第54話 王子が買ったのは、紅の鈴だった
拍手は、まだ止んでいなかった。
新曲『消えない想い』を歌い終えたミラベルの七人は、舞台の上で頭を下げている。
歌い終えたあとも、音舞殿の中には熱が残っていた。
誰も立たない。
誰もすぐには喋れない。
胸の奥に残った何かを、まだ言葉にしたくない――そんな空気だった。
《視聴者数:624,181》
〈コメント:余韻やばい〉
〈コメント:今すぐ欲しい〉
〈コメント:これ持って帰れたら勝ちだろ〉
〈コメント:共鳴鈴の時間か!?〉
《ラグゼル(商運の神 ):ここだ》
《エモーシア(感情の神):まだ泣いてる子、いるわね》
《リュケオン(娯楽の神 ):空気が綺麗に煮えてる》
《神フィクサル:外すなよ、ゼノ》
舞台袖で、ゼノは小さく息を吐いた。
今だ。
早すぎても安っぽい。
遅すぎれば熱が散る。
今なら、まだ歌が客の胸に残っている。
ゼノは一歩、前へ出た。
「本日は、ありがとうございました」
その声で、客席の拍手が少しずつ静まる。
ミラベルの七人も顔を上げた。
舞台の上への熱が、今度はゼノへ集まる。
「本日の新曲と、これまでの三曲を収めた共鳴鈴を、これより音舞殿の外で販売します」
一瞬、間があった。
次の瞬間。
ざわ、と客席全体に熱が走る。
「共鳴鈴って何だ?」
「五曲全部?」
「今のも入ってるのか!?」
「え、今日の歌、持って帰れるのか!?」
そこで、ゼノはもう一拍だけ間を置いた。
焦らせるためじゃない。
言葉を、ちゃんと落とすためだ。
「はい」
短く、はっきり言う。
「今日ここで歌ったものを、そのまま持ち帰れます」
その一言で、欲しい、という感情が一気に形を持つ。
《視聴者数:638,902》
〈コメント:うわあああ〉
〈コメント:言い切った〉
〈コメント:欲しいに決まってる〉
〈コメント:拍手止む前に売りにきた、うまい〉
《ラグゼル:通したな》
《エルディア(記録の神):記録から販売へ移行を確認》
《エモーシア:熱が切れてない》
《フィクサル:行け》
ゼノは客席を見回した。
「ただし、数は多くありません」
その一言で、今度は別の熱が走る。
「最初の販売分だけです。売り切れたら、今日は終わりです」
客の顔つきが変わる。
欲しい。
今、行かないと無くなる。
その熱が、一気に形になる。
ゼノはそこで、最後にもう一度だけ言った。
「歌を持って帰りたい方は、外の販売所へどうぞ」
やりすぎない。
煽りすぎない。
それで十分だった。
音舞殿の扉が開く。
客たちが、どっと外へ流れた。
押し合いにはならない。
でも、足は速い。
誰もが少しでも前へ行きたかった。
舞台袖で、ミルファが目を丸くする。
「うわっ、すごっ……!」
ナディアが口元を上げた。
「完全に食いついたな」
リィナは、扉の向こうを見ながら小さく呟いた。
「……本当に、歌を持って帰るんですね」
ゼノは短く答えた。
「そのために作ったので」
エレナが、まだ少し熱の残る顔で聞く。
「……売れる、かな」
「売れます」
即答だった。
「今の歌なら、売れない方がおかしい」
その言葉に、ミュラの尻尾が大きく揺れた。
「やったにゃ!」
七人の顔が不安から、誇りへ変わる。
イグニスだけは、鍵盤の前から立ち上がりながら、いつもの半眼に戻っていた。
「売り切れたら起こすな」
「まだ何も起きてないですよ」
「起きる前に言ってる」
それだけ言って、イグニスは舞台袖へ消える。
その横顔を、客席の最後列近くから、あの男が見ていた。
視線はイグニスだけを追っている。
ゼノは、それを見逃さなかった。
来る。
だが、今はまだそっちじゃない。
今優先するべきは、売り場だ。
――
音舞殿の外では、もう列が出来ていた。
想定より早い。
だが、流れは崩れていない。
マギウスが前に立ち、全体を見ていた。
その横でラナ、ミアナ、ベルクが客を受ける。
後ろではハインとルークが補充の箱を動かしている。
六人とも、昼までの硬さが抜けていた。
ちゃんと売り場の顔になっている。
「列を崩さないでください!」
「共鳴鈴は好きなものを、お選びいただけます!」
「押さないでください、順番にご案内します!」
ラナの声が、想像以上によく通る。
ミアナの説明は無駄がなく、ベルクは値段を言う時に一切ぶれない。
銀貨五枚。
高い。
だが、その言葉に怯む客の方が少なかった。
「今の曲、全部入ってるんだよな?」
「はい。五曲すべて収めています」
「この紅は?」
「エレナの象徴色です」
「じゃあこれだ」
値段を見る目じゃない。
選ぶ目だ。
《視聴者数:651,317》
〈コメント:売り場回ってる!〉
〈コメント:値段で止まってないの強い〉
〈コメント:これは欲しくなる〉
《エモーシア:いい顔で渡してるわ》
《ラグゼル:値じゃなく価値で動かせてる》
《ヴァルシオン(推命の神):列、軽微な乱れあり。だが処理可能》
《フィクサル:崩れてない》
ゼノは少し離れた位置から、その流れを見ていた。
いい。
客が熱のまま来ている。
売る側も、その熱を殺していない。
これならいける。
そこへ、レオニスがラウスと共に売り場へ現れた。
レオニスがその列を見ていた。
目立たない格好のまま。
だが、立っているだけでやはり少し違う。
「……本当に売れておりますね」
ラウスが小さく言う。
「当たり前だ」
レオニスは短く返した。
「今の歌を聞かせた後だぞ」
彼の視線は、机の上の共鳴鈴へ向いている。
小さい。
派手でもない。
だが、そこにさっきの歌が入っている。
「欲しくなるな」
レオニスは小さく言った。
ラウスも、否定しなかった。
「はい」
そこへ、ベルクが客として二人に応対する。
「ご覧になりますか」
「聞かせてもらえるか」
「はい」
ベルクが共鳴鈴をそっと鳴らす。
――チリン。
流れたのは『消えない想い』だった。
ほんの短い一節。
だが、それで十分だった。。
レオニスの目が、わずかに細くなる。
「……なるほど」
その一言の重さに、ラウスが少しだけ息を止める。
「二つ、頂こう」
レオニスが言った。
「どの色になさいますか」
少しだけ考えてから、彼は紅の箱を見た。
「……最初に立った子は、これだったな」
エレナの色だ。
ラウスが内心で少しだけ驚く。
そこを見ていたのか、と。
「では、紅を。
もう一つは、どの色になさいますか?」
「では限定の物を」
「金色ですね。本日だけの限定色です」
ベルクが二つの箱を差し出す。
レオニスは金貨一枚を置いた。
王子が、ただの客として、歌を買った。
《視聴者数:669,044》
〈コメント:王子買ったあああ〉
〈コメント:うわ、紅か〉
〈コメント:エレナ推しか?〉
〈コメント:ただの客として買うの強い〉
《エモーシア:あら、紅を選ぶのね》
《ラグゼル:いい買い方だ》
《リュケオン:王子、ちゃんと沼ってるな》
《フィクサル:面白い》
そこへ、ゼノが近づく。
「お買い上げ、ありがとうございます」
レオニスが小さく笑う。
「最初から気づいていたか」
「はい」
「それでも客として扱った」
「客として来てくださったので」
「王族としてではなく?」
「今日は、そういう日じゃないので」
柔らかい。
だが、一歩も引かない返答だった。
レオニスは、そこで本当に笑った。
「本当に、気分のいい男だな」
――
そのあと、ゼノはレオニスたちを音舞殿裏の小部屋へ案内した。
派手な場所ではない。
だが、話すにはちょうどいい。
「改めて」
レオニスが言う。
「見事だった」
「ありがとうございます」
「歌も、場も、売り方もだ」
まっすぐな賞賛だった。
変に飾らないところが、この王子のいいところだとゼノは思った。
「共鳴鈴。王都にもまだない」
レオニスは箱に指を置く。
「どこまで広げるつもりだ」
ゼノは少しだけ窓の外を見た。
「終わらせるつもりはありません」
「だろうな」
「でも、急いで広げるつもりもないです。まずはこの場所でちゃんと回ること。歌う側も、作る側も、受ける側も、無理をしないこと。その上で、外が欲しがるなら止めません」
レオニスは頷いた。
「では、王都に来る気はないか?」




