第44話 鈴を打つ職人とーー
朝から共鳴鈴工房の中には、乾いた作業音が絶えず響いていた。
布で鈴を磨く音。
箱を組む音。
細工道具が机に触れる、硬く小さな音。
元はガルドの物置小屋だったこの建物も、今ではもう別の顔を持っている。壁際には仕上げ前の木箱が並び、棚には布、札、紐、七色の顔料が整然と分けられていた。小さな窓から差し込む朝の光は、作業台の上に置かれた鈴の表面を細く光らせ、工房全体に「仕事場」の匂いを作っている。
ゼノは作業台の端に立ち、出来上がった共鳴鈴の紋様を一つずつ確認していた。
ミラベルの名を刻んだ札。
七人それぞれの象徴色を入れた紐。
小さな鈴に沿うように入れた紋章。
可愛いだけでは駄目だ。
売り物として出す以上、甘さは残しても、緩さは残せない。
手に取った一つを光にかざす。
紋様の線は潰れていない。塗りの境目も汚れていない。見た目だけで雑さが伝わる物は、その時点で買う気持ちを冷やす。
「この箱、あと少しだけ深く出来ますか?」
ゼノがそう言うと、近くで箱を組んでいた女が顔を上げた。まだ若いが手の動きは速く、最近はもう説明も半分で通じるようになっている。
「鈴の布が少し浮きますか?」
「うん。閉めた時に押しそうなんです。今は大丈夫でも、運ぶうちに跡がつくかもしれない」
女はすぐに完成品を受け取り、箱を持ち上げて深さを見た。
「分かりました。次から底をほんの少し下げます」
「お願いします」
工房の動きは悪くない。
むしろ、かなりいい。
誰かが遅れれば別の誰かが気づく。手が足りない場所には自然に人が寄る。ゼノが細かく指示を飛ばさなくても、今の工房はもう一つの流れとして回り始めていた。
録音が終われば、最初の分をすぐ仕上げられる。そこまでは来ている。
その時だった。
外で、荷車の車輪が止まる音がした。
続いて、少し急いだ足音。
戸が開く。
「ゼノ!」
ロイドだった。
街帰りらしく、肩に薄く埃をつけたまま工房へ入ってくる。その腕には、布で包まれた細長い荷が抱えられていた。
ゼノが顔を上げる。
「おかえりなさい。どうでした?」
ロイドは荷を作業台の上に置き、短く息を吐いた。
「追加の鈴は持って帰れた」
布を外す。
箱を開けると、小さな鈴がいくつも並んでいた。
工房の何人かが、そこでようやくほっとした顔をする。共鳴鈴は、音憶石だけでは完成しない。受ける器になる鈴が無ければ、先へ進まないのだ。
だが、ロイドの顔はそこで晴れなかった。
「ただし、これで終わりだ」
ゼノの目が少し細くなる。
「終わり?」
「ああ」
ロイドは頷いた。
「鈴を作ってた鍛冶屋が病気で倒れて、しばらく炉に立てないらしい。今後は入らない」
工房の空気が、そこで止まった。
音が消える。
手を動かしていた者たちまで、いつの間にかこちらを見ている。
マギウスが腕を組んだまま、ゆっくり顔を上げた。
「……本当に?」
「女店主も困っていたよ。代わりを探してる暇もないって顔だった」
ゼノは机の上の鈴を見る。
今ある百個はすぐに売れるだろう。
だが、共鳴鈴は売って終わりじゃない。売れれば次がいる。話題になれば欲しがる人が増える。増やすなら、もっといる。
ここで止まるわけにはいかない。
少しの沈黙のあと、マギウスが言った。
「だったら、親父に頼んでみるか」
ゼノがマギウスを見る。
「アルノフさんに?」
「うん」
マギウスは短く答えた。
「鈴なんて、鍛冶仕事の中じゃ細かい部類だ。でも、だからこそ腕がいる。あの人なら作れる」
工房の女の一人が、小さく言う。
「でも、鍛冶屋さんって剣とか金具とか、もっと大きい物を作るんじゃ……」
マギウスが少しだけ笑った。
「だからだよ。親父みたいなのは、逆に“鈴なんか”って言う」
ゼノは、その言い方に少し納得した。
職人ほど、仕事の格を勝手に分けたがることがある。大きい物、重い物、目立つ物を“上”に置く癖だ。
だが、共鳴鈴に使う鈴は、ただ鳴ればいいわけじゃない。音を受ける器になる。雑な鈴では困る。少しの歪み、ほんのわずかな軽さ、それだけで全部が安っぽくなる。
「行きましょう」
ゼノが言う。
「今なら、店に居ますよね」
マギウスは頷いた。
「いる。でも、素直には受けないと思う」
「受けさせましょう」
その返しに、ロイドが小さく吹き出した。
「言い切るなあ」
「必要なので」
ゼノは本気だった。
共鳴鈴は、ただの物販じゃない。ミラベルの歌を持ち帰るための器だ。最初に出す物が鈍ければ、後から取り返すのは難しい。
なら、最初から鈍らせない。
――
アルノフの鍛冶屋は、商縁通りの一番端にある。
店先には鎌、釘、蝶番、包丁、農具の金具。剣や槍のような派手さはない。だが、ここに並ぶのは全部、人が暮らすために毎日使う物ばかりだった。
生活に使う鉄の匂いがある店だった。
奥から、カン、と乾いた音が聞こえる。
火の匂い。焼けた鉄の匂い。油と煤の匂い。
ゼノとマギウスが中へ入ると、炉の前でアルノフが顔を上げた。
大きな体。
太い腕。
焼けた肌。
いかにも鍛冶屋という顔だ。
「おう」
息子の顔を見てから、ゼノの方へ視線を動かす。
「珍しい組み合わせだな」
「少し頼みがあって来ました」
ゼノが言うと、アルノフはすぐには返事をしなかった。代わりに、持っていた金槌を置く。
「何だ」
マギウスが横から言った。
「鈴、作ってくれないか」
それで、アルノフの眉がはっきり動いた。
「鈴?」
「そう」
アルノフは、ふん、と鼻を鳴らした。
「俺に、鈴なんぞ作れってのか」
予想通りの返しだった。
マギウスは肩をすくめる。
「そう言うと思った」
「鈴なんざ、細工屋の仕事だろうが。俺は鍛冶屋だ」
アルノフの声は低い。怒鳴ってはいない。だが、断る気は十分にあった。
ゼノは、そこで引かなかった。
「だからこそ、お願いに来たんです」
アルノフが目を向ける。
「どういう意味だ」
「共鳴鈴に使う鈴は、ただ飾りで鳴ればいいわけじゃありません」
ゼノは持ってきた鈴を、作業台の上にそっと置いた。
「音を受ける器になります。歪めば駄目だし、鳴りが軽すぎても困る。繊細で、しかも芯がある鈴が要るんです」
アルノフは何も言わない。
マギウスが続ける。
「要するに、下手な奴じゃ無理だ」
「……お前な」
アルノフが少し呆れた声を出す。
「褒めてる」
マギウスは平然としている。
ゼノも言葉を継いだ。
「鈴は小さい。でも小さいから簡単、じゃないんです。むしろ逆です。少しの歪みで全部ずれる」
アルノフの視線が、机の上の鈴へ落ちた。
そこを、ゼノは逃さない。
「腕のある職人でないと、良い物は作れません」
少し間を置く。
「だから、アルノフさんに頼みに来ました」
鍛冶屋の店の中に、しばらく沈黙が落ちた。
炉の火が小さく鳴る。
鉄の匂いが、じわりと熱を持つ。
アルノフは、まだ鈴を見ている。
「……で、何個いる」
マギウスがすぐに顔を上げた。
「やってくれるのか」
「まだやるとは言ってねえ」
アルノフは低く返す。
「ただ、話を聞いてる」
ゼノは口元を少しだけ緩めた。
「最初は百。でも、その先も増えます」
「増える前提か」
「売る気なので」
アルノフが、そこで初めて小さく笑った。
「お前、ほんとに商売人だな」
「生活魔法使いです」
「大して変わらん」
マギウスが吹き出した。
アルノフは鈴を手に取る。
重さを見る。
指先で弾いて、音を聞く。
角度を変えて光を当て、薄さと均一さを目で追う。
目つきが変わった。
職人の顔だった。
「……なるほどな」
小さく言う。
「確かに、雑なもんじゃ駄目だ」
ゼノは何も言わない。ここで余計な言葉を足すと、職人の考える時間を壊す。
アルノフはもう一度、鈴を指で弾いた。
澄んだ音が、小さく店の中に転がる。
その音を聞いたまま、息を吐いた。
「面倒な仕事を持ってきやがって」
「出来る?」
マギウスが聞く。
アルノフは鼻を鳴らした。
「作れるかじゃねえ。作るなら、ちゃんとしたもんを出す」
それは、ほとんど承諾だった。
マギウスの口元が上がる。
「じゃあ」
「ああ」
アルノフは、不承不承という顔のまま言った。
「やってやる」
ゼノは小さく頭を下げた。
「助かります」
「礼は物が出来てから言え」
いかにもアルノフらしい返しだった。
だがその声には、さっきまでの拒絶はもうなかった。
ゼノはそこで、少しだけ肩の力を抜いた。
これで、器は繋がる。
歌を閉じ込める鈴が、止まらない。
アルノフはそのまま鈴をもう一度見て、ぶっきらぼうに言った。
「ただし、数だけ寄越して終わりにするな。どのくらいの音が要るのか、もう少し細かく聞かせろ」
マギウスが笑う。
「ほら、もう受ける気だ」
「うるせえ」
アルノフは即座に返した。
「やるなら半端に作らん。それだけだ」
ゼノは頷く。
「分かりました。必要な条件は全部出します。音憶石と合わせる前提で、鳴りの残り方も見たい」
「だったら試し打ちが要るな」
「お願いします」
アルノフはそこで初めて、ゼノを正面から見た。
「お前、顔だけじゃなく、ちゃんと物も見てやがるな」
「売る以上は」
「ますます商売人だ」
「生活魔法使いです」
「だから大差ねえって言ってる」
店の中に、ようやく小さな笑いが落ちた。
《視聴者数:324,437》
〈コメント:鈴焦った〉
〈コメント:アルノフ感謝ー〉
〈コメント:これで共鳴鈴安泰か〉
〈コメント:アルノフ作れなかったら泣いてた〉
〈コメント:職人同士の会話、いいな〉
〈コメント:ゼノ、ちゃんと物の価値分かってるの強い〉
鍛冶屋を出る頃には、昼の光が少し高くなっていた。
商縁通りの先を、人が行き交っている。
湯楽郷に流れる熱が、街の端までじわじわと広がっているのが分かった。
ゼノは歩きながら、工房へ戻る道の先を見た。
共鳴鈴は、これで次へ進める。
止まらない。止めさせない。
歌があって、器があって、欲しいと思う人がいる。
その流れを繋ぐ職人も、ようやく見つかった。
マギウスが横で言う。
「親父、ああ見えて気に入った仕事じゃないと手ぇ出さないからな」
「気に入ったんですね」
「面倒そうな顔してただろ」
「してましたね」
「でも、あれは半分乗ってる時の顔だ」
ゼノは少し笑った。
「厄介ですね」
「職人なんて大体そうだ」
その返しに、ゼノも頷いた。
厄介な人間の方が、時々、良い物を作る。
扱いは面倒だが、だからこそ雑に代えが利かない。
工房の屋根が見えてくる。
今日の問題は、ひとつ片付いた。
だが、広がる場所には次の詰まりが、もう用意されている。
ゼノは、静かに息を吐いた。
止まらない。
なら、整えるだけだ。
――――
次回
第45話 厄介な応募者




