第29話 歌姫団ミラベル、始動
温泉湖の舞台で歌い終えたエレナに、ゼノは声をかけた。
温泉湖でのステージは、毎日二回。
昼と夕方に行われ、歌姫たちは三人ずつ交代で歌う。
そして週に一度――。
七人全員が揃い、歌舞殿の舞台に立ち、
その日は歌だけではなく、客へ向けた挨拶の儀もある。
挨拶の儀――と言っても、堅苦しいものじゃない。
ただ「今日も来てくれてありがとう」と伝えるだけ。
それなのに、客の目が濡れるのを、ゼノは何度も見てきた。
誰かが誰かを支える形が、言葉ひとつで出来る。
歌は、そういうものだ。
「ゼノ、どうしました?」
エレナが近づいてきて、首をかしげる。
ゼノは短く言った。
「後で話す。皆を楽屋に集めてくれ」
その声は落ち着いていたが、ほんの少しだけ、いつもと違う。
何かを“決めた”声だった。
《視聴者数:202,881》
〈コメント:気になるー〉
〈コメント:何が起こるんだ〉
〈コメント:淡々と言われたら怖えー〉
エレナはすぐに察した。
何か決まったのだろう。
ゼノがこういう声を出す時は、必ず何かが起こる。
「わかりました」
エレナは短く頷き、他の六人を呼びに向かった。
その背中が、人混みの中に吸い込まれていく。
ゼノは一度、温泉湖のステージを見返す。
笑っている客。目を細めている老人。手を振る子ども。
――良い空気だ。
だが、良いだけじゃ、足りない。
“残す”ための準備がいる。
“広げる”ための仕込みがいる。
そう思った瞬間、頭の中で、神々の気配がざわめいた。
《神コメント:次、動くか》
《神コメント:音を売る準備?》
《神コメント:焦らせろ。欲は育つ》
ゼノは内心で苦笑して、軽く天を仰ぐ。
『落ち着け。俺が一番、焦ってねぇよ』
《神コメント:それが怖い》
《神コメント:やる時は一気だもんな》
『褒めてんのか、それ』
返事は軽く。だが胸の奥は冷えている。
――ここを踏み外せば、全部が歪む。
だからこそ、慎重に、でも確実に行く。
――歌舞殿、楽屋。
先に入っていたゼノは、机の横に立っていた。
ミルファが最初に入ってくる。蒼の羽飾りが揺れ、目がきょろきょろ動く。
「何かあったんですか?」
続いてミュラが滑り込む。尻尾が揺れて、顔はもう笑っている。
「面白いことならいいにゃ」
ナディアは壁に寄りかかり、腕を組む。
リーシャは静かに椅子に座り、膝の上で指を絡める。
セレスは窓際に立った。
リィナが最後に入ってきて、扉を閉める。
七人が揃う。
だが、楽屋の空気は少し落ち着かない。
誰もが、ゼノの言葉を待っていた。
その空気を和らげるように、エレナが口を開く。
「ゼノ……何かありましたか?」
ゼノはゆっくり頷いた。
「共鳴鈴が出来た」
一瞬、楽屋の空気が止まる。
「これで皆んなの声を多くの人に届ける事が出来る」
次の瞬間。
七人の表情がぱっと明るくなった。
ミルファが目を輝かせる。
「本当に出来たんですか!?」
ミュラが身を乗り出す。
「今日は録音するにゃ?」
期待に満ちた声。
胸の奥から弾けるみたいな喜びが、部屋の中に満ちる。
――だけど。
ゼノは、ゆっくり首を横に振った。
「まだ録音しない」
皆が少し驚いた顔をした。
喜びの勢いが、ほんの一瞬だけ止まる。
「今の音では、感動がまだ足りない」
ゼノは視線を落とさず、続けた。
「だから音楽団を募集します」
ナディアが眉を上げる。
「音楽団?」
リィナも首を傾げた。
「音楽団の前で歌えるのですか?」
「今の楽器だけでも悪くはない」
ゼノは一度肯定してから、少しだけ言葉を強くした。
「でも奥行きが足りない」
太鼓。
笛。
弦。
今の舞台はそれだけだ。
歌を支えるには十分だが、
広がりがまだ足りない。
「今、王都では鍵盤奏者がいる」
聞き慣れない言葉に、セレスが聞き返した。
「鍵盤?」
「太鼓や弦とは違う音色の楽器だ」
ゼノは説明する。
「鍵を叩くと弦が鳴る」
ミルファがぱちぱちと瞬く。
「叩くのに……弦が?」
リーシャも小さく息を漏らす。
「不思議です……」
リィナが興味深そうに、少しだけ目を細めた。
「面白い楽器ですね」
「その音が加わると、歌の世界が広がる」
ゼノは皆の顔を見ながら、少しだけ言い方を柔らげた。
「だから歌姫団にも鍵盤奏者を迎える」
ナディアが少し笑う。
「だいぶ本格的になってきたな」
「本格的にする」
ゼノは短く返す。
この言葉に、迷いはない。
ゼノはさらに言った。
「新しい歌を作るために、詩人、楽師も募集します」
エレナが驚く。
「曲を作る人……ですか?」
「そうだ」
ゼノは頷いた。
「そして全員が揃った時に、録音する」
楽屋が静かになる。
まだ見えない未来の舞台。
だが確かに、少しずつ形になっている。
――一息ついて。
ゼノは続けた。
「そして」
皆を見る。
「歌姫団ではなく」
少し間を置く。
間を置くことで、全員の意識が一点に集まるのを、ゼノは知っている。
「歌姫団ミラベルという名に変える」
ミルファが目を丸くする。
「ミラベル?」
ゼノは静かに言った。
「一人一人に合った個性を、もっと活かせるように」
“もっと”という言葉に、ミュラの尻尾がぴんと立った。
リーシャの指が、膝の上でぎゅっと握られる。
ナディアは腕を組み直し、少しだけ口角を上げる。
セレスは窓の外を一瞬見てから、視線を戻した。
リィナは柔らかく微笑む。
「ミラベル……」
少し考えてから言った。
「すごく可愛い名前ですね」
ミュラがぱっと両手を合わせる。
「ミラベル……いいにゃ」
嬉しそうに笑う。
「可愛いにゃ」
《視聴者数:212,904》
〈コメント:音楽団まで加えるのか〉
〈コメント:本格的だ〉
〈コメント:ミラベルいい名前〉
《神コメント:名前ついたぞ》
《神コメント:ミラベル、覚えた》
《神コメント:これは広がる》
《神コメント:ハマる者が増えそうだな》
ゼノは天井を見上げるようにして、わずかに息を吐く。
『まだまだこれからだせ。沼るなよ』
《神コメント:言い方がホスト》
《神コメント:釣る気満々》
《神コメント:でも“沼るな”が逆に沼》
『お前らが一番、沼ってんだろ』
楽屋の中では、七人が互いの顔を見て笑い合っていた。
緊張がほどけ、嬉しさがじわじわ広がっていく。
名前が変わる。世界が少し変わる。
その瞬間を、彼女たちはちゃんと抱えている。
ミラベル。
その名は、まだこの村にしかない。
広がるなら、広がり方を選ぶ。
間違えれば、歌は壊れる。
壊れた歌は、戻らない。
それを、ゼノは前世で嫌というほど見てきた。
――
音楽団募集の話は、商人たちにも頼んで広めてもらった。
ロイドはその話を聞いた時、少しだけ笑っていた。
「面白いことを始めるな、ゼノ」
ゼノは肩をすくめる。
「歌を広げるには、音が必要です。今の音では人の心に刺さりきらない」
「王都まで流すのか?」
「ええ」
ロイドは顎に手を当て、少し考える。
「王都には腕の良い楽師が多い。だがな……」
言葉を止める。
「だが?」
「腕が良いほど、癖も強い」
ゼノは少しだけ笑った。
「それでいいです」
むしろ、その方が面白い。
「音楽は整いすぎると、つまらないじゃないですか」
ロイドは肩を揺らして笑った。
「確かにそうだな」
《視聴者数:242,904》
〈コメント:変わり者同士〉
〈コメント:類は友を呼ぶ〉
〈コメント:喧嘩するなよ〉
神々の気配がまた揺れる。
《神コメント:変わり者?》
《神コメント:人気出るやつだ》
《神コメント:煽るの上手い》
ゼノはわざとらしくため息をつく。
『変わり者ってなんだ。俺は争わないんだよ』
《神コメント:争わない(争わせる)》
《神コメント:言葉が商売》
『褒め言葉として受け取っとく』
――
それから数日。
歌舞殿の前に、張り紙が出された。
そこには、こう書かれていた。
――音楽団員募集。
笛奏者。
弦奏者。
太鼓奏者。
鍵盤奏者。
そして。
詩人。
楽師。
歌姫団ミラベルのための音楽団。
村の人々はその張り紙を見てざわついた。
「楽団を作るのか?」
「歌姫たちの演奏をする人を集めるらしい」
「鍵盤って何だ?」
村の子供たちは、面白がって何度も張り紙を見に来る。
指で文字をなぞり、読めない子は読める子に聞いて、何度も何度も確かめる。
だが本当に驚いたのは、数日後だった。
街道を歩いてくる者が現れた。
大きな弦楽器を背負った男。
笛を腰に差した青年。
どれも、この村にはまだいない種類の人間だった。
歌舞殿の前で立ち止まる。
「……ここか」
張り紙を見る。
歌姫団ミラベル。
その名前を、もう一度読み直す。
「面白そうだな」
男は扉を押し開けた。
その頃――
歌舞殿の中では、ミラベルの七人が練習をしていた。
エレナの声が静かに響く。
セレスがそれに重ねる。
ミルファの高音が天井に触れ、
ナディアの低音が床を震わせる。
リィナの声は空気を揺らし、
リーシャは感情を乗せ、
ミュラは軽やかに歌を跳ねさせる。
だが、ゼノはその音を聞きながら思う。
まだ足りない。
音は美しい。
だが、まだ広がりがない。
そこに――。
扉を叩く音がした。
コン、コン。
皆の視線が扉に向く。
ゼノが言う。
「どうぞ」
扉が開く。
弦楽器を背負った男が入ってきた。
「ここが……音楽団の募集場所か?」
低い声。
少し旅の匂いがする男だった。
ゼノはその姿を一瞬見て、すぐに分かった。
――来た。
最初の音楽団員だ。
ゼノは軽く頷く。
「ええ」
そして言った。
「中へどうぞ」
ミラベルの音楽は、
ここから少しずつ形になっていく。
《視聴者数:249,297》
〈コメント:来た〉
〈コメント:楽団員きたぞ〉
〈コメント:誰だこいつ〉
《神コメント:始まったな》
ミラベル。
その名はまだ小さい。
だが――
音は、もう止まらない。
――――
次回
第30話 弦奏者ダリオ




