第84話 異国の腰つき
町を建てる前に、歌の方が先に広がるだろう。
ゼノは、その日それを嫌というほど思い知った。
昼を少し過ぎた頃だった。
商縁通りの広場が、妙にざわついている。
そして微かに音が聞こえる。
温泉郷はもともと人の集まる場所だ。
果実酒広場もある。
温泉湖の舞台もある。
商縁通りだって、何もなくても人は止まる。
だが今日のざわつきは、いつもの“何か売ってる”とか“誰か揉めてる”とか、そういう温泉郷らしいざわつきではなかった。
もっと露骨に、
人が吸われている時の空気だった。
「……変な感じですね」
ゼノが言う。
横を歩いていたロイドが、すでに半目になっている。
「そうだな」
今日はノクシアの午前練がひと区切りついたところで、ゼノはロイドと商縁通りの様子を見に出ていた。
少し遅れて、買い出し帰りのミュラとミルファ、さらにダリオとカイルスまでついてきている。
「何あれ?」
ミルファが背伸びした。
「どうせくだらんもんだろ」
ダリオが言う。
「見てから言ってくださいよ」
ゼノは返したが、だいたい同意だった。
人垣を抜けて前へ出た瞬間、広場の真ん中にいた女を見て、ゼノは一拍遅れて目を細めた。
長い脚。
細い腰。
褐色寄りの肌。
耳や足首に小さな金具。
布の重ね方が、この国の旅装でも舞台衣装でもない。
そして手にはカスタネットのような打楽器。
異国だ、と一目で分かる。
女は笑っていた。
だが、ただの愛想笑いではない。
客を見て、拾って、投げ返す笑いだ。
そして――踊っていた。
温泉郷の人間が普段知っている踊りじゃない。
祭りの輪踊りでも、旅芸人の軽業でも、酒場の色踊りでもない。
腰が先に刻む。
肩で切る。
足が細かく跳ねて、止まる瞬間だけ妙に鋭い。
手は飾りじゃなく、視線を導くために使われている。
揃っていないのに、全部が女の方に吸い込まれていく。
そして何より、見せるための間を知っていた。
前世で見た。
画面越しに。
深夜、売上が終わったあと、半分眠い頭で流れてきた動画の中で。
どこかのアイドルダンスグループみたいな、あの妙に腹の底へ落ちる振りの切り方。
可愛いだけじゃない。
色気だけでもない。
揃った瞬間に、急に“商品”になるあの感じだ。
「……うわ」
ミルファが言った。
「何これ。すご」
「すごいにゃ」
ミュラも目を丸くする。
「見たことないにゃ」
広場の男たちが、笑いながら銅貨を投げていた。
旅人だけじゃない。
商縁通りの店主まで、仕事の手を止めている。
女は踊りを止めない。
そのまま腰を切り、足を踏み、くるりと回って、投げられた銅貨を片手で拾う。
「ありがとう、やさしいね」
流れるように言って、また笑う。
その礼の言い方まで、音に乗っていた。
ゼノは、その瞬間にほぼ決めた。
「ロイド」
「嫌な声出すな」
「今、同じこと考えてます?」
「考えてない」
ロイドは即答した。
「考えたくもない」
「じゃあ俺だけですね」
「だろうな」
女の踊りはまだ続いていた。
布が揺れる。
脚が切れる。
腰が音を拾う。
男どもがまた銅貨を投げる。
子どもまで、ぽかんと見ている。
《視聴者数:1,973,116》
〈コメント:きたああああ〉
〈コメント:絶対ゼノが拾うやつ〉
〈コメント:温泉郷に新しい風吹いてる〉
〈コメント:ノクシアのための女だろこれ〉
《リュケオン:お、面白いの来た》
《ノクティア:見つけたじゃない》
《エモーシア:男たちが分かりやすく吸われてるわね》
《フィクサル:また増やす気か》
《ゼノ:うるせえ。使えるもんは拾う》
曲が終わる。
女は両手を上げて、笑った。
「はい、ここまで。続き見たい人は、ちゃんと投げてね」
言い方が露骨だ。
だが嫌味じゃない。
この女は、それを言って許される顔と間を持っている。
客がどっと笑う。
何人かが本当にまた投げた。
ロイドが横で呟く。
「商売がうまい」
「踊りだけじゃないですね」
ゼノも言う。
女はこちらへ視線を流し、少しだけ止めた。
見られた、と分かった。
多分、こっちが見ていたことも、値踏みしていたことも、全部分かっている。
「旅の人」
ゼノが声をかけた。
「旅の女、ね」
女は笑った。
「男みたいに言わないで」
「失礼しました」
ゼノは言う。
「話、できますか」
「お金くれるなら」
即答だった。
ダリオが吹き出す。
カイルスが「好きだなこの手の女」と笑う。
ロイドは、もう完全に嫌な顔だ。
「まず名前」
ゼノが言う。
女は胸に手を当て、芝居がかった仕草で言った。
「リリアン。南西の海の向こうから来た、しがない踊り子」
「しがなくはないでしょう」
ゼノは返す。
「今ここ、かなり取ってますよ」
リリアンが目を細める。
「見るところがいいね、坊や」
「坊やじゃないです」
「そう?」
リリアンは笑った。
「でも、あなた。踊りそのものより、売り方を先に見てたでしょ」
鋭い。
ゼノは少しだけ口元を上げる。
「両方見てました」
「えらい」
リリアンは言った。
「で、何。踊りたいの?」
「俺じゃないです」
ゼノは即答する。
「よかった。あなたが踊りたいって言い出したら断るところだった」
「ひどいですね」
「似合わないもの」
ダリオたちが後ろで笑っている。
ゼノはその笑いを無視した。
「新しいグループがあるんです」
異国から来たなら通じるか言ってみた。
「五人組。歌って、踊らせたい。今の温泉郷にはない動きが要る」
リリアンの目が、そこでほんの少しだけ本気になった。
「へえ」
「見ますか?」
ゼノが聞く。
「今から?」
「今からです」
「急だねえ」
「よく言われます」
「好きよ、そういう男」
その言い方に、ミルファが後ろで「うわっ」と小さく声を出した。
ミュラは楽しそうに尻尾を揺らしている。
ロイドは頭を押さえた。
「リリアン殿」
ロイドが言う。
「こいつに乗せられると面倒ですよ」
「面倒じゃない男って、たいていつまらないのよ」
リリアンは軽く返した。
「で、いくら出すの?」
話が早い。
ゼノは好きだった。
「まず見てもらう。気に入ったら、条件を詰める」
「逆」
リリアンが言う。
「条件を聞いて、見て、気に入ったら教える」
「商売うまいですね」
「生きてるから」
その一言で、ゼノは少しだけ好きになった。
――
リリアンは、その日のうちに歌舞殿へ来た。
温泉郷の人間は、新しいものが来ると集まる。
だから最初は見せる場所を絞った。
ミラベル、ノクシア、イグニス、ダリオ、ボルグ、カイルス、リュシエル。
それとゼノ。
歌舞殿の空気が少し変わる。
リリアンは、舞台の上に立っただけで、もう旅の匂いを持ち込んでいた。
海の向こう。
港町。
夜の酒場。
絹の布。
異国の香辛料。
そういうものを、いちいち説明しなくても分からせる立ち方だ。
「へえ」
ミルファが言う。
「綺麗……」
「綺麗っていうか、強いにゃ」
ミュラが小さく言う。
エレナは真顔だった。
セレスも。
リィナは静かに観察している。
ナディアは腕を組んだまま動かない。
ベルナなんかは、目が少し嬉しそうだった。
そして、ノクシアの五人。
ジュリアはすでに笑っている。
レティアは品定めの目。
カレンは動きを見たくてうずうずしている。
フィアは黙っている。
エマは、露骨に警戒していた。
「その顔、嫌いじゃない」
リリアンがエマを見て言う。
「別に好かれたくない」
「なおいいわね」
そう言って、リリアンはゼノを見る。
「で? 見ればいいの? それとも、まず見せる?」
「まず見せてください」
ゼノが言う。
「ノクシアの頭を壊したいので」
「いい男」
リリアンが笑う。
「ちゃんと分かってる」
イグニスが壁にもたれたまま、ぼそりと言った。
「壊すだけじゃなく、拾えよ」
「そのために呼ばれてるの」
リリアンは振り返らずに返した。
そして、舞台の中央に立つ。
音はない。
最初は、本当に何も鳴っていなかった。
だが、リリアンはそこで肩を一つ落とし、足を半歩引いた。
それだけで空気が変わる。
次に、腰を切る。
腕を流す。
足を止める。
止めたはずなのに、視線だけが前へ滑る。
近い。
けれど、いやらしさとは少し違う。
見せるための色気だ。
しかも、一人で完結していない。
五人でやった時に化ける動きが入っている。
ジュリアの目が変わった。
カレンは、完全に前のめりだ。
レティアも口元の笑みが消えている。
フィアは静かに息を止めた。
エマだけが、むっとした顔のまま見ていたが、その目が逸れない。
リリアンは途中で、いきなり手拍子を打った。
「一、二、止める。三、四、流す。腰は遅らせる。胸で先に切らない」
言いながら、また踊る。
前世で見た。
揃ったダンスボーカルグループ。
腰の遅れ。
肩の切り。
線の散らし方。
強い女たちが、笑顔じゃなく“理解らせ”に来る感じ。
生々しいのに商品として立っている空気だ。
「……これ」
カレンが小さく言う。
「やりたい」
「やるのよ」
リリアンが即答した。
「でも舐めないで。これ、体幹がないと全部汚くなる」
「汚いと駄目ですか」
レティアが聞く。
「汚いのと、荒いのは違うの」
リリアンが言う。
「あなたたちの夜は使える。でも、雑な夜は下品になるだけ」
その線引きが見えるのは、本物だった。
ゼノは横目でイグニスを見た。
イグニスはもう、鍵盤の前に座っていた。
勝手にだ。
「早いですね」
ゼノが言う。
「うるさい」
イグニスは言う。
「今、喋るな」
いい顔だった。
作る側の顔。
音の形が見えた時の顔だ。
《視聴者数:2,014,883》
〈コメント:うわああああきた〉
〈コメント:リリアン強すぎる〉
〈コメント:イグニスもう作り始めた!〉
〈コメント:ノクシア完全にハマるやつだろこれ〉
《ノクティア:ほら、言ったじゃない》
《ゼノ:うるせえ。今いいとこなんだよ》
《リュケオン:珍しく素直にテンション上がってるな》
《エモーシア:いいわね、この空気》
《フィクサル:曲を逃すな》
リリアンの踊りが止まる。
静かだった。
だが、舞台の上にはちゃんと熱だけが残っていた。
「で?」
リリアンが言う。
「やる?」
ジュリアが一番に答えた。
「やる」
カレンも即答する。
「やる」
レティアは肩をすくめて笑う。
「面白そうだし」
フィアは一拍置いてから頷いた。
「必要」
最後に、エマ。
全員が少しだけそっちを見る。
エマは嫌そうな顔をしたまま、だが目だけは舞台に残っていた。
「……むかつく」
ぽつりと言う。
「何が?」
リリアンが笑う。
「できそうって思った自分が」
その返しに、ゼノは少しだけ笑った。
「じゃあ、やれますね」
「そういう言い方、ほんと嫌い」
「ありがとうございます」
そのまま、ノクシアの最初のダンス稽古が始まった。
案の定、ひどかった。
ジュリアは色気に寄せすぎる。
カレンは動きすぎる。
レティアは途中で遊ぶ。
フィアは静かすぎて、切れが死ぬ。
エマはそもそも腰が固い。
「何でそんな殴りに行くみたいな肩してるの、あなた」
リリアンがエマに言う。
「知らないよ」
「喧嘩じゃないの。誘うの」
「そんなの分かんないって」
「分かるようになるのよ」
そのやり取りに、ジュリアが笑い、エマが舌打ちする。
でも、嫌な空気じゃない。
ちゃんと始まっている空気だ。
その横で、イグニスは鍵盤を叩いていた。
一音。
二音。
切る。
跳ねる。
低く始めて、サビで一気に前へ出す。
でも、明るく飛ばしすぎない。
笑顔で抱きしめる曲じゃない。
もっと、視線を奪って離さない曲。
ゼノは、鍵盤の向こうで少しだけ口元を歪めた。
「できそうですか」
「もうできてる」
イグニスが言った。
「早」
「うるさい」
そう言いながら、イグニスは譜面も見ずに弾き続ける。
「こいつら、真正面から“頑張ります”って曲じゃ死ぬ。もっと噛む」
「ですね」
「笑うな」
「笑いますよ、そりゃ」
ノクシアの稽古をいったん止めて、イグニスが一度だけ言った。
「おい、五人。立て」
ジュリアたちが止まる。
「今から一回、曲を入れる」
イグニスが言う。
「まだ粗い。文句言うな」
「言いたい」
エマが即答した。
「じゃあ出ていけ」
「それは嫌」
「なら黙れ」
鍵盤が鳴る。
低く始まる。
近い。
足で取る音だ。
肩じゃなく、腰と視線で刻む音だ。
イグニスが歌う。
少し掠れたまま、だがまっすぐではない。
もっと斜めから入ってくる。
そして、ノクシアのための最初の歌が、その場で落ちた。
「綺麗なだけの夜じゃない
傷のぶんだけ光ってる
触れた指を離さずに
笑って、全部、持っていく
ねえ 見てるだけじゃ足りないでしょ
その目ごと、こっち向けて
逃げるなら今のうち
欲しいなら、最後まで
火花みたいに瞬いて
消えるふりして、まだ踊る
可愛いだけじゃ終わらない
あたしたち、そういう花じゃない
噛みつくみたいに、歌え
奪うみたいに、笑え
夜が似合うって言うなら
朝まで塗り替えてやる
名前を呼ぶなら、ちゃんと熱で呼んで
半端な拍手はいらない
欲しいのは、もっと深い音
目を逸らしたその先まで」
歌い終わる。
歌舞殿の中が、ほんの一瞬だけ静まり返った。
最初に口を開いたのは、ジュリアだった。
「……好き」
低く言う。
「それ、あたしも」
レティアが笑う。
カレンは完全に前のめりだった。
「これ、踊りたい」
フィアが静かに言う。
「合う」
エマはしばらく黙っていたが、やがて小さく言った。
「むかつくくらい、合う」
イグニスは、そこでようやく少しだけ満足そうな顔をした。
「タイトルは?」
ゼノが聞く。
イグニスは一拍だけ黙ってから言う。
「――『夜』」
「いいですね」
ゼノは言った。
「だろ」
珍しく即答だった。
リリアンが舞台の端で笑う。
「じゃあ、教える価値あるわね」
そこで、話を詰めた。
リリアンはしばらく温泉郷に滞在する。
商縁通りの広場で踊って稼ぐのは続ける。
その代わり、午前の一部と夕方をノクシアに渡す。
対価は金と、滞在の面倒。
それで決まった。
「いいんですか」
ゼノが聞く。
「いいのよ」
リリアンは言う。
「面白い場所だし。この子たち、ちゃんと化けそうだから」
そして、その日の終わりに、ゼノはミラベルの十二人を集めた。
歌舞殿の空気が、ノクシアの熱から少し戻る。
だが、さっきの踊りを見たあとだからか、全員どこか目が起きている。
「一つ決めます」
ゼノが言う。
エレナが顔を上げる。
新しく入った五人も、少し緊張した顔になる。
「一カ月後」
ゼノは続けた。
「ミラベル十二人になってから最初のお披露目公演をやります」
場が静まり返る。
ミルファが、半拍遅れて「えっ」と声を出した。
ルミナは固まり、ノエルは息を止め、サニアは目を細め、ベルナはにやっと笑い、ユノは胸の前で手を握った。
「本当に?」
エレナが聞く。
「本当です」
ゼノは頷く。
「七人のミラベルが終わるわけじゃない。十二人のミラベルが始まるんです」
ナディアが口元を上げる。
「でかく出たな」
「出ないと意味がないので」
セレスは静かに新しい五人を見た。
「間に合いますか」
ゼノは答える前に、イグニスを見た。
イグニスは、少しだけ面倒そうな顔をしてから言う。
「間に合わせる」
短く。
「そのために今日からやってる」
それだけで十分だった。
ルミナの顔が少し赤くなる。
ノエルは下を向いて、でも口元は引き締まっていた。
サニアはもう戦う顔だ。
ベルナは楽しそうで、ユノは緊張しながらも目が逃げていない。
ゼノはその顔を見て、胸の奥で小さく熱が動くのを感じた。
町もやる。
ダンジョンも掘る。
ノクシアも立てる。
リリアンという異国の風まで入った。
その上で、ミラベルは一カ月後に十二人で立つ。
忙しいなんてもんじゃない。
だが、今はそれが嫌じゃなかった。
《視聴者数:2,048,110》
〈コメント:神回だろこれ〉
〈コメント:リリアン強すぎる〉
〈コメント:ノクシア曲やばい〉
〈コメント:ミラベル十二人お披露目きたあああ〉
《リュケオン:一気に広がったな》
《ノクティア:悪くない夜だわ》
《エモーシア:忙しくなるわよ、ゼノ》
《フィクサル:浮かれるな。ここから詰めろ》
《ゼノ:分かってるよ。毎回うるせえな》
でも、そのうるささも、今は少しだけ追い風に聞こえた。
――――
次回
第85話 動き出す町の前




