第31話 当たりの笛奏者と、歌舞殿に届いた新しい音
翌日。
歌舞殿の中には、朝の冷えた空気がまだ少し残っていた。
歌舞殿の客席には、ミラベルの七人。
そして、昨日加わったばかりの弦奏者ダリオだけだった。
ゼノは舞台の前に立ち、七人を見回した。
「今日は笛奏者を決めます」
ミルファがすぐに身を乗り出す。
「笛、楽しみです!」
リィナは静かに頷く。
「音が増えると、歌の景色が変わりますから」
ナディアは腕を組んだまま笑う。
「昨日の弦でよく分かったしな」
リーシャは少し緊張したように両手を握っている。
「私たちも……選ぶんですね」
「そうだ」
ゼノは短く答えた。
「歌うのはお前たちだ。だから、お前たちが“歌いやすいか”が大事だ」
ダリオが壁に寄りかかりながら言う。
「技術だけ見ても仕方ないってことだな」
「そういうことです」
ゼノは頷く。
歌舞殿の外では、朝の風が木々を揺らしていた。
その音を背に、最初の応募者が入ってくる。
――一人目。
背の高い青年だった。
腰に銀色の笛を差し、入ってきた瞬間から少し胸を張っている。
「笛奏者のカイルです」
礼はした。
だが、その後の目線がすぐ客席を見た。
ゼノはその一瞬を見逃さない。
「では、自由に」
カイルは軽く息を吸い、笛を構える。
――ヒュウ……。
高く、よく通る音だった。
技術はある。
息の量も安定している。
指使いも速い。
だが。
ミルファが途中で、ほんの少し眉を寄せた。
リィナは無言のまま、目を伏せる。
リーシャは膝の上で指を絡めた。
曲が終わる。
カイルは少し得意そうに、笛を下ろした。
「どうですか?」
ナディアが先に口を開いた。
「上手い」
カイルの口元が少し上がる。
「でも」
今度はゼノだった。
「前に出すぎる」
カイルの顔が止まる。
ゼノは言葉を選ばなかった。
「歌のための音じゃない。自分が勝つための音だ。ここは独奏会じゃない」
ダリオが腕を組みながら、短く付け足す。
「笛だけで聴かせるなら悪くない。でも、歌に添う気が薄い」
カイルは何か言い返しかけて、やめた。
自分でも、少しは分かっていたのかもしれない。
小さく一礼し、歌舞殿を出ていく。
ミュラがぽつりと呟く。
「すごかったけど、一緒に歌う感じじゃなかったにゃ」
ゼノは頷いた。
「そういうことだ」
――二人目。
今度は若い女性だった。
細い木管の笛を両手で大事そうに抱えている。
「ルーナです」
声が小さい。
少し怯えているようにも見える。
「お願いします」
笛を構え、息を入れる。
――スゥ……。
空気のような音だった。
柔らかい。
優しい。
歌舞殿の中を、そっと撫でるように広がっていく。
リーシャの表情が緩んだ。
「……綺麗」
リィナも静かに頷く。
「ええ。とても」
ミルファも嬉しそうに聞いている。
だが、後半に入ると音がわずかに痩せた。
長い旋律を保ちきれない。
最後の音が消えたあと、ルーナは不安そうに笛を抱いた。
「どう、でしょうか……」
セレスが丁寧に答える。
「音は、とても綺麗でした」
ナディアも珍しく柔らかい言い方をした。
「ただ、本番を続けるには少し細いな」
ゼノも頷く。
「歌に寄り添う音です。でも舞台に立ち続けるには、もう少し芯が欲しい」
ルーナは悔しそうに唇を噛み、それでもきちんと礼をした。
「ありがとうございました」
その背中を見送りながら、ミルファが小さく息を吐く。
「難しいですね……」
「難しくないと困る」
ゼノは静かに言った。
「評価を間違えると、後が歪む」
その言葉に、七人が少しだけ背筋を伸ばす。
そして――三人目。
扉が開いた瞬間、歌舞殿の空気がほんの少し変わった。
入ってきたのは、長い淡金の髪を後ろで結んだエルフの男だった。
装飾は少ない。笛も一本だけ。
余計なものを持っていない人間は、それだけで少し強く見える。
「リュシエルだ」
それだけ名乗った。
ゼノは頷く。
「お願いします」
リュシエルは舞台の中央まで歩き、笛を構える。
息を吸う。
次の瞬間。
――スゥ……。
音が生まれた。
《神コメント:これを待っていた》
《神コメント:ようやく歌を支える笛が来た》
《神コメント:当たりだ》
《神コメント:こいつは伸びる》
ミルファの目が、ぱっと開く。
リィナが思わず顔を上げる。
リーシャの肩が、すっと軽くなった。
音が前に出ない。
だが、消えもしない。
歌の邪魔をしないのに、
歌がそこにある未来を想像させる音だった。
ダリオが、ほんの少しだけ目を細める。
「……いいな」
ナディアが小さく笑う。
「決まりじゃないか?」
ゼノは最後まで聴いた。
最後の音が消えるまで、何も言わない。
静寂が戻ってきたところで、エレナがそっと口を開く。
「……この人と歌ってみたいです」
それは、かなり大きな言葉だった。
セレスも頷く。
「ええ。音の居場所が、ちゃんとあります」
リィナは言った。
「この笛なら、歌の呼吸を乱さない」
リーシャも小さく続く。
「気持ちが、置いていかれないです……」
ミュラはもう笑っていた。
「好きにゃ」
ミルファは身を乗り出す。
「私、高いところ、もっと気持ちよく歌えそうです!」
ナディアは腕を組み直した。
「文句なし」
ダリオが最後に言う。
「歌を潰さない。それでいて、景色を増やせる。十分だ」
ゼノはリュシエルを見た。
「残れますか?」
リュシエルは少しだけ意外そうな顔をしたあと、静かに頷いた。
「……望むなら」
「望みます」
ゼノは即答した。
「お願いします」
それだけで、決まった。
《視聴者数:244,119》
〈コメント:来た〉
〈コメント:これ当たりだろ〉
〈コメント:音が違う〉
〈コメント:笛で空気変わるの好き〉
《神コメント:この笛はいい》
《神コメント:歌を潰さない》
《神コメント:二人目、決まりだな》
ゼノは小さく息を吐く。
『……二人目、見つけた』
その時だった。
歌舞殿の外から、車輪の重い音がした。
ガラ……ゴト、と木の軋む音。
ロイドの声が聞こえる。
「ゼノ! 来たぞ!」
ダリオが振り向く。
ナディアが眉を上げた。
「来た?」
ゼノは少しだけ口元を上げた。
「鍵盤楽器です」
ミルファが立ち上がる。
「えっ、もう!?」
ミュラの尻尾がぶわっと膨らむ。
「見たいにゃ!」
七人と、ダリオと、新しく加わったリュシエルが外へ出る。
歌舞殿の前には、荷馬車が止まっていた。
馬の鼻息が静まる。
荷台には――大きな木箱。
人の背丈ほどもある、長い箱だった。
その横で、ガルドが腰に手を当てている。
「重かったぞ、これ」
ロイドが苦笑する。
「お前が“急げ”と言ったんだろう」
ゼノは荷台に近づいた。
「ありがとうございます」
「礼は後だ。まずは中に入れるぞ」
ガルドが肩を回す。
ゼノ、ガルド、ロイド、ダリオ。
四人が荷台に手をかけた。
「せーの!」
木箱がゆっくり持ち上がる。
重い。
だが持てないほどではない。
慎重に足を運びながら、歌舞殿の入口をくぐる。
歌姫たちはその後ろをついてくる。
舞台の脇。
そこへ箱が静かに下ろされた。
ドン、と低い音。
ガルドが腰を伸ばす。
「ふう……」
ロイドが箱の横を叩いた。
「でかいな」
ミルファが目を輝かせる。
「この中に鍵盤が入ってるんですか!?」
ミュラが箱の周りをくるくる回る。
「長いにゃ!」
リィナは少し距離を取って見つめていた。
「……楽器とは思えない大きさですね」
ゼノは箱の留め金に手をかける。
「さあ。開けますよ」
金具が外れる。
カチン。
もう一つ。
カチン。
ゼノが蓋を持ち上げた。
ゆっくり。
木箱の中から現れたのは――
長い鍵盤楽器だった。
磨かれた木の艶。
ゆるやかに弧を描く胴。
そして。
二段に重なった鍵盤。
流れるように伸びた優雅な形。
見慣れないのに、どこか気品がある。
淡い象牙色の鍵が、二段に整然と並び、それだけで精巧な細工のようだった。
歌姫たちが息を呑む。
「……これが」
セレスが呟く。
「鍵盤……」
リィナは静かに見つめる。
リーシャは一歩近づいて、胸の前で手を握った。
ミルファは完全に目を輝かせていた。
「すごい……!」
ミュラはゼノの袖を引く。
「これ、鳴るにゃ?」
ゼノは小さく笑った。
「鳴る」
そして静かに言う。
「ただし――順番に、ですね」
歌舞殿の中に、まだ鳴っていない音がある。
弦。
笛。
そして、鍵盤。
ゼノはその楽器を見つめながら思った。
音は、揃い始めている。
《視聴者数:256,204》
〈コメント:鍵盤きたあああ〉
〈コメント:一気に豪華になった〉
〈コメント:これ絶対変わるだろ〉
《神コメント:良い流れだ》
《神コメント:音が揃い始めたな》
《神コメント:鳴らせ》
ゼノは静かに鍵盤へ手を置いた。
目を閉じる。
《生活魔法:構造認識》
鍵盤の奥。
張られた弦。
支える木枠。
わずかにずれている音の芯。
内部のすべてが、指先に伝わってくる。
《生活魔法:微調律》
ゼノはごく薄く魔力を流した。
弦の張りを整え、
響きの流れを均し、
余分な濁りだけを落としていく。
楽器の内側で、ピン……と小さな音が連なった。
ゼノがそっと鍵をひとつ押す。
乾いたようでいて、芯のある音が歌舞殿を走った。
その場の全員が、同時に息を止める。
《神コメント:始まるぞ》
《神コメント:これは化ける》
ゼノは静かに笑った。
『次は、これで景色を変える』
――――
次回
第32話 太鼓コンビ、加入




