第101話 入口の先へ
建築が始まって、二週間が過ぎていた。
たった二週間。
なのに、草原はもう昔の顔をしていない。
最初に立った飯場と仮宿舎は、もう“仮”の匂いが薄くなっていた。
朝になれば鍋が鳴る。
昼になれば土と石の匂いが立つ。
夕方には汗をかいた人足たちが湯へ流れていく。
人が寝て、食って、動いて、また明日もここへ来る。
その繰り返しだけで、土地はびっくりするほど変わる。
そして何より変わったのは、町の芯――ダンジョンだった。
入口前の広場は、もう広場の顔をしている。
両脇の門柱は骨を持ち、喉を開いた降下口は、初めて見た人間の足を止めるには十分だった。
その先、第一降下層。
最初の間。
そこから続く初層。
さらに、初層の先で分かれる訓練用の枝と、採取用に振る予定の脈。
全部はまだできていない。
だが、半分――いや、半分という言葉でも少し足りないくらいには、“迷宮”の気配が育っていた。
朝の光の中で、ゼノは入口前に立っていた。
少し高い位置から広場を見下ろす。
荷車が止まる場所。
帰ってきた探索者が腰を落とす余白。
その脇に作りかけの詰所。
さらに向こうでは、再生を待つ耕作放棄地。
そこまでまとめて見えるようになって、ようやく実感が湧いてきた。
「……もう後戻りしようがないな」
誰に言うでもなく呟く。
《フィクサル:今さらだ》
《ラグゼル:後戻りできる顔をしていない》
《エモーシア:ここまで来たら、前へ行く方が綺麗よ》
《ノクティア:珍しく弱気?》
《ゼノ:弱気じゃねえよ。確認だ》
《トート:確認は大事だ》
トートまで、最近は最初からいる。
こいつは相変わらず生真面目だった。
ゲームが好きなくせに、楽しそうに騒ぐんじゃなく、盤面を睨む顔で喋る。
だが、そのせいで妙に信用できるのが腹立たしい。
ゼノは入口の方へ歩き出した。
途中で現場頭とすれ違う。
「おう」
現場頭が言う。
「今日はどこまでやる?」
「今日は初層の右脈、訓練枝、あと第二降下口へ続く基礎線を引きます」
現場頭が口を開ける。
「まだ増えるのか」
「まだまだ増えますよ」
ゼノは平然としていた。
「夢中になれる物を作ります」
「知ってるけど、毎回想定より一段上から殴ってくるんだよお前は」
ロイドが後ろから来て、鼻を鳴らす。
「昨日も同じこと言ってたな」
「昨日より増えてるからな!」
現場頭が返す。
ガルドも来る。
土だらけの手を腰布で拭きながら、入口の方を見て少しだけ目を細めた。
「いい顔になった」
「でしょう」
ゼノは頷いた。
「まだ途中ですけど」
「途中だからいい」
ガルドは言う。
「全部できる前がいちばん興味が湧く」
その言葉は、思ったより深かった。
できあがったものは強い。
だが、途中のものには“まだ先がある”という期待がある。
それは舞台にも少し似ていた。
「よし」
ゼノは入口前で立ち止まる。
「今日はかなり動きます」
――
ダンジョンの中は、もうただの土の穴ではなかった。
最初の間を抜ける。
そこから開く初層は、まだ完成ではない。
だが、地面の起伏、壁のえぐれ、少しだけ高低差のついた岩床、それだけで“歩きたくなる”顔はできている。
初層は最初から全部まっすぐじゃない。
少し先で視界が切れ、右へ抜け、左へ残る。
近接職が喜ぶ斜めの間合いもある。
術師が立った時に気持ちよく魔力が流れる位置もある。
しかも、そのどれもが露骨じゃない。
気づくやつだけが気づく。
それがまたいい。
ゼノはその初層の中央に立った。
頭の中で、次の線が浮かぶ。
右へ振る訓練枝。
新人が死なない程度に怖く、でも浅すぎて舐めない程度の構造。
左へ逃がす採取脈の予備線。
奥へ続く本線。
そして、そのさらに向こうにいつか掘る第二降下口との接続。
かなりでかい。
かなり嫌らしい。
かなり面白い。
《トート:今日は右脈を先に取れ》
《ゼノ:理由》
《トート:初層本線だけ先に太らせると、入口の価値が固定されすぎる。最初から“選べる迷宮”にしておいた方が再訪率が上がる》
《ゼノ:やっぱお前そういうの好きだろ》
《トート:数字の話をしているだけだ》
《リュケオン:でも絶対好き!》
《トート:黙りなさい》
そこへイシスが静かに重なる。
《イシス:訓練枝なら、術師の逃げ場を最初から作って》
《ゼノ:右壁沿いか》
《イシス:ええ。新人の術師は、強い場所より“落ち着いて立てる場所”の方がありがたいもの》
なるほど、と思う。
ゼノは両手を開いた。
『《建築補助:思考設計》』
次の瞬間、初層の右壁が低く鳴った。
石がずれる。
壁が開く。
今までただの岩の切れ目に見えていた部分が、ゆるやかな枝道として形を持ち始める。
一直線じゃない。
少し折れる。
その奥でわずかに広がる。
広がって、そこからまた絞る。
ただ道を増やしたんじゃない。
“ここは別の呼吸をする場所だ”と分かる枝だ。
人足たちの顔が変わる。
「おい、横に道できたぞ」
「まじかよ」
「昨日まで壁だったろそこ」
「昨日まで壁だったよ!」
ゼノは止まらない。
『《生活魔法:構造認識》』
『《生活補助:地層調律》』
『《生活魔法:安全固定》』
『《生活魔法:重量分散》』
道がさらに広がる。
床が締まる。
新人が足を滑らせにくい角度。
でも、油断するとちゃんと怖い角度。
《フィクサル:甘くするな》
《ゼノ:分かってるよ》
《フィクサル:訓練は死なせないための場だが、怖くない訓練場は嘘だ》
《ゼノ:そこは同意》
そこで、白銀の光が一筋落ちた。
《フィクサルの加護:訓練構造補正》
右脈の壁が、ほんの少しだけ人を圧する。
床の起伏が、無意味な凸凹ではなく“足を読むための起伏”に変わる。
ただ歩くだけで、少し神経を使う。
でも、それが嫌じゃない。
若い人足が思わず呟いた。
「……これ、歩くだけで練習になりそうだな」
「そういう場所です」
ゼノは答えた。
「最初の枝なんで」
現場頭が低く笑った。
「お前、ほんと説明のたびに嫌な納得をさせてくるな」
「褒め言葉として」
「違う!」
そこへラグゼルの加護が落ちる。
《ラグゼルの加護:分岐流路補正》
黄金の線が床を走る。
本線と右脈が、競い合わず、でもどちらも死なない太さで流れを持つ。
立ち止まる位置。
目が分かれる位置。
帰りに本線へ戻りやすい角度。
それが一気に整う。
「……あ」
現場頭が声を出した。
「今、迷わなくなった」
「迷宮でそれ言うの変ですね」
ロイドが笑う。
「いや、そうじゃなくて」
現場頭が言う。
「道は増えたのに、“どっちに行くか分からん”感じじゃなくなった」
「それが大事なんですよ」
ゼノは言った。
「選ばせる。でも、放り投げない」
ガルドがそこで低く頷いた。
「畑も同じだな」
「また来ましたね、その理屈」
「近いんだろ」
「近いです」
作業はそこで終わらなかった。
午前いっぱい使って、右脈をほぼ通す。
最初の訓練枝。
その途中に一度だけ広がる練習用の間。
壁の一部には、のちのち木剣や槍での基礎打ち込みができる程度の強度も仕込む。
昼を回る頃には、人足たちの顔がもう朝と違った。
「これ、ほんとにダンジョンになってきたな……」
誰かが言う。
その言葉が、妙に腹へ落ちた。
なってきた、じゃない。
もうなり始めている。
昼飯を挟んだあと、ゼノは止まらなかった。
今度は本線へ戻る。
最初の間。
初層。
その奥へ、まだ見せすぎない程度に本線を深くする。
《トート:正面を掘りすぎるな》
《ゼノ:分かってる》
《トート:いや、君はこういう時に楽しくなると進めすぎる》
《ゼノ:……否定しにくいな》
《リュケオン:分かる!》
《ゼノ:お前は本当に黙れ》
イシスは別のところを見ていた。
《イシス:魔術脈、奥の左手で一度だけ膨らませるわ》
《ゼノ:何に使う》
《イシス:いずれ魔術仕掛けを置く時のため。最初から種だけ埋めておくの》
《ゼノ:お前、そういう伏線好きだな》
《イシス:嫌いじゃないわ》
ゼノは思わず笑った。
こいつら、全員言い方は違うくせに、やってることはだいたい同じだ。
今すぐ効くところと、あとで効くところを分けて仕込んでくる。
たちが悪い。
だが、最高でもある。
『《建築補助:思考設計》』
本線の奥がさらに開く。
ただし開きすぎない。
初層の先が、もう少しだけ続いていると分かるところまで。
その途中、左手に“今はまだ通れないが、いずれ開きそうな壁”をわざと残す。
人足たちがまたざわついた。
「何だよあの壁」
「道に見えるな」
「でも塞がってる」
「……あれ、絶対あとで開くやつだろ」
ゼノはそこで小さく笑った。
取れてる。
こういう“まだ開かない何か”があるだけで、人は勝手に先を想像する。
想像した時点で、もう勝ちだ。
夕方に近づく頃には、ダンジョンは二週間前とは別物になっていた。
入口前の広場。
門柱。
降下口。
第一降下層。
最初の間。
初層の入口。
初層本線。
右へ振る訓練枝。
まだ開かない壁。
これから採取脈になるはずの余白。
全部がまだ途中だ。
だが、“途中の迷宮”としては十分すぎるほど強い。
現場頭が、最後に初層の入口から中を見て、ぼそっと言った。
「……半分くらいだよな、まだ」
「半分くらいです」
ゼノは答えた。
「なのに、もう十分やべえな」
「でしょう」
「得意げだな」
「得意なので」
その返しに、現場頭は大きく笑った。
「腹立つ!」
笑いながら、でも目だけは真面目にダンジョンを見ている。
人足たちも同じだった。
最初は魔法に驚いていた。
今はもう、その先にできた“場所”を見ている。
「なあ」
若い人足が言う。
「完成したら、最初に入りたいな」
「俺も」
「いや、怖えだろ」
「でも入りたい」
「分かる」
その会話が、今日一番良かった。
ゼノは少しだけ空を見上げる。
夕方の光が、入口前に長く落ちていた。
まだ未完成だ。
でも、未完成だからこそいい。
途中の熱がある。
明日の続きを欲しがる顔がある。
《フィクサル:悪くない》
《ラグゼル:流れは太くなった》
《エモーシア:帰ってきたくなる場所になり始めてるわ》
《ノクティア:少し見直した》
《リュケオン:もう入りたい!》
《トート:初層としては、かなり良い》
《ゼノ:お前に言われると、ちょっと嬉しいの腹立つな》
《トート:それは君の問題だ》
ゼノは、小さく息を吐いて笑った。
ダンジョンは、ちゃんと半身を持った。
まだ全部じゃない。
だが、半分だからこそ、余計に先が見たい。
それなら十分だ。
町は動いている。
迷宮も息をしている。
だったら次は、もっと深く行くだけだ。
――――
次回
第102話 夜は深くなる




