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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第30話 弦奏者ダリオ

 男の背には、年季の入った弦楽器があった。


胴は深い飴色で、ところどころ擦れて白くなっている。

大事に使い込まれてきたのが一目で分かる楽器だった。


旅の匂い――と、ゼノが思ったのは、たぶんそのせいだ。


新品の楽器を抱えた人間は、もっと胸を張る。

だが、この男は違う。


使い込んだ相棒を背負ったまま、品定めするように歌舞殿の中を見ている。

目つきは鋭いが、嫌な感じはしない。


音を見ている目だった。


「ここが……音楽団の募集場所か?」


低い声だった。

もう一度、男はそう言った。


ゼノは軽く頷く。

「ええ」


そして、少しだけ口元を緩める。

「中へどうぞ」


男は一歩、二歩と中へ入る。


その靴音が、歌舞殿の床を叩き、わずかに返ってきた。


男の眉が、ほんの少し動く。

「……いい箱だな」


その一言に、ナディアが反応した。

「箱?」


男は肩をすくめる。


「舞台のことだ。

音が死んでない。変に跳ねもしない。

歌う側にも、聴く側にも優しい」


リィナがそっとゼノを見る。


ゼノは何も言わない。

だが、その沈黙が少しだけ誇らしげだった。


ミュラが男を見上げた。

「おじさん、弾けるにゃ?」


男の片眉が上がる。

「おじさん、か」


ミュラは悪びれずに首を傾げた。

「違うにゃ?」


「違わん」

そう言って、男は短く笑った。


その笑い方で、少し空気が緩む。


ミルファが一歩前へ出る。

「じゃあ、演奏しに来たんですか?」


「募集を見て来た」

そう言って、男は背の楽器を下ろした。


床に置くのではなく、まず手で軽く撫でる。

それから、丁寧に支えながら椅子の横に立てかけた。


その仕草だけで、リーシャが小さく呟く。

「……楽器のこと、すごく大事にしてる……」


男はリーシャの方を見て、少しだけ笑った。

「そりゃな。

こいつは飯の種で、半分は命だ」


セレスが窓際から離れ、男の前まで歩いてくる。

「お名前を聞いても?」


男は、七人の顔を順に見た。


そして最後に、ゼノへ視線を戻す。


「ダリオ。

ダリオ・エイン」


その名を、ゼノは頭の中で一度転がす。


重すぎない。軽すぎない。

どこか少しだけ古い音がする名だ。


「弦奏者ですか?」


「ああ。

王都の酒場、宿場町の劇場、貴族の宴会場。

一通りは回った」


ロイドなら、この経歴だけで一度椅子に座らせるだろう。


ゼノは短く訊く。

「なぜここへ?」


ダリオは即答しなかった。


代わりに、歌舞殿の中をもう一度見回す。


舞台。

客席。

高い天井。

磨かれた床。


そして、七人の歌姫。


「噂を聞いた」


「どんな噂です?」


「温泉に入れて、酒が美味くて、歌姫がいる。

……そこまでは、よくある話だ」


そこで一度、言葉を切る。


「だが、その歌姫たちの歌を聴いた客が、帰りながら泣いてたって話は初めて聞いた」


楽屋が静かになる。


エレナの指先が、スカートの端を軽くつまむ。


ダリオは続けた。

「泣かせる歌ってのは、大体、不幸か大げさな悲劇で殴るもんだ。

でも、ここの噂は違った。

“癒やされた”って泣いてるらしい」


リィナが目を伏せる。

ミルファは小さく息を呑む。

リーシャは胸の前で両手を重ねた。


「……それで、気になった」

ダリオは、そう言って肩を竦めた。


「俺の弦が、そこに混ざる余地があるのかどうか」


《視聴者数:251,882》


〈コメント:お、いいこと言う〉

〈コメント:ただの応募者じゃないな〉

〈コメント:旅してきた楽師っぽい〉


《神コメント:悪くない》

《神コメント:耳がある男だ》

《神コメント:一人目は重要だぞ》


ゼノは、ほんの少しだけ笑う。


『分かってるよ。最初の一人で空気が決まる』


《神コメント:そう、それ》

《神コメント:だから見てる》


ナディアが壁から背を離した。

「なら、試してもらえばいいだろ」


 ミュラがすぐに乗る。

「聴きたいにゃ!」


ミルファもぱっと明るい声を出す。

「私もです!」


セレスは静かに頷いた。

「ええ。聴いてみたいです」


ゼノはダリオを見た。


「弾けますか?」


「楽器を下ろした時点で、そのつもりだ」


言い方はぶっきらぼうだが、悪くない。

ゼノは椅子を一つ、舞台の方へ向けた。


「では、そこで」


 ダリオは楽器を手に取り、軽く弦を弾く。


――ポロン。


一音。


それだけだった。


だが。


歌舞殿の空気が、明らかに変わった。


低く、丸い。

だが曇らない音。


弦を一本ずつ確認するように鳴らし、耳を寄せる。

客に聴かせるための音ではなく、箱と楽器の相性を見ている音だった。


ゼノは、その様子を黙って見ていた。


 いい。


最初に箱を疑う人間は、信用できる。


自分の腕だけを信じる奴より、よほどいい。


「何を弾きます?」

エレナが訊く。


ダリオは少し考えてから言った。

「じゃあ、そっちに合わせる」


 七人が顔を見合わせる。


「合わせる、って……」


「さっきまで練習してただろ」

ダリオは当たり前のように言う。


「一曲、そのままやってくれ。

 途中から入る」


ナディアがニヤッと笑う。

「面白い」


ミュラの尻尾がふくらむ。

「勝負みたいにゃ」


「勝負じゃない」

ゼノが低く言う。

 

「見るのは、噛み合うかどうかだ」


ミュラは「はーい」と言いながらも、顔は楽しそうだった。


エレナが皆を見て、小さく頷く。

「……じゃあ、いつもの曲を」


七人は舞台の中央に並んだ。


ダリオは椅子に座り、楽器を構える。


その姿は力が抜けているのに、不思議と崩れない。

長く弾いてきた人間の身体だった。


エレナが息を吸う。


最初の音を出す。


澄んだ声。


セレスがその上に重ねる。


リィナが空気を深くし、ミルファが高く抜ける。


ナディアが下を支え、リーシャが感情を滲ませる。


ミュラが柔らかく場をほどく。


そして。


ダリオの弦が入った。


――ポロン。


歌の足元に床が出来たような感覚があった。


ミルファの目が、ぱっと開く。


ナディアが一瞬だけ口角を上げる。


リィナの声が、少し深くなる。


ダリオは歌を邪魔しない。

前へも出ない。


けれど、足りなかった“奥”だけを、静かに埋めていく。


エレナは歌いながら、それをはっきり感じていた。


今まで、自分たちだけで完成していると思っていた。

いや、完成させようとしていた。


でも違った。


足りないものは、負けじゃない。

足りないものが入ると、歌はこんなふうに広がるのだ。


歌の景色が、一段奥へ下がる。


水面の向こうに、もう一枚、世界が増える。


リーシャの喉がわずかに震える。

感情が乗せやすくなっている。


ナディアの低音も、無理に押し出さなくて済む。

支える土台が増えたからだ。


ミュラは思わず笑いそうになるのを堪えた。

歌っていて、楽しい。


それは何より大事なことだった。


《視聴者数:268,019》


〈コメント:うわ、変わった〉

〈コメント:一音で空気変わったぞ〉

〈コメント:これだよこれ〉

〈コメント:奥行きってこういうことか〉


《神コメント:入ったな》

《神コメント:これは良い》

《神コメント:押しすぎないのが上手い》


ゼノは腕を組んだまま、静かに目を細める。


『悪くない』


《神コメント:上からで草》

《神コメント:でも分かる》

《神コメント:お前、今ちょっと嬉しいだろ》


『……まだ一人目だ』


曲が終わる。


余韻が、歌舞殿の中をゆっくり漂う。


誰もすぐには喋らなかった。


最初に口を開いたのは、ミルファだった。

「……すごいです」


それしか言えなかったのだろう。

だが、それで十分だった。


リィナが静かに頷く。

「音が、遠くまで行くのに、近いですね」


セレスはをダリオを見る。

「歌いやすかったです」


ナディアは率直だった。

「いいな。これ」


リーシャも小さく頷く。

「気持ちが、こぼれにくかったです……」


ミュラは満面の笑みだ。

「これ、もっと欲しいにゃ!」


エレナは少し息を整えてから、ゼノを見た。

「……これが、音楽団なんですね」


ゼノは短く頷いた。

「まだ一人目ですけどね」


だが、その一人で十分分かった。


間違っていない。


音を増やすという選択は、間違っていなかった。


ダリオは椅子から立ち上がり、楽器を抱え直した。


「で」


ぶっきらぼうに訊く。


「俺は、残っていいのか?」


ミュラがすぐに言う。

「いいに決まってるにゃ!」


ナディアも腕を組んだまま笑う。

「むしろ帰す理由がないだろ」


ミルファは何度も頷いている。


ゼノはほんの少しだけ間を置いた。


「……いいですね」


ダリオが眉を上げる。


ゼノは続けた。

 

「歌を邪魔しない弦は、なかなかいない。

普通は目立とうとする。

でもあなたは違う」


ゼノは軽く頷いた。

「お願いします」


ダリオは一瞬だけ目を細め、それから小さく息を吐いた。


「……なら、世話になる」


その瞬間。


歌舞殿の中に、確かに新しい音が根を下ろした。


最初の一人は、ただの一人じゃない。


ミラベルは、名前だけじゃなくなる。


歌だけでもなくなる。


人が増える。

音が増える。

世界が増える。


ゼノは、その手応えを静かに胸の奥へ落とし込んだ。


ここからだ。


録音はまだ先。

共鳴鈴の販売もまだ先。

だが、だからいい。


熱は、仕込んでいる時が一番強い。


すぐに出せば消費される。

待たせれば、欲になる。


欲は熱になる。

熱は、文化になる。


《視聴者数:271,604》


〈コメント:一人目決まった!〉

〈コメント:これは当たりだろ〉

〈コメント:楽団編きたな〉


《神コメント:良い始まりだ》

《神コメント:焦らせ方を分かっている》

《神コメント:次も見たい》


ゼノは、舞台の上の七人と、新しく加わった一人を見て、心の中で呟いた。


『だから言っただろ。ここから、音は変わる』


歌舞殿の扉の外では、夕方の風が静かに吹いていた。


その風に、まだ名もない次の音が乗ってくる。

ミラベルの始まりは、ようやく本当の意味で動き出したのだった。


《神コメント:これは推せる》

《神コメント:次は誰だ》


――――

次回

 第31話 当たりの笛奏者と、歌舞殿に届いた新しい音

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