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追放された魔術師は、神に観測されながら暮らしている〜生活魔法しか使えないのに、加護が止まりません〜  作者: 灰音 澪


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第100話 夜が来る

 特別公演から、もう数日が過ぎていた。


 あれだけ騒いだ温泉郷も、表向きはだいぶ落ち着いている。商縁通りの店はいつも通りに開き、朝湯帰りの客はのんびり歩き、湖の風も何事もなかったみたいな顔で吹いている。


 けれど、本当に何も残っていないわけじゃない。


 共鳴鈴を帯に下げた客が増えた。

 「あの日の午後がよかった」とまだ話している声がある。

 ミラベル十二人の名前を、前よりずっと多くの人間が知っている。


 そして何より、温泉郷の舞台に立つ側の空気が、あの一日で少し変わった。


 次は、夜の番だ。


 その日の歌舞殿には、朝から人がそろっていた。


 ミラベルの十二人。

 ノクシアの五人。

 リリアン。

 イグニス。

 ダリオ、ボルグ、カイルス、リュシエル。

 みんながもっと自分を高めるために、切磋琢磨している。


 そしてその歌の中心にいるのは、イグニスだった。


 昨日の夜、一人で鍵盤と向き合って、ノクシアの二曲目を形にした。


 一曲目が良かったことは、みんな知っている。

 夜を纏ったノクシアの顔。

 危なくて、綺麗で、少し冷たいあの曲。


 けれど、一曲だけで終わるのと、二曲目があるのとでは話が違う。


 一曲で終わるのは印象だ。

 二曲目があると流れになる。

 流れになった群れは、客の中に残る。


 そこまで、もう誰もが分かり始めていた。


 イグニスは鍵盤の前に座っていた。


 相変わらず愛想のない顔だ。

 だが、曲が出来たあとのこの男は、機嫌がいいとか悪いとか、そういうものよりもっと分かりやすい。余計なものが削げて、必要なものだけ残った顔になる。


「できた」


 短く言う。


 ノクシアの五人が、自然と前へ出た。


 ジュリア。

 カレン。

 レティア。

 フィア。

 エマ。


 一曲目の時より、立ち方に迷いがない。

 まだ二曲目を聞いていないのに、もう“自分たちの次が来る”と身体が知っている立ち方だった。


 ジュリアは、今日も目を引いた。


 肩の線も、腰の落とし方も、何でもない立ち方のはずなのに、目が止まる。この女は自分の綺麗さをちゃんと知っている。知っていて、それを出し惜しみしない。


 カレンは熱だった。


 前へ出たい。

 勝ちたい。

 客を持っていきたい。


 そういう気持ちが、もう足の先まで出ている。良くも悪くも真っ直ぐだ。だからハマると一気に強い。


 レティアは笑っていた。

 気を持たせる女の笑い方だ。

 相手の反応を見ている。そこがこの女の怖いところだった。


 フィアは静かだ。

 静かなのに、消えない。

 むしろ一度気づくと、その静けさごと見たくなる。派手じゃない女の色気は、だいたい面倒だ。


 エマは、朝からちゃんと不機嫌そうだった。


 笑えば可愛いのだろう。

 でも本人にその気がない。

 愛想を売るくらいなら黙って睨んでる方が楽だ、みたいな顔をしている。なのに、そういう女ほど近くまで来た時に効く。


 ミラベル側も、聞く前から妙に落ち着かなかった。


 ミルファはもう顔に出ている。

「早く聞きたい」がそのまま飛び出しそうだ。


 ミュラは耳をぴくぴく動かしている。

 あれは楽しみな時だ。


 エレナは静かだが、目だけはかなり起きていた。

 セレスも平然と立っているようで、ちゃんと前を見ている。

 ベルナなんかは、もう絶対好きだろうという顔だった。


「楽しそうですね」

 セレスが横から言う。


「だって絶対いいもん」

 ベルナが笑う。

「ノクシアの二曲目だよ?」


「まだ聞いてません」

「でも分かる」

「雑ですね」

「勘だよ」

「その勘は、まあ……当たる時ありますけど」


 その返しにベルナがにやっとする。


 リーシャは少し緊張していた。

 ルミナは完全に“自分が歌うわけじゃないのに緊張してる”顔だ。

 ユノもノエルも、静かに前を見ている。


 イグニスが鍵盤へ指を置いた。


 音が落ちる。


 一曲目より、ずっと前へ出てくる音だった。


 一曲目が、夜を着て立っている歌なら。

 こっちは違う。


 向こうから来る。


 ただ艶っぽいだけじゃない。

 ただ強いだけでもない。


 足音みたいに一定のリズムで近づいてきて、そのまま目の前で止まる。引く暇を残さないくせに、引くのが惜しいと思わせる、そういう入り方だった。


 イグニスが歌う。


「目そらしても もう遅い

 こっち見てたの 知ってるし

 黙ったままで 逃げるなら

 そのぶん近くで奪うだけ


 ひとつ ふたつ

 息が触れそうな距離まで来て

 強がる顔も悪くない

 でも最後は ちゃんと欲しい


 一歩 右 左

 その視線ごと連れていく

 止まったら負け 分かるでしょ

 今夜はこっちが決めるから


 笑ってみせて

 また黙って

 その揺れごと見せてよ

 きれいなだけじゃ終わらない

 近くでちゃんと残したい


 もう遅いよ

 今さらいい子じゃいられない

 夜は静かに踏み込んで

 最後に一番熱くなる」


 歌い終わる。


 前より言葉が立っていた。

 ただ“危ない夜”じゃない。

 身体が先に動きそうになる歌だ。


 最初に口を開いたのは、やっぱりジュリアだった。


「……好き」


 短い。

 でも、それが一番本音だと誰にでも分かった。


「前に出れる」

 カレンがすぐ言う。

「一曲目より、ちゃんと攻められる」


「うん」

 レティアが笑う。

「しかも強いだけじゃない。ちゃんと色っぽい」


 フィアは、少しだけ目を細めた。

「残る」


 エマは少し黙ってから、低く言う。


「……腹立つ」


「何が」

 イグニスが聞く。


「似合うの分かるから」


 その返しが出た時点で、もう曲は勝っていた。


 ミラベル側も一気に崩れる。


「うわ、これいい!」

 ミルファが真っ先に言う。

「一曲目より、だいぶ前に来る!」


「来るにゃ」

 ミュラが頷く。

「止まって見てるだけじゃなくて、身体が動きそうになるにゃ」


「分かる……」

 リーシャが小さく言う。

「見てるだけなのに、ちょっと息が忙しい」


 ベルナはかなり楽しそうだった。

「好き。こういうのすごい好き」


「でしょうね」

 セレスが淡々と返す。

「あなたは、こういう強い曲好きそうです」


「今のは褒めてるでしょ?」

「七割くらいは」

「増えた」


 場に笑いが落ちる。


 その真ん中で、リリアンが立ち上がった。


「なるほどね」


 そう言って、舞台の中央へ出る。


 歩き方だけで空気が変わる女だ。

 本人は何でもないみたいな顔をしているのに、入った瞬間、そこが“見る場所”になる。


「二曲目は、これで行くのね」


 ノクシアの五人を見る目が、もう完全に演出家のものだった。


「一曲目は“夜を見せる”」

 リリアンが言う。

「立って、振り向いて、目を合わせて、そこでまず客に夜の温度を飲ませる。だから距離があった」


 そこで一拍置く。


「でも二曲目は違う。前へ出る。だったらダンスも変わる」


「どう変えるの?」

 ジュリアが笑う。


「歩くんじゃなくて、踏む」

 リリアンは言った。

「床を取るように踏む。腰を落として、重心を前へ。足から熱を出すの」


 カレンの目がそこで変わる。

「いい」


「あなたは好きでしょうね」

 リリアンが笑う。

「でも勢いだけで前へ出たら駄目。跳躍寄りで行く。上半身で見せて、足で圧を出す。走ったら安くなる」


 カレンが口を尖らせる。

「分かってる」


「分かってない顔してる」

 レティアが横から笑った。


 リリアンはまずジュリアの前へ立つ。


「あなたはセンター取れる」

 言う。

「でも真正面でずっと立たない。流れる。肩を入れる。半身になってから目だけ戻す。正面で押すより、その方がずっと色っぽい」


 ジュリアが口元を上げる。

「それは好き」


「知ってる」

 リリアンは即答した。


 次にカレン。


「あなたは勢いが武器」

 リリアンが言う。

「だからこそ、一回止める。止めてから入る。ドン、で出るんじゃなくて、溜めてから一気に前へ。そうすると一歩が倍効く」


 カレンは少し考えて、頷いた。

「……それ、たしかに強いかも」


 レティアには指先で合図する。


「あなたは肩と首」

 リリアンが言う。

「大きく動かない。小さくずらす。笑って、視線だけ流して、遅れて肩。男はそういう遅れに弱いわ」


「いやらしい言い方」

 レティアが笑う。


「夜の曲なんだから、いやらしくていいの」

 リリアンは平然としていた。


 フィアには、少し低い声になる。


「あなたは静かでいい。でも消えるな」

「うん」

「足は小さく。上を止める。動いてるのに止まって見える、その感じが欲しい」


 フィアはその場で一歩やってみる。

 たったそれだけで、空気が変わる。


「それ」

 リリアンが頷く。

「今の残して」


 最後にエマ。


 リリアンは少しだけ間を置いた。


「あなたは近い」

「は?」

 エマが眉を寄せる。


「この曲の一番近い場所をやるの、あなた」

 リリアンは言う。

「笑わなくていい。むしろ笑わないで。嫌そうな顔のまま、一歩ずつ前へ出る。その代わり、目は外さない」


「……それ、ただ感じ悪いだけじゃないの」

「ならない」

 リリアンは即答する。

「感じ悪いのと、目が離せないのは違う。あなたはそこに行ける」


 エマは少し黙った。

 それから、ぼそっと言う。


「……むかつくけど、分かる」


「でしょ」


 そこから振付が始まった。


 最初は当然、ぐちゃぐちゃだ。


 ジュリアは綺麗すぎる。

 綺麗にまとめようとしすぎて、危なさが薄くなる。


 カレンは前へ出すぎる。

 勢いのまま踏み込むから、ただ元気な強い女になりかける。


 レティアははしゃぎすぎる。

 余裕はあるのに、余裕だけで終わる。


 フィアは静かすぎて、よさが沈む。


 エマは“近づく”を半分喧嘩だと思っている。


「違う違う」

 リリアンが手を叩く。

「エマ、それだと怒ってるだけ」


「怒ってない」

「じゃあ何」

「……知らない」

「そこを見つけるのが今日の稽古よ」


 エマが露骨に嫌そうな顔をする。

 でも逃げない。


 ジュリアには別の言い方をする。


「綺麗すぎ」

 リリアンが言う。

「二曲目はもっと汗が見える感じでいい。完璧に整えたら、夜がよそゆきになる」


「難しいなあ」

 ジュリアが笑う。


「難しいから面白いのよ」

 リリアンは返す。


 カレンにはもっとはっきり刺す。


「ひとりで勝つな」

「またそれ?」

「またそれ」

 リリアンは言う。

「この曲、五人で前へ出るから強いの。一人だけ速いと崩れる」


 カレンは悔しそうだったが、言い返さなかった。

 もう分かっている顔だ。


 ミラベルの十二人は、その稽古を食い入るように見ていた。


 自分たちの可愛さとは、まるで違う。

 でも違うからこそ、見てしまう。


「すごいね」

 リーシャが言う。

「同じ“前へ出る”でも、全然ちがう」


「ちがうにゃ」

 ミュラが頷く。

「ミラベルは“見て”だけど、ノクシアは“目、離さないで”って感じにゃ」


「言い方うまいな」

 ダリオが笑う。


 エレナは黙って見ていた。

 黙って見て、それでも目だけはかなり冴えている。


 セレスが横から静かに言う。

「勉強になりますね」


「なります」

 エレナは短く答えた。

「近づき方が、全然ちがう」


 ノクシアの二曲目は、ミラベルにとってもただの見物じゃなかった。

 光がどう取るか。

 夜がどう迫るか。

 同じ舞台でも、客の心の取り方はこんなに変わる。


 だから面白い。


 リリアンはさらに細かく切っていった。


「最初のサビ前で、一回全員引く」


「えー」

 カレンがすぐ不満を漏らす。

「そこ、もっと行きたい」


「だから引くの」

 リリアンは即答する。

「引いた方が次の一歩が効くでしょう」


「……分かった」

 カレンは不服そうだったが、飲み込んだ。


「ジュリア、二回目の“こっち来て”で真正面見ない」

「何で?」

「真正面は安い」

 リリアンは言う。

「半歩ずらして、でも見てる感じは残すの。そっちの方が追いたくなる」


 ジュリアの顔がそこで変わった。

「それ、好き」


「知ってる」


 エマは相変わらず苦戦していた。


「だから近いって何だよ」

「距離の話じゃない」

「じゃあ何」

「圧」

「は?」

「前へ出た時に、相手の息が止まる感じ」

「分かんないって!」


 そのやり取りにレティアが吹き出しそうになる。

 フィアは静かに見ている。

 でも誰も茶化しすぎない。


 エマが一番化ける瞬間だと、何となくみんな分かっているからだ。


 リリアンはそこで、一度だけ自分で見せた。


 足を開く。

 腰を落とす。

 肩をひとつ入れる。

 視線を真っ直ぐ置く。


 それだけで、一気に近い。


「……あ」

 エマが小さく言う。


「分かった?」

「ちょっとだけ」

「それでいい」

 リリアンは笑った。

「その“ちょっと”を身体でやるの」


 そこから、エマの顔が変わった。


 不機嫌なまま。

 でも、その不機嫌さが前へ出る。

 笑わない。

 なのに目が離せない。

 近づいてくるだけで、少し息が詰まる感じがある。


 カレンが思わず声を出す。

「うわ」


「今のいい」

 ジュリアもすぐ言う。


「うるさい」

 エマは即答した。


 でも耳が少し赤かった。


 イグニスはそんな流れを、鍵盤の前から見ていた。

 何度か音を入れ、何度か止め、必要なところだけ短く言う。


「サビ前、もっと溜めろ」

「はい」

「カレン、先走るな」

「……はい」

「フィア、いい」

「うん」

「エマ、今の残せ」

「分かってる」


 短い。

 だが、それで十分だった。


 昼を少し回る頃には、二曲目はもう曲だけのものじゃなくなっていた。


 踏み方がついた。

 肩の入れ方がついた。

 どこで目を流すか。

 どこで止まるか。

 どこで一気に前へ出るか。


 ノクシアの二曲目が、ちゃんとノクシアのものになり始めていた。


 ミラベル側もかなり持っていかれている。


「かっこいい……」

 ルミナが小さく呟く。


「分かる」

 ユノも頷く。

「近いのに、可愛いじゃないのがすごい」


 ベルナはかなり嬉しそうだった。

「いいよね。ああいうのも好き」


「あなたはほんと幅広いですね」

 セレスが言う。


「いいものはいいでしょ?」

「それはそうです」


 珍しく、セレスがすぐ肯定した。


 リリアンは最後にノクシアの五人を横一列に立たせた。


「いい?」

 言う。

「一曲目で“夜を見せる”。二曲目で“前へ出る”。この差をちゃんと身体で分けるの」


 五人が頷く。


「同じ顔で踊ったら死ぬわよ」

 リリアンは続ける。

「一曲目で見せて、二曲目で攻める。その流れが出来たら、三曲目で落とせる」


 その言葉に、イグニスが少しだけ目を上げた。


「三曲目もやるつもりか」

「やるでしょ?」

 リリアンが笑う。

「あんた、その顔してるもの」


 イグニスは否定しなかった。


 それだけで十分だった。


 ノクシアの五人も、ミラベルの十二人も、その一言で少しだけ空気が変わる。


 先がある。

 まだ増える。

 まだ強くなる。


 その予感だけで、人はちゃんと前を見る。


 歌舞殿の中に、昼の光が斜めに落ちていた。


 ミラベルの光。

 ノクシアの夜。

 リリアンの振付。

 イグニスの曲。


 全部がまだ途中だ。

 でも、途中だからこそ面白い。


 ノクシアの二曲目は、もうただの新曲じゃなかった。

 群れの二枚目の顔として、はっきり立ち始めていた。


――――

次回

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