第33話 エレナの母と、新しい学校
皆と別れて、ゼノが家路に向かっていると、前方にエレナの母、サラの姿が見えた。
夕暮れの道を、ゆっくり歩いている。
薄橙に染まった空の下、サラの横顔はどこか柔らかく見えた。
温泉郷の熱がまだ村に漂っている。そんな空気の中で、彼女だけが少し静かな時間を歩いているようだった。
ゼノは、今後の相談をするにはちょうどいい機会だと思い、声をかけた。
「サラさん。今帰りですか?」
サラは突然の声に少し驚きながら振り返った。
「あら、ゼノ。あなたこそ、こんな時間に珍しいじゃない」
「はい。少し考えることがあって、今日は早めに切り上げてきたんです。
サラさん、少しお時間ありますか?」
サラは微笑んだ。
「ええ、大丈夫よ。家に来る?」
「はい」
二人は並んで、長老の家へ向かった。
道すがら、村の灯りが一つ、また一つと点り始める。
前はもっと暗かった。人も少なかった。
今は違う。
湯気の立つ屋台があり、遠くで笑い声が聞こえる。
温泉郷に人が集まり、歌姫団ができ、商いが生まれ、村がゆっくり形を変え始めている。
サラが小さく笑った。
「変わったわね、この村も」
「そうですね」
ゼノも頷いた。
「まだ途中ですけど」
「途中、ね」
サラはその言葉を少し面白そうに繰り返した。
「あなた、本当に止まらないのね」
家に入ると、サラは慣れた手つきで茶を用意した。
木の卓。
静かな部屋。
外の喧騒とは違う、落ち着いた空気。
湯気が立つ湯飲みを前に置き、向かいに座る。
少しの沈黙。
それからサラが先に口を開いた。
「ゼノ、エレナのこと。ありがとう。あなたには感謝しかないわ」
ゼノは、エレナと初めて会った日のことを思い出した。
真面目で、どこか固くて、自分を少し押し殺していたあの表情を。
「いえ。僕は何もしていません。
今は、みんなのことを引っ張って、すごく良い顔をするようになりました」
サラの表情が、ほんの少し柔らかくなる。
「そうね……」
少しだけ視線を落とす。
「昔は、あの子……あまり笑わない子だったの」
ゼノは黙って聞く。
サラは湯飲みを両手で包みながら、ぽつりと続けた。
「私は王都で魔術師として働いていたでしょう?
失敗も許されないし、呼ばれれば行かないといけない。
若かったこともあって、私も……必死だった」
遠くを見るような目だった。
「エレナは、ずっと父と母に預けっぱなしだった」
少しだけ、声が震える。
「もちろん、愛されて育ったわ。
父も母も、あの子を大事にしてくれた」
そこで、少しだけ唇を噛む。
「でも……母親がいてあげるのとは、違うものね」
ゼノは何も言わない。
サラは続ける。
「今思えば……あの子、ずっと悩んでいたのに」
サラは小さく息を吐く。
「私は全然気づいてあげられなかった」
声は穏やかだった。
だが、その穏やかさの奥に、長い後悔が沈んでいた。
「魔術だって、もっと教えてあげればよかった」
少し笑う。
けれど、どこか寂しそうだった。
「教える時間はいくらでもあるって、どこかで思っていたの。
今度でいい、落ち着いたらでいい、そのうち教えようって」
目を伏せる。
「でも、その“そのうち”って、なかなか来ないのよね」
ゼノは静かに湯飲みに目を落とした。
その言葉は、少しだけ胸に刺さった。
前世でも似たようなものを、何度も見てきたからだ。
大事なことほど、後回しにされる。
そして気づいた時には、言えなかった言葉や、してやれなかったことばかりが残る。
サラは、かすかに笑いながら続けた。
「母親なのに、何もしてあげられなかった気がして」
その時だった。
サラの表情が、ふっと変わる。
「でもね」
顔を上げた。
「歌姫団に入ってから……」
目が少し潤む。
「あの子、よく笑うようになったの」
静かに続ける。
「歌の話をする時、本当に楽しそうで」
少し声が震えた。
「この前なんてね……」
サラは笑いながら言った。
「“お母さん、歌ってると世界が広がるの”って」
少し間が空く。
「そんなこと、あの子……昔は一度も言わなかった」
ゼノは静かに頷いた。
歌舞殿で、仲間たちの真ん中に立つエレナの姿が頭に浮かぶ。
緊張しながらも前を向く目。
皆をまとめる時の声。
そして歌い終えた後、少しだけほっとして笑う顔。
あの笑顔は、無理に作ったものじゃない。
ようやく見つけた“自分の居場所”の中で出る顔だ。
「エレナは、今……自分の場所を見つけたんだと思います」
サラは目元を押さえ、少し笑った。
「あなたのおかげね」
ゼノは首を振る。
「違います」
静かに言った。
「エレナが頑張ったからです。
歌うって、怖いことですから」
サラが目を瞬かせる。
ゼノは続けた。
「人前に立つのは、それだけで怖い。
自分の声を出して、それを誰かに受け取られるのは、もっと怖い。
でも、エレナは逃げなかった」
少しだけ笑う。
「だから、あの場所を掴んだんです」
サラは少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「優しいのね、あなた」
そして、少し落ち着いたところで聞いた。
「それで?
相談って何だったの?」
ゼノは湯飲みを置く。
「村のことです」
サラが首を傾げる。
「村?」
「最近、また人が増えてきました」
「そうね」
「子供も増えてきています」
サラは頷く。
ゼノは続けた。
「今の勉強の場所では、もう足りなくなると思うんです」
少し間を置く。
「だから――」
サラを見る。
「もう少し大きな学校を作りたい」
サラは目を瞬いた。
「学校を?」
「はい」
ゼノは頷く。
「今の村は、住む場所と働く場所が少しずつ増えてきました。
でも、子供たちが学ぶ場所はまだ小さい。
これから人が増えるなら、そこを先に整えたいんです」
サラは真剣な顔になる。
「……先に、そこを」
「はい。
大人は何とかできます。
でも子供は、学ぶ場所がないと、後で村そのものが伸びなくなる」
サラはゆっくり頷いた。
「その時は、サラさんに教師として入ってほしいんです」
サラは少し驚いた顔をした。
「私が?」
「はい。
魔術だけじゃなく、読み書きや知識も教えられる人が必要です」
ゼノはそこで少しだけ言葉を止めた。
そして、柔らかく続ける。
「……エレナだけじゃなく、これから来る子たちにも」
サラの表情が、少し変わる。
それは驚きというより、胸の奥をそっと触れられたような顔だった。
サラはしばらく黙っていた。
それは迷いというより、過去と向き合う時間のようだった。
王都で忙しかった日々。
置いてきてしまった時間。
気づけなかった娘の心。
その先に、今度は“次の子たち”がいる。
そして、小さく笑う。
「……父にも相談しないとね」
ゼノも頷く。
「はい。
学校の場所のこともありますし」
その時だった。
奥の部屋から、ゆっくり戸が開く音がした。
「話は聞こえておったぞ」
長老だった。
ゼノは少し驚いたが、すぐに姿勢を正す。
長老はゆっくり歩いてきて、二人の前に座った。
「学校、か」
少しだけ笑う。
「以前も言っておったのう」
そして、サラを見る。
「どうじゃ」
サラは少しだけ考えた。
それから、ゆっくり頷く。
「……ええ」
静かに言った。
「子供たちのためなら」
ゼノは少しだけ笑った。
「ありがとうございます。
長老、新しい学校の場所ですが、子供たちが通いやすいように、今ある住居地帯の隣に建てたいのですが、良いですか?
今後の移住者の家は、学校を挟んで建てていく形にしたいんです」
長老は少し驚いたように眉を上げたが、すぐに笑った。
「それは良い考えじゃの。
そうすれば、学校が真ん中になる形じゃ」
長老は優しい目をしながら答えた。
「はい。そうすれば、今後人が増えても通いやすくなるので」
ゼノの頭の中には、すでに村の形が出来始めていた。
温泉郷。
住む場所。
通り。
店。
歌舞殿。
そして学校。
ただ建物を増やすんじゃない。
人が育つ形にしたい
「村の真ん中に学校があるのは、ええことじゃ。
子は村の真ん中で育つべきじゃからの」
その言葉に、サラも静かに頷いた。
「いつから始める予定じゃ?」
「音楽隊が揃い、歌の録音が終わったら、始めようと思います」
「お主は、ほんと、忙しい男じゃの」
長老はカッカッカと笑いながら、楽しそうだった。
サラも今度はしっかり笑った。
「本当ね。
でも、あなたのおかげで、村も暮らしも良くなったわ」
ゼノは少し肩をすくめる。
「止まると不安になる性分なんです」
「若いのう」
長老がまた笑った。
《視聴者数:315,174》
〈コメント:町づくり再開〜〉
〈コメント:ちょい出しきた〉
〈コメント:久々の建築〉
《神コメント:いつの時代も子は宝》
《神コメント:学ぶ場所は大事だ》
《神コメント:これを授けてやろう》
ゼノの視界に、淡い光が浮かぶ。
《システム通知》
《生活魔法:学舎形成を獲得》
《効果:教育施設の建築補助》
《効果:教室配置最適化》
《効果:採光・音響補正》
〈コメント:学校専用魔法!?〉
〈コメント:ゼノガチで村育ててて草〉
〈コメント:子供のため〉
ゼノは小さく笑った。
『久々の建設。楽しみだぜ』
村は、まだ変わる。
歌だけじゃない。
人も、未来も。
少しずつ、広がっていく。
――――
次回
第34話 ミラベルの鈴と、音をつくる者たち




