第104話 土を起こせ
町づくりの音は、朝からもう響いていた。
ダンジョンの温泉郷側。
迷宮前広場の向こう、三百ヘクタールほど確保した町予定地では、現場頭が朝っぱらから怒鳴っている。
「そっちの杭、真っすぐ入れろ!」
「宿の並びは詰めすぎるな、風が死ぬ!」
木が鳴る。
縄が走る。
土が上がる。
人足が駆ける。
ゼノは少し離れた位置で、その騒がしさを見ていた。
悪くない。
市場ではない。
迷宮に寄りかかって生きる、小さな町だ。
宿。
飯屋。
荷受け場。
道具屋。
治療所。
職人小屋。
そして、先々必ず使う劇場のための広い空白。
あの空白だけは、最初から残しておく。
後でねじ込んだ舞台は、だいたい息苦しい。
「いい感じですね」
横に来たロイドが鼻を鳴らした。
「お前、妙に機嫌いいよな」
「流れが自分以外でも回ると楽しいんですよ」
「行かねえのか」
ロイドが横に来て言った。
「今日はあっちじゃないです」
ゼノは答える。
「町は現場頭に回してもらいます」
「珍しいな」
「回るようになったら任せるのが一番早いんで」
そこへガルドが来た。
鍬を肩に担ぎ、畑に早く行きたい顔をしている。
「町はあっちで回る」
短く言う。
「なら、今日は土だな」
「はい」
ゼノは頷いた。
「田と畑、今日で一気に形にします」
ロイドが嫌そうな顔になる。
「どれくらいだ」
「田んぼ三十丁」
ゼノが言う。
「畑五百ヘクタール」
ロイドが黙った。
ガルドも黙った。
「……お前」
ロイドが言う。
「朝から平然と頭おかしいこと言うな」
「朝だから言えるんですよ」
ゼノは笑いながらこたえた。
ガルドはそこで、少しだけ目を細めた。
「田んぼ?」
「はい」
「待て」
「……今、何て言った」
「田んぼ三十町、畑五百ヘクタールです」
「違う」
ガルドは即答した。
「その前だ。田んぼって何だ」
ゼノは少しだけ目を瞬く。
「田んぼは田んぼですよ」
「だから、それが分からねえ」
ガルドが言う。
「田んぼは、水を張って稲を育てるんです」
ゼノは簡単に説明した。
ガルドが本気で黙った。
「……そんなもん、聞いたことねえぞ」
「前にいた世界にはありました」
ゼノは答える。
「稲を水の中で育てる。かなり美味いです」
「美味いで済ます話か!?」
ガルドが少し声を上げた。
「知らねえ作り方の畑を、さらっと言うな!」
横でロイドが吹き出す。
「もっと言ってやれ」
ガルドはまだ終わらない。
「いや、待て。仮にそんなもんがあったとしてだ」
腕を組み、今度はかなり現実的な顔になる。
「誰が管理するんだ。田んぼ三十町だぞ。畑五百ヘクタールだぞ。そんな広さ、見て回るだけの人手だってとんでもねえ」
ゼノはそこで、少しだけ口元を上げた。
「農業用ゴーレムとスライムを使います」
平然と言う。
「それと、人も雇う」
ガルドが、また止まった。
「……は?」
「農業用ゴーレム」
ゼノは指を折る。
「整地、運搬、溝切り、苗運び」
「スライムは、水と土の管理」
ゼノは答える。
「排水、保水、泥の撹拌。かなり相性いいでしょう」
ロイドが横で頭を押さえた。
「お前、そういうの本当にすぐ出るな」
「生活に使えるものは全部使いますよ」
ゼノは答えた。
「で、人も雇う。全部を人力でやる必要はない。でも、人の目と手が要る部分は絶対にある」
ガルドは、しばらく何も言わなかった。
だが黙ったあと、低く息を吐く。
「……理屈は通ってるのが腹立つ」
「褒めてます?」
「褒めてねえ」
でも、その目はもう半分乗っていた。
「行くぞ」
ガルドが言う。
「本当にやるなら、まず見せろ」
――
田んぼ予定地は、朝の光の中で静かに広がっていた。
まだただの荒れ地にしか見えない。
少し低く、水を受けやすそうな土地。
草がまばらに生え、土はデコボコ で、所々に古い水の癖だけが残っている。
だが、ゼノにはもう見えていた。
水が入る。
面が光る。
風が渡る。
青い苗が揃って揺れる。
その景色が、頭の中ではもう先に立っている。
「ここを田にする」
ゼノが言う。
ガルドは短く返した。
「見せろ」
ゼノは中央へ出る。
水の流れ。
畦。
区画。
人の入る道。
水門。
抜く位置。
留める位置。
三十町分。
頭の中で、それが一気に組み上がる。
《ウカノミタマノカミ:地を敬え》
静かで重い声が落ちる。
《神農:水と泥は放っておくと喧嘩する。間に立つのは人だ》
《デーメーテール:広さで酔わないで。整えるなら、美しく整えなさい》
《ラグゼル:水路を切るな》
《フィクサル:畦を甘くするな》
《エモーシア:人が歩く道も残して》
《リュケオン:派手にいけ!》
《トート:角を舐めるな。後で全部崩れる》
ゼノは小さく笑った。
「今日はみんな農家ですね」
《トート:盤面の話だ》
両手を大きく開く。
『《建築補助:思考設計》』
次の瞬間、地面が低く唸った。
荒れ地が沈み、せり上がり、裂ける。
だが、ただ壊れるんじゃない。
筋になる。
区切りになる。
畦の線になる。
三十町分の田んぼの骨が、一気に現れる。
一本。
二本。
幾筋もの畦。
主水路。
枝水路。
導水の線。
排水の線。
『《生活補助:地層調律》』
『《生活魔法:構造認識》』
『《生活魔法:圧着固定》』
『《生活魔法:安全固定》』
土が締まる。
泥が沈む。
畦が立つ。
角が整う。
そこへ、神の加護が重なった。
《ウカノミタマノカミの加護:豊地整列》
淡い金の光が、田の一面へ静かに落ちる。
畦がぴたりと揃い、地の気が“田んぼの呼吸”へ変わる。
《神農の加護:沃土活性》
下から土色の光が湧き上がる。
痩せた地が、ぐっと重くなる。
泥がただの泥ではなく、“育てる泥”へ変わっていく。
《デーメーテールの加護:水鏡準備》
麦色のやわらかな光が撫でる。
水を張る前なのに、田面がもう水を迎える顔になっていた。
《ラグゼルの加護:水脈補正》
主水路から細い流れが分かれ、三十町全部へ無理なく届く線が一気に通る。
ガルドが、思わず本気で息を呑んだ。
「……っ、おい」
ロイドが笑いながら額を押さえる。
「毎回思うけど、見慣れねえなこれ」
ゼノはまだ止まらない。
「苗もやります」
言う。
「まだやるのか!?」
ガルドが言った。
「いや、待て、田は分かった。分かったが、苗って何だ!」
「若いうちに育ててから移すんです」
ゼノは答える。
「いきなり本田に全部入れるより管理しやすいので」
「知らねえ……」
ガルドが呟く。
「本当に何なんだそれ……」
田の端に、苗床用の区画を一気に切る。
頭の奥へ触れる。
前の世界で食っていた米。
白く、甘く、湯気の匂いがする粒。
《ウカノミタマノカミ:受けよ》
《神農:苗床は細かく取れ》
《デーメーテール:若芽は形だけ先に》
ゼノは種の気配を苗床へ落とす。
『《生活術式:定着》』
《ウカノミタマノカミの加護:稲魂萌し》
《神農の加護:苗勢補正》
《デーメーテールの加護:若芽促進》
苗床の色が変わる。
緑だ。
細く若い、でも弱くない緑が、一面へ立つ。
ロイドが思わず言う。
「……いや、もう何だこれ」
ガルドは完全に前へ出た。
畦を越え、苗床の縁まで行き、しゃがみ込む。
指先で緑を触る。
何度も見る。
それから、低く言った。
「……本当にやりやがった」
ゼノはそこで、少しだけ得意げに息を吐いた。
三十町の田んぼ。
苗床。
若い緑。
だが、ここで終わりじゃない。
「昼から畑です」
ゼノが言う。
「お前、まだ行くのか……」
ロイドが半笑いで言う。
「ここから本番ですよ」
ゼノは答えた。
「畑は五百ヘクタールあるんで」
――
昼からは、畑だった。
田んぼよりずっと広い。
見渡しても終わりが遠い。
荒れ地。
草。
石。
固い土。
だが、ここも戻せる。
葉物。
根菜。
実もの。
保存の利くもの。
回転の早いもの。
町の飯になるもの。
《神農:ここは私が多めに見る》
《デーメーテール:畑は表情が多いわ》
《ウカノミタマノカミ:人の手を忘れるな》
ゼノは頷き、畑の真ん中へ立つ。
『《建築補助:思考設計》』
地面が今度はさらに広くうねった。
五百ヘクタールの荒れ地が、一気に区画を持つ。
畝。
通り。
人が入る道。
荷を運ぶ道。
水の逃げ。
『《生活魔法:構造認識》』
『《生活補助:地層調律》』
『《生活魔法:安全固定》』
石が浮く。
根が抜ける。
固い土が返る。
《神農の加護:大地翻気》
土が、下からひっくり返る。
空気が入る。
湿りが散る。
死んでいた層と、まだ使える層が混ざり、“育てる深さ”が通る。
《デーメーテールの加護:豊穣分区》
畑の区画が、それぞれ違う顔を持つ。
ここは葉物。
ここは根菜。
ここは実もの。
《ウカノミタマノカミの加護:実りの呼気》
乾いた荒れ地の匂いが、“育つ土”の匂いへ変わる。
ガルドが見て、もう笑うしかない顔になった。
「……笑うしかねえな」
「でしょう」
ゼノは答えた。
そこからは播種だった。
トマト。
茄子。
きゅうり。
大根。
玉ねぎ。
白菜。
人参。
ほうれん草。
ねぎ。
かぼちゃ。
じゃがいも。
さつまいも。
ゼノは頭の奥の種を区画ごとに落としていく。
《神農:雑に撒くな》
《ゼノ:撒いてねえよ、置いてる》
《デーメーテール:その方がいいわ》
《ウカノミタマノカミ:種は放るな》
五百ヘクタール分の播種。
普通なら気が遠くなる。
だが今日は違う。
『《生活術式:定着》』
畑の上を見えない波が走る。
播いた種が、一気に土へ馴染む。
浮かない。
沈みすぎない。
位置を取る。
《デーメーテールの加護:萌芽待機》
《神農の加護:発根補助》
《ウカノミタマノカミの加護:土守り》
畑全体が、ほんの少しだけ静かになる。
もうただの荒れ地じゃない。
種の入った畑だ。
ガルドは遠くまで続く畝を見ながら、低く言った。
「田んぼ三十町。畑五百ヘクタール。しかも、ゴーレムとスライムで回すつもりで、人も雇う」
少し間を置く。
「……どんな農業になるんだ」
「すぐに実感できますよ」
ゼノは答えた。
「飯がない町は弱いんで」
ロイドがまた笑う。
「結局そこだよな」
「腹が先です」
ゼノは笑いながら言った。
夕方には、景色がまた変わっていた。
三十町の田んぼ。
苗床の若い緑。
五百ヘクタールの畑。
播種の終わった土。
町は現場頭が作っている。
ダンジョンはほぼ形になった。
そして今、腹の方まで動き始めた。
だったら、次は歌だ。
ゼノは土の匂いを身体につけたまま、温泉郷へ戻っていった。
歌舞殿へ入ると、もう空気が違った。
ミラベルの十二人。
ノクシアの五人。
リリアン。
イグニス。
音楽団。
全員いる。
イグニスは鍵盤の前。
顔を見た瞬間に分かった。
きっと持っている。
「来たか」
イグニスが言う。
「来ました」
ゼノは答える。
「土の方はかなり面白かったですよ」
「こっちもだ」
イグニスは短く言う。
「五曲目と六曲目、落ちた」
場が、はっきり沸いた。
「二つ!?」
カレンが一歩前へ出る。
「二つ」
イグニスは答える。
「三曲目、四曲目の先で止めると弱い。だからその先も用意した」
ジュリアが笑う。
「好き」
「まだ聞いてないでしょ」
レティアが言う。
「でも分かる」
ジュリアは平然としている。
「今日の顔、かなり本気」
イグニスは否定しなかった。
まず五曲目だった。
「五曲目は、跳ねる」
イグニスが言う。
「踊り寄り。でも軽くしすぎない。上がる。乗る。噛んだまま持っていく」
鍵盤が鳴る。
今までのノクシアより少し高い。
でも軽くはない。
リズムが先に来る。
身体が縦に乗る。
そのまま言葉が前へ飛ぶ。
イグニスが歌う。
「上がる鼓動 隠せないなら
そのまま来なよ 怖くないし
低い鼓動で足を取って
次の一歩まで飲み込むだけ
揺れて
その視線ごと持ってく
余裕ぶった顔してても
もう夜の温度に触れてる
跳ねて 触れて
笑ったままで奪ってく
引けると思うなら試してみて
こっちは最初から本気だから
まだ見たい?
なら近づいて
半端な熱じゃ帰せない
夜は軽く跳ねながら
いちばん深く火をつける」
歌い終わる。
「これやりたい!」
カレンが叫ぶ。
「だろうな」
イグニスが言う。
「お前はそういう曲だ」
ジュリアは息を吐いた。
「これ、かなり客上がるね」
レティアも笑う。
「流れ変えられる。好き」
フィアは頷く。
「跳ねる。でも薄くない」
エマは少しだけ黙ってから言う。
「……むかつく」
「またか」
ナディアが笑う。
「また似合う」
エマは答えた。
イグニスは続けた。
「六曲目は落とす」
場がまた締まる。
「五曲目で上げたあと、そのまま終わると雑だ。六曲目で深く残す」
リリアンが本気で笑った。
「いいじゃない」
六曲目はさらに低かった。
踊り寄り。
でも五曲目よりずっと重い。
足ではなく腹に来る。
夜の底だ。
イグニスが歌う。
「静かに来てよ 声はいらない
深いとこほど 騒がないし
上がった熱はそのままで
最後の底まで連れていくわ
目を逸らしても 遅いって
もう知ってるでしょう
触れないままで近づいて
その沈黙まで奪いたい
落として 沈めて
それでもまだ欲しくなる
夜の底で笑うなら
朝までちゃんと覚えてて
深く
胸の奥だけ叩いて
軽い遊びじゃ終わらない
最後に残るのは熱だから」
今度は、終わったあと少しだけ誰も喋らなかった。
「……やば」
ベルナが先に言う。
「六曲目めっちゃ好き」
「分かるにゃ」
ミュラも頷く。
「五曲目のあとにこれ、かなり強いにゃ」
ジュリアは少し笑っている。
「えぐい」
短く言う。
「六曲目、かなりえぐい」
レティアも頷く。
「最後にこれ置かれたら、持っていかれる」
フィアは目を伏せたまま言う。
「深い」
エマは、今度は少し早かった。
「……好きかも」
その小さな声に、カレンが思い切り振り向く。
「今、好きって言った!?」
「言ってない」
「言った!」
「うるさい!」
場が笑う。
イグニスは、そのやり取りを半眼で見てから本題を口にした。
「で」
鍵盤の上に指を置いたまま言う。
「三ヶ月後。ノクシアの初公演をやる」
空気が、一瞬止まった。
止まってから、一気に動いた。
「えっ」
リーシャが声を漏らす。
「三ヶ月!?」
ルミナが目を丸くする。
ミラベルもざわつく。
ノクシアの五人は、それより少し遅れて反応した。
ジュリアは黙る。
カレンは完全に目が起きる。
レティアは笑う。
フィアは静かに息を吸う。
エマは嫌そうな顔のまま固まった。
「……本気?」
ジュリアが聞く。
「本気だ」
イグニスは答える。
「六曲まで来た。後は流れと精度を上げる。三ヶ月あれば立てる」
「立つ」
カレンが、ほとんど自分に言い聞かせるみたいに言った。
「立つわよ」
リリアンが重ねる。
「今の五曲目、六曲目まで来たなら、止まる意味ないもの」
ジュリアがゆっくり笑った。
「いいね」
レティアも笑う。
「面白くなってきた」
フィアは短く頷く。
「やる」
最後にエマ。
少しだけ黙って、それから低く言う。
「……三ヶ月、短い」
「短い」
イグニスは即答した。
「だから詰める」
その答えが逆に良かった。
楽じゃない。
でも無理でもない。
ちゃんと短い。
だから燃える。
町が育つ。
土が育つ。
夜も深くなる。
温泉郷は、止まりそうになかった。
――――
次回
第105話 夜の名前




