第40話 新しい学校と、天才の新曲
早朝の空気は澄んでいた。
住居地帯の端。
新しい学校を建てる予定の場所に、木材と石材がすでに運び込まれている。
長い梁に使えそうな木。
切り出したばかりの石。
窓枠用に細く整えられた材。
村の者たちが少しずつ集め、置いていった建材だ。
ゼノはその前に立ち、腕を組んだまま全体を見る。
材料はある。
だが、それをどう組むかで、建物の価値は変わる。
後ろでは長老が杖をつき、サラが少し離れた場所からその様子を見ていた。
「本当に今日建てるのね」
サラが言う。
「ですね」
ゼノは軽く笑いながら答える。
「設計はもう決まってるので」
長老が笑った。
「お主は、決めると早いのう」
ゼノは地面に視線を落とした。
頭の中には、もう学校の形がある。
教室は二つ、小部屋が一つ。
机や椅子は固定しない壁際には収納。
本棚は増やせる余地を残す。
外には小さな広場。
そして、増築できる余白。
子どもが増えても苦しくならない形。
今だけで終わらない形。
「始めます」
ゼノはそう言って、地面へ手をかざした。
「――思考設計」
《建築補助:思考設計》
頭の中の設計が、そのまま建築の線になる。
基礎の位置。
柱の間隔。
壁の厚み。
窓の高さ。
人が歩く導線。
何をどう置けば、光がよく入り、空気が止まらず、子どもがぶつかりにくいか。
そういうものまで、最初から一つの形になる。
ゼノは指先を動かした。
運ばれていた石材が、静かに滑る。
重い石が持ち上がるでもなく、跳ねるでもなく、
まるで最初からそこへ置かれるはずだったみたいに、基礎の位置へ収まっていく。
サラが小さく息を呑んだ。
何度見ても、これは普通の建築じゃない。
「――固定」
《生活魔法:完全固定》
《生活魔法:安全固定》
石同士が噛み合い、ずれが消える。
人が押しても、雨が降っても、基礎は動かない。
「――重量、散らせ」
《生活魔法:重量分散》
荷重の偏りが流れる。
子どもが片側へ寄っても沈まない。
机をまとめても軋みにくい。
今度は木材だ。
長く整えられた梁が、するすると持ち上がる。
柱の位置へ運ばれ、組み上がる。
まるで見えない職人が何十人もいるみたいだった。
ゼノは余計な言葉を挟まない。
必要な位置に、必要な材を当てていく。
サラはその様子を見ながら、ぽつりと言った。
「……本当に、詠唱しないのね」
ゼノは答えない。
だが、その沈黙が答えだった。
校舎の骨組みが立つ。
教室一つ目。
読み書きの初歩を教える広めの部屋。
教室二つ目。
少し進んだ子どもたちを入れる部屋。
そして小部屋。
少人数で話す時。
静かな子に向き合う時。
魔術の基礎を丁寧に教える時。
サラが近づいてきて、壁の位置を見た。
「この小部屋、もう少し窓は低い方がいいわ」
ゼノがすぐにそちらを見る。
「理由は?」
「小さい子が座ったままでも外を感じられる方がいいの。閉じ込められてる感じが薄くなるから」
ゼノは頷く。
「分かりました」
言うなり、窓枠に使う木材が少しだけ位置を下げた。
石壁の切り方も変わる。
サラが目を瞬く。
「……今の一言で変わるのね」
「そのために今聞いてます」
サラは呆れたように笑った。
「便利ね、本当に」
ゼノは次に床へ視線を落とした。
「机と椅子は動かす前提です。だから中央は広く取ります」
「ええ、その方がいいわ。並べる授業と、輪になる授業は違うもの」
その言い方が、もうすでに教師だった。
ゼノは木板を動かし、床を組んでいく。
《生活魔法:自然順応加工》
反りにくく、割れにくく、汚れが染みにくいように整える。
長老が、感心したように唸った。
「ほう……」
外の広場も形になる。
土をならす。
転んでも怪我をしにくい固さに調整する。
走れる。並べる。簡単な魔術も試せる。
サラが見て、ゆっくり頷いた。
「これならいいわ」
ゼノは最後に校舎全体へ意識を通した。
《システム通知》
《生活魔法:学舎形成発動》
《教室配置最適化》
《採光補正》
《導線安定》
《安全性上昇》
空気が一度、静かに変わった。
建物が“学校”として馴染んだ。
ただの箱じゃない。
学ぶための場所として、形が定まる。
サラが中へ入っていく。
窓を見た。
机の置き方を確かめるように視線を動かした。
壁際の棚に手を置いた。
しばらくして、振り返る。
「……いいわ」
短い言葉だった。
でも、その一言で十分だった。
「本当に、いい」
ゼノは少しだけ肩の力を抜いた。
「先生は、サラさんだけでは足りませんよね」
「ええ」
サラもすぐに認める。
「あと三人は、募集したいです」
長老が顎を撫でた。
「三人か」
「読み書きだけでも二人は欲しいです。子どもを見る余裕も要る。授業は回せても、学校は一人じゃ回りません」
サラが頷く。
「そうね。私一人では厳しいわ」
ゼノは続けた。
「授業料は取りません」
長老とサラの視線が同時に向いた。
「無料にするの?」
サラが聞く。
「はい。村が出します」
「そこまでやるのね」
「学べる子だけ学ぶ形にはしたくないんです」
ゼノは、新しい校舎を見た。
「字が読める。数が分かる。話が通じる。
それだけで村は強くなる。
金のある家の子だけが覚える形だと、後で必ず歪みます」
長老は少し黙ってから頷いた。
「……よかろう」
サラも静かに笑う。
「それなら、本当に村の学校ね」
ゼノはそこで、募集の話へ移った。
「商縁通りにも出します。温泉郷にも。村の中にも声をかけます」
「人が来るといいわね」
サラが言う。
「来させます」
あまりにあっさり言うので、長老が吹き出した。
「言い切りおった」
「必要なので」
学校は出来た。
次は、回す人間を集める番だ。
――
昼を少し回った頃、ゼノは歌舞殿へ向かった。
中へ入る前から、鍵盤の音が聞こえてくる。
――コロン。
――トン。
――コロン。
イグニスだ。
歌舞殿の中へ入ると、ひんやりした空気の奥で、イグニスが鍵盤の前に座っていた。
相変わらず半眼だ。
眠そうで、気だるげで、何も気にしていないように見える。
だが顔立ちは整っている。
少し長めの金色の髪。
鼻筋の通った横顔。
口を開かなければ、黙って立っているだけで目を引く男だった。
「何」
ゼノに気づく前に、イグニスが言った。
「相談だ」
「食事じゃないなら聞く」
「昼過ぎだよ」
「じゃあ聞く」
ゼノは少しだけ笑った。
食事も摂らずに、よく頭が回るもんだ
「録音用の歌のことです」
その言葉で、イグニスがようやく顔を上げた。
半眼が少し開く。
その瞬間だけ、眠そうだった目が変わる。
くっきりとした二重が現れて、顔つきそのものが鋭くなる。
普段の気だるさが消え、別人みたいに見えた。
「何曲入れる?」
「五曲」
「少ないな」
「最初はそれでいい」
ゼノは指を折った。
「イグニスが作った『ミラベル』が一曲。
それと、今まで歌っていた三曲」
「あと一曲足りない」
イグニスが言う。
「だから来ました」
ゼノは椅子を引いた。
「もう一曲、作ってほしい」
イグニスは鍵盤に指を置いたまま、少しだけ目を細めた。
「作れるか、じゃなくて?」
「聞いた方が良かった?」
「聞け」
「今後、どんどん新曲が欲しくなる。
舞台用も、録音用も、増えます。
作れますか?」
少しの沈黙。
イグニスは視線を落としたまま、短く音を拾った。
――コロン。
「浮かんでる」
「どんどん?」
「どんどん」
静かな返事だった。
だが、その静けさの方がむしろ本物だった。
「詩も、曲も。勝手に来る」
もう一音。
「温泉湖を見ても浮かぶ。
七人の声を聞いても浮かぶ。
客の顔を見ても浮かぶ」
ゼノは黙って聞いた。
イグニスはさらに言う。
「昨日と今日で、もういくつかある」
ゼノは少しだけ口元を上げた。
「なら安心だ」
「安心するのは早い」
「どうして」
「浮かんでも、全部使えるわけじゃない」
ゼノは頷く。
「それは分かってる」
「でも、足りなくはならない」
自信満々というより、ただの事実みたいな口ぶりだった。
ゼノは率直に言った。
「助かります」
イグニスが少しだけ肩をすくめる。
「七人が歌うなら、曲は要る」
「もう一曲は、どんなのを考えてる?」
イグニスは少し考えた。
「『ミラベル』が始まりなら、次は近くする」
「近く?」
「もっと手が届く歌」
ゼノはその言葉を頭の中で転がした。
始まりの歌は看板になる。
でも録音には、もう少し近い歌もいる。
個人に刺さる歌。
繰り返し聴きたくなる歌。
「いい」
ゼノは頷いた。
「そっちは任せる」
「任された」
イグニスはそれ以上言わず、もう鍵盤に指を落としていた。
――トン。
――コロン。
――コロン、トン。
音が転がる。
半眼のままなのに、指先だけはまるで眠っていない。
媚びない。
合わせすぎない。
だが音の中には、誰よりも深く潜る。
孤高という言葉が、よく似合う男だった。
ゼノは立ち上がる。
「じゃあ、学校の方を進める」
「勝手にしろ」
「イグニスも作れ」
「言われなくても作る」
ゼノは笑った。
「知ってる」
歌舞殿を出る。
外では、温泉郷の昼の賑わいが続いていた。
学校は建った。
先生も集める。
録音曲も増える。
やることは山ほどある。
だが、全部前に進んでいる。
それで十分だった。
《視聴者数:326,114》
〈コメント:学校も歌も進むの強い〉
〈コメント:イグニス、本物すぎる〉
〈コメント:目開いた時の顔が強い〉
〈コメント:五曲入りアルバムきたな〉
《神コメント:良い流れだ》
《神コメント:学びも歌も止めるな》
ゼノは空を見上げる。
『止める気はない』
村も、歌も、まだ広がる。
次は――
先生集めと、新曲だ。
――――
次回
第41話 天才が昼食に誘う日




