4
アリスが転入してから二週間があっという間に過ぎた。
髪は赤いし、不良扱いの俺に平気で暴力を振るうし、最初は遠巻きに見られていた彼女だったが、芸能界で身に着けた力なのだろうか。瞬くうちに間にクラスへと溶け込んでいき、
「今日のお昼はクラスの友達と食べるから」
「はあ」
「じゃ、そういうことで」
ここ最近の昼飯はずっと涼音と三人で一緒に食べていたのだが、そう言い残してアリスは席を離れて俺は一人残される。
「変われば変わるもんだな」
昔はもっと引っ込み思案なやつだったのに、あっさり交友関係を広げるとは。
今日は涼音も弁当を作ってきていないし、俺も学食か購買かと席から立ち上がったところで、
「フラれちゃいましたか」
にっこりと笑う涼音の姿。
「そもそも誘ってねえよ。勝手に言ってきただけだ」
「そうでしたか」
「そういうお前はどうなんだよ」
「うーん、私はフラれた側ですね。さっき声を掛けたら先約があるから二人で食ってくれと言われました」
「あっそ、じゃあ、学食でも行くか?」
「はい!」
元気な返事を受けて、俺達は二人学食へと足を向ける。
当然ながら混みに混んでいる場所だ。
「相変わらず混んでますね」
「ああ、これなら購買でパンでも買って中庭行ったほうが現実的かもな」
今から二人座れる場所は難しいかもしれない。そう思いながら俺が適当な席に近づくと、
「あ、さ、相模さん・・・・・・」
「あ?」
「え、あ、いや、その、ここ空きますんでっ」
座ってパンを食べていた下級生らしき二人組が席を空けてくれた。
「・・・・・・不良特典ってやつですか」
「いやいや、勝手に怯えられても」
まあ、しかし苦労せずに席を確保できたのは僥倖だ。適当に荷物を置いて目印にすると食券売機へ向かう。
「私、実は学食のご飯ってあまり利用したことないんですよね」
「言われてみれば」
基本的には弁当だし、作ってこない日はコンビニの菓子パンや購買のものだ。こいつが学食で席を取って食事をしている印象はなかった。
だからといって涼音は悩むことなく、「カレーの気分ですね」と素早く決めて、俺も同じものを注文すると、これまた素早く配膳した学食のおばちゃんからカレーライスの乗ったお盆を受け取って席に戻る。
「涼音ってカレー好きだっけ」
「強いて言うほどじゃないですけど、でも、カレーが嫌いな人って少ないと思いますよ」
「そりゃまあ、そうか」
カレーが好物って話は聞くが、カレーは嫌いだという話はたしかにあまり聞かない。
それから話題を見つけられなくて、しばらく無言で食事を続けた。
仲のいい幼馴染――のつもりだが、俺と涼音は一緒にいる時間が多くて友人というよりは家族みたいな気さえしてくる。いざ二人きりで顔を合わせると話題が思いつかない。
「俊太郎は」
そんな沈黙を破ったのは涼音だった。
「どうした?」
「俊太郎は最近真面目ですね」
「・・・・・・そうか?」
たしかにアリスが来てからのこの二週間、涼音は迎えにくるし、アリスはサボれば暴力を振るうし、真面目に過ごさざるを得ない環境にいたのは間違いない。だが、いざ言われるほど真面目な生活はしているだろうか。
「今までと比べれば真面目じゃないですか」
「底辺のときと比べても仕方ないだろ」
「それはそうかも」
涼音は困ったように笑い、
「でも、ちょっと寂しい気もしますね。俊太郎が真面目だと説教できません」
「え、お前そういう性癖なの」
「そういう意味じゃなくて! でも、ちょっとくらい不真面目でないと話す機会が少なくなると言いますか、何と言いますか」
「ああ?」
後半ごにょごにょと言われて上手く聞き取れないが、
「でも遅刻してこないのはお前が迎えに来るからだぜ?」
「それは、そうですね。でも遅刻はよくないです」
「そりゃそうだけどな」
じゃあ、お前は何が言いたいんだという話になる。
「あの、忘れてください。ごめんなさい、変な話して・・・・・・ちょっと焦ってるのかな」
「別にいいけど。まあ、あれだ。悩み事なら聞くけど?」
「いえ、それほどのことじゃないんです。ほんとに」
「あっそ」
本人が何事もないというのであれば、深くは追及しても仕方ない。
「俊太郎こそ、何か話題はないんですか?」
「話題?」
いきなり言われても思いつかないが、いや、一つだけ聞きたいことがあった。
「お前ってさ」
「はい?」
「まだピアノ続けてんの?」
「ピアノですか? ええ、はい。勉強の息抜きとかで。どうせ家にありますし。・・・・・・それがどうかしたんですか?」
「どうかしたってほどでもないけどな。まあ、なんとなく」
そう、なんとなくだ。これと言って深い意味はない。
「・・・・・・もしかして、また始めるんですか?」
「あ? 何を?」
「それは、ほら、あれですよ」
彼女の言わんとすることはわかる。
だからこそ俺は鼻で笑って、
「まさか。そんなことじゃねえよ」
「そうなんですか?」
「ああ」
今更やったって時間の無駄だ。そもそもどうやってやるんだ。
それから俺達は他愛ない会話を挟みつつ食事を済ませて教室に戻り、
いつも通り残りの授業を受け、
今日の学校生活が終わろうとした放課後。
クラスは迫る文化祭について浮足立っている。クラス単位で何か催しもやるみたいだったが、俺みたいなはぐれ者には関係のないもので興味も感心もない。
そんな中で、
「水族館、行きてえな」
横に座るやつが突然そんなことを言い出した。
はあ、そうですか。
内心で適当な返事をしつつ帰ろうと席を立つと腕を掴まれて、
「水族館に行きたい!」
「行けばいいじゃねえか」
「いや、そこは誘えよ! あたしが行きたいって行ってんだぞ!」
「意味わかんねえよ! 勝手に行けばいいだろ!」
俺は別に水族館なんぞ行きたくない。
「一緒に遊ぶって言ったじゃん!」
「それとこれとは話が違うし、それならお前が俺を誘えよ!」
「誘うのはシュンタローの役目だろ!」
「そんな役目ないわ!」
付き合ってられん。俺は腕を振りほどいて教室を出ようとすると、
「今度はお前か、涼音」
目の前に立ち塞がる女の顔を見て溜息を零す。
「まあまあ。そう怒らないでくださいよ」
「言っとくけど水族館には行かないからな」
「あら、では選択肢をあげます」
そう言って涼音は指を三本立てる。
「一つ目、水族館。二つ目、遊園地。三つ目、動物園」
「あたしはどれでもいいぞ!」
ひょっこりとアリスが顔を出す。
俺は二人の顔を見てゆっくりと頷いた。
「どこも嫌だよ」
「なんでだよ!」
「なんでですか!」
「嫌に決まってんだろ。休日は混んでるじゃねえか。人込みは嫌いなんだ」
「休みながら遠出するんだろ!」
「そうですそうです!」
「じゃあ二人で行けよ!」
俺は絶対に行かない。そう固い意志を持ちながら廊下で言い合っていると、後ろからコツンと頭を叩かれた。
「いったい何を騒いどるんだお前たちは」
「あ、アニキ――じゃなくて、亮セン! ちょうどいいところに来たな!」
「どした?」
「アンタからも二人に言ってやってくれよ」
「あん? いったい何を?」
「水族館やらなんやら、どっか遠出させようとするんだ」
「あー、その話か」
アニキも話を聞いていたのか納得したように頷いた。
「あれ、お前行かねえの? さっき四人分チケット取っちまったんだけど」
「おー、さすが先生! 仕事早いじゃーん!」
「だろー?」
アニキとアリスがハイタッチしている様子を見て、俺は一人愕然とする他なかった。
「元から選択肢なんてないじゃねえか」
「あはは・・・・・・。あの、一応出かける候補のものではあったんですよ。ただ先生のチケット購入が一足早かっただけです」
「・・・・・・別にいいけどよ」
この際どんな理由があろうと関係なくなった。
「・・・・・・それで、いつ行くんだよ?」
諦めて溜息を零す。
「え、来てくれるんですか?」
「チケット取っちまったなら仕方ないだろ」
「日付は次の土曜日のつもりなんですけど」
「日付指定のチケットじゃないから、一応数日ならずらせるけどな」
「いや、土曜日なら大丈夫だ」
別に予定があるわけじゃない。
ただ観たいテレビの番組と被るのは嫌だった。土曜日なら問題なかったはずだ。
「よーし、それなら土曜日だな。今から楽しみだな!」
「小学生かよ」
「年齢なんて関係ないだろ。楽しみなことはいつだって楽しみだ」
「はいはい、そうかい」
この笑顔が、この無邪気な笑顔がプロへの――誰も手の届かない場所までいった歌姫の素顔だと俺は心から信じることができないでいた。
「どうかしたのか?」
「別に」
分かり切った事実を受け入れられないのはただの現実逃避だ。
俺がどう思おうと、こいつはアリスでセイレーンなのだと自分に言い聞かせる。
「土曜日めんどくせえなと思っただけだ」
「ああん? ノリの悪いこと言うなよ!」
背中を強く叩かれてバシンッと大きな音が響く。
「ってえな、この!」
「にへへ、そう怒るなって」
やっぱりセイレーンがアリスだなんて何かの間違えじゃないのか?
俺は溜息を零すしかなかった。
*
そんなやり取りからあっという間に日が過ぎていき、土曜日。
昔の夢を見た。
いや、昔ってほど昔の記憶じゃない。
たった二年ほど前の出来事の夢だ。
そう、あの日からずっと続く悪夢だ。
俺はギターバッグを背負って自転車を押して、涼音と隣町のライブハウスから帰る途中だった。
どんな会話をしたのかまでは覚えていない。
たしかあの日は知り合いのバンドに頼まれてサポートで参加して演奏していたのだ。きっと失敗したところや、もっと上手くできたところを涼音に愚痴っていたのだろう。昔の俺達ならありふれた光景だった。
いつも通りの時間。
何も変わらない光景。
その中に異物が入り込んだ。
ふらふらと加速してくるトラックが歩道に突っ込んできたのだ。
俺は考えるよりも先にギターバッグを投げて、それから涼音を庇った――そこまではちゃんと覚えている。
次に目覚めたときは病院だった。涼音も擦り傷だけで済んで、真っ先に投げたギターも無事で、自転車はフレームが歪んで・・・・・・。
それから。
それから・・・・・・。
(・・・・・・ひでえ顔してんな)
歯を磨きながらそんなことを思う。
悪夢を見たからだろうか、顔色が最高に悪い。少なくともこれから遊びに行くような気分でもない。どうでもいい用件ならドタキャンして二度寝するレベルだ。
「・・・・・・はあ」
溜息を零す。
せっかく出してもらったチケット代は無駄にしたくないし。
・・・・・・何よりだ。
日が近づくごとに楽しみだと騒いでいたアリスの姿が脳裏に浮かぶ。あの表情を裏切るなんて気にはなれなかった。
バシャバシャと冷たい水で顔を洗えば多少はマシになった、気がする。
気力がなくならないうちに着替えを済ませて、朝飯代わりの野菜ジュースを飲んでいるとドアホンが鳴る。おそらく迎えが来たのだろう。
「あ、ちゃんと起きてました」
合鍵を持って驚いた顔を浮かべる涼音。
「用事があったら起きてるよ」
「そうですか。感心感心」
「・・・・・・しかし」
白いブラウスにチェック柄にスカート、涼音らしい落ち着いた服装。私服姿を見るのも随分久しぶりな気がする。コイツはたしかに合鍵を使って入ってくるけども、流石に休日までは訪れない。
「あら、見惚れちゃいました?」
「何に」
「私の私服姿に」
「まさか」
物珍しかっただけだ。
それだけのはずだ。
「そ、それで、だ」
話を打ち切るように喋る。
「なんです?」
「迎えに来ることは聞いていたけどさ。待ち合わせの場所ってどこなんだ?」
「あれ、言ってませんでしたか?」
「まったく聞いてない」
俺が知っているのは行き先と迎えにくる時間くらいのものだ。
「そうでしたか、ごめんなさい。・・・・・・でも焦ることはないですよ。なんたってここですから」
「ここ?」
「はい、ここまで車を回す手はずになっています」
「車って」
何一つ聞いていないが。
「こんな早くだぞ? バスとか使うんじゃ――」
「おーい! 迎えに来たぜー!」
俺の言葉を遮るように聞き覚えのある女の大声が耳に入ってくる。
「馬鹿野郎! お前、喉を潰すつもりか!」
反射的に大声で返した後、しまったと思う。
「違う違う! 近所迷惑だろ!」
「ふふふ、あなたのほうがうるさいですよ。俊太郎」
「あ、そ、そうか・・・・・・」
幸い防音性の高いアパートを選んだおかげか壁ドンも注意の声も入ってこないが、いつされてもおかしくない。準備は済ませてある。財布の入ったボディーバッグを取り、ポケットにスマホを入れて俺は部屋を出た。
「勘弁してくれ・・・・・・朝っぱらだぞ」
「わりー、わりー」
アリスは反省しているのかどうなのか分からない返事で迎えてきた。
「おはよう、シュンタロー」
「ああ、はよ」
挨拶を返しながら運転手に顔を向けて、
「アニキもおはよ」
「おう」
「つーか車なんて持ってたっけ」
「非常勤講師みたいな貧乏にマイカーなんてあるわけないだろ。親父のだよ」
「ああ、大先生のか」
道理で見覚えのある車だと思った。
ちなみに大先生とはアニキの父親のことだ。
その由来はアリスと涼音が当時アルバイトだったアニキを先生と呼ぶことからである。「息子が先生なら俺は大先生だ」と宣言した出来事は今も覚えている。
「親父もお袋も会いたがってたぞ。涼音と違ってお前はなかなか顔出さないから」
「会いづらいんだよ。ほら、もうやってないからな」
「知られてるんだから気にする必要なんてないだろ」
「まあ、な」
「しかも預けたままなんだろ、あれ」
「・・・・・・ああ」
大先生はたしかに事情を知っている。だからこそ会いづらいという気持ちはもちろんあって、でも、それ以外にも離れる理由を自分で作っている気がしてモヤモヤして。「そのうち行くよ」と適当に返事をしつつ車の助手席に乗り込んだ。
「よし、お前ら準備はいいか?」
「ああ」
「大丈夫です」
「問題なーし!」
「よっしゃ、それじゃあ出発だ!」
アニキがそう宣言すると、車はゆっくりと前に進みだした。
目的地の水族館は遠いと言っても車を使えば一時間を少し過ぎるくらいで到着する。のんびり寄り道しながらでも十分見て回る時間が取れるだろう。
「というより、集まった時間が早すぎないか?」
「そう?」
「いやだってアリス、今まだ八時半を過ぎたところだぞ? あの水族館の開園時間ってたしか十時じゃなかったか?」
「そうだけど、せっかくなら一番乗りしたいじゃん」
「別に興味ねえよ」
これなら早起きする意味もなかった――と脳裏に過るが、悪夢から解放されたことを考えれば早起きしたこともそこまで悪い事ではなかったか。
「アニキには悪いけど俺は寝る。着いたら起こしてくれ」
しかし眠いものは眠い。
「気にすんな。おやすみ」
「おやすみなさい」
「すみー」
三人の会話をBGM代わりに目を瞑る。
悪夢を見ていた影響でやはり睡眠時間は足りていなかったらしい。意識はあっさりと闇の中に落ちていった。
そしてまた夢が始まる。
二年前のいつか、どこかのプロダクションのオーディションに俺とアリスは参加した。
今度こそと俺は必死にギターを演奏した。
俺には才能がある。
俺の才能はこんなもんじゃない。
俺はこんなところで埋もれない。
信じて、言い聞かせて、願って、絃を弾き続けた。
――結果はいつも通りだった。
ボーカルだけ、是非、是非とも採用したいと。
いつもなら俺達は断って、また次があると笑っていた。また次に挑もうと思えていた。
いや、今までは笑っていたつもりだったのかもしれない。
あの日は違った。
俺はアリスにプロへなることを勧めた。
今の俺じゃ足手まといだと。そう伝えた。
否定する彼女に、俺は必ず追いつくと約束して、説得して、やがて彼女は頷いた。
そうして歌姫は生まれた。
セイレーンは高みへと昇っていき、俺は崖から転げ落ちたままだ。
「・・・・・・俺、は」
声が出る。意識が浮上する。
「お、起きたか」
「あ、ああ、アニキ」
何度か瞬きをしてから「今どのあたりだ?」と訊くと、
「もう少しで着く。窓見てみろよ」
言われて視線を動かす。視界に広がったのは広大な海。
「・・・・・・奇麗なもんだな」
「な。これだけ晴れてればサーフィンも楽しそうだ」
「アニキって結構多趣味だよな」
昔から趣味の多い男ではあったが、まさかサーフィンまで嗜んでいるとは思わなかった。
「お、起きた?」
「ああ」
後ろからアリスに声を掛けられて頷く。
「いいタイミングじゃん」
「そうみたいだな」
答えてから、窓からの景色に目を向ける。
海の青い景色がどこまでも広がっていく。
その光景は奇麗で、怖くて、広大で。
「シュンタローは海が好き?」
「どうかな」
好きでも嫌いでもないというのが本音だ。
「でも、お前はこの先へ行くんだな」
俺の言葉にアリスの頷く気配を感じた。
もちろん今視界に広がる海の先がアリスの行き先ということはないだろうが、いや、彼女は世界中で評価されている歌姫だ。きっといつか世界ツアーだって開かれることだろう。そうなれば世界の全てが彼女の行き先となるに違いない。
「すごいんだな、お前」
「そんなことないって」
謙遜するなよ。
そう言おうと思ったのだが、彼女の声はどこか物憂げで言葉を失ってしまった。
まあ、プロの世界にも色々あるのだろう。上には上がいる――という言葉が彼女に当てはまるものかどうかは分からないが、色々と思うこともあるかもしれない。何にしても一般人の俺には分からないことだ。
やがて俺達を乗せた車は水族館付近の駐車場へと入った。
「よし、到着だ」
流石は開園時間前で駐車場は空いていた。アニキは適当な場所に車を止めて、俺達は車から降りて体を伸ばす。
「おー、着いたか」
「でも、やっぱり自家用車だと早く感じますね。公共の乗り物使ってここまで来るのはどうしても時間が掛かるので」
「ああ、でも普通に体が痛てぇわ」
「それは座席で動かず寝ているからでは?」
「ごもっとも」
頷きつつ腕時計で時間を確認すると、開園まで三十分くらいといったところ。ちょうど一時間くらいで着いた。
「やっぱり早すぎじゃねえの」
「そうでもないって。あたし達四人で話していたらあっという間だろ」
アリスの言葉に涼音もアニキも「たしかに」と頷く。
俺は一人だけ息を吐きだして、
「帰って寝たい」
「そんなこと言うな」
怒られた。
それから俺達は他愛ない話をしていると気が付けば開園時間が近づいていて、
「言ったとおりだろ?」
得意げな顔をするアリスにイラっときたが、まあ事実だ。俺は笑顔で受け入れる。
「お前の作り笑い怖えな」
「失礼だな!」
そんなことはない。
「子供の前ではやるなよ」
「私もそう思います」
アニキも涼音も若干引いた様子でそんなことを言う。
そんなに下手くそな笑顔だったのか? 自分の顔を触って確かめてみるが当然何か分かるわけもなく、もう一度溜息を零した。
「さて、気を取り直していくぞー!」
「「「おー!」」」
俺以外の三人の声が重なる。元気だなこいつら。
そして俺達は水族館へ入場する。
入り口の先はホールになっており、チケットカウンターとお土産売り場になっていた。その売り場にあるサメのぬいぐるみへと真っ先に向かうアリスの首根っこを掴んでチケットカウンターへ向かって、
「ごゆっくりお楽しみください」
カウンターの人からチケットの半分とトレードするようにパンフレットをもらおうとして、
(しまった)
左手で受け取ろうし、掴み切れずにパンフレットを落とす。
「あ、申し訳ありません!」
「いえ、こちらこそ」
カウンターから出て拾おうとしてくれるが、手で制して自分で拾う。
それから何事もなかったように水族館の展示コーナーへと足を踏み入れた。
「大丈夫ですか、俊太郎」
「あ? 何が?」
「先ほどパンフレット落としていたので。その、左手で受け取ろうとしたんですよね?」
俺は左手を開いて閉じて。
「反射的に受け取ろうとしちまっただけだ」
「あの、その、なんて言えばいいのか」
「別に気にすることでもないだろ。手を滑らして物を落とすなんて誰にでもある」
俺の場合左手だとその頻度が多いだけだ。
「そんな顔してるとアリスに心配されるぞ」
「そう、ですね。・・・・・・はい、笑顔でいます」
「ああ、そうしてくれ」
涼音の作った笑顔を見届けて、俺は展示水槽へと目を向ける。
長寿らしいなんちゃらサメ。
何故かカメラ目線のでかいカニ。
学校にいる熱帯魚と違いが分からない小さな魚。
アジなど食べたことすらある見知った魚。
たくさんの水槽に、たくさんの海洋生物。こうやって生きて泳いでいる姿を見る機会はそう多くない。水族館もたまに来てみれば面白いものだ。興味が引いたものをスマホのカメラでいくつか撮っていく。
「なあ、ところでなんで水族館だったんだ?」
そう言えば理由を聞いていない。横で同じように写真を撮っていたアリスに話を振る。
「んあ? 理由?」
「ああ。遊ぶんだったらそれこそ遊園地の方が楽しめただろ」
「うーん、そうか?」
「てか、お前は遊園地の方が好きだと思ってた」
「それって、あたしが子供っぽい方が好きそうってこと?」
「え、違うの?」
返事の前に拳が飛んできて、寸前のところで躱す。
「あぶねえ!」
「避けんなよ!」
「馬鹿言うな!」
「馬鹿っていうほうが馬鹿だぞ!」
「今のはそういう意味じゃないだろ!」
そんな言い合いをしていると、アニキと涼音は呆れたような表情をしていた。
「また始まったか、お前らは」
「息が合うと言いますか、性格が似ていると言いますか」
「こんなちびっこと似てたまるかよ」
「こっちだって不良かぶれと同じ扱いしてほしくない」
「そっくりじゃないですか」
「いや、だから――」
売り言葉に買い言葉で睨みあうが、周囲の目線が俺達に集まっていることに気が付いて俺は咳払いを一つ。いくら喧嘩を売られたとしても俺だってガキじゃない。ここはクールに流すべきなのだ。
「クールに流したいなら、最初から怒鳴りあったりしませんけど」
「心の内を読むんじゃない」
「ともかく、仲のいいことは結構ですが、ここは公共の場ですよ。そこはちゃんと弁えてくださいね、俊太郎?」
「あ、ああ・・・・・・悪かった」
俺一人が頭を下げているこの状況は釈然としないが仕方あるまい。
そんなやり取りも挟みつつ、水族館での時間はなんだかんだ楽しく過ぎ去っていった。
展示水槽のコーナーから外の空間に出るとペンギンやアシカのいる広場へ。
女子というのはやっぱり可愛い動物が好きなようで、アリスも涼音もペンギン達に釘付けとなっていた。
俺とアニキはそんな二人を近くのベンチで座って見守ることにして、
「いや、若さには勝てんな。ちょっと歩き回っただけで疲れたわ」
「そんなに言うほどアニキだって老けてないだろ」
「こちとら二十代も後半だぜ? 二十過ぎたら老いる一方、もう老けまくりよ」
「アニキが体力ないのはただ運動不足なだけだろ。あんたより年上で精力的な人だってもっとたくさんいる」
「そうだろうけどなぁ」
言いながら体を伸ばして、
「話は変わるんだけどさ」
「あ? なんだよ」
「お前、このまま何も言わないつもりか?」
アニキは真面目な顔を作ってそう言った。
「なんのことだ」
言いたいことは分かっていて、それでも俺は知らないふりをした。
「どうしてギターをやめたのか、アリスに話さなくていいのか」
「良いも何も、言ったって何か変わるわけじゃないし」
「それ、言わない理由にもならないだろ」
「・・・・・・まあ、そうかもな」
たしかにその通りかもしれない。だからといって打ち明ける気持ちになるわけでもなくて。
「俺は打ち明けた方が良いと思うぞ」
「・・・・・・なんでよ」
左手を開いて、握る。
外見に問題はない。
指はちゃんと五本ある。
問題があるのは中身――感覚がないのだ。事故の影響で中指、薬指、小指の感覚と力を失ってしまった。利き手じゃないから日常で困ることは少ないのだが、ギターの絃が押さえられない。これはギタリストとして致命的だった。
「まあ、別にいいだろ」
どうしたってもう昔のようには演奏はできない。それなら、やめたって同じだ。
「俊太郎」
アニキは何か言いたそうにして、
「いや、なんでもないわ」
けれども口を閉じる。
俺を思ってアニキも言ってくれているんだと分かる。それでも、俺はアリスに話そうとは思えなかった。
そして。
水族館で時間を過ごし、お土産を買って、そのまま近くをドライブして。
やがて日も暮れだして、俺達は帰路に着こうとしていた。
「いやー、楽しかったな!」
満喫した顔でアリスが笑い、
「イルカショーすごかったですね。レインコートのレンタルがあって助かりました」
同じような表情で涼音も笑顔で。
俺も、まあ、それなりに楽しめた。
「やっぱりこのメンバーだと最高だよな」
アリスの言葉に全員が頷く。この四人だからこそ楽しい。それには俺も共感できた。
「あー、やっぱり海外いくのやめようかな」
笑顔のまま、そうアリスは言った。
「またまたそんな冗談・・・・・・」
「いや、割と本気。セイレーンなんてのもここでやめてさ。これからはこうやって皆と過ごしていくのもいいよな! てか、めちゃくちゃよくね? 最高じゃんな!」
「え、でも、夢だったって言ってたじゃないですか」
「まあ、そうだけど。夢なんてコロコロ変わるもんじゃん? まだ若いんだしー」
「アリスちゃん、それはそうかもですけど――」
涼音の言葉を遮るように、
「ダメだ」
割り込む形で、反射的に俺は言葉を口にしていた。
「それはダメだ。アリス」
「んー? なんだよ、シュンタロー」
「やめるなんて馬鹿、冗談でも言うんじゃねえよ」
「は?」
「お前は海外に行って、もっと輝けるんだ。お前の歌を求めている人が大勢いる。お前の輝く姿を見たい人が大勢いる。歌うことで救われる人がいる。お前は愛されているんだ。お前は歌姫セイレーンなんだよ」
自分でもなんでこんなことを言っているのか分からなかった。
興味なかったはずだ。
すごいなと他人事に感じていたはずだ。
「それをやめるだって? 冗談じゃない。お前はもっと、もっと高みへ行けるんだぞ。それを誰もが望んでいるんだ」
何をこんなに熱くなっているのか。
気が付けば俺はアリスの肩を掴んで説得していてた。
「・・・・・・そんなに」
「なに?」
「そんなにどっか遠くに行ってほしいのかよ」
「違う。そういう話じゃない」
「じゃあ、なんなんだよ!」
「だから! お前はこんなところで止まっていい人間じゃないんだって!」
「勝手なこと言うな!」
アリスの声は涙が混じったものだった。
俺の手を振り払って、睨みつけてくる。
「じゃあ、お前はいつ私の隣に来るんだよ! シュンタロー!」
「あ、そ、それは・・・・・・関係ないだろ!」
「大アリだよ! この馬鹿!」
「何が言いたいんだよ!」
「最初に投げ出したくせに、そんなこと言う権利ないだろって話!」
「投げ出したって、俺は」
「お前が必ず追いつくって、そう言ったのに! 勝手にギターやめて、不貞腐れて!」
「不貞腐れてなんて――」
「なんで言わないんだよ!」
「な、何を!」
「ギターは弾けなくなったんだろっ?
左手の、指の感覚がなくなっちゃったんだろっ?
どうして言わないんだよ! どうしてやめたなんて言うんだよ!
適当なこと言いやがって!
未練ばっかで、羨ましそうな眼をしながら顧問代理なんか呼ばれて!
お前こそ何なんだよ!
あたしにだけ夢を押し付けて! 人の気持ちも知らないで!
本当のことは何も話そうとしないくせに!」
「なんで・・・・・・」
なんでアリスが俺の左手のことを知っているのか。
なんで今更俺のことに怒るのか。
何一つ理解できないまま言葉も出せずにいると、アリスは踵を返して俺から離れていって。
「あ、おい、どこ行くんだよ」
アニキが呼び止めるが、
「帰る!」
「帰るって、お前ここまで車で来たんだぞ?」
「タクシー拾うから!」
それから言葉は全て無視してアリスは行ってしまう。「私、追いかけますね」と涼音も離れていって、この場には俺とアニキだけが残された。
「まあ、なんだ、とりあえず座るか?」
「・・・・・・ああ」
誘導されてベンチに座ると、アニキも隣に腰かけて、
「らしくなかったな、俊太郎」
「自分でもそう思うよ」
何をやっているんだ、俺は。
今までと変わらず無関心でいればよかったのだ。それを余計なこと言って、藪蛇を突く格好となってしまった。
「お前、何も言わなきゃよかったーって思ってるだろ」
「・・・・・・ああ」
「それな、違うと思うぞ」
「違う?」
「お前は、もっと自分の気持ちを話さないといけなかったんだ。もちろんお前にだってプライドはあるだろうし、昔から弱みは見せたがらないやつだし、それにそんなこと言ったら、アリスが帰ってくるかもしれないとか、迷惑かけるとか、色々考えてたんだろ?」
「ああ・・・・・・」
言葉にして言われると気恥ずかしくも感じるが、その通りだった。
プロとして話題となってきたアリスに余計なことを言いたくなかった。もう重荷になるのは御免だった。
「でも、アイツ知ってたんだな」
「・・・・・・ああ、そりゃ、まあ、俺が話したからな」
「は? アニキが?」
「何も言わないわけにはいかないだろ。でも、いらないお節介だったよな。アリスのやつさ、それを伝えたときになんて言ったと思う?」
「わかんねえよ」
「今でもはっきり覚えてるよ。『シュンタローなら利き手変えても演奏するから大丈夫。あたしは待つから』ってさ」
アリスが、そんなことを。
勝手なこと言いやがってと内心毒づくが、それはお互い様だったか。
「悪かったな、勝手に話して」
「いや、いいよ」
何も話していなかったら、それこそ再会したあの日に泣かれていたかもしれないし、もっと大きな喧嘩になっていたかもしれない。
そんなことを考えていると、アニキの方から短い音楽が鳴る。
スマホを取り出して確認して、
「――さてと、俺達も帰るかね」
言いながら立ち上がった。
「あいつら探さなくていいのか?」
「涼音からメール来た。二人でタクシー乗ったってよ」
「・・・・・・そうか」
それから俺達はこれといった会話をすることもなく、俺は自宅のアパートに送り届けられた。
一人ぼーっとしながら、アリスの言葉を反芻しているとスマホが鳴って、
「・・・・・・もしもし?」
『あ、俊太郎。起きてました?』
「寝るのは早い時間だろ」
時計は夜の九時を回ったところだ。
「アリスとは無事帰れたみたいだな?」
『はい、少し前に。先生にも連絡しておきました』
「そうか、ならよかったよ」
『あの、その、大丈夫ですか?』
「あ? 何が?」
『いえ、その、何と言いますか。・・・・・・落ち込んでいないかなとか』
「別に落ち込んじゃいない。あいつの言うことはもっともだった。アイツに期待していることも、感じていることも、求めていることも、そりゃ本人にとっては勝手なことだろうよ。とくに投げ出した俺が言えば尚更そう感じるもんだろ」
『・・・・・・アリスちゃんも、不安なんだと思います』
「不安?」
『だって、海外ですよ? 誰も仲間がいなくて、頼れる人も減って、そんな環境で自分を保つのってとても大変なことだと思います。だから・・・・・・やめようかなって、彼女なりの弱音だったかもって』
「そんなこと・・・・・・」
ないだろと言いたかった。
でも、それは俺の決めつけだ。本当はどう思っているかなんて本人しか分からない。
「それでも」
それでもだ。
「俺はやっぱりもっと輝けるやつだと思うよ」
アリスに言った言葉を覆そうとは思えなかった。
『そう、ですか』
「ああ」
それから少しだけ会話をして電話を切る。
月曜日にはどうせ会うことになるんだ。アリスとはそこで話せばいい。
そんなことを思いながら、俺はまた目を瞑って彼女の言葉を思い出していた。




