第41話 天才が昼食に誘う日
翌日の昼。
温泉郷は昼の客でにぎわっていた。
湯気の向こうに人影が揺れる。
湖面には白い光が散り、果実酒広場からは笑い声が流れてくる。
ゼノは商縁通りの端で足を止めた。
今日は昼の温泉湖ステージが終わるまでに、共鳴鈴の工房と学校の募集札の文面を詰めるつもりだった。
頭の中では、やることがいくつか並んでいる。
その時だった。
「ゼノ」
後ろから声がした。
振り向く。
イグニスだった。
相変わらずの半眼。
少し長めの金色の髪。
眠そうな顔。
なのに、立っているだけで妙に目を引く。
ゼノは少しだけ眉を上げた。
「どうした」
「昼」
「昼?」
「飯」
それだけ言って、イグニスはゼノの顔を見た。
ゼノは数拍遅れて意味を理解する。
「……俺を誘ってるのか?」
「他に誰がいる」
ゼノは思わず笑った。
「珍しいな」
「そうか?」
「かなり」
イグニスは少しだけ首を傾げた。
「腹減った」
「いや、そこじゃなくて」
「それと」
そこで、ほんの少しだけ間があいた。
「出来た」
ゼノの目が変わる。
「新曲?」
「そう」
短い返事だった。
けれど、それで十分だった。
ゼノは小さく息を吐く。
「じゃあ、行こう」
「うん」
イグニスが先に歩き出した。
それだけで、ゼノには分かった。
機嫌がいい。
かなり。
――
入ったのは、温泉湖に近い食堂だった。
昼時で混んではいたが、奥の席が一つだけ空いていた。
窓の外からは、水面の光が揺れて見える。
注文を済ませると、イグニスはすぐに水を飲んだ。
それから、机に肘をつくでもなく、背を預けるでもなく、中途半端に座っている。
「で」
ゼノが先に言う。
「どんな曲ですか?」
イグニスは、少しだけ目を細めた。
「前のとは違う」
「『ミラベル』とは?」
「全然違う」
その言い方が少しだけ面白くて、ゼノは口元を上げる。
「意識して外したんですか?」
「外したっていうか、最初から別だった」
料理が運ばれてくる。
イグニスはまず一口食べて、それから続けた。
「『ミラベル』は始まりの歌だろ」
「はい」
「だったら、二曲目まで同じ顔してたら弱い」
ゼノは頷く。
そこは同感だった。
「近くしたんですね」
「した」
「どう近い?」
「客席じゃなく、一人に刺さる」
ゼノはそこで、少し黙った。
看板になる歌と、心に残る歌は違う。
最初の一曲は“団の顔”になる。
二曲目は“個人の好き”を掴みにいく。
それが分かっているなら、やはりイグニスは本物だ。
「歌詞は?」
「ある」
「曲も固まった?」
「固まった」
「じゃあ――」
ゼノは箸を置いた。
「今日の夕方、温泉湖のステージが終わったら全員集める」
「うん」
「そこで聞かせてもらう」
「そのつもりで誘った」
やっぱりそうか、とゼノは思う。
ただ飯が食いたかっただけじゃない。
新曲を持ってきたから、先に俺を捕まえに来たのだ。
イグニスにしては、かなり分かりやすい。
「珍しくちゃんとしてるな」
「失礼」
「褒めてる」
「いらない」
ゼノは笑った。
食事を終える頃には、もう段取りは決まっていた。
ミラベルの七人。
ダリオ。
リュシエル。
ボルグ。
カイルス。
全員を夕方のあと、歌舞殿に集める。
五日後に録音。
その前に仕上げる。
そして二週間後――音舞殿で初披露。
同時に、共鳴鈴の販売開始。
もう後戻りはない。
――
家で音憶石と共鳴鈴を取った後、ゼノは温泉湖へ向かった。
ちょうど昼の部が終わったところだった。
今日の昼は、エレナ、セレス、リーシャの三人。
拍手を浴びながら舞台を下りるところに、ゼノが声をかける。
「夕方の舞台が終わったら、全員歌舞殿に集まってくれ」
エレナがすぐに反応した。
「何かありましたか?」
「ある」
ゼノは短く答える。
「イグニスの新曲が出来た」
三人の顔が、ぱっと変わる。
「えっ」
リーシャが一番に声を上げた。
「もう!?」
セレスの目が細くなる。
「早いですね……」
エレナは、少しだけ笑った。
「分かりました。みんなにも伝えます」
「頼む」
《視聴者数:312,682》
〈コメント:イグニス癖つよ〉
〈コメント:天才は変わり者〉
〈コメント:今日もエレナかわいい〉
〈コメント:ミュラどこだ〉
――
エレナに告げた後、共鳴鈴の工房へ向かった。
元ガルドの物置小屋を改装した共鳴鈴工房では、すでに作業の音が満ちていた。
鈴を磨く音。
色を染める音。
札に文字を入れる音
箱を組む音。
新しい曲が出来たということは、録音が近い。
共鳴鈴の仕上げも、ここから一気に詰めなければいけない。
工房には、マギウスと、手伝いの女たち、細かな作業が得意な若い村人たちがいた。
作業台の上には、鈴、細工道具、磨き布、箱材。
色材や札も、もうかなり揃っている。
ゼノが入ると、マギウスがすぐに顔を上げた。
「今日は何か?」
「新曲が出来ました」
「それなら録音が近いな」
「はい。今、どれくらい進んでますか?」
マギウスは少し考えてから答えた。
「鈴も箱も、八割近くは出来てる。
後は細かい仕上げと、音を入れるところで止めてる」
ゼノは頷いた。
思っていたより進んでいる。
これなら間に合う。
「仕上がりを確認したいので、出来ている音憶石と共鳴鈴を持ってきてください」
「分かった」
マギウスは戸棚から音憶石と共鳴鈴を取り出し、机の上へ順に並べた。
「今出来ているのは、これだけだ」
ゼノはまず、音憶石を一つ手に取った。
《生活魔法:構造認識》
内部の流れを読む。
歪み。
欠け。
魔力の偏り。
一つ。
また一つ。
五つすべてを、順に確かめていく。
「……うん。大丈夫です」
次に、共鳴鈴へ手を伸ばす。
《生活魔法:構造認識》
こちらも、一つずつ確認する。
大半は問題ない。
だが、三つだけ、ほんのわずかに揺れがあった。
ゼノはその三つを脇へ分けた。
「この三つだけ、少し歪みがあります」
マギウスがすぐに顔を寄せる。
「どこだ?」
「ここです。線がわずかに波打ってる」
ゼノは鈴の根元を指した。
「ほんの少しですけど、このままだと鳴りがずれます」
マギウスは悔しそうに息を吐く。
「……すまない。調整し直す」
「でも、それ以外は完璧です」
ゼノがそう言うと、マギウスの目が少しだけ和らいだ。
そこでゼノは、工房のみんなへ声をかけた。
「急ですみません。今日は最終確認と、音を移す方法を共有したいんです」
それを聞いて、工房の空気が変わった。
手を止める者。
道具を置く者。
全員の視線が、作業台の中央へ集まる。
ゼノは小さな箱を置いた。
中に入っているのは、録音用の音憶石だ。
箱を開け、乳白色の石をそっと持ち上げる。
「これが、原憶石です」
工房の女の一人が、小さく息を呑んだ。
「これに歌が入ってるんですか……?」
「入ってる」
ゼノは短く答えた。
「ただし、これは売りません。
これは元です。複製の基準になります」
マギウスが腕を組む。
「で、ここからどう鈴に移す?」
ゼノは鈴を一つ取り、原憶石の横へ置いた。
「順番があります」
工房の中が、すっと静まる。
「まず、鈴の核に歪みがないかを確かめる。
ここはマギウスに見てもらいます」
マギウスが頷く。
「分かった」
「その確認が終わった鈴に、音を移す」
若い村人が手を上げるように聞いた。
「音を移すって、どうやるんですか?」
ゼノは鈴の根元を指した。
「原憶石は、歌の設計図そのものです。
ここから鈴へ、共鳴核を通して写します」
ゼノは原憶石と鈴を近づけた。
「最後に、これをやる」
鈴を軽く鳴らす。
――チリン。
原憶石が、ごく淡く光った。
次の瞬間、鈴の中に何かが定着した感覚が走る。
ゼノは、共鳴鈴から音楽を鳴らしてみせた。
澄んだ歌が流れる。
工房の全員が息を呑んだ。
「……すごい」
誰かが思わず言った。
マギウスは、その鈴を見たまま低く呟く。
「本当に、入ったのか」
「入りました」
ゼノは言う。
「正確には、原憶石にある歌を呼び起こす仕組みが入った」
その一言で、工房のみんなの目つきが変わる。
もうこれは、ただの飾りじゃない。
歌を持ち帰るための器だ。
マギウスが、ゆっくり頷いた。
「録音が終わったら、原憶石を基準に一気に音を移す。
それまでに残りを間に合わせてください」
村人たちの顔が少しずつ引き締まっていく。
ゼノは最後に言った。
「五日後、録音します。
録れたら、すぐ最初の分を仕上げる」
マギウスが口元を上げた。
「気合いが入るな」
「忙しくなりますが、みなさんお願いします」
工房のみんなの顔がさらに引き締まる。
けれど、その顔にはちゃんと仕事の熱があった。
ゼノは続ける。
「今回は百個ですが、これからもっと数が増えます。
だから人も増やしたい」
工房の者たちが静かに聞く。
「みなさんには、新しく入る人たちに仕事を教えていってほしい」
そしてマギウスを見る。
「それと、マギウスの仕事は誰でも出来るわけじゃありません。
心当たりがあるなら、信頼できる人を紹介してほしい」
マギウスは少し黙ってから言った。
「それなら、ギルドで出会った魔術師で、俺みたいに仲間をなくした知り合いがいる。
腕は悪くない。声をかけてみる」
「助かります」
ゼノはすぐに頷いた。
「そこは大事な部分なので、マギウスが信頼できる人の方がいい」
「今回の分が出来たら、話してみる」
歌はもうすぐ録れる。
鈴も、もうすぐ売れる。
だったら今さら、止まる理由はない。
ゼノは原憶石の箱を閉じた。
「……よし。次は録音だ」
工房の中にいる全員が、それぞれの仕事場へ散っていく。
誰かが磨く。
誰かが箱を測る。
誰かが色を染める。
誰かが鈴を選ぶ。
歌が売り物になる前に、もう村は動き出していた。
《視聴者数:352,118》
〈コメント:工房まで熱いのずるい〉
〈コメント:原憶石→鈴の説明、めっちゃ分かりやすい〉
〈コメント:いよいよ録音だあああ〉
〈コメント:ちゃんと分業してるの好き〉
《神コメント:良い》
《神コメント:間に合え》
《神コメント:売る準備を急げ》
ゼノは小さく笑った。
『楽しみに待っておけ、次は、本当に残す番だ』
――――
次回
第42話 『ミラベル』の次の歌




