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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第73話 王都の舞台は、静かに値踏みしてくる

 翌朝、王都の空気は温泉郷より少しだけ硬かった。


乾いている、というのが近いかもしれない。


朝の光は同じように差しているのに、石畳に跳ね返る音も、行き交う人の足取りも、どこか余白がない。

王都という場所は、日が昇った瞬間からもう誰かに見られる前提で動いている。


宿の食堂で軽く腹に入れてから、ゼノたちはすぐに出た。


今日は下見だ。

そして搬入だ。

歌うのは明日でも、勝負はもう始まっている。


ダリオたちの楽器を積んだ荷馬車が、通りの端で待っていた。


「……王都の道、嫌いだな」

ボルグが荷台を見ながら言った。

「平らに見えて、車輪の返りが変だ」


「石が細かいんですよ」

リュシエルが答える。

「街道とは揺れ方が違う」


「それで笛が鳴らなくなったら笑えねえな」

ダリオが箱を軽く叩く。


「笑う前に殺します」

リュシエルが真顔で返した。


そのやり取りに、ミルファが朝から吹き出した。

「王都来てもいつも通りだね!」


「そこが一番いいんですよ」

ゼノが言う。


本当にそうだった。


王都まで来ると、どうしても“特別な場所に来た”という顔になりやすい。

だが、歌う側までそれをやると危ない。

こっちが王都を特別扱いした瞬間、向こうの値踏みが始まる。


会場に着いた時、最初に目に入ったのは正面の大きな扉だった。


王都の公演場らしく、造りは綺麗だ。

飾り柱。

整えられた段差。

磨かれた床。

だが豪奢すぎない。


あくまで勇者を労う席であって、王族の私宴ではない。

そういう線引きが、建物の顔にも出ていた。


「……思ったよりちゃんとしてる」

ナディアが言う。


「何だと思ってたんです?」

ゼノが聞く。


「もっと無駄にきらきらしてるかと」


「分かるにゃ」

ミュラが頷く。

「王都って、そういうイメージあるにゃ」


エレナは何も言わず、正面を見ていた。

少しだけ呼吸が浅い。


セレスがそれに気づいて、小さく言った。

「緊張してる?」


「してる」

エレナは正直に答えた。

「でも、悪くない方」


「それなら大丈夫ね」

リィナが静かに言う。


そこへ、会場側の案内役が現れた。


「お待ちしておりました」

一礼する。

「本日は終日、こちらをお使いください。鍵盤もすでに設置済みです」


その一言で、イグニスの目だけがわずかに動いた。


「先に見る」

それだけ言って、中へ入る。


やはり一番そこか、とゼノは思う。


会場の中は、音舞殿より広かった。


客席の段差は緩やかだ。

奥行きもある。

王都の人間が“見やすさ”を重視して作ったのが分かる。

だが、音の返りはまた別だ。


ゼノは一歩進んだだけで、温泉郷とは違うのを感じた。

音舞殿は熱を抱く。

ここは、熱が立つ前にまず輪郭を見せる箱だ。


「……嫌な箱だな」

イグニスが小さく言った。


「早いですね、感想」

ゼノが返す。


「まだ嫌いなだけで済んでる」

イグニスは舞台上の鍵盤へ歩いていく。

「触ってから本気で嫌いになるか決まる」


ミルファが小声で言った。

「もう機嫌悪いじゃん」


「聞こえてるぞ」


「すみません!」


舞台には、鍵盤が一台だけ置かれていた。


黒に近い深い茶色。

艶はある。

王都側が見栄えも考えて用意したのだろう。

だが楽器は見た目で弾くものじゃない。


イグニスは椅子にも座らず、まず立ったまま鍵盤に触れた。

蓋を上げる。

一音、鳴らす。


 ――コロン。


そこで数秒、完全に止まる。


嫌な沈黙だった。


ミルファなんかは、もう顔が固まっている。

ナディアも腕を組み直した。

ゼノは口を挟まない。

ここで何か言っても邪魔にしかならない。


イグニスは座った。

もう一度、一音。

次に低い音。

さらに和音。


それから、右手だけで短く走る。


止まる。


「……どうです」

ゼノが聞く。


「重い」

イグニスが言った。

「でも死んではいない」


それだけで、全員の肩が少し下がった。


「弾けますか?」

エレナが聞く。


「弾ける」

イグニスは短く答える。

「ただ、温泉郷のより少し沈む。前へ出すまでに一枚いる」


「一枚?」

リーシャが首を傾げた。


「力じゃなく間だ」

イグニスが言う。

「ここの箱は、音が立つまで一歩遅い。だから焦って弾くと、全部薄くなる」


ゼノはその言葉を頭に入れる。


会場の癖だ。

つまり、歌もそれに合わせなければいけない。


「じゃあ、今日はその確認からですね」


「そうだ」

イグニスが頷く。

「立ち位置も変えるかもしれない」


ボルグが舞台の奥を見ながら言った。

「太鼓は後ろすぎると埋もれるな」


「客席の返りが前提の箱だな」

ダリオも続ける。

「音舞殿みたいに真ん中で抱いてくれない」


「笛は少し上げたいです」

リュシエルが言う。

「横へ逃がすと消えます」


ここから、一気に仕事の顔へ変わった。


荷が下ろされ、太鼓を運ぶ。

弦の箱が開く。

笛の布を外す。

立ち位置を見て、客席との距離を測る。


ミラベルの七人も、ただ見ているだけではなかった。


エレナが舞台中央へ立って、客席を見る。

セレスが一歩後ろへ。

リィナは左右の抜け方を確かめる。

ミルファは実際に跳ねてみて、どこまでなら軽く見えすぎないか探る。

ナディアは踏み込みの位置を変え、リーシャは視線が届く角度を確かめる。

ミュラは舞台の端まで行って、観客の近さを体で測っていた。


《視聴者数:1,139,501》


〈コメント:下見回好き〉

〈コメント:王都の箱の癖があるのいい〉

〈コメント:鍵盤チェック緊張した〉

〈コメント:こういう積み上げ回、大事〉


《エルディア:環境差異、確認》

《フィクサル:浮かれるな。合わせろ》

《ノクティア:箱が違えば歌も変わる》

《ルヴェリア:でも、伸びるわよ。こういう場で育つものもある》


 最初に合わせたのは、一曲目の『おかえりより先に、笑って』だった。


客席を掴む曲だ。

つまり、この箱と一番最初に喧嘩する曲でもある。


「行きます」

エレナが言う。


イグニスが鍵盤へ指を落とす。


 ――コロン。


音舞殿より、やはり少し沈む。

だが悪いだけではない。

輪郭が整う分、歌の入り方が綺麗だ。


エレナが歌う。

セレスが重なり、リィナが奥を作る。

ミルファの高音が抜けて、ナディアが押し、リーシャが柔らかく置いて、ミュラが笑顔の熱を乗せる。


途中で、イグニスが止めた。


「ミルファ、早い」


「えっ、また!?」


「箱が違う」

イグニスは即答した。

「温泉郷のまま前へ出るな。ここは半歩待て」


「半歩……」

ミルファが真面目に考え込む。


「セレスは逆にもっと早くていい」

「はい」

「ナディアは踏み込む位置を左にずらせ。今だとボルグに食われる」

「了解」


修正が飛ぶ。

だがそれを、誰も嫌がった顔で受けなかった。


ここに来る前に、もう覚悟は終わっていたのだろう。


二回目。


今度はサビがかなり前へ出た。


「♪おかえりより先に 笑って――」


さっきよりずっといい。


客席の後方まで、ちゃんと届く。

しかも王都の箱に飲まれていない。


「よし」

イグニスが言う。

「そのまま二曲目」


二曲目、『ミラベル』。


ここは外せない。

名前を背負う歌だ。

王都で初めて見る客に、“これがミラベルだ”と刻む曲になる。


エレナの立ち方が変わる。

さっきより、芯が前に出る。


リィナの空気の作り方も、王都の箱に合わせて少し深くなる。

セレスは上からの光を増やし、ナディアは支える重みを一段強くした。

リーシャは感情を置きすぎず、ミュラは最後の抜けを整える。


「いい」

ゼノが思わず呟く。


イグニスは止めなかった。

つまり、まだ許容範囲だ。


三曲目から五曲目の既存曲は、大崩れしなかった。

育っている。

もうそういう段階に来ている。


そして、六曲目。


『笑って奪え』。


空気が少しだけ変わる。


この曲は強い。

熱を跳ね上げる曲だ。

王都の人間の“まだ様子を見ている顔”を、そこで一段剥がさなければならない。


「これ、好きです」

ミュラが小さく言った。


「知ってる」

ナディアが笑う。


「お前が一番楽しそうだもんな」

「だって奪うにゃ」


イグニスが一音入れる。


笑って奪え、は王都の箱でも死ななかった。

むしろ整いすぎた空気に、一番良く刺さる。


セレスの抜き方。

ミルファの跳ね。

ナディアの押し。

ミュラの甘さ。

全部が王都の客席へ向けて牙になる。


ゼノは、この曲が明日かなり強く跳ねると確信した。


「最後」

イグニスが言った。

「『明日へ踏み出そう』」


七曲目だ。


ここで終わる。

つまり、この曲の印象が、そのまま王都に残る。


さっきまでの熱を全部抱えたまま、それでも最後に前を向かせなければいけない。


エレナが深く息を吸う。


鍵盤が鳴る。


 ――トン。

 ――コロン。

 ――トン。


一曲目より少し低く、六曲目より柔らかい。

けれど、芯は通っている。


ミラベルの七人が歌い始める。


「♪うまく笑えない朝だって

  ちゃんと明日は来るでしょう――」


さっきよりいい。

温泉郷で歌っていた時より、少しだけ広くなっている。


王都の会場だからか。

それとも、明日が近いからか。


リーシャの声が、客席の奥にちゃんと届く。

エレナは前へ向かせる。

リィナが深くし、セレスが光を通す。

ナディアが押し、ミュラが柔らかく抜く。

ミルファの高音は、その全部の上に明るさを乗せていた。


歌い終わる。


今度は、少しだけ長い沈黙が落ちた。


「……これだな」

ダリオがぽつりと言う。


イグニスも、それを否定しなかった。

「これで終わる」


エレナが舞台の中央で、少しだけ息を吐いた。

「王都でも、これでいけますか」


「いける」

ゼノは即答した。


イグニスも少し遅れて言う。

「いける。あとは、余計なこと考えるな」


ミルファが苦笑いする。

「それが一番難しいんだけど」


「知るか」


だが、その返しに空気が緩む。


昼を少し過ぎたあたりで、今日の合わせは一度止めた。


無理はしない。

本番前日に喉も身体も削る意味はない。


案内役が控えめに声をかけてくる。

「何か不足はございますか」


ゼノは一度会場を見回して、それから答えた。


「今のところは大丈夫です」

「では、明日も同じようにお使いください」

「ありがとうございます」


王都側は、余計な口を挟んでこない。

それがありがたかった。


ただし、見ていないわけではない。


客席の奥。

壁際。

通路の端。


何人かの人間が、明らかに“確認しに来ている”顔で出入りしていた。


劇場関係者。

楽団側。

貴族筋の使い。

あるいは、もっと別の何か。


王都の舞台は、まだ歌ってもいないのに、もう静かにこちらを見ていた。


ゼノはそれに気づきながら、何も言わない。


今はまだいい。

見せるのは今日じゃない。

明日だ。


宿へ戻る道中は、来た時より少しだけ空気が軽かった。


「鍵盤どうだった?」

ミルファがイグニスに聞く。


「死んではない」


「その言い方、全然褒めてないよね?」


「褒める必要があるのか」

 

「ないけどさ!」


ナディアが笑う。

「でも、それでお前が文句止まりなら当たりだろ」


「まあな」


エレナが静かに言う。

「会場、思ったより冷たかったです」


「はい」

リィナが同意した。

「温泉郷の箱みたいに熱を感じません」


「だからこそ、こっちから入れないといけませんね」

セレスが言う。


「いいじゃん」

ミュラが笑う。

「奪いにいけばいいにゃ」


その一言に、ゼノは少しだけ口元を上げた。


そうだ。

王都は静かに値踏みしてくる。


だったら、こっちも遠慮はいらない。


歌でひっくり返せばいいだけだ。


《視聴者数:1,154,884》


〈コメント:王都の会場こわい〉

〈コメント:静かに値踏みしてくる感じいい〉

〈コメント:でもミラベル勝てそう〉


《フィクサル:箱は見た。次は客だ》

《ラグゼル:静かな場ほど、ひっくり返った時がでかい》

《ルヴェリア:いい育ち方してるじゃない》

《エモーシア:あとは本番で泣かせなさい》


 夜、宿での食事は昨日より少しだけ明るかった。


ミルファが会場の大きさにまた騒ぎ、ミュラが王都の菓子を気に入り、ナディアが「食いすぎるな」と呆れ、リーシャが少しだけ笑う。

リィナとセレスは、明日の細かい立ち位置の修正を確認し合っていた。

エレナは静かだが、昨日ほど張り詰めてはいない。


イグニスは相変わらず多くは喋らなかった。

だが、少なくとも今日は“落ちている”沈黙ではなかった。


確認が終わった人間の沈黙だ。


食事のあと、ゼノは一人で宿の外へ少しだけ出た。


王都の夜は、やっぱり綺麗だった。


でも今夜は、昨日よりその綺麗さに飲まれなかった。


会場を見たからだろう。

箱の癖も分かった。

鍵盤も確かめた。

太鼓も弦も、飲まれない。


もう“知らない王都”ではない。


だったら、怖さも半分になる。


ゼノは窓の明かりを見上げた。


明日、もう一度会場へ入る。

最後の微調整をする。

そして明後日、本番だ。


一曲目で空気を取る。

二曲目で名を立てる。

中盤で積み、六曲目で熱を跳ね上げる。

最後に前を向かせる。


並びは強い。

歌も仕上がっている。

なら、あとは見せるだけだ。


王都は静かにこちらを見ている。


だったら、その静けさごと奪ってやればいい。


ゼノは小さく息を吐いて、宿へ戻った。


前日の確認は終わった。

明日は本番だ。


いよいよだ。


――――

次回

 第74話 王都の拍手を、最初に奪う歌

 

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