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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第43話 イグニスの「もう一回」

 翌朝から、歌舞殿の空気は変わった。


いつもの練習じゃない。

合わせるだけでもない。

噛み合わせて、削って、仕上げるための五日間だった。


「最初」


イグニスが言う。


鍵盤の前に座ったまま、譜面を指先で軽く叩く。


舞台の中央には、ミラベルの七人。

その後ろに、ダリオ、リュシエル、ボルグ、カイルス。


ゼノは客席側から見ていた。


エレナが息を吸う。


『ミラベル』から入る。

もう一曲目は、ほぼ形になっている。

問題は、精度だ。


エレナの声が立つ。

セレスがその上に重なる。

リィナが奥行きを作り、ミルファの高音が細く抜けた。

ナディアが押し、リーシャがそこへ感情を置く。

最後にミュラが、全体をやわらかくほどいた。


歌は、もう“歌える”段階には来ていた。


だがイグニスは、そこで止める。


「遅い」


エレナがすぐに顔を上げる。


「どこが?」


「二番に入る前」


イグニスが鍵盤を二音だけ鳴らす。


 ――コロン。

 ――トン。


「今、お前が考えた」


エレナは少しだけ唇を引いた。


図星だった。


「考えたら遅れる。そこはもう体で入れ」


「……はい」


次はセレスだった。


「高音、綺麗に当てようとしすぎ」


セレスが目を瞬く。

「でも外したくないので」


「分かる。でも綺麗に置こうとした分だけ、歌が止まる」


イグニスは淡々としている。


「当てるんじゃなくて、流れの中に置け」


セレスは小さく息を吐いた。

「……やってみます」


ミルファは二回止められた。

「飛びすぎ」


「またですか!?」


「また」


「ええー……」

だが、今日はもう拗ねない。


ミルファも分かっている。

言われるたびに、自分の音が歌の中へ収まっていくのを。


「抜けるのは武器だ。

でも、今は一人で勝たなくていい」


「……はい」


ナディアは一度だけ笑われた。


「押しすぎ」


「今度はそっちかよ」


「お前、楽しくなると前に出る」


「出るなって?」


「出る場所を選べ」


ナディアは少し黙って、それから笑った。

「分かったよ」


リーシャは逆だった。


「抑えすぎ」


小さな声で、「え」と返す。


「怖がるな。そこはお前が入って、初めて残る」


リーシャが紙を握る。


「……はい」


リィナとミュラは、止められる回数は少ない。

だが、それは完璧だからじゃない。


イグニスが細かくいじる前に、二人が自分で合わせてくるからだ。


「リィナ、その語尾、少しだけ薄く」


「ええ」


「ミュラ、最後、笑うな」

「分かったにゃ」


「いや、そこは笑わない方がいい」

ダリオが横から低く言う。


ミュラは少しだけ頬を膨らませた。

「だって楽しいにゃ」


「分かるけど、そこはまだ早い」


「はーい」


午前が終わる頃には、全員の顔が少しずつ変わっていた。


疲れている。

だが、それ以上に集中している。


ゼノは水を配りながら思う。


いい。


五日しかない、じゃない。

五日ある、と腹をくくれる連中だ。


昼を挟んで、次は二曲目だ。


題はまだ明かしていない新曲。

『ミラベル』とは違う、舞台のあとに残る熱の歌。


イグニスが鍵盤に手を置く。


「こっちは近い」


短く言う。


「客席に投げるんじゃない。

終わった後、一人に残す」


エレナが頷く。


この曲の難しさは、勢いじゃない。

近さだ。

歌い上げすぎれば離れる。

抑えすぎれば薄くなる。


「最初、エレナ」


音が入る。


今度のエレナは、昨日よりもずっといい。

押しすぎない。

でも引かない。


歌が、すっと前へ出る。


イグニスは止めない。


セレスが重ねる。

ミルファが細く抜ける。

リーシャが後半で感情を滲ませる。

 

歌い切る。


少しの静寂。


「……悪くない」


イグニスが言った。


それだけだった。


でも、その一言で十分だった。


ミルファが、ぱっと顔を上げる。


「今の、悪くないの中でも、かなりいい方ですよね!?」


「普通」


「普通!?」


カイルスが吹き出す。

「こいつの普通は信用ならねえな」


ボルグも短く笑った。


「でも、さっきよりいい」

イグニスは続けた。


「あと三回で揃う」


ゼノは内心で笑った。

イグニスがそう言うなら、三回で持っていく。


リィナ、ミルファ、ナディアは途中温泉湖の舞台に立ち、合間は歌舞殿に戻る。


夕方には、全員の声が少し枯れ始めていた。

だが逆に、余計な力も抜けてくる。


夜になっても、歌舞殿の中では鍵盤が鳴っていた。


 ――トン。

 ――コロン。

 ――コロン。


止める。

やり直す。

少し良くなる。

また止める。


その繰り返しだった。


だが、二日目の昼には、変わっていた。


『ミラベル』は、最初から最後まで一つの流れになっている。

二曲目も、もう揺れない。


イグニスが最後に二曲通して聞いたあと、短く言った。


「いい」


それだけで、空気が一気に緩む。


ミュラが椅子にもたれかかった。

「し、死ぬかと思ったにゃ……」


ミルファもその場にしゃがみこむ。

「喉、まだあります……?」


ナディアが笑う。

「あるだろ」


セレスは胸の前で手を組み、ゆっくり息を吐いていた。

リィナの表情も少しやわらいでいる。

リーシャは、汗をぬぐってから小さく笑った。


「……でも、歌える気がします」

エレナが皆を見回す。


「うん」


その声は、前より少しだけ強くなっていた。


「これで録れます」


ゼノは頷いた。


もう一度、舞台を見る。


七人の肩は落ちている。

喉も腕も足も、きっと重い。

それでも、誰の目も死んでいなかった。


むしろ逆だ。


削ったぶんだけ、芯が残っている。


「じゃあ、今日はここまで――」

 と言いかけたところで、


「もう一回」


イグニスが言った。


ミルファが顔を上げる。

「ええっ!?」


ナディアが笑う。

「出たな」


イグニスは鍵盤の前から動かない。

「今の感覚があるうちに、最後に一回だけ通す」


セレスが苦く笑う。

「容赦がありませんね」


「今のが一番いいからだ」


その一言で、全員の顔つきが少し変わった。


疲れている。

それでも、今ここでしか出ない音がある。


エレナがゆっくり息を吸う。

「……やろう」


誰も文句は言わなかった。


配置につく。

ダリオが弦を確かめ、

リュシエルが譜面を押さえ、

ボルグが低く構え、

カイルスがばちを指の間で回した。


歌舞殿の外は、もう夕暮れだった。

差し込む光は薄く、舞台の板に長く伸びている。


イグニスが、最初の音を置く。


 ――コロン。


静かな音だった。


だが、その一音で全員の気配が揃う。


エレナが入る。

セレスが重なる。

リィナが深さを添え、

ミルファが抜け、

ナディアが押し、

リーシャが残し、

ミュラがほどく。


今までで一番、無理がなかった。


張るところは張る。

引くところは引く。

誰も前へ出すぎず、誰も埋もれない。


歌が、やっと一つになった。


ゼノは客席側で立ったまま、それを聞いていた。


これならいける。


録れる。

売れる。

届く。


そんな確信が、ようやく形になって胸に落ちる。


二曲を歌い終えたあと、今度こそ誰もすぐには喋らなかった。


余韻が残っていた。


さっきまでの疲労とは違う。

やり切ったあとの沈黙だった。


最初に息を吐いたのは、ダリオだった。

「……これなら、見せられるな」


リュシエルも静かに頷く。

「ええ。もう舞台に出せます」


ボルグが短く言う。

「形になった」


カイルスがにやりと笑った。

「五日どころか、二日でここまで来たな」


イグニスは何も言わない。

ただ、いつもの半眼に戻っただけだった。


だが、鍵盤の上に置いた指先から、ほんの少しだけ力が抜けている。


それを見て、ゼノは小さく笑った。


満足してるな。


「明日は休ませる時間も入れる」

ゼノは言った。

「喉を潰したら意味がない。ここからは仕上げと調整だ」


ミュラがその場でへたりこんだ。

「た、助かったにゃ……」


ミルファもその横で座り込む。

「足がもう、私のじゃないです……」


ナディアが笑いながら、二人の頭を軽く叩く。

「でも、悪くなかっただろ」


「……はい」

リーシャが、小さく答えた。


その声は細い。

けれど、もう震えていなかった。


エレナが舞台の中央で、ゆっくりと周りを見る。


七人。

音楽団。

そして客席側に立つゼノと、鍵盤の前のイグニス。


「録音、やれます」


今度は誰も否定しなかった。


ゼノは頷く。


「ああ。やる」


短い返事だった。

それで十分だった。


歌舞殿の外では、夕方の温泉郷に灯りが点き始めていた。

湖面の向こうで湯気がたなびき、遠くから客の笑い声が微かに聞こえる。


いつもの景色だ。


なのに今日は、少し違って見えた。


ここから先へ行ける。

そんな手応えが、景色の方にも滲んでいる気がした。


ゼノは舞台から視線を外し、開け放たれた戸口の向こうを見た。


録音は、もうすぐだ。


音舞殿での初披露も、共鳴鈴の販売も、その先に並んでいる。


やることは多い。

時間も足りない。


それでも、不思議と焦りはなかった。


形になったからだ。

ようやく、ちゃんと。


《視聴者数:374,256》


〈コメント:仕上がったな〉

〈コメント:これ録音回めちゃくちゃ楽しみ〉

〈コメント:二曲目、残り方が強い〉

〈コメント:売る未来しか見えん〉


《神コメント:良い》

《神コメント:間に合う》

《神コメント:次を見せよ》


ゼノは、その文字を見て、口元だけで笑った。


『大丈夫だ。待ってろ』


録音で。

そして、その先の舞台で。


歌舞殿の中には、まだ新しい歌の熱が残っていた。

消えきらないまま、静かに、確かに。


その熱を冷まさないまま、ミラベルは録音の日へ向かう。


 次は、もう本番だった。


――――

次回

 第44話 鈴を打つ職人とーー

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