第69話 新曲入りの鈴が、会えなかった客を連れてくる
『笑って奪え』の余韻は、曲が終わってもしばらく音舞殿の中に残っていた。
明るいのに軽くない。
笑えるのに、ちゃんと胸に引っかかる。
客席のあちこちで、まだ誰も立たない。
手を叩いた後の熱が、そのまま膝の上に残っているようだった。
《視聴者数:912,044》
〈コメント:取ったな〉
〈コメント:これ持って帰りたい〉
〈コメント:今日の鈴、絶対強い〉
〈コメント:まだ終わるな……!〉
《ラグゼル:今だ。熱を散らすな》
《エモーシア:笑った後の方が、欲しさは深く残るのよ》
《リュケオン:次の一手で決まるぞ》
《フィクサル:外すなよ、ゼノ》
舞台袖で、ゼノは小さく息を吐いた。
今だ。
早すぎれば安くなる。
遅すぎれば冷める。
今ならまだ、歌が客の中で鳴っている。
ゼノは一歩前に出た。
「本日は、ありがとうございました」
その声で、拍手が少しずつ静まる。
舞台の上のミラベルも、客席の熱が次へ移るのを感じ取ったのだろう。
エレナが小さく息を整え、セレスが姿勢を正し、ミルファがまだ笑いそうな顔をなんとか抑えている。
ナディアは余裕のある目で客席を見ていたし、リーシャは頬に残った熱を隠しきれていない。
ミュラは尻尾が揺れっぱなしだった。
リィナだけが、最初から最後までよく見ていた。
「本日の公演をご覧になった皆さまは、これまで通り、この後の挨拶の儀へご参加いただけます」
客席の空気が、そこで一度だけほっと緩む。
知っている者は頷き、初めて来た者は周りの反応で察する。
挨拶の儀。
ライブの後、ミラベルと直接言葉を交わせる時間。
ここまでは、すでに音舞殿の催しとして根づき始めていた。
だが、今日の本題はその先だった。
ゼノは一拍だけ間を置いた。
「加えて、本日販売する共鳴鈴には、挨拶の儀の参加札をお付けします」
客席がざわめく。
「それは――」
「どういう意味だ?」
「鈴にも札が付くのか?」
ゼノは、客席の反応を見てから続けた。
「後日、公演に入れなかった方でも、共鳴鈴をご購入いただいた場合、その札で挨拶の儀に参加できます」
一瞬、場が止まった。
次の瞬間、熱が走る。
「うわっ」
「それ強いな」
「外の連中、絶対欲しがるぞ」
「入れなかった側にも道があるのか!」
「公演に行けない日でも、挨拶の儀だけ来れるんだ」
ミルファが、もう我慢できないという顔で一歩前へ出た。
「つまりです!」
ぱっと明るく笑う。
「今日公演に入れなかった人でも、鈴を買ってくれたら、あとで私たちに会えます!」
今度は、客席の後ろの方から笑いと歓声が一気に広がった。
「分かりやすい!」
「最初からそう言え!」
「いや待て、それはズルいだろ!」
ナディアが口元を上げる。
「ズルくていいんだよ。鈴を買えば、公演に来れない日でも、いつでもその札で会いに来れる」
また笑いが起きる。
だが、そこで崩さないのが大事だった。
ゼノは、ちゃんと線を引く。
「ただし、走らない。押さない。割り込まない。そこが守れない場合、途中で止めます」
その一言で、熱がちゃんと形になる。
「なお」
ゼノはさらに続けた。
「今回の共鳴鈴には、本日初披露した新曲『笑って奪え』も収めています」
今度のざわめきは、さっきよりもっと深かった。
「は!?」
「今日の新曲も入ってるのか!?」
「それは欲しいに決まってるだろ」
「いつでも聞けるのか……」
エレナが、少しだけ頬を紅くしながら客席を見る。
セレスは静かに目を伏せた。
ミュラはもう完全に嬉しそうだった。
ゼノは短く、はっきり言った。
「はい。好きな時に聞くことができます」
それだけで、十分だった。
《視聴者数:928,811》
〈コメント:うわ、通した〉
〈コメント:笑って奪えまで入るの反則〉
〈コメント:しかも挨拶札つき!?〉
〈コメント:ライブ外した客まで拾ってるの強すぎる〉
《ラグゼル:いい設計だ》
《エモーシア:中の熱も外の悔しさも、どっちも腐らせなかった》
《リュケオン:並べ! 全員並べ!》
《フィクサル:綺麗に流したな》
音舞殿の扉が開く。
客が流れ出す。
前へ。
だが、押し合いにはならない。
急ぎたい。
欲しい。
でも、ここで止められたくない。
そのぎりぎりのところで、みんな理性を保っている。
その空気自体が、もう湯楽郷らしかった。
――
外の広場には、すでに販売机が整えられていた。
マギウスが全体を見ている。
ラナ、ミアナ、ベルクが新しい売り子三名の横につく。
ハインとルークの後ろに新しい二名が付き、後ろを回している。
前回より、明らかに顔つきが違う。
もう手伝いの顔じゃない。
この場を回す側の顔だった。
「共鳴鈴はこちらです!」
「本日の販売分には、挨拶の儀の参加札が付いています!」
「公演に入れなかった方も、その札でご参加いただけます!」
「順番にご案内しますので、押さないでください!」
ラナの声がよく通る。
ミアナの説明は無駄がなく、ベルクは価格を言う時に少しもぶれない。
新しい三人も真似をして、対応している。
「共鳴鈴は銀貨五枚です」
ベルクが言う。
「本日の新曲『笑って奪え』を含む収録曲入り、挨拶の儀参加札付きです」
「……五枚か」
そう言いながらも、客の目は机の上へ吸い寄せられていた。
紅。
深緑。
琥珀。
月白。
蒼。
黒金。
薄桃。
並ぶ箱を見た瞬間、迷いが生まれる。
「紅、やっぱ強いな」
「いや蒼だろ、今日めちゃくちゃ跳ねてたぞ」
「黒金……ナディア、やばかった」
「月白も捨てがたい……」
そこでベルクが、共鳴鈴をそっと鳴らした。
――チリン。
流れたのは、『笑って奪え』だった。
「――笑って、笑って、先に奪うの」
たったそれだけで、何人かの顔が変わる。
「うわ」
「今のだ」
「駄目だ、欲しい」
「これ帰り道で聞けるのか……?」
値段で止まる目ではない。
選ぶ目だ。
迷う目だ。
もう、買い物じゃなく“持って帰りたいもの”を選ぶ目になっている。
《視聴者数:944,065》
〈コメント:これは勝てん〉
〈コメント:歌った直後に鈴で流すの強い〉
〈コメント:しかも参加札ついてるとか買う理由しかない〉
〈コメント:色で迷うのも楽しいやつ〉
《ラグゼル:値札じゃなく余韻で動いてる》
《リュケオン:いいぞ、そのまま落ちろ!》
《エモーシア:自分の“好き”を選ぶ瞬間って深いのよ》
《フィクサル:流れはまだ死んでない》
音舞殿に入れなかった客の列も、ちゃんと伸びていた。
「え、本当に鈴買えば入れるの?」
「挨拶の儀の札が付いています」
ミアナが答える。
「今後、音舞殿に入れなかった日には、札をお持ちなら挨拶の儀のみ参加可能です」
その説明に、外にいた客たちの顔が一段変わる。
「今日だけじゃないのか」
「次、入れなくても会える?」
「それなら欲しいな……」
「いや、欲しいじゃなく買うだろ」
ここだ、とゼノは思った。
今回限りの救済じゃない。
“今後も入れなかった時の別導線になる”と分かった瞬間、共鳴鈴がただの土産ではなくなる。
歌を持ち帰るもの。
そして、次の接点を残すもの。
そこまで行けば、もう強い。
ロイドが横へ来て、低く笑った。
「やるな」
「どっちです」
「今日の客も拾って、次の客も作ったところ」
「そうしないと、入れなかった側が腐るので」
「でも中の客の特別感も殺してない」
「はい」
「嫌になるくらい綺麗だな」
「綺麗じゃないと揉めます」
ロイドが肩を揺らした。
「揉める前提で話すな」
「揉める前提なので」
その時、列の中から若い娘の声が上がった。
「……あの、私、公演に入れなかったんですけど」
両手で薄桃の箱を抱えている。
声が少し震えていた。
「この札で、本当に会えますか」
ラナが、その子をまっすぐ見た。
「会えます」
優しかった。
だが、甘すぎない。
「その共鳴鈴に付いている札で、挨拶の儀に参加できますよ」
娘の顔がくしゃりと崩れる。
「……よかった」
その一言に、周りの空気まで少しだけ柔らかくなった。
ゼノは、その光景を見て少しだけ目を細める。
いい売り場になった。
物を渡しているだけじゃない。
ここへ来られなかった側の悔しさまで、ちゃんと受けている。
《視聴者数:952,730》
〈コメント:前からの儀式をちゃんと拡張してるのうまい〉
〈コメント:ライブ外した側まで救ってる〉
〈コメント:場が育ってるなあ〉
《ルヴェリア:よく育ったわね》
《エモーシア:泣かせ方が優しい》
《ラグゼル:品の価値が“次”まで伸びた》
《フィクサル:場が人を育て始めた》
挨拶の儀の列も、滑らかに流れていた。
そこは前からやってきたものだ。
だから大きく崩れない。
舞台上でエレナがまっすぐ迎える。
セレスが静かに微笑み、リィナが柔らかく言葉を返す。
ミルファは明るく跳ね、ナディアは近くで見るとますます強い。
リーシャは丁寧に一人ずつ目を見て、最後にミュラが全部を持っていく。
「また来るにゃ?」
「……はい!」
「絶対にゃ?」
「ぜ、絶対……!」
後ろでナディアが笑う。
「お前、最後で全部持ってくな」
「だってまた来てほしいにゃ」
「本音が強すぎる」
また笑いが起きる。
今日は全体がいい。
誰か一人だけが立っている感じじゃない。
ちゃんと七人が順番に奪っている。
エレナが一瞬だけゼノに気づき、ほんの少しだけ笑った。
その顔で分かる。
本人たちも、手応えを感じている。
イグニスが奥から出てきた。
「鈴、どうだ」
「かなり出てます」
「『笑って奪え』は」
「予想通り掴んでいます」
イグニスは半眼のまま少しだけ黙り、それから言った。
「だろうな」
ここしばらく重いものが流れていた分、こういう回が必要だったのだとゼノは思う。
歌って、
笑って、
奪って、
持って帰らせて、
また会わせる。
今日やったのは、それだけだ。
でも、それだけで十分強い。
日が傾く頃には、共鳴鈴はほとんど残っていなかった。
販売机の上の箱は薄くなり、最後の数個が並ぶだけになる。
列も短くなり、挨拶の儀の最後尾もようやく見えてきた。
ミルファが大きく伸びをする。
「疲れたあああ! でもめっちゃ楽しかった!」
「声がでかい」
ナディアが言うが、自分も笑っていた。
リーシャはまだ頬を押さえている。
「……いっぱい、かわいいって言われました……」
「実際かわいいからな」
ナディアがさらっと言って、リーシャが真っ赤になる。
セレスは静かに呟いた。
「……鈴、売れたかな」
リィナも小さく頷く。
「きっと売れてます。……ずっと聞いてもらえますね」
ゼノは少し離れた場所から、その輪を見ていた。
今日はよかった。
本当に。
ライブが立った。
新曲が刺さった。
共鳴鈴が動いた。
挨拶の儀も崩れなかった。
そして何より、音舞殿に入れなかった側まで、次へ繋げた。
もう、ミラベルは次の段階に入っている。
歌うだけでは終わらない。
見られ、選ばれ、持ち帰られ、また会いに来られる存在へなっていく。
その流れが、今日かなりはっきり形になった。
《視聴者数:968,914》
〈コメント:神回だった〉
〈コメント:ライブ外した側まで拾ったの強い〉
〈コメント:笑って奪え、完全に当たり曲〉
〈コメント:ミラベル、もう止まらんな〉
《ラグゼル:よく回った》
《リュケオン:満足だ!》
《エモーシア:いい笑顔だったわ》
《フィクサル:次、もっと取れ》
空が少し赤くなる。
客が帰っていく。
けれど、その背中の何人かは、鈴の箱を胸に抱えたまま何度も振り返っていた。
ああいう背中が増えていけばいい、とゼノは思う。
歌を聞いた日が、
ただの一日じゃなく、
“何かを持って帰った日”として残るように。
それなら、きっと長く続く。
ゼノは最後に、音舞殿を見上げた。
今日は笑って奪った。
そして、会えなかった客にまで、次の会う理由を渡した。
なら次は――
もっと大きく欲しがらせる番だ。
――――
次回
第70話 王都が呼んだ日、次の歌が決まる




