第81話 集まった百の声
王都から戻ってからのゼノは、だいたいほとんどを机で過ごした。
夢を見る時間は、王都に地図を持っていった日で終わっている。
レオニスが土地を押さえた時点で、もう構想は遊びじゃなくなった。
審査の日まで、歌の事はイグニスに任す事にして、
紙と炭筆と金勘定。
失敗しないための数字を出す。
木材がどれだけ要るか。
石材をどこまで地元で回せるか。
仮設の詰所に必要な布と縄の量。
基礎だけ先に打つなら何人動かすか。
ダンジョン入口の仮囲いはどの程度まで作るか。
人足の飯。
馬の水。
道具の摩耗。
運搬。
荷馬車。
雨の日の遅れ。
崩れた時の予備。
ゼノ一人では回しきれない。
ゼノは、そういう紙を毎晩増やしていた。
「顔が終わってるぞ」
とロイドに言われたのが三回。
「人が死ぬ顔してる」
とマギウスに言われたのが二回。
「寝ろ」
とイグニスに言われたのは、数えるのをやめた。
だが、やるしかなかった。
でかい町を作る、なんて言うのは簡単だ。
だが、実際には大きい話ほど、小さい見落としで死ぬ。
釘が足りない。
縄が切れる。
道がぬかるむ。
飯が遅れる。
それだけで、現場は腐る。
だからゼノは、できる限り細かく詰めた。
そして、その合間に、歌い手募集の紙はどんどん町や村に回っていく。
その一カ月は、思ったよりも短かった。
――
審査の日の朝、温泉郷は朝から少しおかしかった。
いや、かなりおかしかった。
いつもなら朝湯へ向かう客がのんびり歩いている時間に、今日は見慣れない顔がやたら多い。
若い女。
旅の男。
酒場育ちっぽい女。
舞台を知ってる歩き方の子。
逆に、何も知らないくせに妙に気合だけ入ってる顔。
温泉郷の入口から音舞殿まで、ゆるくざわついていた。
「百は来たな」
ロイドが朝から少し驚いた顔で言った。
「近いですね」
ゼノが紙を見ながら答える。
応募総数、九十七名。
王都から。
近隣の村から。
町の酒場から。
旅回りから。
元舞台組から。
まさかの王都の裏路地あがりまでいる。
これだけの数が、一カ月で温泉郷へ集まったのだ。
紙はちゃんと届いたらしい。
《視聴者数:1,711,348》
〈コメント:きたああああ〉
〈コメント:100人近いの熱い〉
〈コメント:絶対荒れるだろこれ〉
〈コメント:審査回だ!!!!〉
《リュケオン:祭りだ祭りだ》
《エモーシア:泣く子も出るわよ、今日》
《フィクサル:甘くするな》
《ラグゼル:数が集まったな。悪くない》
ゼノは、音舞殿の裏手に組んだ審査用の導線を見回した。
一次は歌舞殿ではなく、音舞殿の裏に組んだ仮設の審査場。
広すぎる舞台だと、人は演技を始める。
最初はもっと狭くていい。
二次は、挨拶の儀の舞台で経歴や動機を聞き、
三次は音舞殿の舞台に立たせる。
今回、審査を見るのはゼノとイグニス、ダリオ、ボルグ、カイルス、リュシエル。
ミラベルは外した。
本人たちはかなり見たそうだったが、
温泉湖の方の通常舞台へやった。
ミラベルを止めないためだ。
「で、確認だ」
ダリオが腕を組んで言う。
「一次は、声が残るかどうか。二次は、経歴と同期を聞き、癖と伸びしろをみる。三次は、舞台に立たせる価値があるか、でいいな」
「はい」
ゼノは頷いた。
「種類も見るんだろ」
カイルスが聞く。
「見ます」
ゼノは答える。
「ミラベルに入れたい子、別に回したい子、今すぐは無理でも残したい子。そこも分けます」
「中途半端は切るぞ」
ダリオが言う。
「そうしてください。一度受け入れると切ることができないので」
「最初から切るんだな」
「切ります」
その返答に、ボルグが小さく頷いた。
「ならいい」
応募者たちが、仮設審査場の前へ集められる。
ざわつく空気の中、イグニスが前へ出た。
「最初に言っとく」
半眼のまま、だが声ははっきりしている。
「媚びるな。泣くな。色気で誤魔化すな。歌え」
リュシエルが淡々と付け足す。
「順番に通します。名前を呼ばれた者だけ中へ。それ以外は騒がないでください」
ゼノは、その横顔を少し見た。
今日のイグニスは機嫌が悪いというより、鋭い。
少し前まで沈んでいた人間とは思えないくらい、ちゃんと審査する顔をしていた。
――
一次選考は、早かった。
早いが、雑ではない。
一人三十秒から一分。
好きな曲でもいい。
自作でもいい。
何なら一節だけでもいい。
要するに、“喉の本体”が見えればいい。
一人目。
かわいい。
緊張している。
声も悪くない。
だが、悪くないで終わる。
次」
イグニスが言う。
二人目。
声量はある。
でも押しすぎる。
「次」
三人目。
妙に色っぽい。
いや、歌ではなく、目線と肩の落とし方がだ。
歌い出す前から、胸元をわざわざ開いてきたのが分かる。
視線の流し方も、男を見慣れている女のやり方だった。
ダリオが少しだけ眉を上げる。
カイルスが笑いを噛み殺す。
ボルグは無表情。
リュシエルは見ている。
女は、歌いながらわずかに腰を使った。
露骨すぎない。
だが、分かるやつには分かる。
「……へえ」
ダリオが小さく漏らす。
歌い終わる。
ゼノが先に言った。
「慣れてますね」
女は少しだけ笑う。
「何がです?」
「男に見せる方が」
ゼノは淡々と返す。
女の笑みが、一瞬だけ止まる。
「歌は悪くないです」
ゼノは続けた。
「でも今日は、そっちの審査じゃない」
その言葉に、カイルスが露骨に肩を揺らした。
笑っている。
「通す?」
ダリオが聞く。
「ぎりぎり一次は残します」
ゼノが言う。
「でも次、それ抜きで見ます」
「怖」
女が言った。
「ありがとうございます」
ゼノは即答した。
そういうのもいた。
逆に、ひどく固いのもいる。
「名前」
ゼノが聞く。
「ル、ルミナです」
「どうぞ」
「は、はい……っ」
一音目で裏返った。
自分で顔が真っ赤になる。
ああ、こりゃ駄目かと思った次の一音で、なぜかすごく良い芯が出た。
イグニスの目が少しだけ上がる。
二音目でまた崩れる。
ダリオが片眉を上げた。
「おい」
「いますね、こういうの」
ゼノが言う。
緊張で死ぬ。
でも喉は本物。
舞台経験はない。
だが、逆にそこがいい時もある。
「残す」
イグニスが言った。
ルミナが、え、と間抜けな顔をした。
その顔が少し可愛くて、カイルスがまた笑っていた。
一次はそういう地獄だった。
酒場育ちの太い声。
王都舞台上がりの整いすぎた声。
妙に艶っぽい息の混ぜ方をする女。
逆に、田舎の祭りでしか歌ったことがないのに、声だけ妙に強い娘。
見た目で得してる娘。
見た目で損してる娘。
歌い出した瞬間に、全部ひっくり返す娘。
時々、審査場の外から悲鳴みたいな声も聞こえた。
たぶん落ちたのだ。
あるいは、知り合いが残ったのだろう。
午前が終わる頃には、ゼノの喉も少し乾いていた。
「何人だ」
ボルグが聞く。
「まだ半分です」
ゼノが紙を見る。
「今日は一次だけで終わらせます。二次三次まで詰めたら、見る目が雑になる」
「賛成だ」
ダリオが言う。
「この人数なら、なおさらな」
午後も、一次は容赦なく続いた。
朝よりもきついのは、後半になるほど応募者たちも中の空気を察し始めることだった。
甘い顔は通らない。
露骨な媚びも点にならない。
泣きそうな顔をしても誰も拾わない。
それが外へ伝わるほど、残った人間ほど本気になる。
だから後半は、逆に面白かった。
腹を括った声が出る。
押し込んでいた癖が出る。
舞台経験の有無より、その人間が何で今ここに立ってるのかが、声に混じり始める。
夕方近く、最後の十人を見終えた時、ゼノは紙の束を一度机へ置いた。
「終わったか」
カイルスが言う。
「終わりました」
ゼノは答える。
「一次通過、四十八名」
九十七から四十八。
「半分近いな」
ダリオが言う。
「こんなもんでしょう」
ゼノが答える。
「むしろ、思ったより粒がありました」
「王都まで撒いたからな」
ダリオが鼻を鳴らす。
「そりゃ、変なのも本物も来る」
「居場所のない人ほど、紙一枚をちゃんと見ますから」
リュシエルが淡々と言った。
その言い方に、ゼノは少しだけ目を細めた。
たぶん本当にそうなのだろう。
《視聴者数:1,746,920》
〈コメント:一次だけで濃いw〉
〈コメント:48人残ったか〉
〈コメント:一日目でこれ、次の日やばいな〉
〈コメント:ルミナ推したい〉
《リュケオン:いいねえ、雑居感が》
《エモーシア:みんな必死ね》
《フィクサル:ここから削れ》
《ラグゼル:本番は次だな》
一次を通った四十八人は、その場で全員帰さなかった。
音舞殿の裏に組んだ仮宿舎と、空いている客間へ振り分ける。
食事も出す。
逃がさないためではない。
明日の朝一番で、空気が変わっていない顔を見たいからだ。
ここで一晩置く意味は大きい。
喜びで浮かれるやつ。
緊張で潰れるやつ。
逆に、静かに腹を括るやつ。
一晩で、人は結構剥がれる。
「二次は明日の朝からです」
ゼノが残った四十八人へ向けて言った。
ざわめきが起こる。
当然だ。
今日で終わりじゃない。
むしろ今日は入口だけだったのだと、そこで全員が思い知る。
「今日は休んでください」
ゼノは続ける。
「ただし、ここで何をしても見られてると思ってください」
その一言で、数人の顔が変わった。
いい。
その反応で充分だ。
「二次では、歌だけじゃなく、経歴と動機も見ます」
ゼノは言った。
「何でここに来たのか。何を欲しがってるのか。そこも見ます」
返事はない。
だが、目だけが一気に真剣になる。
それでよかった。
夜、審査場の片づけが終わったあと、ゼノたちは裏手で簡単な打ち合わせをした。
「明日の朝から二次」
ダリオが言う。
「その流れで、通したやつを三次へ上げる」
「はい」
ゼノが頷く。
「二次で一気に化けの皮が剥がれると思います」
「今日の感じだと、そうだろうな」
カイルスが言う。
「一次を通ったことで変に自信をつけるのもいる」
「逆に、信じられずに固くなるのもいる」
ボルグが低く言った。
イグニスは壁にもたれたまま、短く言った。
「舞台に立った時、空気を持てるやつだけでいい」
「二次でどれくらいまで落とします?」
ゼノが聞く。
「二十前後」
ダリオが即答する。
「そこから三次で、最終」
ゼノは紙を見ながら頷いた。
その数字が、現実だった。
家へ戻る途中、ロイドが追いついてきた。
「終わったか」
「今日は一次だけです」
ゼノが答える。
「正解だな」
ロイドが言う。
「さすがにあの数で全部やったら、見る方が死ぬ」
「もう半分死んでますけど」
「知ってる」
ロイドは軽く笑ってから、少しだけ真面目な顔になった。
「でも、いい顔もしてたぞ」
「誰がです?」
「お前も、イグニスもだ」
ゼノは、その言葉に少しだけ足を止めた。
「イグニスも?」
「ああ」
ロイドは歌舞殿の方を見るみたいに顎を動かした。
「審査してる顔してた。逃げてる顔じゃなかった」
その言い方が妙に胸に残る。
そうか、とゼノは思う。
今日、集まったのは応募者だけじゃない。
イグニス自身も、少しずつ舞台の外にも戻ってきているのかもしれない。
「明日が本番ですね」
ゼノが言う。
「だな」
ロイドが答える。
「今日はまだ、喉を見るだけだ。明日は人間ごと見える」
まったくその通りだった。
一次は入口だ。
喉の芯を見る。
残るかどうかを見る。
だが二次からは違う。
何を欲しがって、何を隠して、何を武器にして立つのか。
人間そのものが出る。
だからこそ、朝からに分けた方がいい。
一晩置いたあとに見える顔は、だいたい嘘が薄い。
ゼノは宿へ戻る前に、一度だけ音舞殿の方を見た。
今日のざわめきが、まだ少しだけ空気に残っている気がした。
九十七人。
そのうち四十八人が残った。
まだ多い。
だが、ここから削るほど面白くなる。
温泉郷は、もう前の温泉郷には戻らない。
その予感だけは、今日の時点ではっきりしていた。
《視聴者数:1,758,204》
〈コメント:二日構成の方が自然だな〉
〈コメント:ここで切るの正解〉
〈コメント:明日の二次三次めっちゃ見たい〉
〈コメント:イグニスも戻ってきてるの良い〉
《リュケオン:引きが上手いじゃねえか》
《エモーシア:一晩置いた顔って、嘘が薄いのよね》
《フィクサル:明日、削れ》
《ラグゼル:残った四十八、悪くない》
ゼノは小さく息を吐いた。
疲れている。
頭も重い。
喉も乾いている。
それでも、妙に気分は悪くなかった。
削るべき声が集まった。
残るかもしれない声も見えた。
そして何より、明日がある。
一次で終わりじゃない。
明日の朝から、ようやく本当に選ぶ。
音舞殿の高い天井の下へ残すべき声を。
町ごと広げるための声を。
ゼノは家へ向かって歩きながら、小さく笑った。
「……ここからだな」
誰に聞かせるでもない独り言だった。
――――
次回
第82話 二つの未来へ




