第34話 ミラベルの鈴と、音をつくる者たち
元ガルドの物置小屋を改装した工房で、ゼノはマギウスが仕上げた共鳴鈴を確認していた。
作業台の上には、完成した鈴がいくつも並んでいる。
一つ手に取り、ゼノは指先でそっと揺らした。
――チリン。
澄んだ音が、小屋の中を細く走る。
「うん。悪くない。これなら商品として出せる」
ゼノが頷くと、マギウスは少し照れたように笑った。
「良かった。かなり慣れてきた」
初めてここへ来た頃とは、顔つきがだいぶ違う。
沈んだ影が消えたわけではない。だが今のマギウスには、はっきりと前を向く目がある。
もう、職人の顔だった。
さすがは鍛冶屋アルノフの息子だ、とゼノは思う。
手先の感覚も、素材を見る目も、飲み込みの速さも、やはり血は争えない。
その時だった。
コン、コン。
遠慮がちなノック。
工房の女性が扉を開けると、リュシエルが立っていた。
「こんにちは。リュシエルと言いますが、ゼノはいますか?」
その声に、ゼノはマギウスとの会話を止めて、扉の方へ目を向けた。
「やあ、リュシエル。大丈夫だよ。中へどうぞ」
「忙しい時にすみません」
「大丈夫。入って」
ゼノはマギウスに少し待っていてくれと目で伝え、窓際の椅子を引いた。
リュシエルが静かに腰を下ろす。
「どうした?」
リュシエルは作業台の上の共鳴鈴に目を向けた。
「これが共鳴鈴ですか」
「そうだ」
マギウスが頷く。
「楽団が揃えば、すぐにでも録音できる」
リュシエルは興味深そうに見ていたが、すぐにゼノへ視線を戻した。
工房の女性が机の上に茶を置き、軽く会釈して持ち場へ戻る。
リュシエルも小さく頭を下げてから、口を開いた。
「鍵盤奏者と詩人、楽師のことですが」
「うん」
「ゼノの話を伝えました」
少し間を置く。
「ミラベルの歌を聞きたいと言っています」
ゼノは眉を上げた。
「歌を?」
「はい」
リュシエルは頷く。
「条件の話の前に、まず歌を聞きたい、と」
ゼノは少し笑った。
悪くない。
金より先に音。
それは音楽家としては、むしろまともだ。
マギウスも頷いた。
「さすが音楽家だな」
リュシエルはわずかに笑う。
「少なくとも、耳は本物です」
ゼノは椅子の背にもたれた。
「三人とも来るんですか?」
「ええ」
リュシエルは指を折る。
「鍵盤奏者が一人、詩人が一人、そして楽師が一人です」
マギウスが口を挟んだ。
「詩人ってのは、歌詞を書くやつか」
「そうです」
ゼノは頷く。
「それは欲しかった」
ミラベルは今、歌う者と、演奏する者が揃い始めた段階だ。
だが、まだ足りない。
作曲する者。
作詞する者。
音を組み上げる者。
そこが埋まれば、舞台は一段上に行く。
ゼノはリュシエルを見る。
「腕は?」
リュシエルは迷わず答えた。
「三人とも一流です」
マギウスが吹き出した。
「そんな奴らが、こんな村に来るのか?」
リュシエルは肩をすくめる。
「普通は来ません」
「じゃあなんで?」
リュシエルは窓の外を見た。
遠くで、子供たちの笑う声が聞こえる。
「歌です」
静かに言った。
「ミラベルの歌が気になったそうです」
ゼノは少しだけ目を細めた。
歌舞殿の舞台。あの七人の声。
神だけじゃない。
人の耳にも、ちゃんと届き始めている。
リュシエルが続けた。
「ただ」
少し言いづらそうに言う。
「鍵盤奏者は……」
「変わり者か?」
ゼノが先に言った。
リュシエルは苦笑した。
「ええ」
マギウスが笑う。
「音楽家なんて大体そうだ」
「ですが、あの人は少し別です」
「どう別なんだ?」
「王都でも有名です。腕は本物ですが、気に入らない歌には絶対に触れません」
「面倒だな」
「ええ。ですが、一度だけミラベルの話をした時、初めて向こうから“歌を聞かせろ”と言いました」
マギウスが目を丸くする。
「金にも?」
「ほとんど」
ゼノは小さく笑った。
「嫌いじゃない」
「いつ来る?」
リュシエルは答える。
「早ければ、明日」
工房の空気が少し変わる。
マギウスが腕を組んだ。
「決まれば録音だ。気合い入れるよ」
ゼノは頷き、それからリュシエルに言った。
「悪いけど、明日、歌舞殿に集まるようみんなに伝えてくれますか」
「分かりました」
《視聴者数:227,367》
〈コメント:変わり者〉
〈コメント:偏見ー〉
〈コメント:ここは変わり者の集まり〉
《神コメント:欲のない者》
《神コメント:何か起こるか》
《神コメント:楽しみだ》
『そっちこそ、変わり者だらけだろ』
リュシエルが出ていくと、ゼノはマギウスの方へ戻り、今度は工房全体に声をかけた。
「みなさん、少しいいですか。こちらへ集まってください」
作業をしていた者たちが手を止め、作業台の周りへ集まってくる。
鈴を磨いていた者。
着色していた者。
箱を作っていた者。
札を書いていた者。
それぞれが、今はもうこの小屋の仕事の一部になっていた。
ゼノは全員の顔を見回してから言った。
「歌姫団の名前が、ミラベルに決まりました」
それだけで、工房の空気が少し華やいだ。
「ミラベル……」
「いい名前ですね」
「可愛い響きだ」
小さなざわめきが起こる。
ゼノは続けた。
「それに伴って、商品も少し変えます」
マギウスがすぐに反応する。
「変える?」
「正確には、増やす」
ゼノは作業台の上の鈴を一つ持ち上げた。
「今あるのは、七人それぞれの象徴色と紋様を入れた鈴です」
紅。
深緑。
琥珀。
月白。
蒼。
黒金。
薄桃。
七つの色と、七つの紋。
「これはこれで売る。推しを選ぶための商品だから」
皆が頷く。
ゼノは鈴を戻した。
「でも、それとは別に、団そのものを象徴する鈴を作りたい」
工房の者たちが顔を見合わせる。
マギウスが目を細めた。
「……ミラベル全体の鈴か」
「そう」
ゼノは頷く。
「七人の誰か一人じゃなく、“ミラベル”を応援したい客もいるはずだ」
ロイドならそう考えるだろうし、ゼノ自身もそう思っていた。
推しを一人に絞れない者。
箱ごと好きになる者。
そういう客は必ずいる。
「だから、ミラベルとしての意匠を作る」
ゼノは少し間を置く。
「初版限定で五十個」
工房の空気が変わった。
「限定ですか」
「最初だけ?」
「五十、ってまた絶妙ですね……」
マギウスが先に口を開いた。
「良い案だ」
すぐだった。
「数が少ない方が欲しくなる」
ゼノは少しだけ笑う。
「分かってるな」
「そりゃな」
マギウスも笑った。
ゼノは続ける。
「色は金色にする」
おお、と小さな声が上がる。
金は特別だ。
七人の象徴色とは違う。
団そのものの輝きとして使うには、ちょうどいい。
「ただし、全部を金にすると下品になる」
ゼノは指で輪郭をなぞる。
「地は落ち着かせる。
光るのは縁と紋だけでいい」
「全部金にした方が豪華じゃないですか?」
若い男が言った。
「駄目だ。成金くさい。欲しいのは高そうな物じゃない。“特別に見える物”だ」
工房の女性の一人が頷いた。
「その方が上品ですね」
「そう。安っぽく見せない」
そして、ゼノは最後に言った。
「紋は、鈴にする。
七人それぞれの色や紋があるように、団として一つにまとまる印も必要だろ」
工房の若い男が小さく呟く。
「いいですね……」
箱で推す客向け。
団そのものの記念。
初版限定。
意味が三つ重なっている。
マギウスが作業台の木に指で形を描く。
「金の縁に、鈴紋……」
少し考える顔になる。
「悪くない」
ゼノは頷いた。
「むしろ、かなり良い」
工房の空気が少しだけ熱を持つ。
新しい物を作る時の熱だ。
「五十個は、いつまでに?」
「箱は特別仕様にしますか?」
「札も分けます?」
「値段は上げるんですか?」
一気に質問が飛ぶ。
ゼノはそれを待っていたように、落ち着いて答えていく。
「箱も変える。
七人の個別鈴より、少しだけ格を上げる」
「札も別にする。
“初版限定・歌姫団ミラベル”と入れる」
「値段は上げる。
でも上げすぎない。最初は手に取らせることも大事だ」
皆が頷く。
ゼノは内心で笑った。
もう、この工房は回り始めている。
前はただの物置だった。
今は違う。
人がいて。
技術があって。
考えがあって。
商品がある。
工房だ。
マギウスが言った。
「じゃあ、まずは試作だな」
「頼む」
ゼノは頷く。
「明日には、鍵盤奏者たちが来るかもしれない」
「なら急がないとな」
マギウスの口元が、少しだけ吊り上がる。
職人の顔だった。
ゼノも笑う。
歌が広がる前に、物も広げる。
舞台が大きくなる前に、手に残るものも作る。
ミラベルは、歌だけじゃ終わらない。
それを持って帰りたいと思わせるところまで行く。
ゼノは作業台に並ぶ鈴を見た。
七人の鈴。
そして、これから生まれるミラベルの鈴。
舞台の熱が、少しずつ形になっていく。
工房の外では、夕方の風が小屋の壁を撫でた。
その風の向こうから、また別の足音が近づいてくる気がした。
鍵盤。
詩。
曲。
次に来るのは、音を“残す”ための仲間じゃない。
音を“生み出す”ための仲間だ。
ゼノは静かに目を細めた。
ミラベルは、まだ広がる。
《視聴者数:293,571》
〈コメント:箱推し鈴きた〉
〈コメント:限定五十は強い〉
〈コメント:運営が分かってる〉
《神コメント:あの鍵盤弾きは面倒だぞ》
《神コメント:だが本物だ》
《神コメント:壊されるか、跳ねるか》
『おもしろいな。壊されずに、跳ねてやるよ』
だが、ゼノは知らなかった。
明日来るその鍵盤奏者が、ミラベルの音を大きく変えることになるのを。
そして同時に、ミラベルにとって最初の波乱を連れてくることになるのを。
――――
次回
第35話 王都の鍵盤弾き




