3
恙無く午前中の授業が終わって欠伸を一つ。
今日も平和なもんだと思っていたところで机を叩かれる。
「俊太郎また遅刻ですよ! しかも四限目の登校ってなんですか!」
「ああ?」
目の前に立つ女を睨みつけるが、全く動じる気配はない。
むしろもう一度机を叩いて「態度も生意気です!」と怒鳴る始末だ。
「まあまあそう怒んなよ。皴が増えるぞ」
「皴なんかありません!」
この真面目ポニーテールお節介委員長はもう一人の幼馴染だ。
名前は藤森涼音。見飽きた顔ではあるが男子から人気は結構あるらしい。まあたしかに顔立ちは整っているし、長い黒髪もさらさらして綺麗だし、文武両道で実家もでかくて、嫌いになれる要素なんて思いつかないけども。
「まあ、だが、見飽きた顔だ」
「なんの話ですか」
「こっちの話だ。・・・・・・それよりも、俺だってサボりたくてサボってたわけじゃない」
「なんですかそれ」
「お前だって呼ばれたんだろ?」
「ああ、アリスちゃんのことですか」
「残念がってたぞー」
「だって呼ばれても授業中ですもん。迎えにはいけませんよ、それにこれからお昼ご飯を一緒に食べる約束してます」
そう言ってやけに大きなリュックを持ち上げてみせる。
「というか、アリスちゃんに会いにサボったんですか」
「え、いや・・・・・・」
「相変わらず、俊太郎はアリスちゃんが大好きですね」
「は、はあ? 違う違う! そういうんじゃない!」
涼音も深い意味で言ったわけではないだろうに、つい大げさに反応してしまう。
「まあ、いいや。・・・・・・じゃ、俺行くから」
これ以上付き合っていても面倒な話が続きそうだし、気を取り直して学食で飯にするために席を立ったところで、
「行かなくていいですよ」
「・・・・・・何故肩を掴む」
「俊太郎も呼ばれているからですよ」
「あ?」
「すごんでも無駄です。絶対連れて来いと連絡もらってますから」
俺は逃げる前提なのか。
「で、集まるって言ったって、いったいどこに集まるんだよ」
俺達はともかく。アリスの正体は絶対バレないとしても、まだ学校の生徒として紹介されていない以上はあっちこっち自由に教室を使えるわけじゃない。
「もちろん決まっていますよ」
「決まってるのか」
「はい」
まあ、なんとなく予想はできていた。
目立たず集まれる場所なんて限られている。その中で俺達が使っている場所なんて一か所しか思いつかなかったのだ。
第二音楽室。
ここは現状、部活動でしか使われていない場所だ。たしかにここなら相当な物好きでもない限り誰も来ないだろう。
「よお、俊太郎。涼音も」
「おそかったなー」
アニキとアリスが手を振ってきて、
「すみません、俊太郎が来たくないって駄々こねて・・・・・・」
「こねてえ」
「にへへ、シュンタローが駄々こねるのは特技だしな」
「特技じゃねえ」
なんだその駄々こねるのが特技って。クソガキかよ。
「しっかし、こうして四人揃うのも久しぶりだよな。うーん、どいつもこいつも成長したもんだ」
アニキが言う。
言われてみればアリスがプロになってから俺達全員が綺麗に揃うことはなかった。そもそもアリスがこの街へ帰ってくること自体があまりにも珍しいことだったし。
「こうやって集まれたんだから、帰ってきた甲斐もあるわ」
「うん、久しぶり。アリスちゃん」
「おー、スズも」
相変わらず仲良さそうに抱き合う二人。
俺とアリス、涼音、アニキ。この四人が出会ったのは街のミュージックスクールだった。
――もう十年近く前の記憶になる。
ギターをやっていた俺。
習い事としてピアノを練習していた涼音。
両親がそのミュージックスクールを経営していて手伝いをしていたアニキ。
そして、今でこそ天才と言わしめる歌声を持ったアリス。
俺達四人は仲良くなって、毎日のように練習して、ときたま遊んでいたのに、気が付けば皆足並みが揃わなくなっていたように思う。年を取るということはそういうことなのかもしれないが。
「お、どうした? 混ざりたくなったか、シュンタロー」
「え、ええ、そうなんですか、俊太郎」
抱き合う姿を強調してくる二人に溜息を零す。
「馬鹿言え」
そう返して、
「何でもいいよ。それより腹減った」
俺はあえて空気を読まずに涼音へ向かって言うと、彼女も「あ、はい」と応えた。
「ちゃんと全員分のお弁当作ってきたんですよー」
言いながらリュックから取り出したのは三段のお重だった。これなら四人分はある、いや、むしろ多すぎるくらいかもしれない。
「この量はさすがに大変だったろ・・・・・・」
「いえ、それほどでは。張り切って前日から用意しましたし、いつも作るのに一人前増えただけですから」
「それないいけど」
さすがに申し訳なくなってくるが、涼音が弁当をお重で持ってくることは珍しいことではない。随分前から俺やアニキがカップ麺や菓子パンで済ましているところを憐れんで作ってきてくれるようになったのだ。そういうときもこの第二音楽室で食事をするのが恒例となっている。
「いやあ、涼音の飯は最高に美味いからな! 楽しみだぜ」
「亮先生は先生なのですから、私みたいな生徒にたかるのでなく、ちゃんと自分で用意してもらいたいところですが」
「そう言うなって」
「まったく、別にいいですけど」
涼音は喋りながらもてきぱきとお重を開き、紙コップと水筒を取り出し、それから全員に割り箸を渡していく。手慣れた動作だ。
「それでは、いただきます」
「「「いただきます」」」
全員の言葉の後に、お重へと一斉に箸が伸びる。
アニキがいつものように美味いと言いながら、アリスは目を輝かせて美味いと舌鼓を打ち、俺はその様子を見つつ甘い卵焼きを咀嚼する。うん、いつも通り美味い。
「そういえばアリスちゃんはどこで暮らすんですか?」
「普通に実家だよ。とーさんもかーさんもいるし」
「あ、じゃあまたご近所さんですね」
「そうなるか。よろしくな」
思い出してみればアリスの家も俺の暮らしているアパートに近い。アリスがプロになって都会の方へと引っ越してからは、彼女の両親ともこれといって親しいわけでもなかったし、当然交流もなかったからすっかり忘れていた。
「それよりさ」
そうアリスは話の路線を変える。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんです?」
「シュンタローって不良なの?」
「・・・・・・あ?」
アリスの唐突な質問に俺は首をかしげた。
「サボりがどうこうとか、生徒指導がどうこうって言われてたじゃん、お前。なんか不良になっちまったのかなって」
「・・・・・・俺の話なんて別にいいだろ。久しぶりの再会なんだから、涼音やアニキともっと話したらどうだよ」
「先生はまあ変わらず先生みたいだし、スズとは電話とかメッセとか結構ずっとやってるし」
「そうなのかよ・・・・・・」
俺にはほとんど連絡してこないのに。別にいいけど。
「で、実際どうなん? お前不良なの?」
「・・・・・・別に不良ってわけじゃない。だるいことはしないだけ」
「って言ってるけど、実際は?」
アリスの質問がアニキと涼音へ移り、
「不良だな」
「不良ですね」
二人の感想が揃い、アリスが頷く。
「やっぱり不良か」
「ちげえよ」
口では否定しつつ、頭に過るのは自分の素行。
授業はサボる。遅刻常習犯。おおよそ真面目とは言えない生活態度を不良と言われればその通りかもしれないと思う気持ちはある。
「まあまあ、別に責めてるわけじゃないんだって。いいじゃん、ロックな生き方で。シュンタローが自由に生きてる姿は結構好きだぜ」
「そりゃどうも」
不真面目に過ごしているだけで、別に自由に生きているわけでもないけど。
「でも、サボりは感心しねえ」
「いいんだよ、別に」
そう言って話を切る。
「お前こそロックな生き方してるじゃねえか、アリス。どうして急にこんなところ帰ってきたんだよ」
「あ、それ私も聞いてないです」
「俺もだ。なんかあったのか?」
三人の視線がアリスに向く。
アリスからこっちに戻ってくると連絡をもらったのはだいたい二週間前くらいの話だった。ただ一言だけ急に「そっちに戻るから、よろしく」といったメッセージを送られてきただけで、詳しい話は何一つ聞かされていない。
「あー、それな」
「なんだよ、セイレーンの姿で不祥事でも起こしたのか?」
「そんなことになってたら今頃大ニュースだろ」
そりゃそうか。
「まあ、たしかにセイレーンのことが関係してるんだけどな」
「何か言いづらい事なのですか?」
「・・・・・・いや、何つうか、まだ表立って情報出してないことというか」
言い淀んで、それから意を決したようにアリスは言葉を続けた。
「日本を出るんだ」
「はあ?」
意味がつかめない。
「んん?」
アニキも同じような反応だった。
「ええっと、それはつまり、どういうことです?」
涼音は冷静に訊き返す。
「ああ、まあ、ね。活動拠点を日本から海外に移さないかって、ちょっと前から言われててさ。あたしも挑戦してみたかったし、いい機会なのかなって思って。それで日本から出ようと思ってるんだ」
「そ、そんな急に・・・・・・」
「自分のやりたいこと精一杯やろうって思ったんだ。こっちに戻ってきたのは未練の消化というか、日本でやっておきたいこと全部やろうと思ってさ。この学校に転入してきたのもその一つ」
「でも・・・・・・海外なんて遠いですよ」
「うん。今まで以上に連絡取れなくなると思う。忙しくなるし、時差だってあるし」
シーンと静寂が訪れる。
何か言葉を発したほうがいい。何か伝えないといけない。
そう思っているなかで真っ先に動いたのはアニキだった。
「俺は応援するぜ!」
アニキはアリスの肩を叩いて、
「つーか、ほんとにすげえな、国外進出なんてよ! 向こうでも頑張れよ!」
「先生」
「でも、たまには連絡寄こしてくれよな。俺達の仲なんだから」
「うん」
アリスと兄貴は拳をぶつけ合い、次は涼音がアリスの手を取る。
「私だって応援しますよ、アリスちゃん。どこへ行っても頑張ってください! ・・・・・・でも、私達のこと忘れないでくださいね? 時差だろうが何だろうがメッセージ送ってください」
「ああ、ありがと、スズ」
感動のワンシーンに、アリスは少し照れた様子で、
「い、いやいやいや、てかさ、二人とも気が早いって! もちろん気持ちはありがたいけど、別に今日明日行くわけじゃないんだからさ!」
「そうかもしんねえけどさ」
「はい、やっぱりすぐ会えなくなるのは悲しいですよ」
三人のそんな会話を聞きつつ、俺はお重の中の唐揚げを口に入れる。
咀嚼する。美味い。
美味いのに、噛んでいることが気持ち悪くなってくる。
――アリスは本当にすごいやつだ。
誰しもが認める歌姫なんて呼ばれて、たくさんのファンがいて、今度は活動拠点を海外に動かすだって? そんなの誰しもができることじゃない。そう、本当に選ばれた人間だけだ。
(ああ、くそ・・・・・・)
イラつく。でも、これは嫉妬なんかじゃない。
彼女と比べて何もない自分が嫌になっただけだ。
「おい、どうかしたのか?」
アリスの声に顔を上げる。
「え?」
気が付けば全員の視線が俺に向いていた。
「・・・・・・な、なんだよ」
「いや、なんか静かだし、調子でも悪いのかと思って」
「俊太郎、大丈夫ですか?」
「いや、別に。なんでもないよ。体調も悪くない」
ただ俺が喋ることがなかっただけだ。
「まあ、そういうこともあるだろ。な、俊太郎」
アニキだけは何か察したように俺の背中を軽く叩く。
「・・・・・・ああ」
「だそうだよ。それよりもアリスの話だ。いつまで日本にいるんだ?」
「高校は卒業したいから三月までは日本にいる。だから、だいたい六ヶ月後か」
「六か月、か」
半年。半年か。
言われてみると長く感じるが、ぼーっとしている間に過ぎ去っていく時間だ。
「ここにいる間のお仕事はどうするんですか?」
「あたし、もともとテレビに出ることも少ないし。まー、極限まで仕事減らしてこっちにいるつもり。そうじゃないとわざわざ社長とマネージャー説得して戻ってきた意味ないからな」
「そうですか、それなら、こっちにいる間はいっぱい遊びましょうね」
「おう! 先生もシュンタローもな」
「任せな!」
「ああ」
頷きながらも、俺は心に宿った自己嫌悪を消せなくて。
これからの日々が少し憂鬱になった。
*
「・・・・・・で」
一人暮らしの俺の部屋。
俺は寮生ではない高校生としては珍しいかもしれないが、学校近くのアパートに一人暮らししている。
うちの両親は古生物学者で、海外で仕事をしていることが多い。
十年前に日本へ戻ってきてからはしばらく日本で生活していたのだが、二年前にまた海外に戻ると言い出した。今通っている高校に進学していた俺は今更海外の学校なんて絶対嫌だったしここで一人残ることとなったことが理由だ。
そこに何故か上がり込んでいる女を睨みつける。
「なんで朝からお前がいるんだよ」
「え、迎えにいくっていったじゃないですか」
不法侵入者もとい涼音は当たり前のことのように言う。
「覚えてないんですか、俊太郎」
「あー?」
そういえば。
四人で昼飯を食った日から数日経って、アリスも準備が整ったのか学校へ通うことになるとのことになった。そいで、遅刻しないように迎えに来るとは聞いた気がする。うん、それにはたしかに俺も頷いた。
「いや、迎えにくるんなら玄関でいいだろ」
「ダメです、俊太郎は扉越しだと狸寝入りします」
「しねえよ。ほんとに寝てんだよ」
「どちらにせよじゃないですか! それに常々言っていますが、私はおじさんおばさんからお世話も頼まれているんです。俊太郎は一人だとロクな生活をしないと。実際一人にすればロクな生活をしてない気がします」
「聞き飽きたよそれ」
溜息を零す。
くそ、親父達め・・・・・・。
息子を一人置いていくのが心配だったのは分かる。俺はもう反抗期じゃないおからな、親心というものだろう。だからといって涼音に合鍵まで渡すことはないだろうよ。おかげで抜き打ちと言わんばかりにこの部屋へ来訪してくる。
「ほら、いつまでもベッドの上にいないで。とっとと着替えて、朝ごはん食べて学校行きますよ」
「あいあい」
「はいは一度です」
「あい」
うるさい幼馴染に急かされてのそのそと準備を始める。
早速ながら憂鬱な朝。
しかも始まったばかりなのだから肩も落としたくなる。これからまだまだ面倒くさくなる予感がする。
――そして、こういう時の予感とは当たるものなのだ。経験的に。
涼音と二人で通学路を歩く。
「あ、俊太郎」
「なんだ?」
「ネクタイ歪んでません?」
「気のせいだろ」
言いながら欠伸を一つ。
「夜更かしでもしてたんですか?」
「お前が俺に早起きさせたんだよ」
自慢じゃないが俺はだいたい遅刻扱いまで数秒を狙って登校してきている。この時間、こんなにも生徒が歩いている通学路を歩いていることが珍しいのだ。
「俊太郎、しゃっきりしなさい」
「おかんかよ、おめーは」
「心の姉だとは思ってますよ」
「やかましいお姉ちゃんだこと」
その返しに返ってくるお小言をもう一度欠伸で返しつつ、俺達は学校へと着く。
「おーい」
「あ?」
後ろから声を掛けられて振り向くと。
「うわ、人相悪っ」
「・・・・・・うるせえ」
こんな時間に合うとは思わなかった奴がいた。一誠だ。
「おはようございます、白井さん」
「おはよう。うーん、今日も美人だね。涼音ちゃん。こんな奴より俺とデートしない?」
「ありがとうございます。でも、遠慮させていただきます」
「あらら、残念」
一誠は言いながらもまったく残念な様子もなく。
「で、朝から何の用だよ。てか何でいんだよ」
こいつもだいたいギリギリで登校してくるくせに。
「そりゃもちろん朝から指導の呼び出し」
「そうかい」
まあ、だいたいそんなことしかないだろうけど。
「んで、要件は?」
「ああ、そうそう。・・・・・・あのさ、お前のクラス転入生来るんだって?」
いったいどこで聞きつけたのか。
「何の話だよ」
「いや、結構話題になってるのよ、三年の教室案内されてた女の子がいたってさ。それが何とも可愛いらしくて・・・・・・」
「え」
アリスの奴、まさか巣の姿でセイレーンだと悟られたのか?
ごくりと息をのむ。隣の涼香も少し動揺しているように見える。
「でも、背が低くてちんちくりんな奴だったって。まあ、俺の好みじゃねえな多分」
一誠の言葉に俺達は思わず安堵の溜息が零れた。
「ん? 二人ともどうした?」
「いや・・・・・・」
「ええ、なんでも・・・・・・」
アリスとセイレーンは普通に考えて結びつかない。頭では分かっているのだが、どうしても心配になるというか、今の今までボロを出すことなくやっているから俺達の心配しすぎなのだろうけど。
「しかし、時期としては珍しいことでは。ここで転入生とは」
「竜蔵」
何でこいつまで現れるんだ。
「む? 私はいつもこれくらいに登校しているぞ。珍しいのは貴様らだ。相模、白井」
「そうですかい」
屋上以外で揃うことになるとは、そういうこともあるか。
「で、今回の転入生はお前の関係者か?」
「あ? 何でそう思うんだよ」
「直観だ」
鋳造は言い切って、
「だが、お前の近くにいると何かが起こる。・・・・・・いつもそんな気がする」
そんな言葉を続けた。
「おー、なんかわかるわ」
「けっ、馬鹿言ってんじゃねえ。とっとと教室いけ」
「ああ」
「ほーい」
二人を見送って溜息を零す。なんだよ、何かが起こるって・・・・・・何も起こせなくなったからこうしているんだろうが。
「おら涼音、俺達も行こうぜ」
「ええ、はい。でも山木さんも白井さんも俊太郎のことよくわかってるんですね」
「はあ?」
「あなたの近くにいると何かが起こる気がする。ふふふ、私もそう思います」
「なんだそれ」
・・・・・・意味わかんねえ。
俺はもう一度溜息をついて、今度こそ校舎へと入っていった。
自分の所属しているクラスは静かなものだ。
一誠も竜蔵も別のクラスだし、涼音はクラスこそ一緒であるが、俺と違って人気者なわけで女子や男子が常に傍にいるといった具合だ。この時間に教室へいることが珍しく、周りの警戒の目が若干鬱陶しいが・・・・・・こればかりは仕方ないとしよう。
とくに何かをするわけでもなく、ぼけーっと窓から景色を見ていると、やがて予鈴のチャイムが聞こえてきた。俺はそれに安堵する。もちろん授業が楽しみというわけではないが、同時に睡魔がやってきてそれに身を任せる。
(ま、登校はしたし・・・・・・)
今日の時間割に移動教室はない。俺をわざわざ起こす教師もいない。
このまま心行くまで眠ってしまおう――そういう算段だ。
だんだんと意識が現実離れかけたところで、
「失礼しまーす!」
聞き覚えのあるでけえ声が耳に入ってきた。
(うるせえ)
素の声だ。演じていない、作っていない声だ。
・・・・・・そう分かっているのに歌姫の輝かしい姿が目に浮かんでしまう。
昔は人見知りの激しいチビで、いつも俺達の後ろに隠れて過ごしているような奴だった。でも、なんか、いつの間にか隣にいて、前を向いてて・・・・・・それで、そうだ。あっという間に俺のことを追い越していった。
「――タロー?」
俺は、俺にはあの姿が眩しすぎる。
「――って、おい――」
あの輝きを見ると情けなくなるんだ。
「起きろこのクソ野郎!」
「ふげっぷっ!」
突然頭上に固い何かが勢いよく落とされて奇声を上げてしまう。
「何寝てんだよ、学校だぞ」
「え、あ、アリス・・・・・・」
頭を押さえながら顔を上げると、握り拳を作ったアリスが机の前に立っていた。
「ようやく起きたか。この寝坊助野郎。あたしの挨拶聞いてなかっただろ?」
「ああ、もちろん・・・・・・」
「もちろんじゃねえよ! なーに居直ってんだカス!」
「てか、痛てえだろうが」
「殴ったんだから当たり前だろ」
「・・・・・・もっとまともな起こし方はなかった――ああ、知らないよな、知るわけないか、お前みたいなちんちくりんが」
「んだとこのー!」
懐かしい。俺達にとっては日常の空気だったが、先生も唖然としているし、クラスの視線も集まっている。涼音だけがあらあらと溜息をついていた。
「つか、本当に不良なんだな、お前」
「だから違うって。誰にだってあるだろ、こう、うたた寝するときくらい」
「お前の素行、ほとんどスズから聞いてるけどな」
「じゃあ、わざわざ聞くなよ」
「無駄な嘘はつくなよってこと」
そう言ってアリスは先生の方に向き直る。
「先生、あたし、コイツの横がいいんですけど!」
「え、あ、はい」
先生も勢いで頷き、隣の生徒だった名前も知らん奴は「じゃあ空いている席に動くから」とあっさり席を明け渡してしまう。・・・・・・そんなに俺の隣は嫌だったのか。
「にへへ、これで簡単にはサボれないな」
「サボろうものならこれからはあたしとスズで二倍怒られるようになるし、こうやって拳を落とされることになるな」
言いながら拳骨の素振りをするアリス。
「ああん?」
すごんでもアリスが引く気配はない。
それはあまりにも面倒なことになってしまった。
「これを機にまともな生活を心がけることだな、シュンタロー」
「ま、前向きに検討するよ」
そう適当に答えておく。
もちろん面倒ではあるが、まあ、大丈夫だろう。
アリスだってどうせ涼音のようにお小言を言ってくるだけに違いない。適当に聞き流していればいいはずだ。そう高を括っていたのだが、しかし、それは甘い認識だったとすぐに考えを改めることとなる。
俺は一日の授業の半分で満身創痍になっていた。
俺が居眠りを始めようものなら、シャープペンで脇を刺し、腕を刺し。
こっそりスマホを触っていた教科書やノートで遠慮なく頭を叩いてくる。
間違いなく暴力が行われているというのに、それを教師もクラスの連中も注意しない。俺は一方的にされるがままとなっていた。
いっそもう授業をサボってやろうとも思ったのだが、
「シュンタロー」
「・・・・・・はい」
アリスは先回りして俺の前にいた。
走って撒くことはできるだろうが、万が一にも屋上のことをバレるわけにはいかない。
「何考えてるか分かってるからな」
「・・・・・・はい」
地の果てでも追いかけてきそうな眼をしている。
「あの、頼むから暴力はやめてください」
「だったら真面目に授業受けろ」
ぐうの音も出ない正論をぶつけられて、俺も黙っていることしかできない。
結局、俺からサボるという選択肢は奪われてしまった。
「・・・・・・はあ、疲れたわ」
そんな感じで一日を過ごしていき、ようやく放課後になる。
監視の目から解放されて、俺は大きく溜息を零した。
「でもそれ、普段の顧問代理が悪いですよ?」
「悪いですよー」
第二音楽室。
俺は部活動中の後輩に愚痴っていたのだが、これまた正論を返される。
顧問代理とは俺の役職のようなものだ。
この学校の部活動は五人いないと認められない。あとは同好会という形になる。
この集まり――二年生が二人だけの軽音楽同好会なのだが、それでも監督役の先生か三年生の生徒が一人必要だ。普段はアニキが監督役をやるのだが、職員会議など参加できないときは俺が監督役をやっていた。貴重な内申点のために。
「これでも頑張っているんだよ、俺は」
言いつつも何を頑張っているのか自問したくなる。
「あー間違えた、ごめん、雫」
「だいじょうぶですよ、瞳。同じ場所から再開しましょー」
几帳面で真面目なギタリストの山下瞳。
マイペースでのんびり屋なベーシストの山下雫。
二人ともまだまだ初心者なんだが、軽音楽同好会に参加するこの双子の方がよっぽど頑張っているだろう。
「顧問代理?」
「あ、ああ、いや、なんでもない。それよりも瞳。ワンテンポだがコードチェンジ遅れてるぞ」
「ううぅ、ですよね」
「練習あるのみだな、ま、頑張れ」
アニキなら手本を見せてやれるのだが、俺にはできない。こうやって適当に指摘してやることだけだ。
「・・・・・・何やってんだかな」
瞳と雫が鳴らす音に耳を傾けながら、自分の情けなさを思う。
アリスと再会したからかどうもナイーブになっている、気がする。
比べたって何一つ意味がない無駄なことだと分かっているのに、それでもあの眩しさを感じずにはいられなくて――。
その思考はガラガラと音楽室の開く音で中断された。
「あ、わりぃ」
謝りながら顔を出したのはアリス。
「えーっと、見学者さんですかね?」
「おー、一年の方ですか」
瞳と雫が目を輝かせるが、
「あー、違う。こいつは三年だ。さっき話していたやつだ」
「さっき話していたって、悪口でも吹き込んでたのかよ」
「いや、今日のお前の悪行をな」
「それはお前が悪いだろ」
「それは顧問代理が悪いです」
「・・・・・・まあ、そうだな」
否定できる要素が一つもなかった。
「そんなことはどうでもいい。それで、アリスはどうしたんだ?」
「ああ、スズにお前のこと聞いたらここにいるって言われたからさー」
言いながら昨日も来たはずの教室を見渡し、
「なんで音楽室って昨日は思ってたんだけど、こういうことか。なんだよ、ギターやめたって言ったけどちゃんと音楽に携わってんじゃん」
どこか安堵した雰囲気のアリスに俺は首を振った。
「俺はただの監督役。亮センーーアニキの代理をしているだけだ」
「でも、こうやって――」
「だから!」
アリスの言葉にかぶせる形で大きな声が出た。
「俺はもう音楽はやってないんだ」
「・・・・・・何ムキになってんだよ」
「なってねえよ」
そう返しながらも自分でムキになっていることが分かっていて、後頭部を掻きむしる。
「あ、あの、顧問代理・・・・・・」
「顧問代理ー」
「あ、ああ、悪い。練習再開してくれ。ちゃんと聴いてるから」
俺の言葉に二人ともおずおずといった様子で練習を始める。
「・・・・・・二人とも初心者なのか?」
音を聞いていたアリスが小声で声をかけてきて、俺は頷く。
「ああ、まあな。ド素人」
「なんかああいう姿って懐かしいよな。一生懸命練習してさ、ミュージックスクール時代を思い出すよ」
「そうだな」
「ほんと、懐かしいな」
「・・・・・・ああ」
四人で何度も演奏してきた。
ミュージックスクールを卒業しても続けた。
やがてアニキが就職のために抜けて、
涼音が勉強のために抜けて、
俺達は二人になっても演奏を続けてきた。
演奏する機会があったらどんどん参加して、動画サイトにも投稿して、俺達は本気でプロになるんだって。俺もそんな夢を見ていたことがあったのだ。
「あの時の夢が現実になったのはお前だけだったな」
「そんなの。シュンタローだって、続けていればさ」
「自分の才能くらいわかってる。俺はこの程度だったってことだよ」
少なくとも歌姫なんて呼ばれるようになったアリスと比べられるような才能じゃない。
アリスの声と比べれば、俺の奏でられた音なんておままごとみたいなもんだ。コイツのいる場所は決して凡人には届かない領域。・・・・・・手を伸ばすなんて烏滸がましくすら感じる。
「そう思えば、こうなるのも必然だったのかもな」
思わずそんなことを呟きながら左手を握りしめた。
「なにがだよ?」
「いや、何でもない」
そう何でもないことなのだ。
それから俺達は言葉を発することなく、後輩達の奏でる音に耳を傾けた。




