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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第67話 泣いた夜の次は、笑って奪え

 翌日の歌舞殿は、朝から少しだけ騒がしかった。


重い空気が残っていないわけじゃない。

だが、昨日までの「触れたら割れそう」な静けさとは違う。


舞台の上では、ミルファがステップの確認をしていた。

横でミュラが真似して、尻尾までぶんぶん振っている。


「ちょ、そこ違うにゃ!」

「えっ、うそ!? 今の絶対かわいかったよね!?」

「かわいいけど違うにゃ!」


そのやり取りに、リーシャがくすっと笑う。

ナディアは腕を組みながら「朝から元気だな」と呆れ、リィナは譜面を抱えたまま目を細めていた。

セレスは少し離れた位置で動線を確認し、エレナは中央で全体の位置を見ている。


いつもの朝だ。


だからこそ、ゼノは少しだけ救われた。


 歌舞殿の扉が開く。


全員がそちらを見る。


入ってきたのはイグニスだった。


半眼。

気だるそうな顔。

相変わらず寝起きみたいな空気を引きずっている。


だが、昨日までとは決定的に違うものがあった。


手に譜面を持っている。


「……えっ」

最初に反応したのはミルファだった。

「新曲!?」


「うるさい」

イグニスは即答した。

「まだ決まってねえ」


でも、その返しだけで十分だった。


舞台の空気が、一気に跳ねる。


ミュラの耳がぴんと立つ。

リーシャが目を丸くし、セレスが譜面へ視線を落とす。

ナディアの口元が少しだけ上がった。

エレナは何も言わないまま、ほんのわずかに肩の力を抜いた。


ゼノは客席側で、それを見ていた。


来たな、と思う。


痛みが消えたわけじゃない。

昨日の音は、確かに死にかけていた。


それでもこの男は、止まらなかった。


《視聴者数:802,441》


〈コメント:来たああああ〉

〈コメント:譜面持ってる!〉

〈コメント:前進回だ!〉

〈コメント:ここで新曲は熱い〉


《リュケオン:いいぞ、そう来い》

《エモーシア:泣いた次の日に書く歌が一番残るのよ》

《ルヴェリア:前進確認》

《フィクサル:止まらなかったな》


 イグニスは舞台の中央まで来ると、譜面を片手で軽く振った。


「暗いのはもういい」


一言だった。


短い。

だが、それで全員が黙る。


「次は明るいのやる」


ミルファが、ぱっと顔を輝かせる。

「やった!」


「まだ喜ぶな。お前ら次第で普通に死ぬ」


「ひどっ!」


舞台の上に笑いが落ちた。


その笑い方で、ゼノは分かった。


大丈夫だ。

少なくとも、昨日よりはずっと。


「何で明るい曲なんですか?」

エレナが静かに聞く。


イグニスはそこで少しだけ間を置いた。


「……ずっと残る歌もいる」

低く言う。

「でも、それだけだと息が詰まる」


誰も茶化さなかった。


「前向くなら、上げる曲が要る」

イグニスは続ける。

「湯上がりで、そのまま口ずさめるやつ。

帰り道で笑えるやつ。

また来たくなるやつ」


ゼノは、そこでほんの少しだけ口元を上げた。


それでいい。


今のイグニスが作るべきなのは、多分そういう歌だ。


過去に刺さる歌じゃなく、

今この場にいる人間の背中を押す歌。


「題はまだ仮だ」

イグニスが言う。

「でも、方向は決めてる」


「どんな感じ?」

ミュラが身を乗り出す。


イグニスは鍵盤の前に座った。


「可愛い」

「明るい」

「でも舐められない」


ナディアが笑う。

「注文多いな」


「お前ら七人いるんだ。一本じゃ弱い」


その返しに、セレスが静かに頷いた。


「……確かに」


「全員の顔が立つ曲にする」

イグニスは言う。

「センター一人で引っ張るんじゃない。

順に奪う」


その言葉に、ゼノの眉が少しだけ上がる。


いい。

今のミラベルに合っている。


七人全員が違う色を持っている。

なら、一人を立てるだけの歌より、次々に目を奪っていく歌の方が強い。


「タイトルは?」

リーシャが小さく聞く。


イグニスは鍵盤に指を置いたまま、少しだけ考えた。


「……仮でいいなら」


一音。


 ――コロン。


昨日より、明らかに軽い音だった。


「『笑って奪え』」


ミルファが目を丸くする。

「つよ!」


ミュラが尻尾を振る。

「好きにゃ!」


ナディアがにやりとする。

「いいな。それ」


エレナも、そこで少しだけ笑った。

「ミラベルらしいです」


イグニスは返事をせず、そのまま鍵盤を鳴らした。


軽い。

跳ねる。

けれど薄くない。


温泉湖の湯気が朝日にきらめくみたいな、柔らかい明るさ。

その下に、ちゃんと芯がある。


リズムが入る前から、ミルファの肩が揺れた。

ミュラはもう足先で拍を取っている。

リィナが「これ、好き」と小さく呟き、セレスは旋律の流れを目で追った。


「入るぞ」

イグニスが言う。


エレナが息を吸う。


「――おはようの次は、もう会いたいね」

「――昨日よりちょっと、可愛く笑えたら勝ち」


ミルファが思わず声を上げた。

「うわ、好き!」


「黙れ。続き行くぞ」


イグニスはそのまま弾く。


「――湯気の向こうで、目が合ったなら」

「――その瞬間から、今日は私の番」


ナディアが口元を上げる。

「いいな。ちゃんと強い」


リーシャの目がきらりとした。

「可愛いのに、引かないですね」


「引いたら埋もれる」

イグニスは即答した。

「次」


今度はミュラが入る。


「――ふわり、ふわり、揺れても」

「――好きはちゃんと奪いにいくにゃ」


「最後だけズルくない!?」

ミルファが叫ぶ。


「お前の番もある」

「あるの!?」

「ある。うるさい」


笑いが起きる。


でも、その笑いの中で、もう全員の目が変わっていた。


これはいける。


そう分かった目だ。


《視聴者数:814,006》


〈コメント:うわ、明るい!〉

〈コメント:これ現代アイドルっぽくて強い〉

〈コメント:湯上がりで口ずさめるやつ、分かりすぎる〉

〈コメント:ミルファ絶対似合う〉


《リュケオン:きたきたきた!》

《エモーシア:いいわね。泣いた次の日の笑顔は強いわ》

《ルヴェリア:回復ではない。進化だ》

《フィクサル:空気が変わった》


 そこからは早かった。


ダリオが弦を合わせる。

リュシエルが笛の位置を探る。

ボルグとカイルスが、軽めのリズムへ切り替える。


イグニスは片っ端から指示を飛ばした。


「ミルファ、そこは跳ねろ」

「はい!」


「ナディア、二番は押しすぎるな。睨むだけでいい」


「睨むの前提なんだな」


「お前はそれで持っていける」


「……まあな」


「ミュラ、可愛くやれ」

「可愛いは得意にゃ!」


「自分で言うな」


「ほんとだろ?」

「ほんとです」

リーシャが真顔で言って、また笑いが起きる。


エレナは、歌いながら全体を見ていた。

この曲は、中心に立つだけでは駄目だ。

全員が順に光るよう、渡さなければいけない。


セレスは音をまっすぐ整え、リィナは空気を柔らかくする。

ナディアは低い強さで支え、リーシャは感情の引っかかりを残す。

ミルファとミュラが、場そのものを跳ねさせる。


そして最後は七人で一気に持っていく。


「サビ!」

イグニスが言った。


全員が息を吸う。


「――笑って、笑って、先に奪うの」

「――好きって言う前に、もう離さない」

「――きらり、きらり、今日の私が」

「――昨日の涙まで塗り替える」


ゼノは、そこでふっと笑った。


いい歌だと思った。


明るい。

でも軽くない。


昨日の涙を知っているからこそ、

今日の笑顔を前に出せる歌だ。


イグニスは、多分ちゃんと前に進んだ。


過去を乗り越えたわけじゃない。

アオイのことだって、まだ刺さったままだ。


それでも、そのまま沈まずに、

今ここにいる七人へ「笑って奪え」と書けるところまで来た。


それで十分だ。


むしろ、それが一番強い。


曲が止まる。


歌舞殿に、明るい余韻が跳ねたまま残る。


「……これ、やばくない?」

ミルファが、ほとんど叫ぶみたいに言った。


「やばいにゃ!」

ミュラが飛ぶ。


「語彙が死んでるぞ、お前ら」

ナディアが笑う。


でも、顔はみんな同じだった。


嬉しいのだ。

単純に、歌いたいのだ。


エレナが、鍵盤の前のイグニスを見る。


「これ、絶対にお客さん笑顔になります」


イグニスは半眼のまま言う。


「なら、正解だ」


その返しが、少しだけ柔らかかった。


ゼノは客席から立ち上がる。


「この曲、次の公演で入れます」


全員が一斉にこっちを見る。


「えっ、すぐ!?」

リーシャが目を丸くする。


「すぐです」

ゼノは頷いた。

「今のミラベルに一番要る歌です」


「賛成にゃ!」

「私も!」

「俺も悪くないと思う」

「……私も賛成です」


次々に声が重なる。


最後に、イグニスがゼノを見る。

「お前、決めるの早すぎるだろ」


「いい曲なので」


「雑だな」


「でも、間違ってないでしょう」


イグニスは少しだけ黙ってから、ふっと息を吐いた。


「……まあ、間違ってねえ」


その言葉で決まった。


ミラベルの次の曲は、

涙の続きを歌う歌ではなく、

笑って奪いに行く歌になった。


《視聴者数:822,770》


〈コメント:うわあああ好き〉

〈コメント:次のライブ絶対盛り上がる〉

〈コメント:明るいのに芯あるの強い〉

〈コメント:イグニス、ちゃんと前進してる……!〉


《エモーシア:泣いた夜の次に笑う歌を書くの、ずるいわね》

《リュケオン:これ現地で浴びてえ!》

《ルヴェリア:前進良好》

《フィクサル:よし。次はこれで掴め》


 舞台の上で、ミルファがもう一度サビを口ずさむ。

ミュラがそれに被せる。

リーシャが笑いながら揃え、セレスが音を整え、リィナが空気を乗せ、ナディアが強さを差し込む。

最後にエレナが真ん中でまとめた。


歌舞殿の中は、昨日までより少しだけ明るかった。


完全に晴れたわけじゃない。

でも、確かに空気は変わった。


イグニスはもう、昨日の場所にはいない。


痛みを抱えたまま、鍵盤の前へ戻ってきた。

そして今、その痛みごと前へ出るための曲を書いた。


それで十分だと、ゼノは思った。


次は、この曲で客を奪う番だ。


――――

次回

 第68話 初披露、笑って奪え


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