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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第70話 王都が呼んだ日、次の歌が決まる

 朝の湯楽郷は、前日の熱をまだ少しだけ残していた。


音舞殿の前を通る客の顔が、どこか満たされている。

果実酒広場では、昨夜の話がまだ続いていた。

共鳴鈴を買った客が、箱を机の上に置いて見せ合っている姿もある。


「やっぱ紅にしてよかった」

「いや、月白も強かったぞ」

「挨拶の儀、近すぎてちょっと死んだ」

「ミュラに“また来るにゃ?”って言われたら来るしかないだろ」


笑い声が広がる。


ゼノはその空気を見ながら、胸の奥で小さく息を吐いた。


ちゃんと残った。

歌も、鈴も、挨拶の儀も。


昨日は勝ったと言ってよかった。


ただ――勝った翌日ほど、次が来る。


それも、たいてい思っていたより早く。


商縁通りの入口の方から、馬の足音が聞こえた。


荷馬車じゃない。

もっと軽い。

もっと急がない。

でも、無駄のない足音だった。


ゼノが顔を上げるより先に、ロイドが小さく言った。


「……王都だな」


その一言だけで、何人かが通りの奥を見る。


来たのは一頭立ての馬車だった。

派手ではない。

だが、作りと手入れで分かる。

地方の商人が使う類のものではない。


馬車が止まり、従者風の男が一人、静かに降りてきた。

年は三十前後。

服は地味だが、立ち方が綺麗すぎる。


その男は、周囲を見てすぐにゼノを見つけた。


「ゼノ殿でいらっしゃいますか」


「はい」


男は一礼した。

深すぎず、軽すぎず。王都の礼だ。


「王都より、殿下のお言葉をお持ちしました」


その瞬間、商縁通りの空気がほんのわずかに止まる。


殿下。

そう言われて、誰のことかまでは分からなくても、“王都の上”から来た話だということは伝わる。


ロイドが、少しだけ目を細めた。

マギウスも、アルノフの店の前で鈴を持ったまま動きを止めている。


ゼノは男を見た。


「ここで伺っても?」


「人払いが必要な話ではありません」

男は答えた。

「ですが、正式なお手紙です」


差し出された封は、白かった。

印も上品だ。

過剰な威圧はない。

でも、ちゃんと重い。


ゼノは封を受け取り、封蝋を割る。


中の紙を開いた瞬間、少しだけ周囲の音が遠くなった。


文字は整っていた。

余計な飾りがない。

読ませるための文だ。


 第一王子レオニスより、湯楽郷の主ゼノへ。


先日の音舞殿公演、ならびに共鳴鈴の趣向、見事であった。

湯楽郷で生まれた歌と場が、ただの慰めではなく、人を立たせる力を持つことを、私は確かに見た。


ゆえに頼みたい。

近く、王都へ戻る勇者一行を労う席を設ける。

その場にて、歌姫団ミラベルの公演を願いたい。


王都のためではない。

戦いを終えて戻る者たちに、戦場の外の音を渡すためだ。


無論、強制ではない。

来るかどうかは、そちらで決めてよい。


ただ、王都に来るなら、私は席ではなく場を用意する。 それに見合うだけの敬意を払うと約す。


ゼノは最後の一行まで読んで、しばらく黙った。


《視聴者数:982,114》


〈コメント:きたああああ〉

〈コメント:王都編まだ終わってなかった〉

〈コメント:勇者慰労で呼ぶの強い〉

〈コメント:レオニス、言い方が上手い〉


《フィクサル:でかいな》

《ラグゼル:王都公演、跳ねるぞ》

《エモーシア:でも軽くは決められないわね》

《ルヴェリア:場が大きくなる時ほど、育ち方が問われる》


ロイドが、先に聞いた。


「何て?」


ゼノは紙から目を上げる。


「王都で、公演してほしいそうです」


「は?」


言ったのはマギウスだった。


「王都?」

ロイドも眉を寄せる。

「普通にあの王都か?」


「多分、他にないので」


従者の男は無言のまま立っている。

余計な口は挟まない。

答えが出るまで急かす気もないらしい。


それが逆に、ちゃんとしていた。


ロイドが腕を組む。


「勇者を労う席、か」


「はい」


「嘘じゃない顔だな」


「多分、本気でしょうね」


ゼノはもう一度手紙へ目を落とす。


王都のためではない。

戦いを終えて戻る者たちに、戦場の外の音を渡すためだ。


あの王子らしい言い方だと思った。


自分の都合だけでは呼ばない。

でも、呼ぶ時はちゃんと大義を持ってくる。

しかも、その大義が嘘ではない。


厄介だ。

そして、嫌いじゃない。


「返事は、すぐにですか」

ゼノが従者へ聞く。


「本日中でなくとも構いません」

男は答える。

「ただ、勇者一行の帰還日が決まり次第、場は早く動きます」


「なるほど」


「お返事を頂ければ、王都側で受け入れの準備に入ります」


ゼノは頷いた。


「分かりました。今日中に返します」


男が一礼する。

「お待ちしております」


 馬車はそのまま商縁通りの端へ下がり、待機する形になった。

返事を持って帰るつもりなのだろう。


ゼノは、手紙を折りたたんだ。


周囲の空気が、少しずつざわつき始める。


「王都って……あの王都?」

「ミラベルが?」

「すごくないか?」

「いや、すごいで済まなくないか」


聞いた者たちが、落ち着かない顔になっていた。


当然だ。

温泉郷の歌姫団が、王都に呼ばれた。

しかも勇者を迎える席で。


ただの地方の余興では、もうない。


ロイドが低く言う。


「お前、どうする」


ゼノはすぐには答えなかった。


どうするか。

そんなの、半分はもう決まっている。


問題は一人だ。


歌舞殿の奥で、まだ完全には前の傷から抜けきっていない男。

それでも次の歌を作ろうとしている男。


王都へ行くなら、イグニスの意思抜きでは進められない。


「……まず、あいつです」

ゼノが言う。


ロイドが頷く。


「だろうな」


 ――


 歌舞殿の中は、昼前の静けさに包まれていた。


昨日の熱が嘘みたいに、音は少ない。

けれど、空っぽではない。


木の匂い。

少し冷えた空気。

高い天井に薄く残る残響。


舞台の中央ではなく、今日は客席側にイグニスがいた。

椅子に座り、譜面でもなく、舞台でもなく、何もない空間を見ている。


ゼノはその姿を見た瞬間、ほんの少しだけ足を止めた。


昨日、一昨日よりはましだ。

だが、軽くもない。


「何だ」

イグニスが言う。

視線は動かさないまま。


「王都から手紙が来ました」


その一言で、イグニスの目が少しだけ動いた。


「……王子か」


「はい」


「何て」


ゼノは手紙をそのまま渡すのではなく、内容を口で伝えた。


勇者一行の帰還。

その慰労の場。

そこで、ミラベルに歌ってほしいという依頼。


イグニスは最後まで黙って聞いた。


聞き終えたあとも、しばらく何も言わない。


ゼノも急かさなかった。


ここで軽く「どうします?」なんて聞いたら安くなる。

この話は、それほど軽くない。


王都。

しかも、勇者を労う場。

それは客の数や熱の話だけじゃない。

国の中心で、何を見せるかの話だ。


「……断ってもいいんだろ」

やがてイグニスが言った。


「はい」


「お前は」


そこで初めて、視線がゼノへ向いた。


「行きたいのか」


ゼノは少しだけ考えた。


嘘は意味がない。


「行きたいです」


「即答だな」


「はい」

ゼノは頷く。


「怖くないわけじゃないです。

でも、あの王都まで呼ばれて、しかも勇者を迎える場で歌ってほしいと言われたなら、やる価値はあります」


イグニスは黙っている。


だからゼノは、さらに続けた。


「ミラベルはもう、温泉郷の中だけで完結する段階を越えました」


舞台。

鈴。

挨拶の儀。

王都からの視線。


「ここで王都を避けるのは、守るっていうより、縮むに近いです」


イグニスの指先が、膝の上でわずかに動いた。


「……お前、本当に嫌なこと言うな」


「必要なので」


「分かってる」

短く返す。


それから、少し長い沈黙があった。


外では風が鳴っていた。

歌舞殿の袖の薄い布が、ほんの少しだけ揺れる。


イグニスは、そこで初めて大きく息を吐いた。


「王都か」


その言い方には、過去も、痛みも、後悔も混じっていた。

でも、逃げたいだけの声ではなかった。


「……正直、行きたくねえ」


それは本音だろう。


「はい」


「顔も見たくないものが多すぎる」


「はい」


「思い出すものも多い」


「はい」


ゼノは否定しない。


そこで無理に前向きなことを言うと、今度は本当に薄くなる。


「でも」

イグニスが言った。


視線が鍵盤へ向かう。


「それでも、行かない理由にはならない気がしてる」


ゼノは、その言葉に胸の奥が少しだけ熱くなるのを感じた。


ああ、前に進むってこういうことか、と思う。


忘れたから行けるんじゃない。

痛いままでも、選ぶ方へ足を出すことだ。


「行きましょう」

ゼノが言う。


イグニスはすぐには頷かなかった。

でも、否定もしなかった。


その沈黙のあとで、ようやく小さく言う。


「……ああ」


短い。

でも、ちゃんと決めた声だった。


《視聴者数:995,428》


〈コメント:行くか……!〉

〈コメント:イグニスえらい……〉

〈コメント:逃げないの強い〉

〈コメント:ここで王都行き決めるの熱すぎる〉


《フィクサル:よし》

《ルヴェリア:育ったわね》

《エモーシア:怖いまま選べるなら、まだ立てる》

《リュケオン:よっしゃあ王都公演!》


ゼノはそこで、少しだけ笑った。


「じゃあ、次は曲です」


「早えよ」

イグニスが言う。

だが、その声にさっきまでの沈み方はない。


「勇者を迎える場なら、それ用の歌が要ります」


「既存曲じゃ駄目か」


「駄目ではないです。でも、弱い」


ゼノは舞台を見上げた。


「戦って帰ってくる人たちに渡す歌なら、王都向けの綺麗事だけじゃ駄目です」


「……続けろ」


「慰労って言葉に寄せすぎると薄くなります」

ゼノは言った。

「“お疲れさまでした”だけの歌、たぶん残らないです」


イグニスの目が少し細くなる。

もう作る側の顔だ。


「じゃあ何だ」


「帰ってきた人間に、“おかえり”じゃなく“ここからまた生きろ”って言える歌」


イグニスは黙る。


ゼノはさらに続ける。


「戦ったことを持ち上げすぎない。

でも、無かったことにもしない。

しんどかっただろうし、汚いものも見ただろうけど、それでも今日帰ってきたなら、明日の方を向ける歌」


「注文が多いな」


「多いです」


「しかも難しい」


「はい」


イグニスは、そこでようやく少しだけ口元を上げた。


「面白いじゃねえか」


その顔を見て、ゼノは心の中で深く息を吐いた。


戻ってきた。

少なくとも今、この男は戻ってきた。


過去に沈んだままではない。

前を見て、厄介な注文に腹を立てている。

その腹の立て方が、もうかなり生きている。


「明るい方がいいか」

イグニスが聞く。


「王都の勇者相手なら、暗すぎるのは違います」

ゼノは言う。

「でも、軽くもしない方がいい」


「なるほど、面倒くせえ」


「そういう仕事です」


「誰が増やした」


「俺です」


イグニスは小さく鼻で笑った。


「分かってる」

そう言って、ようやく鍵盤の前へ移る。


椅子に座る。

手を置く。

まだ鳴らさない。


その姿を見た瞬間、ゼノはこの場にミラベルを呼んだ方がいいと悟った。


一人で煮詰めると、イグニスはすぐ深く潜る。

今はそれより、明るい熱を混ぜた方がいい。


「呼んできます」


「何を」


「材料です」


「人を材料って言うな」


「じゃあ、歌姫です」


ゼノが扉を開けると、ちょうど外を通りかかったミルファとミュラが反応した。


「ゼノ!?」

「どうしたにゃ?」


「集合です」


「えっ、新曲!?」

ミルファの目が一瞬で輝く。


「そうです」


「うわ、来たああああ!」


その騒がしさに、少し離れた場所にいたエレナたちまで振り向く。


ナディアが呆れた顔で近づいてくる。

「声でかいぞ」


「だって新曲だよ!?」

ミルファが跳ねる。

「しかも今の空気で来るってことは、絶対なんかあるやつじゃん!」


セレスは静かに歩いてきた。

リィナも、その横で目を細める。


「王都から手紙が来たんですか」

エレナが聞いた。


「話が早いですね」


「こっちに来る時に噂してる人がいました」


リーシャが少し緊張した顔で言う。

「……悪い話、ではないんですか」


「悪くはないです」

ゼノが答える。

「王都で公演してほしいそうです」


一瞬、全員が止まった。


「……は?」

言ったのはナディアだった。


「王都?」

ミュラの尻尾が止まる。


「王都です」

ゼノは頷く。

「勇者を労う場で、ミラベルに歌ってほしいそうです」


今度は、沈黙のあとで一気に熱が来た。


「すごい……!」

エレナの目が大きくなる。


「王都で!?」

ミルファはもう半分叫んでいる。


リーシャは、驚きすぎて声が遅れた。

「……お、王都って、あの王都、ですよね……?」


「多分、他にないので」


ナディアが息を吐く。

「で、行くのか」


「行きます」

ゼノが言う。

「イグニスも」


その言葉に、全員の顔がさらに変わった。


イグニスが、自分で決めた。

それが分かるだけで意味がある。


リィナが静かに頷いた。

「なら、大丈夫ですね」


セレスも小さく息をつく。

「ええ。やるべきことは、一つです」


「歌うことです」

エレナがはっきり言った。


その顔を見て、イグニスが鍵盤の前からぼそりと呟く。


「うるせえのが増えたな」


ミルファが即座に食いついた。

「聞こえてるからね!?」


「聞かせてる」


「じゃあ褒めてるのと同じじゃん!」

「何でそうなる」

「なるよ!」


舞台の空気が、一気に明るくなる。


ゼノはそれを見て、やっぱりこれでいいと思った。


ずっと重くはしていられない。

前に進むための新曲なら、なおさらだ。


「じゃあ」

ゼノが言う。

「王都へ持っていく次の歌、作りましょう」


イグニスが、ようやく一音鳴らした。


 ――コロン。


まだ形になっていない音だった。

でも、昨日までとは違う。


痛みを抱えたままでも、前へ出るための音だ。


《視聴者数:1,004,773》


〈コメント:来たああああ新曲回!〉

〈コメント:王都公演やばいだろ〉

〈コメント:イグニス戻ってきた……!〉

〈コメント:ここから明るく行くの最高〉


《ルヴェリア:よし、次は伸びる番》

《エモーシア:傷んだ後の歌は、前より深くなるのよ》

《ラグゼル:王都で跳ねる歌を作れ》

《フィクサル:見せろ、ミラベル》


 エレナが、舞台の中央へ上がる。

セレスも、リィナも、ミルファも、ナディアも、リーシャも、ミュラも続いた。


七人が揃う。


さっきまで王都だ、勇者だ、とざわついていたのに、舞台へ上がった瞬間、ちゃんと顔が変わる。


イグニスが、半眼のまま言った。


「勇者向けだ」


「うわ、いきなり重い」

ミルファが小声で言う。


「でも暗くしすぎるな」

イグニスは続ける。

「迎える歌だ。でも慰めだけにするな」


ナディアが口元を上げた。

「つまり、立たせる歌か」


「そうだ」


エレナが、静かに息を吸う。

「やってみます」


その一言に、ゼノは胸の奥で小さく頷いた。


これでいい。


イグニスは前へ進むために、新曲を作る。

ミラベルはその歌を持って、王都へ行く。


重いものは、まだ消えていない。

でも、いつまでもそこに沈んでいるだけじゃない。


次は歌だ。

明るく、強く、前へ出る歌。


王都が呼んだなら、王都で黙らせればいい。


ゼノは舞台を見上げて、静かに笑った。


次は、かなりでかい。


――――

次回

 第71話 勇者を迎える歌は、優しさだけじゃ足りない

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