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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第103話 中身のない迷宮

 ノクシアの三曲目と四曲目が落ちてから、さらに一週間が過ぎた。


 温泉郷の歌は、もう誰かが背中を押さなくても回るところまで来ていた。


 ミラベルは十二人の光を保ったまま、昼と夕の舞台をきっちり回している。ノクシアも、一曲で夜を見せるだけの群れではなくなった。二曲、三曲と重ねるたびに、同じ五人なのに別の夜を連れてくる。


 温泉郷は温泉郷で育っている。


 けれど、そのあいだもゼノはほとんど王都の外れにいた。


 朝は飯場の鍋の匂いで始まり、昼は土と石の粉を吸い、夕方には肩も腕も重いまま、それでも入口の前に立って仕上がりを見てしまう。そんな日を、三週間近く繰り返した。


 その積み重ねは、ちゃんと景色を変えていた。


 最初は草しかなかった。

 風が抜けるだけの、ただ広いだけの土地だった。


 今は違う。


 飯場がある。

 仮宿舎が並ぶ。

 荷を受ける場所ができ、馬車が回るための余白ができ、人が歩く道にはもう人の足の癖がついている。

 耕作放棄地の端には杭が打たれ、ここから先は畑に戻すのだと土に言い聞かせるみたいに区切りが伸びていた。


 そして、その真ん中だ。


 ダンジョン。


 入口前の広場は、もうただの空き地ではない。

 人を集める顔になっている。


 門柱はまだ飾りの途中なのに、ちゃんと“門”に見える。降下口は地面の裂け目ではなく、口を開けた喉のようで、その先に続く第一降下層は、見ただけで少しだけ足を進めたくなる圧を持っていた。


 最初の間。

 初層。

 右へ振る訓練枝。

 左に残した採取脈の余白。

 奥へ続く本線。

 今はまだ閉じた壁。

 いずれ第二降下口へ繋げるための基礎線。


 ほとんど、できている。


 石もある。

 床もある。

 流れもある。

 入口の顔も、初層の気配も、戻ってきたくなる余白もある。


 なのに、まだ完成ではない。


 中身がない。


 魔物がいない。

 魔法石がない。

 採取物がない。

 罠も、仕掛けも、宝もない。


 今の迷宮は、立派な殻だ。

 骨も皮も整っているのに、まだ息をしていない。


 だからこそ逆に、妙に強かった。


 ゼノは夕方前、入口前の少し高い位置に立って、広場全体を見下ろしていた。


 人足たちが片づけに入っている。

 現場頭が、まだ何か気になる場所を見つけたらしく怒鳴っている。

 ロイドは荷の流れと道具の戻し先を確認している。

 ガルドは畑の方へ行っていて、まだ戻ってこない。


 その全部の中心に、迷宮の口がある。


 少し前まで、紙の上にしかなかったものだ。


「……ほんとに、ここまで来たな」


 誰に聞かせるでもなく、ゼノは小さく言った。


《フィクサル:今さらだ》


《ラグゼル:ここまで来て、まだ実感が遅い》


《エモーシア:でも分かるわ。形になると急に現実味が出るもの》


《ノクティア:見た目も悪くないじゃない》


《リュケオン:だから早く中身入れようぜ!》


《トート:焦るな》


《ゼノ:珍しくまともだな》


《トート:珍しくは余計だ》


 トートは相変わらずだった。


 真面目で、細かくて、話している内容の半分くらいが腹立たしい。

 けれど、入口の角度から分岐の圧まで、こいつの言ったことが後から全部意味になるせいで、無視ができない。


 イシスは今日は静かだったが、静かなだけでいない気配は強かった。奥へ流した魔術脈の揺れや、術師用の立ち位置の通り具合を、ずっとどこかで見ている。


 ゼノは入口の縁へ降り、靴の先で石の座りを軽く確かめた。


 かなりいい。


 人を呼ぶ理由はもうある。

 その先へ入る理由も、ちゃんと作れた。


 足りないのは、その奥で人間を夢中にさせるものだけだ。


 現場頭が近づいてきた。


「今日はここまでだな」


「はい」

 ゼノは頷く。

「ここから先は、中身の話になります」


 現場頭は、入口の奥をじっと見る。

 しばらく黙ってから、少し面白そうに笑った。


「お前さ」

「何ですか」

「よくまあ、こんなもん考えつくな」

 顎でダンジョンを示す。

「後はもう、中に何置くかって段階だろ」


「そうです」

 ゼノはあっさり言った。

「次はそこです」


「魔物とかか」


「魔物、魔法石、採取物、仕掛け」

 ゼノは指を折った。

「どこで驚かせるか。どこで安心させるか。どこで欲を出させるか。そういうの全部です」


 現場頭が大きく息を吐く。

「またお前の好きそうな話だな」


「かなり好きですね」


「だろうな」


 そこへロイドも来た。


「で、明日からどうする」


「町です」

 ゼノは即答した。


「迷宮は?」

「迷宮は中身待ちです」

 ゼノは言う。

「先に外側をもっと町にします。ギルド、宿、店、市場、荷を受ける場所、飯を出す場所。潜る前も、帰ったあとも人が流れる形を太くする」


 ロイドはすぐに頷いた。

「まあ、そうだろうな」


 そこへ、ようやくガルドが戻ってきた。


 土を触っていた手を腰布で拭きながら、入口の方へ目をやる。

 少しだけ目を細めた。


「いい顔になったな」


「でしょう」

 ゼノは頷く。

「まだ途中ですけど」


「途中だからいい」

 ガルドは言った。

「全部できる前がいちばん、人の腹が鳴る」


 ゼノは少し笑った。


 その言い方は、すごくガルドらしかった。

 でも、妙に真理でもある。


 できあがったものは強い。

 けれど、途中のものには“まだこの先がある”という飢えがある。


 舞台もそうだ。

 町もそうだ。

 迷宮だって、多分そうだ。


「よし」

 ゼノは入口前でもう一度立ち止まった。

「ここからは外側を回します」


 現場頭が鼻を鳴らす。

「次から次だな」


「止めたら死ぬので」


「お前、本当にそういう生き物だよな」


 それには、誰も否定しなかった。


 日が傾ききる前に、その日の作業は終わった。

 人足たちは飯場へ戻り、現場頭は最後まで入口の方を見ていた。


 最初は魔法に驚くだけだった男が、今は“この先に何を置くか”を考える顔をしている。

 それが、ゼノには少し嬉しかった。


 ――


 夜。


 家へ戻ると、急に静かになる。


 外ではまだ、どこかで湯気の流れる音がする。

 温泉郷の夜は完全には止まらない。

 けれど、この部屋の中は別だ。


 灯り。

 机。

 紙。

 炭筆。


 それだけしかないのに、不思議とここへ座ると頭が切り替わる。


 ゼノは椅子へ腰を下ろした。

 だが、すぐには紙へ手を伸ばかなかった。


 入口。

 初層。

 右脈。

 前広場。

 店を並べる位置。

 市場を開くならこの辺りか。

 宿はどこまで近づけるか。

 畑はどこから戻すか。


 頭の中で、今あるものと、これから置くものを並べていく。


 かなりいいところまで来た。


 だったら、次へ行く。


「おい」

 ゼノが言う。

「いるんだろ」


 少しの間のあと、いつもの連中が出てくる。


《リュケオン:いるいる!》


《エモーシア:急に呼ぶ時って、だいたい顔が怖いのよね》


《フィクサル:何だ》


《ラグゼル:次の話か》


《ノクティア:どうせまた働かせる気でしょう》


《トート:十中八九そうだな》


《ゼノ:分かってるなら話が早い》


 ゼノは机に肘をつき、少し顎を上げた。


「ダンジョンは、ほぼ形になった」

 言う。

「次は町と店と市場を作る」


《ラグゼル:妥当だ》


《エモーシア:人が回る場所を太くするのね》


《フィクサル:で》


「で、そのあと」

 ゼノは続けた。

「ダンジョンの中身を入れる」


 空気が、少しだけ変わる。


 さっきまで軽かった神たちの気配が、一段だけ静かになる。

 ここから先が、“本当に迷宮を生かす話”だと分かったのだろう。


「魔物」

 ゼノが指を折る。

「魔法石。採取物。罠。仕掛け。宝。戻りたくなる理由。奥へ行きたくなる欲。そういうのは、お前らも協力しろ」


《リュケオン:きた!》


《ノクティア:やっぱりそう来るのね》


《フィクサル:当然だ》


《トート:構造だけでは、迷宮は完成しない》


《イシス:ええ。中身が入って、やっと息をするわ》


 ゼノは頷く。


「関与した以上、最後まで面倒見ろ」

 言う。

「特にトート。お前はこういうの好きなんだろ。道だけ作って終わりは無しだ」


《トート:……言い方が雑だ》


《ゼノ:でも違わねえだろ》


《トート:否定はしない》


 そこへフィクサルが低く言った。


《フィクサル:魔物の配置は俺も見る》


《ラグゼル:流れを切らない位置に魔法石を置く》


《イシス:術師向けの仕掛けも少しなら作れるわ》


《エモーシア:採取だけで終わらない、安心の余白も入れましょう》


《リュケオン:トリックは派手でいい?》


《ゼノ:お前はやりすぎるなよ》


 リュケオンが不満そうに騒ぐ気配がしたが、どうせ止めないとすぐやりすぎる。

 あれは最初から釘を刺しておくに限る。


 そこでゼノは少し椅子にもたれた。


「あと」

 言う。

「農業の神、呼べ」


 今度は、はっきり間があった。


《リュケオン:急に畑!?》


《ノクティア:迷宮の次が畑なの、あなたらしいわね》


《トート:理由を聞こう》


《ゼノ:理由?》

 ゼノは鼻を鳴らした。

《ゼノ:前に食った野菜が食いたいからだよ》


 沈黙のあと、エモーシアが少し笑う気配がする。


《エモーシア:すごく正直ね》


《ゼノ:町作るなら飯がいる。飯がいるなら畑がいる。で、どうせやるなら、ちゃんと美味いやつが欲しい》


《ラグゼル:合理的だ》


《トート:実にぶれていないな》


 ゼノは机を指で軽く叩いた。


《ゼノ:頭で思った野菜の種を落とせる神を呼べ》

 言う。

《ゼノ:こっちは土を戻す。畑を作る。だったら種が要る》


 沈黙は、今度は短かった。


 最初に落ちてきたのは、静かで、それでいて芯の太い声だった。


《ウカノミタマノカミ:米も、畑も、祈りも扱う》

 声数は少ない。

 けれど、一つ一つが重い。

《ウカノミタマノカミ:育てたいなら、地を敬え》


 続いて、少し乾いた、それでいて野の匂いを含んだ声が落ちる。


《神農:薬草も野菜も土も、人の腹も見る。

種だけ欲しいなら渡せる。だが土を舐めるな》


 最後に、やわらかいのに堂々とした女神の声が響いた。


《デーメーテール:豊穣を望むなら、待つことも学びなさい。でも、ちゃんと育てるつもりなら協力するわ》


 ゼノはそこで、少しだけ口元を上げた。


「来たな」


《リュケオン:豪華!》


《ノクティア:本当に呼ぶ顔ぶれが極端ね》


《トート:だが妥当だ》


《ゼノ:よし》


 ゼノは、そこで一柱ずつに向けて言った。


「町が回るには飯がいる。

 ダンジョンが回るには採れる物がいる。

 市場を作るなら売る物がいる」


 少しだけ間を置く。


「俺は前に食った野菜を、こっちでもう一回食いたい」

 はっきり言った。

「だから種を落とせ。土はこっちで作る。ちゃんと育てる」


 神農が、少しだけ笑ったような気配がした。


《神農:その言い方は嫌いじゃない》


《ウカノミタマノカミ:願いのない土は痩せる。だが願うだけの土も実らない》


《デーメーテール:いいわ。思い描きなさい。はっきりした形ほど、こちらも落としやすい》


 ゼノはそこで、本気で目を閉じた。


 前の世界で食った野菜。


 米。

 トマト。

 茄子。

 きゅうり。

 大根。

 玉ねぎ。

 白菜。

 人参。

 ほうれん草。

 ねぎ。

 かぼちゃ。

 じゃがいも。

 さつまいも。


 その色。

 その匂い。

 包丁を入れた時の音。

 火を通した時の甘み。

 汁にした時の落ち着く感じ。

 焼いた時の香り。


 できるだけ、鮮明に思い出す。


 すると、机の上の空気が少しだけ変わった。


《デーメーテール:受け取って》


《神農:細かい種はこちらで分ける》


《ウカノミタマノカミ:地に落とす時は急ぐな》


 ゼノは、頭の奥へ落ちてくる感覚をはっきり受け止めた。


 種だ。


 まだ手に持てる実物じゃない。

 けれど、次に畑へ持っていける輪郭として、ちゃんとそこにある。


 腹の奥が、じわっと熱くなった。


 かなりいい。


 迷宮は口を持った。

 次は町だ。

 店だ。

 市場だ。

 そして畑だ。


 やることは山ほどある。

 けれど、今はその多さがむしろ気持ちいい。


《フィクサル:次は町を組め》


《ラグゼル:荷の流れと売り場を噛ませろ》


《エモーシア:人が寄りたくなる市場にしなさい》


《トート:迷宮の中身はそのあとで構わん。構造は待つ》


《ノクティア:でも会場のことも忘れないで》


《ゼノ:忘れるかよ》


《リュケオン:やること多すぎて最高!》


 ゼノは、小さく笑った。


 そうだ。

 多い。

 かなり多い。


 でも、そのどれもが先へ繋がっている。


 机の上にはまだ何も建っていない。

 それなのに頭の中では、もう屋台が並び、畑に芽が出て、迷宮の奥で魔物が息をしている。


 だったら次もやるだけだ。


 ゼノは炭筆を取り、まっさらな紙へ新しく一本、線を引いた。


 次は、町の番だった。


――――

次回

 第104話  土を起こせ


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