6
普段よりも短い授業を終え、俺は早速ミュージックスクールで練習を始めた。
少しの時間も無駄にはできない。
できないのだが、昨日のこと、学校でのことが頭にちらつく。
久々――というほどでもないが、数日ぶりに登校してきたアリスはいつも通りだった。
クラスメートと笑顔で話して、ギターバッグを背負ってきた俺のことを見てニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
涼音も迎えには来なかったけど、いつも通りだったと思う。
意識していたのはむしろ俺の方だった。
心は落ち着かなくて、手元に集中できなくて。
「おい」
大先生に声を掛けられる。
「・・・・・・すみません」
初歩的なところで音を外して、やり直し。ずっとその繰り返しだ。
「もう時間ないんだろ、何やってんだお前」
「すみません」
謝ることしかできない。
大先生だってこの後は生徒を見るのだ。それ以外にも仕事はあるのに俺のことを見てくれている、時間をもらっているというのにこの体たらくとは自分が情けない。
「悩み事か?」
「まあ、そうっすね」
「今のお前にギター以外のことで悩んでる暇があるってのか」
「それは、はい。・・・・・・ないっす」
あるわけがない。
いくら弾けると言っても、あくまでも一応だ。まだまだ技術的に拙すぎる。悩むくらいの時間があるならその分演奏して技術向上を図るべきだ。
「いったん休憩だな」
「え、いや」
「とりあえず手を止めろ。今どれだけやったところで時間の無駄だ」
「・・・・・・はい」
言われてギターを下ろし、用意してくれたパイプ椅子に座る。
どうも体に力が入りすぎていたみたいだ。座ってみると自分が疲れていることを実感した。
「で、何に悩んでんだ、坊主」
「え、あ、それは・・・・・・」
内容が内容で言い淀むと、
「若いもんの悩みだ。どうせ色恋の類だろ」
図星を言い当てられる。
そこから何とも気まずい沈黙が流れて、
「・・・・・・」
大先生が何も言わないということは、話してみろということだろうか。
(まあ、独り言のつもりで喋ろう)
声に出してしまったほうがすっきりするかもしれないし、冷静な思考で考えることができるやもしれない。
「・・・・・・告白、されたんです。涼音――覚えてますよね、藤森涼音」
「覚えとるよ。藤森の嬢ちゃんだろ」
「彼女に告白されて、それから、俺はアリスのことを特別に想ってるって」
「ほう?」
「俺、そんなこと考えたこともなかったんです。俺にとって、涼音も、アリスも、同じ幼馴染で友達。それ以上に踏み込もうなんて考えたこともなかった。考えようともしなかったんで、どうしても考えちゃうといいますか」
あのときの涼音の顔を思い出す。
「アリスのことも、涼音のことも、嫌いじゃないといいますか、その、好きです。でも、それがどういう意味で好きなのか自分でも分かってなくて。意識しちゃって」
「青臭いねぇ」
大先生は溜息と共に言った。
「まあ、そうっすよね」
「でも分からん話じゃない」
「え?」
「意外そうな顔すんな。俺だって普通に恋をして、結婚して、亮の父親やってんだぞ」
「それは、そうですね、たしかに」
「まあなんだ。一つだけ言えることがあるとしたら」
大先生は咳払いを一つして言葉を続ける。
「お前さん、誰のために戻ってきたんだ」
「それは」
「自分のためか? 藤森の嬢ちゃんのためか? 天ヶ瀬の嬢ちゃんのためか?」
「それは・・・・・・アリスを怒らせて、謝罪しようと思って、その機会として一緒に音楽をやれる舞台を、時間をもらっただけなんです。それって誰かのためとか、そんなのなくて。自分のためなんだと思います」
これは全部自分のためだ。
しかも、自分が立ち上がるきっかけをアリスに付随させている。
「今日はここまでだな」
「え、あ・・・・・・」
言われてみて時間を確認すると、ミュージックスクールの生徒がまもなく集まってくる時間だった。
(何やってんだ、俺は)
自己嫌悪に陥りながらも帰り支度をする。
流石に延長してくれなんて我儘は言えないし、今の状態で練習を続けたところで大先生の言う通り時間の無駄だろう。
「俊太郎」
ギターバッグを背負ったところで声を掛けられ、振り向く。
「自分のためでも当然いい。ただ、その自分が誰に一番聴かせたいのか考えろ」
「聴かせたい、ですか」
「そうだ。考えてこい。そうすればその道に沿って歩くだけだ」
そう言うと「帰った帰った」と手を振られる。
俺は帰り道も、自宅に戻ってからも、大先生の言葉を考え続けた。
ギターバッグやらの荷物を適当に置いて、俺は制服のままベッドへ倒れこむ。
音楽を、ギターを始めた理由は親の影響だった。俺は真似をしたかった。それが気付けばといった感じだ。
続けてきた理由は、なんだろうか。
ギターが好きだったから?
プロになりたかったから?
それは間違いない。
昔の景色が脳裏に浮かぶ。
今よりもずっとガキだった自分と、その横にはいつも幼馴染達がいた。
涼音がいた。
アニキがいた。
アリスがいた。
楽しかった。ずっと続けていきたいと思った。プロになるんだと息巻いていた。
あの時に――、いや、今までも俺は誰かに聴かせたいと思ったことはあっただろうか。ずっと全部自分のためでしかなかったような気がする。
「・・・・・・いや」
アリスだけは違う。俺はずっとアイツの歌に挑んできた。
アリスはすぐ傍にいた。
アリスの歌声が好きだった。
アリスがプロになってから有名になっていくのはあっという間で、アイツはどんどん先へ進んでいった。俺は置いていかれた気分で、それでもやめようとは思わなかった。
アイツの声は魔性だ。
たった一曲歌っただけで聴いたものを魅了する、セイレーンそのものだった。
コンサートで。
CDで。
テレビで。
動画サイトで。
ラジオで。
セイレーンが歌うと誰しもが耳を傾ける。
それは国内に留まらない。世界中が彼女の歌声を認めた。
俺はそんな彼女が誇らしかった。そして必ず追いつくつもりでいた。俺のギターはアイツに届くと信じていたのだ。
「少なくとも、事故に遭うまでは・・・・・・」
ぎゅっと左手を握る。
あの時、俺はアリスの横に並ぶ資格を失った。
「でも」
でも、俺はもう一度立ち上がった。
俺は聴かせたい。聴かせないといけない。これが俺の音だってアイツに。
「・・・・・・よし!」
起き上がって、ギターとアンプにヘッドホンを用意して、そうして一曲だけの練習を始める。
あっさりと納得してしまった。
俺にとってアリスは特別だ。
だから、今はアリスのために、もっと練習しよう。
「格好悪い姿は、もう見せたくないからな」
絃を押さえて弾く。
何度も何度も繰り返していく。
翌日。
「少しはマシな顔になったな」
ミュージックスクールに訪れた俺の顔を見るなり、大先生はそう言った。
「そうっすね。まあ、昨日よりは集中できるくらいには」
「当たり前だ馬鹿もん」
「ウス、とにかく頑張りますよ」
今は頑張ることしかできないのだ。
がむしゃらに。そう、ただがむしゃらに練習するしかない。
ミュージックスクールでの練習を終えても今日は終わらない。
自宅に戻ったらヘッドホンを使って練習漬け。
だが、もちろん大切なのは本番だ。指のマッサージとケアも入念に行っておく。こうしてギター漬けの時間を過ごしていると、何故だか懐かしい気持ちになれた。
それも当然のことだ、とすぐに答えが出る。
(二年前はずっとこうだったじゃないか)
平日は学校終わりに練習して、
休日は一日中練習して、
ときにライブやオーディション。あれだけ忙しい日々を過ごしていたというのに、やめてしまえば簡単にだらけられるのだから人間とは不思議なものだ。
「さて、と」
マッサージを終え、もう少し練習しておこうかとギターを手に取ったところで、
ピンポーンとドアホンが鳴る。
時計を確認すると時計は夜八時を回ったところで、こんな時間に来客とは珍しい。
二度目のドアホンが鳴らされ「はいはい」とドアを開けてみると、
「よお」
「アニキ?」
「え、えへへ」
「涼音も」
両手に荷物を持った二人が玄関の前に立っていた。
「あたしもいるんだが?」
「ああ、わり。小さかったから気が付かなかったわ」
「なんだよ。そんなに三途の川まで遊びに行きたいのか?」
「冗談だ」
こんな時間に外で話しているのも近所迷惑だ。とりあえず三人に部屋へ上がってもらう。
「で、急に何の用だよ」
「いや、ギターの練習を再開したって聞いたから、また練習漬けになってるんだろうと思って色々と差し入れをな」
そう言われて差し出された袋にはカップ麺やらレトルト食品が詰まっていた。
「本当は体に良くないんで勧めたくはないんですけど、俊太郎、放っておくと何も食べなくなるので仕方なくです」
「いや、そんなことは」
「あったでしょう」
言われてみれば昔そんなこともあった気がする。
実際、今の今まで練習していて晩飯も食べていないわけだし。
「それで、アリスは?」
「なんだよ、来ちゃ悪いのか」
「そんなことはないけどな。あれだと思ってたわ、本番まで必要最低限のやり取りする気はないみたいな」
「スポコン漫画の読みすぎじゃねえの」
別に読んではいないが。
「あ、でも、今日はここで練習するなよ」
「あ? なんで」
「お前のギターを聴くのは本番がいい」
「・・・・・・そうかい」
やっぱりそういうキャラじゃねえかという気持ちは飲み込みつつ頷く。
「あ、いや、ちょっと待て。本番まで聴く気がないってことは、リハーサルも音合わせもしないつもりなのか?」
「うん。必要はないだろ、そんなん」
「いやそれは・・・・・・」
正直自信がなかった。
昔みたいにお互い毎日のようにやっていたときならいざ知らず、今はブランクどころか手さえ変えた俺だ。しかも相方は天下の歌姫様。
「安心しろよ。あたしがお前に合わせてやる」
「・・・・・・ああ、そんときはよろしく頼むよ」
プロに合わせてもらえるんだ。
大船に乗ったつもりでいこう。
「お話はまとまりましたか?」
「ああ」
横からの涼音の言葉に頷く。
「はい、それでは晩御飯の準備をしますね。台所を見る限りはまだのようですので」
「う、いや、すまん、その通りだ」
「いいですよ、そうしている方が俊太郎らしいです」
涼音はそう言いながら台所に立つ。
手伝おうとしたところでアリスに手で制されて、彼女が「手伝うぜ」と向かってしまった。
必然的に残されたのは俺とアニキで、アニキが話題を振ってくる。
「どうだ、親父に絞られたりしてないか?」
「いや、昔と変わらない。ためになるアドバイスをもらってるよ」
思い返してみて、今日一日で数回怒鳴られたことを思い出す。
しかし、どれも明確な自分のミス。その後もどうすればいいかアドバイスももらえるので感謝こそすれど恨み節は浮かんでこない。
「いやあ、親父は昔からお気に入りには特段厳しいからな」
「そうか?」
昔から誰にでも厳しいイメージがあるのだが。
「まあ、お前が気にしてないならいいか」
アニキはそれよりもと話題を変えて、
「涼音となんかあったのか」
その質問に台所の方からガシャーンと何か落とす音が聞こえた。
「だ、大丈夫かよ、涼音」
「大丈夫です・・・・・・ちょっと手が滑っただけで」
見に行こうかと思ったが、二人の声色を聞く限りどうやら問題はなさそうだ。
アニキは溜息を零して、声のボリュームを落とす。
「涼音のやつ、俊太郎の話を出すとずっとあんな感じなんだよ」
「あ、ああ・・・・・・」
「で、なんかあったの?」
「あー、と、なんていうか・・・・・・そうだな」
大先生には勢いで話してしまったが、いざ説明しようとすると気恥ずかしいなんてもんじゃないし、勝手に話していいものなのか涼音にも申し訳なくなってくる。
「話せる時が来たら、話すよ」
そう言うだけに留めておくと、アニキはどこか納得したように「そうかい」と頷いた。
「昔はガキだったのに、どんどん成長していくんだな、お前らも」
「そりゃそうだろ」
「分かってはいるんだけどな、寂しくなるもんなのよ」
ずっと仲良く過ごしてきたが、たしかに俺達とアニキは十歳近く年が離れている。その分だけ考えや視点が違うこともあるだろう。その視点で燻っていた俺のことを今まで見守ってくれていたのかもしれない。
迷惑をかけてきたのは涼音だけじゃないのだ。
「アニキ」
「ん、なんだ?」
「いや、その、なんだ。ありがとうな」
俺が礼を言うと、アニキは訝しげな表情を浮かべる。
「急になんだよ」
「今まで迷惑かけたし、感謝してるって伝えとこうかなと」
「あーん?」
アニキはガシッと俺の頭を掴んで乱暴に撫でる。
「な、なにすんだ!」
「俺達の仲でそんなこと気にするんじゃねえ!」
「ああ、くそ、離せよ!」
しばらく二人でそんなやり取りをしていると、料理を持ってきた涼音とアリスが戻ってきて、
「男同士で何やってんだ、お前ら」
指摘されて冷静になる。
たしかに何をやっているんだ、俺達は。
「まったく、先生も俊太郎も子供みたいですね」
否定できない。
二人苦笑し、二人笑って、俺達の時間は過ぎ去っていく。




