ただ踊りが上手いだけじゃない。

話し方がうまい。

しかも、自分の傷まで、安く見せない。


だから目が離しにくい。


「そのあとも?」

ゼノが聞く。


「雪の国にも行った」

リリアンは言う。

「寒すぎて、腰より肩で踊るの。布が重くなるから、線の見せ方も変わる」


「面白い」


「面白かった」

リリアンは頷く。

「逆に、島の国では足首が主役だった。砂浜で踊るから、足の抜き方で色気が決まるのよ」


「全部、違うんですね」


「全部違う」

リリアンは答えた。

「でも、変わらないものもある」


「何です」


リリアンは、真っすぐにゼノを見た。


「自分を見てるって、客に思わせる瞬間」

静かに言う。

「それは、どこの国でも強い」


ゼノは、その目を少しだけ正面から受けた。


分かる。

かなり分かる。


商売も。

舞台も。

歌も。

結局そこなのだ。


「ノクシア」

リリアンが言う。

「いいわね」


「どの辺が」


「まだ自分の身体も声も信じ切ってないのに、もう人を刺せる気配がある」

リリアンは笑った。

「そういうの、育つと危ない」


「危ないって、いい意味でですか」


「舞台にとってはね」

リリアンは言った。

「客にとっては知らない」


その返しに、ゼノは少しだけ笑う。


「その感じ、好きです」


「知ってる」

リリアンは言う。

「だからあんた、拾うんでしょ。歌も、人も、町まで」


ゼノは一瞬、言い返し損ねた。


その沈黙を、リリアンは見逃さない。


「図星?」

 

「半分くらいは」


「半分?」

リリアンは口元を上げる。

「残り半分は、奪ってる顔してるけど」


その一言に、ゼノは少しだけ息を止めた。


嫌じゃなかった。

むしろ、妙に効いた。


この女は、人の見せてない部分まで、軽い顔で拾っていく。


危ない。

でも、そういう危うさがあるから、多分、舞台であれだけ人を惹きつけられるのだ。


「……リリアン」

ゼノが言う。


「何」


「しばらくいてください」


リリアンは、茶碗を持ったまま笑った。


「口説いてる?」


「契約の話です」


「残念」

そう言って、少しだけ目を細める。

「でも、しばらくはいるわよ。この温泉郷、退屈しなさそうだもの」


その答えに、ゼノは胸の奥で小さく熱が動くのを感じた。


町は動く。

ダンジョンも掘る。

ノクシアも育つ。

ミラベルも一カ月後に十二人で立つ。


そして、その全部の横に、この異国の女がいる。


たぶん、少し面倒で、かなり面白い。


飯屋の灯りはやわらかかった。

リリアンは魚を最後まできれいに食べ、骨を揃え、茶を飲んでから、何でもない顔で立ち上がる。


「じゃあ、おやすみ」

言う。


「はい」


「坊や」

振り返りもせずに言う。

「町を作る男の顔してる時もいいけど、たまにはちゃんと寝なさい」


「坊やじゃないです」


「そういう返し、嫌いじゃないわ」


そう言って、リリアンは湯気の向こうへ消えていった。


ゼノは、その背を少しだけ長く目で追った。


追ってから、自分で少しだけ困る。


ああ、これはまずいな、と。


でも、嫌ではなかった。

町は動く。

ノクシアも動く。

ミラベルも一カ月後に立つ。


だったら、今はこの慌ただしさごと楽しむしかない。


〈コメント:絶対アレだろ〉

〈コメント:わかりすぎる〉

〈コメント:惚れてるだろ〉

〈コメント:相手にされるか?〉


《リュケオン:まだ告るのははやいな》

《ノクティア:ドキドキする夜だわ》

《エモーシア:ゼノ弄ばれているわね》

《フィクサル:浮かれるな》

《ゼノ:頼むから口出すな》


神達のからかいすら、楽しく思えた。


――――

次回

  第86話 最初の一曲

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ