8
ギターの絃を弾く。
音が一つの曲としてなっていく。
「・・・・・・」
五分あるかどうかの一曲だ。その間は周りのことを意識しない。自分のギターとアイツの歌声にだけ耳を傾けていればいい。
「・・・・・・」
ギターの絃を弾く。
ただ一心に曲を作っていく。
やがて曲は終わりを迎えた。弾いた絃が余韻を残した。
「・・・・・・よし」
演奏できている。ちゃんと形にはなっている――と思う。
「ま、あとはなるようになるか」
時計を見る。これ以上練習することは無理だ。そろそろ学校に向かわないといけない。あっという間に本番の時間を迎えてしまった。
ギターバッグを背負い、部屋を出ようとドアを開けたところで、
「どうも」
「涼音」
「迎えにきちゃいました。俊太郎のことだから時計を見てないと思いまして」
「ちゃんと見てたよ」
今回はすっぽかすどころか遅刻さえ許されない。
「でも、あんがとな」
「いいえ」
二人並んで学校までの道のりを歩く。
告白されたから距離を取っていた――わけじゃないけど、俺も練習忙しかったし、二人きりで歩くことも話すこともなかった。とはいっても数日振りってだけだけど、随分と久しく感じられる。
しかし、だ。いったい何を話せばいいのか分からない。
俺の部屋に来た時はアリスもアニキもいたしそこまで意識しなかったけれど、こうして二人だと何を話せばいいものか。まったく分からないまま、ただ無言で足を動かす。
「俊太郎」
突然名前を呼ばれた。
「な、なんだ?」
「どうしたんです? 声上擦ってますけど」
「ああ、いや、なんでもない。それよりどうした?」
「今日のライブ、大丈夫そうですか?」
「・・・・・・どうかな」
正直なところ自信はない。
なんたって久しぶりの舞台だ。緊張に飲まれる可能性だって高いし、肝心なところでミスをするかもしれない。悪く考えればいくらでも不安要素は出てくる。だけど、そうは言っていられない。
「ま、やれることはやった。と思うことにする」
「ですか」
「ああ」
「俊太郎」
「なんだ?」
「頑張ってください。あなたの音、ちゃんと聴いてますから」
「おう、ありがとう」
ちゃんと聴かせてやるさ、俺の音を。
決意を胸に刻んで、俺達は学校へと向かう。
「・・・・・・で、だ」
学校に着き、控室代わりの教室に入って早々に着替えさせられた。
燕尾服というやつだ。文化祭でどこかのクラスが使うためのものだろうか、生地は少し薄いようだけども様にはなっている。
「あ、俊太郎。着替え終わりました?」
「あ、ああ・・・・・・」
俺が返事をすると「では失礼しますねー」と涼音が入ってくる。
「あら、似合ってるじゃないですか。カッコいいですよ」
「いやいや、そういうことじゃない」
涼音の言葉に首を振る。
「制服じゃダメだったのか」
というより元々制服で演奏つもりだった。有無言わさず着替えさせられたが、こんな格好をするなんて考えてもいなかった。
「こんな格好目立つだけだろ。てか、しかも前夜祭だぜ? わざわざ着替える理由なんて・・・・・・」
「俊太郎、知っていましたか?」
「え、何を?」
「うちのクラスが何の出し物をやるのか」
「出し物・・・・・・?」
何の話だ。
「どうせまともに話を聞いていなかったと思いますが、私達のクラスは執事喫茶をやるんですよ。その衣装はそのためのものです」
「執事が燕尾服着てるのってフィクションらしいぞ」
「今はそんなことどうでもよくないですか」
「あ、はい」
まったくその通りだけど。
「そんなこと言われてもさ、ギターの練習で忙しかったし・・・・・・」
「それより前から話し合いはしてましたよ」
「・・・・・・うん?」
思い返してみれば、そんな話をしていたような? 気もする。
クラスの知らん奴が実行委員会とかで、それでクラスの出し物がどうとか、そんな話をしていた記憶が朧げにある。文化祭なんてまったく興味なかったから適当に聞き流していた。
「俊太郎」
「ああ、はい・・・・・・」
「この衣装はですね。クラスの出し物に何一つ協力せず、シフトにすら入っていない、そんなあなたのためにわざわざクラスメートが用意してくれたものです」
「ああ、うん・・・・・・」
「それを無下にするおつもりですか」
「わ、悪かったよ」
有無を言わさない圧に俺は頭を下げるしかない。
「さて、そろそろ行きましょうか」
「あ、そんな時間か」
腕時計を確認すると、プログラム的に舞台袖で待っていても問題ない時間だった。
「よし」
自分の頬を張って気合いを入れる。
「行こうか」
「はい」
教室から出て体育館――その舞台袖へと向かう。
俺達が着いたタイミングで軽音楽同好会、瞳と雫の演奏が始まった。
ギターの瞳。
ベースの雫。
ドラムはアニキが叩いている。
キーボードは知らない奴だ。話していた吹奏楽部の奴か?
演奏されているのは練習もしていた有名な曲だ。少し古いけど、観客達も聴けばほとんど人が分かるものである。
「・・・・・・」
緊張もあるだろう。
不安もあるだろう。
でも、心の底から楽しんでいる。
その姿は懐かしくて、輝かしくて、羨ましくて。
「俊太郎、嬉しそうですね」
「そりゃまあな」
「鼻高々ですか、顧問代理?」
「茶化すなよ」
名義だけなんだ、俺は本当に何もしていない。全部二人が頑張ってきたからなんだ。二人の努力がこの舞台を作り出したんだ。
『ありがとうございます! 来年は全日参加頑張ります! 軽音楽同好会でした!』
『でしたー』
そんな瞳と雫の言葉で幕が閉じていく。
拍手が体育館中に響き渡る。俺も涼音も舞台袖から拍手を送った。
幕が閉じて舞台袖に二人が降りてくる。
「顧問代理!」
「顧問代理ー」
瞳も雫も半泣きだった。でも、悪い涙じゃない。
「私達の曲どうでしたかっ」
「どうでしたかー」
「よかった、最高だった。これなら今年の文化祭で全日参加できたんじゃないのか?」
そもそも俺達に時間を渡さなくてもよかったのではないだろうか。
「あの曲はたくさん練習したんですけど」
「他のレパートリーはなくてー」
二人は肩を落として言う。
「・・・・・・そこは来年の課題だな」
「はい!」
「はいー」
大きく頷くところを見て「よし」と頷く。
「よお、俊太郎」
「アニ――亮セン」
「俺のドラムもよかったろ?」
「ああ、腕は落ちてないんだな。演奏してるところ見てなかったからさ」
「ま、これでもね」
アニキはニヤリと笑って、
「次はお前の番だぞ」
「ああ」
「気張っていけよ」
「もちろんだ。けど」
「どした?」
「いや、アリスの姿を見ないなと思って。そろそろ舞台にいかないとまずいだろ」
「ああ、それなら大丈夫だ。反対の舞台袖にいる」
「そうか、ならいいんだ」
・・・・・・さて、時間だ。
「よし、それじゃあ格好つけに行きますかな」
後輩達に後れを取るわけにもいかない。
せっかく沸いている会場を白けさせたくもない。
「俊太郎、頑張ってください!」
「顧問代理、応援してます!」
「応援してますー」
「頑張ってこい、骨は拾ってやる!」
四人の声援を受けて俺は舞台へと上がる。この声に応えようと意気込む。
ギターをアンプヘッドに繋げて調整。
後は幕が上がるのを待つ。
反対側から一人の少女が現れた。この場に現れるのは彼女しかいない。
さあ、やろうぜ。かかってこい。
「・・・・・・って、なっ、え?」
だが、その姿に言葉を失う。
「嘘だろ・・・・・・?」
舞台袖から現れたのは見知った幼馴染の姿ではなかった。
でも、俺は彼女を知っていた。
腰まで伸ばされた鮮やかな水色の髪。
気品のある白いドレス。
彼女は世界中で愛される魔性の声の持ち主。
「・・・・・・歌姫、セイレーン」
こぼれるように呟いた言葉を、してやったりという笑みで拾われる。
ちょっと待ってくれ。
まだ間に合う。幕は上がっていない。
「どうして、お前、その姿は!」
少女は俺の言葉に対して「しーっ」と人差し指を立てるだけ。
――どうなっても知らねえぞ。
そして幕が上がってしまう。歌姫の姿が体育館に集まった生徒全員に露呈する。
一瞬の静寂。
「え、うそ」
「本物?」
「まさか」
「ただのコスプレだろ?」
「完成度たけぇ」
騒めく声が聞こえた。
周りから動揺を感じるが、それも無理はない話だ。
そりゃそうだろう。こんな田舎町の学校にセイレーンの姿があるのだから。
しかし、当の本人は気にした様子もなく、マイクスタンドの前に立つ。
「皆さーん、盛り上がっていますかー!」
そんな一言。
だが、彼女の言葉に応えるものは少ない。
「あら。声が小さいですね、もう一度いきますよー?」
観客席に向かって「せーの!」と呼びかける。
「盛り上がっていますかー?」
現実に戻ってきたのか、それとも夢現なのか。
どちらかは分からないがさっきよりもずっと大きな声が体育館中に響き渡った。
「いいですねー。こういうのを待っていました」
らしくないトークだ。
セイレーンと言えばファンサービスがないという話を一誠と竜蔵から聞いていた。こうやって話しているのは本物だと思わせないためだろうか。
「軽音楽同好会さん達のおかげで、この場で一曲歌う機会をもらうことができました。その感謝と、集まってくれた会場の皆さんのために歌います!」
『おぉぉおおー!』
観客が沸く。
「おっと、私としたことが。自己紹介を忘れてましたね、私はセイレーン。歌姫やってます!」
『おぉぉおおー!』
もう本物かどうかは関係ないのだろう。観客達は大声で答える。
「そして、今日だけの私の専属ギタリスト。三年の相模俊太郎君」
唐突にスポットライトが向けられる。
・・・・・・そんなこと聞いてないんだけど。
とりあえず返事代わりにギターを鳴らしておく。ライブハウスでよくやっていたことだ。
それだけで会場から声が上がる。
それとは別に、
「聞いてねえぞ、俊太郎!」
「私もだ、相模!」
聞き覚えのある応援の声も耳に入ってきて。
馬鹿野郎! 俺だって何も聞いてないわ!
思わずそう叫びそうになるが、今は舞台の上だ。そんなことはできない。
つーか、わざわざ聴きに来てくれたのかよ。
そう思うと純粋に嬉しい。
「さて、挨拶も済んだところで」
セイレーンは深く息を吸って、
「それでは聴いてください! 私達の歌を!」
彼女の言葉に続いて絃を弾く。
曲が始まる。
焦るな。
止まるな。
冷静でいろ。
緊張を押し殺せ。言い聞かせながら指を動かす。コードは覚えている。その通りに指を動かせばいい。たったそれだけだ。ただの流れ作業だと思え。今はそれでいい。
俺の音と、セイレーンの歌声が会場に響く。
会場は静まり返って彼女の歌に耳を傾けていた。
最高だ。心の底から思う。
ああ、やっぱり最高だよ、お前の声は。
俺の音なんて誰も聴いちゃいない。お前の声だけに釘付けだ。
知ってるよ。分かってたよ。
最高なのは昔からだ。ずっと前から知っている。
俺は挑み続けてきたんだ。
何度も。
何度も。
何度も。
だって、いつか、きっと、俺は絶対にアリスの横に並ぶんだって。
絃を弾く。
あの頃の熱が、あの頃の光景が、俺を支配する。
そして、一歩だけ前に出た。
もっと目立たないと。もっと輝かないと。そうでないとアイツには到底届かない。
「・・・・・・っ!」
今更かもしれない。
でも、手遅れってことはない。
だって、この舞台で諦めるなんてできるわけない。俺はこうして立っているんだぞ!
叫べ! 叫べ! 叫べ!
叫べ! 叫べ! 叫べ!
叫べ! 叫べ! 叫べ!
もっと! もっと! 叫び続けろ!
俺が、俺だけがアリスに並べるんだと!
一瞬でもいい、俺の音を聴いてみろ!
俺の思いを、俺の熱を相棒のギターに乗せる。スピーカーから俺の音が響き渡る。
セイレーンが俺に合わせてきて、俺達の音が重なっていき、
・・・・・・ああ、最高だ。
繰り返してきた二人での演奏を思い出した。俺達の音が会場を埋め尽くす。オーディエンスを沸かせる。俺はずっとこの景色を望んでいたんだ。
・・・・・・やっぱり最高だぜ、お前とのライブは。
――やがて。
五分。だいたいそれくらいの時間が過ぎ去った。
あっという間だった。曲が終わる。セイレーンが口を閉じる。
あれだけ緊張していたというに終わってみれば名残惜しい。そう思いながら俺もギターの絃を弾いて、その余韻が会場を包む。
観客達に目を向けると、
静まり返った観客達が、一人、また一人と拍手を送ってくれる。
「最高だった!」
「マジで本物じゃねえか!」
「すごかったぞー!」
「アンコール!」
会場からセイレーンを称賛する声が響く。拍手も鳴り止まない。
「・・・・・・ああ」
見慣れた光景だ。この拍手は俺のものじゃない。
俺は俺の全力を出した。悔しくないわけじゃないけど、やれることはやったさ。
「俊太郎君」
「あ?」
名前を呼ばれて、声の方に顔を向ける。
笑顔のセイレーンが近くにいた。中身を感じさせない上品な笑みを浮かべている。
「ん」
そんな彼女に手を差し出されて、
「・・・・・・最高だった」
苦笑を浮かべて、セイレーンの手を握って握手する。
その様子に一際大きい拍手が鳴り響いて、幕は閉じていく。
こうして俺達の舞台は終わったのだった。
この日の前夜祭はある種の伝説のように長く語られていくことになる。
あのセイレーンは本物だったのか、偽物だったのか、そういうのももちろん長い間注目の話題となったが、重要なのは会場が一致して盛り上がったことだ。観客の目線から見れば俺達のライブは間違いなく大成功だった。
*
「しっかし、まさか会場から逃げることになるとはな・・・・・・」
演奏が終わった後、俺達はアニキに引っ張られる形で学校を出ることとなった。
それも当然のことだ。
天下の歌姫様がこんな田舎町の学校で歌っていたなんて、万が一にでもマスコミにバレたらどうなることか。学校でもセイレーンの正体を知るために生徒がどういう行動を起こすかも分からなかった。
俺達はアニキの――大先生の車に乗り込む。
「・・・・・・あんまり無茶してくれんなよ、アリス」
アニキは溜息交じりに言う。
「にへへ、ごめん、先生」
「まったく、ニュースになって困るのはお前だろ?」
「所詮は学校の行事だし、そこまで大ごとにはならないと思うんだけど・・・・・・」
「馬鹿。今の世の中はスマホで簡単に奇麗な動画が取れんだぞ?」
「ただのコスプレとしか思わないって」
「そんなのわからないだろ」
俺もアニキに同感だ。
「あの歌声は誰にも再現できないしな」
「先生もシュンタローもそう言うけどさ、あたしが素のまま歌ってセイレーンの正体がバレるよりは現実的な手段だったと思うんだけど」
「それは・・・・・・」
そうかもしれないけど。
「まあいい。とにかく、このまま俊太郎のアパートまで向かうからな」
「ああ」
「はーい」
車が発進する。
「つーか」
「どしたん、先生」
「いや、その姿でアリスの口調って違和感しかないな」
俺達は着替える余裕もなくて俺も燕尾服のままだし、アリスもセイレーンの姿だ。
「じゃあ、こういう喋り方の方がいいですか、亮さん?」
「それはそれで寒気がするわ」
「じゃあどうしろっていうんだよ」
「そのヅラ取ったら?」
俺が横からそう言うと、
「ウィッグって言えよ」
「違いが分からねえ」
いや、そんなことはどうでもいい。
「で、お前着替えはどうすんの」
「着替え入ってるバッグは持ってきた。お前の部屋で着替える」
「あ?」
「なんだよ」
「いや、自分ち帰れよ。アニキだってアリスの家も回ってくれるんだろ?」
「ん。そのつもりだけど――」
「回んなくていいから」
アニキの言葉を遮るようにアリスが言う。
「は? そういうわけにはいかないだろ」
「お前、約束忘れたのかよ」
「約束?」
そう言われて、朝に彼女と話したことを思い出す。
前夜祭が終わったら、ライブが終わったら話そうと約束していた。
「あ、ああ・・・・・・」
「忘れてたな」
「あ、い、いや、そんなつもりはなかったんだが、その、ライブに意識を持っていかれてたから・・・・・・」
「そっちが言い出したことなのに。嘘つき」
「本当にごめん」
「あーあ、指切りまでしたのになー」
「そう、だったな」
「ま、いいけど」
拗ねた様子のアリスに俺は重ねて「すまん」と謝ることしかできない。
「そいで? 結局アリスの家は回んなくていいのか」
「うん。シュンタローのアパートで降ろして」
「了解だ」
それにしても自分の家で着替えてから俺の部屋に来ればいいじゃんとも思ったが、まあいいか。俺は流れる景色に視線を向ける。
「俊太郎」
アニキに名前を呼ばれた。
「なんだ?」
「今日のライブさ」
ドキリとする。感想が怖かった。
「最高だった」
しかし、アニキは俺の思っていた言葉と真逆なものを発していた。
「お前の熱、ちゃんと伝わってきたよ」
「そ、そうか・・・・・・」
「ああ」
俺は何も言えなかった。アニキの言葉を信じられないわけじゃない、でも、本当にそうなのか? 俺はちゃんと演奏できていたのか? 何一つ自信は持てていなかった。
「だよな! 先生やっぱり分かってんじゃん!」
食い気味にアリスが反応した。
「あたしも最高の気分だった! あれ以上気持ちよく歌えたことなんて一度もないね!」
「それは言いすぎだろ」
コイツはプロだ。俺なんかよりももっとすごいギタリストと何度も歌っている。今日のなんて彼女にとってはお遊戯もいいところだったはずだ。
でも、アリスは首を振って、
「そんなことない。シュンタローと歌うのが一番だよ。シュンタローはいつも私に向き合ってくれる、私にずっと挑みかかってきてくれる」
そんなアリスの優しげな声。たったそれだけで心臓が跳ねる。
「どした、シュンタロー」
「・・・・・・なんでもない」
「ま、あんまり卑下するなよ。お前との演奏はいつも最高だ」
「そりゃどうも」
「お前ら、そろそろ着くぞ」
アニキがそう言い、俺達はアパートの前に降ろされる。
俺はアリスに部屋の鍵を渡して、
「先に上がってろ」
「え、なんで」
「いくら人通りの少ない時間だからってその姿が見られるとまずいだろ」
「あ、そか」
鍵を受け取って俺の部屋へと向かうアリスを見送り、俺はトランクから彼女の着替えが入ったバッグを取り出す。
「あれ、アニキ」
「どうした?」
「俺の荷物は?」
着ていた制服もなければギターもない。いや、ギターは舞台に放置していったから当然だけど、制服もないとはどういうことだ。
「お前のもんは全部学校だ。まとめといてやるから明日取りに来いよ」
「は? なんで?」
「どうせ今着てる服も返さないといけないだろ」
「それはそうだけどさ」
ライブは終わったんだ。文化祭中は家から出ずにゴロゴロ寝て過ごすつもりだったのに。
「どうせ寝て過ごすつもりだったんだろ」
「図星をつくな」
「そりゃ悪かった。・・・・・・さて、これ以上時間取るのは野暮だな」
「野暮?」
「アリスと話があるんだろ」
「ああ、まあ」
でも、別に野暮なんてことはない。ただ俺達は話をするだけだ。
それ以上のことはない・・・・・・はずだ。
「絶好のチャンスだろ」
「いったい何のチャンスだよ」
「そりゃもちろん押し倒す――じゃなくて、あれだよ。告白とか?」
「こ、告白?」
告白ってなんだ。何を告白するんだ。
「俊太郎」
「なんだよ」
「決めるときは決めないと男が廃るぞ」
「いや、だから、そんなこないって。俺はアリスとただ話をするだけでさ、それ以上のことは何にもなくてだな」
「はいはい、わかったわかった」
アニキは何も分かってなさそうに言って、
「でもよ、俊太郎」
「なんだよ」
「正直になってもいいと思うぜ」
「正直って・・・・・・」
別に偽ってることなんてない。
「じゃ、また明日だな。今日はゆっくり休めよ」
「・・・・・・おう」
車が去っていく。俺は深々と溜息を零して自分の部屋に戻り、
「随分遅かったな」
アリスに出迎えられる。セイレーンの姿で胡坐をかいて座る姿はやはり違和感しかない。
「あ、ああ。アニキとちょっと話してた」
「そっか」
「・・・・・・とりあえず、着替えるか」
アパートの一室に燕尾服の俺と、セイレーン姿のアリス。これじゃ落ち着きようもない。
「洗面台使ってくれ。俺も着替えるから」
「うん、あ、ついでにシャワー借りてもいい?」
「好きにしてくれ――って、待て。お前、着替えは制服しかないだろ」
「あー、シャツ貸して」
「・・・・・・ちょっと待ってろ」
アリスにシャツと短パンを持たせて、俺も燕尾服から私服に着替える。それからベッドへと身体を倒した。
聞こえてくるシャワーの音を聞かないようにしつつ、俺はアリスのことを考える。彼女と話をしたかった。話を続けたかった。だけど、いざその機会を得ると何を話せばいいのか自分でも分からない。
「・・・・・・告白」
アニキの言葉がぐるぐると頭の中を回る。
そもそも俺はアリスのことが好きなのか?
たしかにアリスは特別だ。俺にとって最高のパートナーだった。
『自分に正直になってくださいね』
涼音の言葉が蘇る。
『正直になってもいいと思うぜ』
アニキの言葉が蘇る。
自分の気持ちを考える。この気持ちが幼馴染とか、パートナーとか、そういうのを抜きにして大切だと思っているなら、彼女に抱くこの感情が恋心だとしたら――、
「・・・・・・俺は、恋してるのか」
あの輝く姿に、
あの強い瞳に、
あの可愛らしい笑顔に、
「ああ・・・・・・」
好きだ。
好きなんだ。
俺は誰よりも天ヶ瀬アリスという人間が好きなんだ。
だから彼女の一挙一動に目を引かれるんだ。彼女の声に胸が高鳴るんだ。気が付いてしまえば納得するのも一瞬だった。
それと同時に俺は罪悪感に蝕まれる。
だって、俺にはそんな資格がない。アリスを裏切った俺が好きになる資格なんてありはしないのだ。
「シュンタロー?」
そんな想い人から声を掛けられる。起き上がるといつものアリスの姿があった。
「な、なんだ?」
「シャワーありがと。タオルも適当に借りたけど」
「ああ、いいよ」
「うん」
アリスは髪を拭きながら俺の隣に座る。
「えーっと、悪いな」
「何が?」
「ドライヤーとかなくて」
「ああ、いいよそんなん」
わしゃわしゃと髪を拭いて、
「そういうの気にしないから」
「いやいや、女は髪が命っていうし、お前はセイレーンなんだからさ」
「いいんだよ、この程度で傷つく髪じゃないし。セイレーンのときはウィッグだし」
「・・・・・・そうかい」
まあ、本人が気にしないならいいだろう。
しかし、何を話せばいいのだろう。話したいことはあったのに言葉が出てこない。触れる肩に意識が持っていかれてしまう。
「なあ、シュンタロー」
「なんだよ」
「今日のライブさ」
「ああ」
「シュンタローは何点だった?」
「点数?」
何点だっただろう。
昔だったら観客達の反応も覚えて帰ってこられたけど、今回はまったくと言っていいほど覚えていない。ただ悪くはなかったという俺自身の感想だけだった。変わってしまった手で、一週間という練習期間でよくやりましたね、という程度のものだ。
「あたしはさ、最高だったよ」
「さっきも言ってたな」
「うん。だって最高だったから」
「点数で言うと?」
「もちろん百点」
「満点じゃん」
そこまで高い点数になるものか?
「そりゃそうだろ。あたしが歌って、シュンタローとの演奏だったんだから」
「・・・・・・俺はお前に持ち上げられるほどの人間じゃねえよ」
「そう?」
「ああ」
ぎゅっと左手を握りこむ。
「お前には言わなきゃいけないことがあるんだ。涼音にもアニキにも聞かせてないこと」
「うん」
アリスは静かに頷いて、
「聞かせて」
「・・・・・・俺はお前と一緒にいる資格を失ったんだ」
「資格を失うって、怪我したから?」
「それも理由の一つではあるけど、それはきっと些細なことだったと思う。頑張ろうと思えばできたんだ、今回みたいに利き手を変えればよかったんだよ。続けようと思えばできたはずだ。諦めなければ挑み続けられた、と思う・・・・・・」
実際のところは分からないけど。
「うん」
「ごめん、本当にごめん」
それは懺悔だった。同じ夢を追いかけた、一緒にたどり着こうと思った相棒への。
「――安心したんだ」
事故の後、医者から診断を受けた記憶を思い出す。
あの時の俺は本当に絶望していたか? 苦しんだか?
いや、違う。
「怪我をして、演奏できないって知ったとき。俺は、俺は真っ先に安心した」
「・・・・・・安心?」
「ああ。もうお前と比べられる必要はないんだって、もうお前に挑む必要ないんだって、めちゃくちゃホッとした。解放された気分だった」
顔は上げられない。隣にいるアリスの表情なんて考えたくなかった。
「そっか」
「だから、俺はギターをやめた。もう演奏したくないって思った。お前にも申し訳なかったし、自分にも失望したんだ」
「でも、続けてたよな」
「それは・・・・・・それでも今まで出来ていたことが出来なくなるのが怖かったから・・・・・・」
「どうして怖いの? やめたかったなら別にいいじゃん」
「・・・・・・」
アリスの言う通りだ。弾ける必要なんてなかった。
どうして続けようと思った? どうして音楽室のギターを手に取った?
「それでも・・・・・・」
あの時、俺は誰を想っていた?
「俺は・・・・・・アリスの」
そうだ。俺はたった一人のことを考えていた。
「・・・・・・アリスの傍にいたかったんだ」
「シュンタロー」
左手が優しい温もりに包まれる。
「ありがとう、シュンタロー」
「何の礼だよ」
「ずっと私のパートナーでいてくれて。ずっと私のこと考えていてくれて」
「そんなの当たり前だろ。一緒に夢を追いかけたんだから。俺達はパートナーだったんだから」
「うん」
「それなのに俺は、こんな体たらくで、こんなみっともなくて」
「シュンタロー、顔上げてよ」
「なんだ?」
言われた通りに顔を上げてアリスの顔を見る。
すぐ傍に彼女の顔があって、そのまま唇を塞がれた。
「んんっ・・・・・・っ?」
唇に柔らかさと熱を感じる。それはとても心地いいもので振り払えない。
しばらくして解放されて、俺は動揺することしかできなかった。
「え、な、え?」
「にへへ、シュンタローがあんまりにも可愛いからキスしちまった」
アリスは顔を真っ赤にして言う。
「しちまったって、お前、なんで」
「言ったじゃん。シュンタロー可愛かったから」
「か、可愛かったからでするもんじゃないだろ! つーか別に可愛くないし!」
「嫌だった?」
「そんなの・・・・・・」
嫌なわけがない。もう一度と望んでしまいそうになる。
「満更でもない顔してる」
二へへと笑いながら「シュンタローは顔に出やすいからなぁ」なんて言われて、
「アリス」
「なにーー」
今度は俺から彼女の唇を奪う。
お互いの熱を感じる。アリスも拒むことなくぎゅっと俺の手を握ってくる。
そして、ゆっくりと離れて、
「シュンタロー」
「なんだよ」
「好き」
照れながらもはっきりと言われる。
「ずっと好きだったよ。シュンタローが私を助けてくれたときから好きになって、どんどん好きが大きくなって、今はあの時よりもずっと大好きで」
「ああ」
「シュンタローは? あたしのこと好き?」
「俺は・・・・・・」
俺も好きだ。勢いでキスまでしてしまった。
でも、俺はアリスの想いに応える資格が果たしてあるのか。
「何、悩んでんの」
「え、あ、いや」
「シュンタロー、まだ負い目とか感じてる?」
「・・・・・・そりゃそうだろ」
感じないなんてできない。
「最初に夢を見たのは俺だ。俺の夢だったんだ、アリスを俺の夢に付き合わせて、そんな俺が真っ先に裏切って・・・・・・」
「もうシュンタローだけの夢じゃないんだよ」
抱きしめられる。
「歌い続けてたのも、歌い続けていくのも、海外進出のこともそう。全部あたしが望んだことだから、あたしの夢なんだから」
それはまるで子供をあやすような優しい声で。
「もちろんさ? その夢にシュンタローが一緒にいないのは残念だけど、それでも、あたし頑張るよ。シュンタローの夢も背負ってさ、海外だろうとどこだろうと歌い続けるよ」
「そこまで気負うなよ」
「気負ってなんていない。歌うのは好きだし、プロになってよかったって思ってる。あのときシュンタローに背中を押してもらえてよかったって」
「・・・・・・ああ」
「だから、シュンタロー」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなる。
「あたしのこと、好き?」
俺もアリスの背中に手を回す。俺からもぎゅっと抱きしめる。
「アリス」
「うん」
「好きだ」
「うん」
「アリスはずっと俺にとって特別だった。アリスだけが俺の特別だった」
「そっか」
にへへと笑う。
それから顔を合わせて三度目のキス。
「シュンタローはあたしのこといつから好きだった?」
「あーっと」
「昔から?」
「いや、まあ、ずっと特別だと思っていたのはたしかなんだが・・・・・・」
「うん」
キラキラした目で見られると嘘は言えない。
「さっき、気が付いた」
「さっき?」
「ああ、その、お前がシャワー浴びてる間に色々と考えてて、その、ああ、俺はアリスのこと好きなんだなーって思って」
「・・・・・・お前、さっきってお前」
「悪い」
「鈍感」
返す言葉もない。
「あーあ、鈍感なくせに手を出すのは早いんだなー」
「あ? 最初にキスしてきたのはアリスじゃねえか」
「二度目はシュンタローだった。いきなりされた」
「いきなりしたのはお前もだろ」
そんなことで言い合って、そして笑う。もう一度唇を合わせる。
「シュンタロー」
「なんだ?」
「鈍感なところも好きだから」
「あ、ああ」
「あたし、ずっと言い続けるよ。シュンタローのことが大好きだって」
随分と恥ずかしいことを言ってくれる。
「シュンタローも言ってね。あたしのこと好きだって」
「あー、うん」
「何その適当な返事」
「いや、普通に恥ずかしいし――いってぇ!」
太腿をつねられた。
「何すんだお前!」
「お前こそ恋人に愛の言葉くらい囁けよ!」
「別に言わなくても伝わってるだろ!」
「この鈍感! 馬鹿! 最低!」
「誰が最低だ! 鈍感なところも好きって言ってただろ!」
「それとこれとは違うの!」
傍から見たらどうしようもなくくだらない喧嘩をして、でも、それも俺達らしいと何となく思った。俺達はずっと幼馴染で、友情で繋がっていたのだから、すぐすぐ恋人みたいな甘い空気は出せないさ。
「なんだよ、シュンタロー。ニヤニヤして」
「別にニヤニヤはしてないけど、なんだ、お前といるとこれからこういう喧嘩も続くんだろうなと思って」
「何、嫌なの?」
「別に。最後は仲直りできるだろ。俺、お前のこと好きだし」
「んん――! そんなこと突然言うなよ!」
じゃあどうしろって言うんだよ。
「シュンタロー!」
「ああ」
「あたしも好きだから、ずっと一緒にいてよ!」
そう言ってアリスは抱き着いてくる。俺は彼女を抱きとめて、その頭を撫でるのだった。
*
その翌日。
俺達は借りた燕尾服を返すのと自分の荷物を取りに学校へとやってきた。
「別にお前まで付いてこなくてよかったんだぞ」
隣のアリスに言う。
「いいじゃん。せっかく文化祭やってるんだし。ついでに見て回るのもいいだろ」
「興味ないって言ってなかった?」
「シュンタローと一緒なら別」
「そうですかい」
しかし、だ。
文化祭でどんな催し物がやっているのか俺は全く知らない。去年も一昨年もクラスの催し物すら参加せずに寝て過ごしていたし。今回だって涼音に言われるまでクラスが何をやるのか知らなかったのだ。
校門前に着くとどっかの部活が色々と屋台を出しているところを見れば、まあ、そこそこ力は入れているのだろうと思う。こんな田舎町で力を入れる意味があるのかどうかはともかくとして。
「結構いろんなものがあるんだな」
アリスはパンフレットを見つつ、
「ああ」
これといって興味はない。さっさと適当に回って帰って寝ることだけを考えつつ自分の教室に着いた。
教室の中はそこそこの客が入っていて、ある程度は盛況なのだろう。俺は手の空いている様子のクラスメートに近付いて、
「よお」
「あ、相模くん・・・・・・」
声を掛けたんだが、名前も知らないやつだし普通に怯えられている。
「お、なっちー!」
横からアリスが女子生徒に向かって声をかけた。なっちーというのはあだ名か。
「アーちゃん。今日はシフト入ってないけど?」
「うん。今日はコイツのお供。あたしは明日だったよな」
「そうだよ。よろしくね」
そんなやり取りを聞きつつ、
「え?」
「どした、シュンタロー」
「お前、文化祭のシフト入ってんの」
「うん。クラス行事だし当たり前だろ」
「・・・・・・そうか」
当たり前か。
「それで、えっと、相模くんはどうかしたの?」
「ああ、昨日借りた燕尾服を返しにきたんだ。ありがとう、世話になったな」
「う、うん。ライブ観てたよ。格好良かった」
「そりゃどうも」
燕尾服の入った紙袋を渡す。
「じゃ、俺はこれで――」
「どこにいくんですか」
「あ?」
声の掛けられた方に顔を向ける。そこには燕尾服を着た幼馴染の姿があった。
「涼音か」
「はい、こんにちは」
「で、何か用?」
「何か用? じゃなくて、学校に来たならクラスの行事くらい手伝ってくださいよ」
「え、やだよ」
はっきり言うと、
「やだって、俊太郎」
「やだって、お前」
涼音とアリスから溜息をつかれる。
「いやいや、だって燕尾服は返したし、後は自分の荷物受け取って帰りたいんだよ」
「なんでですか」
「そりゃ寝るためだろ」
涼音から再び深い溜息。
「ま、今の俊太郎は接客なんて無理でしょうけどね。手、ボロボロでしょ?」
「・・・・・・まあ」
流石にライブのためとはいえオーバーワークだった。肉刺ができたり潰れたりと結構痛いことになっている。
「俊太郎」
「ああ?」
「せめてアリスちゃんと文化祭を回ってあげなさい。せっかくのデートチャンスですよ」
「え、あ、いや」
俺は涼音に対してアリスとの関係性を何も言っていない。
「えーっと、なんで」
「距離感見てれば分かりますよ。おめでとうございます、俊太郎、アリスちゃん」
「ありがとう、涼音」
にへへと恥ずかしそうにアリスが笑う。
俺は言葉を探して、
「涼音・・・・・・」
「なんですか?」
「その、ごめん」
「どうして俊太郎が謝るんですか」
困ったように笑う。
「いいんですよ。これで。だから謝らないでください」
「・・・・・・ああ」
「幸せになってくださいね、俊太郎」
「ああ」
「何の話?」
アリスがひょこっと話に入ってきて、
「お前には秘密だ」
「アリスちゃんには秘密ですね」
俺達がそう言うとアリスは「なんだよ、仲間外れかよ」とむくれる。
「さてと」
俺は気持ちを切り替えて、
「じゃ、涼音の言う通りにお姫様のエスコートでもしましょうかね」
「そうしてください」
涼音も頷いて、
「ということだ、アリス」
「どういうことだよ」
「デートしよう」
「え?」
アリスの頬がほんのりと赤くなる。
「デート」
「ああ」
「文化祭デートってやつ?」
「まあ、そうなるだろうな」
といっても普通に文化祭を回るだけなのだが、何故に彼女はここまでキラキラした目を向けてくるのか。
「行く、するぞ、文化祭デート」
「そうすか」
今にも飛び跳ねそうなアリスの頭を押さえて、
「じゃ、いってくるわ」
「はい、いってらっしゃい」
涼音に手を振られて、俺達は背を向けたところで、
「あ、そうだ。俊太郎。アリスちゃんも」
「なんだ?」
「何?」
振り返る。
「昨日のライブ最高でしたよ。昔の二人を思い出しました。それを伝えていなかったので」
「さんきゅ」
「ありがと」
二人でお礼を言って、今度こそ俺達は文化祭デートを始める。
さて。
「どっか行きたいところあんの?」
「うーん」
パンフレットを見ながら、
「正直さ。シュンタローと一緒ならどこでもいいってのはあるんだけど」
「そうか」
嬉しいことを言ってくれる。
「せっかくだし文化祭らしいところ行きたいよな」
「まあ」
文化祭らしいところってどこだ。そんなことを思いながらたどり着いた先は。
「お化け屋敷か」
「それっぽいだろ」
「まあ、そうだな」
子供騙しもいいところだろうけど、とりあえず受付を済めせて二人で入る。
真っ暗な教室。
どこかで聴いたことのあるBGM。
無駄にリアルなお化けのイラスト。
唐突に現れる般若のお面。
「――いや、ビビるわ! 微妙なところで力入れんなよ!」
「ビクッとしてたな、シュンタロー」
横にいるアリスが笑う。
「あの般若はずるいって。怖いというより驚かされたわ」
いまだバクバクとなる心臓を落ち着かせようと深呼吸。
「我がクラスの出し物は堪能していただけたようだな」
顔見知りの男が現れる。
「・・・・・・竜蔵」
「般若の面は私が作ったものだ。良かったろう?」
「最悪だよ」
「そうかそうか!」
嬉しそうに笑う。
「シュンタロー、誰?」
「ああ、そういえばだな」
アリスは初めて会うんだったか。
「こいつは山木。山木竜蔵。腐れ縁だ」
「せめて友人と言ってくれたまえ。――初めまして、相模の幼馴染の方だったかな」
「そ。天ケ瀬アリス。よろしく」
二人の自己紹介を見ていると、今度は見覚えのある茶髪が看板を持って歩いてくる。
「おー、俊太郎じゃん」
そして気づかれた。
タイミングよくエンカウントするとは。
「お、彼女連れ?」
一誠はアリスに視線を向けて、
「ああ、まあ」
「やるじゃん。――彼女ちゃん、初めまして」
「ども」
「俺は白井一誠。君は?」
「天ケ瀬アリス」
「アリスちゃんかー」
「天ケ瀬でいいよ」
どことなく塩対応。
人見知りはマシになったと思っていたんだが、はて? アリスって男が苦手だっけ。
竜蔵も一誠も気にした様子もなく俺に顔を向けてきて、
「さて、昨日のライブのことだが」
「そうそう。俺も聞かなきゃならねえと思ってたんだ」
「・・・・・・なんだよ」
面倒臭い質問が来た。だが、予想もしていた。ちゃんと返答も考えてある。
「やっぱりあのセイレーンは本物だったのかねっ?」
「いや、違う」
「でも声は完璧にセイレーンだったろ!」
「口パクだ。歌声はスピーカーから出していたんだ。アルバムから歌を流していたんだ」
「それは無理だろ」
流石に苦しい言い訳だったか。
「俺はコスプレだと思っているが、でも、よかったじゃないか。本物かどうかはともかく近くでセイレーンの歌を聴けたんだ。それに勝る喜びはないだろ。俺は本物じゃないと思っているけど」
俺のそんな言葉に、二人は「まあたしかに?」と頷く。上手く言いくるめられたかどうかは分からないけども、とりあえずこれ以上話しているとボロが出そうだ。
「じゃ、そういことで。俺達はデートの途中だから」
「ああ」
「おう」
逃げるように二人から離れて、ふぅーと息を吐きだす。目の前に休憩所という椅子しか置いていない教室を見つけてそこで座ることにした。まだお化け屋敷しか回ってないけど異常に疲れたのだ。
「しっかし、こうなることは予想してたんだけどさ。あいつらセイレーンのファンなんだ」
「そっか」
「嬉しくないか?」
「そりゃ嬉しいけど、なんていうかな」
「大勢ファンがいるから別に気にしないとか」
「そんなんじゃない」
アリスは言い淀んで、
「なんか、他の男と仲良く話したり、ファンだからって喜んだり、その、シュンタローに浮気だと思われるんじゃないかって」
「・・・・・・はあ」
「はあ、ってなんだよ」
「いや、それくらいじゃ何とも思わないし・・・・・・そこまで心は狭くねえよ。そりゃ俺以外と手を繋いでるところとか見たら心配になるとは思うけどさ。そうでもない限り普通は気にしないだろ」
話しているところを見たくらいで浮気判定していたら生きにくいだけだ。
「あたしは思うけど」
「は?」
「シュンタローが他の女と話してたら、もしかして浮気してんじゃないかって」
「心をもっと広げてくれ。つーか、お前だってアニキと話せなくなるし、俺も涼音と話せなくなるだろ」
「アイツらは別。幼馴染だから」
「そうですかい」
いや、なんにしてもだ。
「気にしすぎてもお互いしんどくなるだけだぞ。俺はお前が好きで、お前は俺が好き。それでいいじゃん」
「でも、でもさ」
「なんだよ、なんか言いづらいこと?」
アリスは首を振って、
「あたし達、ずっと一緒にはいられないから」
なんでだよ。と思ったけど、彼女の言わんとすることを理解する。
アリスは海外に行く。俺達は離れ離れになって、簡単には会うことはできなくなる。それは遠くない未来の話で。
「・・・・・・まあ、色々不安だよな」
「うん」
アリスが頷く。俺はそんな彼女の頭を撫でて、
「だからシュンタローを独り占めしてたいし、独り占めされたいし」
「そっか」
「でもさ、シュンタローならついてきてくれてもいいぞ。そうしたらあたし達ずっと一緒にいられるし、変な心配もしなくていいし」
「あ?」
突然何を言い出すんだこいつは。
「どうしよっかな、あたしの専属ギタリストでもいいし、なんなら無職でもいいぞ。養ってやるから」
「どうしてお前といい俺のことをヒモにしたがるんだ」
「え、何の話?」
「こっちの話」
ゴホンと咳払いしつつ、俺は椅子から立ち上がる。そうしてアリスに手を差し出し、
「ま、今は一緒にいるんだからさ。せっかくだし文化祭を楽しもうぜ」
「うん」
そして彼女は俺の手を取った。そのまま手を繋いで歩き出す。
「にへへ」
「なんだよ」
「こうやって手を繋いで歩くのって初めてだから」
「関係が変われば、一緒に歩くときはこうなるだろ」
俺達は二人で文化祭を回る。
ファンシーな喫茶店。
子供騙しの射的。
とりあえず色んな所に顔を出してみて、それから知り合いのやっている教室にも向かう。
まずは瞳のクラスがやっているらしい町の歴史資料館。
「・・・・・・あれ?」
しかし教室を覗いてみても誰もいなかった。
知っているような知らないような写真や資料が壁に貼られたり、机の上に置いてあったりだけ。とてつもなくやる気のなさを感じた。
「どした、シュンタロー」
「ああ、いや、後輩――軽音楽同好会の奴らの出し物くらいは見ておくかと思ったんだけど、教室に誰もいなかった」
「そっか、じゃあしょうがないな」
「ああ」
次の場所へと向かうことにする。といっても二つ隣の教室だ。雫のクラスがやっている写真撮影部屋を覗くと、
「あ、顧問代理!」
「顧問代理ー」
二人の後輩の姿があった。
「よお。つーか、雫はともかく、なんで瞳までいるんだ」
「私の教室の出し物すごいつまらないんですもん。誰も来ないし、受付もいらないし、それで雫の教室のお手伝いをしようと思いまして」
「ああ、なるほど」
たしかに町の資料館なんて内容じゃ来る人は少ないだろう。だからといってここも人が多く来ているわけではなさそうだが。
「あーっと」
俺達がそんな話をしていると、隣にいたアリスが口を開いて、瞳達の視線が向く。
「顧問代理の幼馴染さん! 自己紹介してなかったですよね、私は山下瞳と申します!」
「山下雫ですー」
二人の勢いは凄い。瞳なんてアリスの手を取っているくらいだ。
「う、うん。あたしは天ケ瀬。天ケ瀬アリス」
「天ケ瀬先輩! 私達感動しました!」
「感動しましたー」
「か、感動?」
「あの歌声! あの姿! 天ケ瀬先輩がセイレ――」
「ちょいちょいちょい」
俺は慌てて割り込んだ。
「お前達には恩があるし、多少なりとも察することはあると思う。だからこそだ、黙っていてほしい。どうか内密に。知らなかったことにしておいてほしいんだよ。声に出すなんて論外だ」
「あ、はい、そうなんですか?」
「ですかー」
アリスも困ったように笑って、
「そうしてくれると助かる」
そんな言葉に後輩二人は頷いた。聞き分けのいい奴らで助かる。
「その、今回の件ありがとう。あたし達にライブさせてくれて。ちゃんとお礼言えてなかったから」
「いいえ、お気になさらないでください。私達もお二人の演奏を間近で聴くことができてよかったです!」
「よかったですー」
「うん、ありがと」
それから雫「そうだー」何か思いついたように、
「せっかく来てくれましたので、お二人で写真撮りませんか」
「いいね。顧問代理、天ケ瀬先輩。一枚いかがでしょう?」
「あー、そうだな」
アリスへと視線を向ける。すると彼女も頷いて、
「せっかくだし撮ってもらおうぜ」
「じゃあ、撮りましょう! どうぞどうぞ」
瞳に背中を押されて教壇の真ん中に立つ。雫のクラスメートであろうカメラマンが「笑ってくださーい。ポーズもどうぞー」なんて言ってきて。
「どうする? ピースでもしとくか?」
「お互いそういう柄じゃないだろ」
溜息交じりにアリスは言って、俺の腕に自分の腕を絡めてきた。
「ちょ、おい!」
「にへへ、これで撮影お願いしまーす」
カメラマンの返事の後に、カシャリ。そんな音がした。
写真はすぐに現像されて、俺達に渡される。
「これは・・・・・・」
「なかなかですねー」
瞳と雫が言う。アリスは「結構いいじゃん」なんて笑った。
笑顔で俺の腕に抱き着くアリスと、そんな彼女に慌てた様子で視線を向ける俺。
「また一つ黒歴史が生まれてしまった」
「別にいいじゃん。そういうならあたしがもらうぞ」
「好きにしてくれ」
「うん、好きにする」
溜息を零したが、まあアリスが嬉しいならそれでいいか。
俺達はそれから後輩二人と別れて外に出る。今度は出店巡りだ。
校門から結構な店が多いと思っていたが、やはり火を使える店は外らしい。
焼き鳥。
焼きそば。
たこ焼き。
まるで一つのお祭りのようだ。いや、文化祭だからお祭りでいいのか。
「・・・・・・お前さ」
「なに?」
フランクフルトを片手に返事をくれるアリス。
「ちっこいわりによく食うよな」
「ちっこいは余計だろ」
足を踏まれる。
しかし、喫茶店ではケーキ。出店で焼きそば。今はフランクフルトとそれだけ食べていたら不思議にもなる。
「いいんだよ、いっぱい食べても体系変わってないんだから」
そう言いながらフランクフルトをパクパクと食べきって、パンフレットを開く。
「さて、次はどこに行こうかなー」
「つーても、もうほとんど回ったんじゃね」
「そんなことないって。下級生の喫茶店とか、あ、ほら。カレーのお店もある」
「まだ食うのかよ」
「流石に今はいいや。明日の楽しみにする」
「そうしてくれ」
言いながら俺も横からパンフレットを見る。目に入ったのは舞台のプログラムだ。当然そこには軽音楽同好会はない。せっかくならあの演奏をまた聴きたかったけども、こればかりは仕方ないことだ。来年は一般公開日に訪れて聴くことができるだろうか。
「しかしな」
今は漫才を見る気のも、落語を聴く気にも、吹奏楽の音楽を聴く気にもなれないでいる。
「シュンタロー」
「なんだ?」
「ギター、聴かせてよ」
「はあ?」
いきなりなんだ。
「どこも微妙だって顔してたし、あたしも一緒楽しめるものがいいし」
「ギター弾くのが俺ならお前しか楽しんでないじゃん」
「そんなことない。シュンタロー、ギター弾くのは好きだろ」
「・・・・・・今は指が痛い」
嫌いだとはもう言えなかった。
「そこをなんとか」
「なんとかじゃねえよ・・・・・・」
溜息と共に歩き出す。
「え、どこ行くの」
「俺の荷物、第二音楽室なんだよ。・・・・・・ギターもそこにあるんだ」
「うん!」
二人で向かう。そこは文化祭という日であっても使われていなかった。俺の制服の入った袋やギターバッグが適当に置いてあるだけ。
「さて、と」
ギターをバッグから取り出して、引っ張り出したアンプ内蔵スピーカーに繋げる。
「ご所望は?」
「今のお前にそんなレパートリーないだろ。昨日の曲でいいよ」
「そいつはどうも」
適当に絃を弾いて、それから演奏を始める。
音が音楽に変わる。
昨日の景色を思い出す。
最高の舞台だった。あれ以上の舞台はないと思った。
昨日と同じように俺の奏でる音に乗せて、アリスが歌う。
今日は二人だけのライブだ。もちろん外に聴こえないように音は控えめだけど。
「楽しいな、アリス」
歌う彼女を見て呟いた。
「この時間がずっと続けばいいんだけどな」
でも、そういうわけにはいかない。曲はいつか終わるものだ。
「続けられるって、シュンタローなら」
「どうかな」
「お前が続けたいなら、お前が行きたいなら、あたしが連れていってやる。つーか来い。あたしと一緒に夢を叶えようよ」
まばゆい笑顔の中に不安そうな表情が見えた。
俺がついていけばアリスはもっと輝けるのだろうか。今よりもずっと高みへと行けるのだろうか。誰にも届かない場所へと向かう彼女の隣にいられるのだろうか。
「俺は」
少し躊躇って、でも、答えは決まっていた。
「俺はもう舞台には立たない」
今の俺がアリスの横にいられるなんて驕りもいいところだ。しかも彼女に手を引いてもらうだって? 俺は昔も、今も、彼女の足枷にはなりたくない。俺という存在が彼女を高みへといく邪魔になってしまうなんて、そんなことを許せるわけがなかった。
「昨日の舞台が最後。これで完全引退だ」
「え、な、なんで、どうしてそんなこと言うんだよ。最高だったじゃん、ちゃんと弾けてたじゃん、昔と同じように並んで一緒にいられたじゃん」
「それはお前の過大評価だ。そうじゃなくても昔と一緒じゃダメだろ。セイレーン」
「でも、そんなの」
アリスはさっきまでの笑顔なんてどこにもなくて俺の腕を掴む。
「それならあたしもやめるよ。セイレーンなんてやめるから、あたしと一緒に・・・・・・」
「アリス」
俺はそんな彼女を抱きしめる。
「昨日さ、楽しかったよ」
「・・・・・・うん」
「お前と仲直りがしたくて、もう一度立ち上がりたくて、俺はお前に全力で挑んだ。お前の言う通り最高だったよ。俺は満足だ。才能もない、根性もない、でも諦める勇気も持っていなかった俺の最後の舞台としては完璧だった」
「シュンタロー・・・・・・」
「お前はどうだ、アリス。お前はこんなところで終われるのか? お前の夢でセイレーンをやっているんだろう? お前の夢で海外に行くんだろう?」
「それは、でも」
「安心しろよ。俺はどこにもいかないからさ、ちゃんと待ってるから」
ぐすぐすと泣きそうになっているアリスの背中をぽんぽんと叩きながら言う。
「シュンタロー」
「なんだ?」
「毎日電話くれる? メール送ってくれる?」
「ああ、もちろん。国際通話かけ放題に契約しないとな」
「たまに写真送ってくれる?」
「善処する」
「会いに来てくれる?」
「行けるようにバイト頑張るよ」
アリスが俺から少し離れて見つめ合う。
「あたし、頑張る」
「ああ」
「だから、いつか、あたしがやりきったと思ったら」
「ああ、その時はずっと一緒にいよう。いや違うな。俺と一緒にいてくれ、アリス」
「うん、うん。一緒にいさせて、シュンタロー」
そして俺達は唇を重ね合わせた。
お互い自身を刻み込むように。




