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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第46話 録音の日、歌に名がつく

 録音の日の朝は、妙に静かだった。


温泉郷の湯気は、いつも通りやわらかく立ちのぼっている。

湖面にも朝の光が散っている。

果実酒広場の方からは、早い時間なのにもう人の話し声が聞こえてきた。


どこも普段と変わらない。

湯は湧いていて、風はやわらかく、人は笑っている。


それでもゼノにとって今日は、舞台の日とも、建築の日とも違った。


残す日だ。


舞台は、その場で熱を生む。

建築は、形として場所に残る。

だが録音は違う。


今この瞬間の声を、熱を、揺れを、あとから何度でも呼び戻せる形にする。


だから一番、誤魔化しが利かない。


歌舞殿の奥――録音のために整えた部屋には、もうミラベルの七人と音楽団が揃っていた。


エレナ。

リィナ。

ミュラ。

セレス。

ミルファ。

ナディア。

リーシャ。


ダリオ。

リュシエル。

ボルグ。

カイルス。

そして、鍵盤の前にはイグニス。


部屋の中央には、録音用の音憶石が五つ、布の上に丁寧に並べられている。


光を受けて、石の表面がかすかに揺れる。

まだ何も刻まれていない。

だからこそ、そこに入るものの重みがやけにはっきり見えた。


誰も大きな声を出さない。


ここまで来ると、緊張は騒がない。

静かに沈んで、体の内側だけを研ぎ澄ませていく。


ミルファは落ち着かない指先を握り直していた。

ナディアは腕を組んでいるが、呼吸が少し深い。

リーシャは胸の前で指を重ね、目を伏せている。

セレスは静かだが、視線だけは真っ直ぐ音憶石を見ていた。

エレナは背筋を伸ばし、リィナは空気の鳴り方を確かめるように目を細め、ミュラは耳を少しだけ寝かせている。


ゼノはその空気を見回した。


「確認します」

短く言うと、全員の視線が集まった。


「録るのは五曲。

一曲目は『ミラベル』。

その後に、今まで歌ってきた三曲。

最後に、新曲です」


ミルファがごく小さく息を吸う。

ナディアが腕を組み直す。

リーシャは胸の前の指に、少しだけ力を入れた。


「そして、共鳴鈴にはこの五曲を全部入れる」


工房側から来ていたマギウスが、少しだけ目を上げる。


一つの鈴に、五曲。


それは、ただの記録じゃない。

持ち帰れる舞台だ。


ゼノは続けた。


「一つの鈴で、一曲じゃない。五曲全部です。

だからこそ、今日の録音は一曲も落とせない」


その一言で、部屋の空気がさらに締まる。


「一回で完璧を狙う必要はありません。

でも、半端なものは残さない」


ゼノは一度だけ間を置いた。


「残るのは、今日の歌です」


その時だった。


ゼノの視界の端で、淡い光が弾けた。


《システム通知:システムがアップデートされました》


《神域観測補助 更新》

《神話窓口:簡易会話拡張》

《神格識別:解放》

《加護提供元表示:解放》

《神域応答ログ:一部表示》


ゼノが、ほんの少しだけ目を細める。


来た。


直後、いつもと違う形で文字が浮かんだ。


《神フィクサル:昨日はテスト。ようやく見やすくなった》

《ヴァルシオン(推命の神):識別がないと効率が悪かった。妥当》

《リュケオン(娯楽の神):前から名前出したかった!》

《エルディア(記録の神):記述精度の向上を確認》


ゼノは思わず口元を上げた。


名前付きか。


しかも、誰がどんな調子で喋っているかまで、前よりはっきり見える。

理屈っぽいのが誰か。

勢いで乗ってくるのが誰か。

妙に冷静に見ているのが誰か。


今までは、熱の塊としてしか見えなかったものに、輪郭が出た。


『……今さらかよ』


《フィクサル:不満か?》

《リュケオン:素直に喜べ》

《ヴァルシオン:むしろ遅い》

《エルディア:更新後の初事例として適切》


ゼノは小さく息を吐いた。


悪くない。

むしろ、かなりいい。


これなら、誰がどの場面に反応しているか読める。

加護の癖も、今までより掴みやすくなる。


「……いい機会だ。今日から、あいつらの名前も出るらしい」


ミルファがきょとんとする。

「えっ?」


「気にしなくていい」

ゼノは流した。


「こっちの話です」


イグニスが少しだけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに興味をなくした。

今は歌の方が優先だ。


「始める」


鍵盤に手が置かれる。


 ――コロン。


最初の一音が、静かな部屋に落ちた。


一曲目。

『ミラベル』だ。


エレナが息を吸う。

最初の軸を立てる。


セレスがその上に重なる。

リィナが深さを作り、ミルファが高く抜ける。

ナディアが押し、リーシャが感情を置き、ミュラが最後にほどく。


ダリオの弦。

リュシエルの笛。

ボルグとカイルスの太鼓。

そして、イグニスの鍵盤。


全部が揃う。


舞台で何度も歌った。

削った。

揃えた。

噛み合わせて、何度もほどいて、また組んだ。


だが今日の『ミラベル』は、また少し違った。


客がいない。

歓声もない。

視線も熱も、今はない。


その分、歌そのものが前に立つ。


誤魔化せない。

盛り上がりにも、空気にも、拍手にも寄りかかれない。


エレナは歌いながら感じていた。


これが残る。

今の自分たちが、そのまま残る。


少しも誤魔化せない。


けれど、不思議と怖くはなかった。


背中には仲間がいる。

横には音がいる。

鍵盤がいて、弦がいて、笛がいて、太鼓がある。

ひとりで前に立っているわけじゃない。


だから、前に出られる。


最後まで歌い切る。


余韻が、すっと部屋に残った。


誰もすぐには喋らなかった。


歌が消えたあとに残る静けさは、失敗の沈黙じゃない。

確認の沈黙だ。

今のものが、ちゃんと残すに足るかを、全員が同時に測っている。


イグニスが、最初に短く言った。


「……いい」


セレスが、ゆっくり息を吐く。

ミルファは肩の力を抜いて、少しだけ笑った。

ナディアも口元を上げる。

リーシャはまだ黙っていたが、重ねていた指の力だけがほどけた。


ゼノが、音憶石へ手をかざす。


《生活魔法:構造認識》


石の内部に、今の歌が刻まれている。

揺れも少ない。

問題ない。


「録れた」


その一言で、部屋の空気が少しだけ緩んだ。


《視聴者数:411,324》


〈コメント:うわああ録れた〉

〈コメント:一曲目から強い〉

〈コメント:神名ついてるの見やすい!〉

〈コメント:娯楽神うるさくて好き〉


《リュケオン:これは上がる!》

《ヴァルシオン:初回成功率、高》

《エルディア:保存精度、良好》

《フィクサル:続けろ》


ゼノは心の中で笑った。


『分かってる』


二曲目。

三曲目。

四曲目。


今まで歌ってきた三曲を順に録っていく。


一度で決まるもの。

二度録るもの。

歌い直した方がいいと判断する箇所もあった。


だが、それでいい。


雑に残すためにここまで来たんじゃない。


ダリオの弦は、舞台より少しだけ硬く、正確だった。

リュシエルの笛は、余計な色気を抜いて歌を立てる。

ボルグとカイルスは、舞台で客を煽る時とは違う顔で、真っ直ぐ下を支えていた。


ミラベルの七人も、もう途中で言葉を止められても揺れない。


イグニスが短く言う。


「セレス、そこ少し抑える」


「はい」


「ナディア、次は押しすぎるな」


「分かってる」


「リーシャ、そこは引かない」


「……はい」


「ミルファ、抜く前に一回置け」


「うん!」


最小限の言葉で、全部が修正されていく。


半眼のまま鍵盤を叩くイグニスを見ていると、本当に眠そうなのに、音だけは一度も眠らない。

言葉は少ない。だが、足りないわけでもない。

必要なことだけ落として、全部を少しずつ正しい場所へ戻していく。


そのやり方に、ゼノは内心で頷いていた。


舞台では熱が要る。

だが録音では、それだけじゃ足りない。


正確さ。

残り方。

もう一度聴いた時に冷えない熱。


それを、イグニスは分かっている。


 そして最後。


部屋の空気が、また少し変わった。


五曲目。


まだ題のなかった新曲だ。


イグニスが、少しだけ目を開いた。


くっきりとした二重が現れる。

半眼の気だるさが消えて、顔つきそのものが鋭くなる。


セレスが、ほんの少し目を瞬いた。

リィナもわずかに息を止める。

ダリオが弦に置く指の位置を、ほんのわずかに変える。


ゼノは、内心で少し笑う。


やっぱりこの男は、その気になれば顔が強い。


そのまま鍵盤が鳴る。


 ――コロン。


優しい。

だが、甘いだけじゃない。


『ミラベル』みたいに始まりを告げる音じゃない。

もっと近い。

もっと残る。

聴いたあと、帰っても胸の奥に少しだけ残り続ける音だ。


エレナが歌い出す。


声は真っ直ぐなのに、今までより少しだけ近い。

セレスが重なり、ミルファが細く抜ける。

リィナが空気を深くし、ナディアが下を支え、リーシャが後半で感情を残し、ミュラが最後に余韻をほどく。


歌詞が、静かに部屋へ広がっていく。


「――まだ帰れない、胸の奥が熱いから」

「――消えない歌が、指先に残るから」

「――灯りの名残を、ひとつ胸に抱いて」

「――あなたの明日へ、そっと連れてゆく」

「――会えない夜でも、声はここにある」

「――遠く離れても、まだ消えはしない」


誰のための歌か。

今なら、はっきり分かる。


舞台で聴いた人のためだ。

帰ってしまう人のためだ。

この場所にいない夜のためだ。

会えない時間を繋ぐための歌だ。


歌い終わる。


今度は、誰もすぐには喋らなかった。


さっきまでの静けさとは違う。

心の中に何かが残って、言葉が少し遅れる沈黙だった。


エレナは少しだけ目を伏せている。

リーシャは胸の前で手を握ったまま動かない。

ミュラの耳はぴんと立っているのに、口は開かない。

セレスは静かに呼吸を整えていた。

ナディアですら、すぐには何も言わなかった。


ゼノが五つ目の音憶石へ手をかざす。


《生活魔法:構造認識》


歌は問題なく刻まれている。

揺れも少ない。

残すには十分だ。


「……録れた」


その一言が落ちたあとだった。


イグニスが、鍵盤の前から動かないまま言う。


「題、決めた」


全員の視線がそちらへ向く。


ミルファがぱっと顔を上げる。

「今ですか!?」


「今」

イグニスは短く答えた。


「これだ」

 

少しだけ間を置く。


「――『消えない想い』」


部屋の中に、その題が静かに落ちた。


誰もすぐには言葉を重ねなかった。

だが、全員が同じように、その名を一度胸の中で転がした。


エレナが小さく繰り返す。

「……消えない想い」


リーシャが胸の前で手を握る。

「ぴったり、です……」


リィナも静かに頷いた。

「ええ。この歌に合っています」


セレスが目を伏せる。

「残る熱も、残る声も、全部そこに入っていますね」


ミュラの尻尾が大きく揺れた。

「好きにゃ」


ナディアが笑う。

「素直でいい題だな」


ダリオは少しだけ口元を上げた。

「お前にしては分かりやすい」


「悪いか」

イグニスが言う。


「いや、いい」


ゼノは五つの音憶石を見下ろした。


一曲目、『ミラベル』。

既存の三曲。

そして最後に、『消えない想い』。


これで五曲だ。


共鳴鈴に入れる歌が、全部揃った。


《視聴者数:428,901》


〈コメント:最後に題名くるの強い〉

〈コメント:消えない想い、めっちゃいい〉

〈コメント:五曲全部入るの熱すぎる〉

〈コメント:これ絶対欲しい〉


《エルディア:情緒の残留率、高》

《リュケオン:最後にその題名はずるい!》

《ヴァルシオン:商品価値、上昇》

《フィクサル:ようやく揃ったな》


ゼノは小さく笑った。


『ああ。これで売れる』


その時、また文字が浮かんだ。


《投げ加護を受信》

《提供元:記録神》

《加護:記録精度微補正》

《効果:保存時の揺れ 軽減》


ゼノの目がわずかに細くなる。


やはり来た。


これが“誰から飛んだか”見えるのは、かなり大きい。

誰がどの場面で動きやすいのか。

何を残したい神なのか。

そこまで見えるなら、次の打ち方も変わってくる。


『……お前か』


《エルディア:残す場面には介入する》

《リュケオン:ずるい》

《ヴァルシオン:適切》

《フィクサル:外が動くぞ、ゼノ》


 そして、場面は切り替わる。


 ――王都。


夕暮れの色が、石造りの街並みに落ちていた。


大通りには人が多い。

荷車。

商人。

貴族の馬車。

芝居小屋の告知板。

楽団の貼り紙。

呼び込みの声。

石畳を打つ靴音。


その一角に、新しく一枚の告知が貼られた。


音舞殿特別公演

ミラベル新曲披露

共鳴鈴販売開始

二週間後開催


足を止める者がいる。

一度見て通り過ぎる者もいる。

ただの催し物として流す者も多い。


だが、その中で一人、ちゃんと立ち止まった男がいた。


城へ出入りする使者だ。


男は貼り紙を見て、静かに目を細めた。


「……湯楽郷か」


その名には覚えがある。


王族が以前に招かれ、帰還後しばらく妙に機嫌が良かったと噂になった場所――その中心にいるのが、ゼノという男だ。


ただの地方の温泉郷なら、聞き流す。

歌姫団の名も、新曲披露も、王都には珍しくない。


だが、その場所に王族の気配が絡むなら話は別だ。


男はもう一度、告知を読む。


新曲披露。

共鳴鈴販売。


「音を売る、か」


小さく呟く。


歌を聴かせるのではない。

歌を持ち帰らせる。

地方の催しとしては、妙に鼻が利いている。


男は踵を返した。


「これは、一応お伝えしておくべきか」


王都にも、まだ風は届いたばかりだ。


けれど、興味を持つ者は、もう出始めている。

名前を覚える者。

次の告知を気にする者。

王族との関わりを嗅ぎ取る者。


温泉郷で生まれた歌は、知らないうちに外へ触れ始めていた。


《視聴者数:439,227》


〈コメント:王都きたあああ〉

〈コメント:ついに外が動く〉

〈コメント:でもまだ“興味”止まりなのがいい〉

〈コメント:ここから広がる感じ好き〉


《リュケオン:来た来た来た》

《ヴァルシオン:外部流入、開始》

《エルディア:波及を確認》

《フィクサル:面白くなってきたな、ゼノ》


 ゼノは、まだ王都のことなど知らないまま、五つの音憶石を箱へ戻した。


歌は残った。

鈴に移せる。

売る準備も整う。


そして今度は――その歌が、外へ出ていく番だ。


ゼノは小さく笑った。


『よし。ここからだ』


――――

次回

 第47話 王族に届いた告知

 

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