第6話 一度だけなら、助けてくれるだろう
第6話 一度だけなら、助けてくれるだろう
北方六村の代表が集まったのは、修道院の古い食堂だった。長机には村ごとの種子袋、穀物商の在庫表、軍の補給地図が並び、壁際では濡れた外套から雪解け水が滴っている。昼食に出された豆と根菜の煮込みはとうに冷め、表面に白い脂の膜が張っていた。
アデライドは上座へ座らず、ハンナの村から来た農夫の隣へ椅子を置いた。焦げ茶色の仕事着には前日の土が残り、包帯を外したばかりの指には、椅子を倒した夜につけた細い傷が見える。王宮で会議をしていた頃なら、資料を自分で分類し、発言の順番まで決めていただろうが、今日は白紙の帳面だけを膝へ載せていた。
「まず、皆さんが持っているものと、足りないものを教えてください」アデライドは六人の村代表を見回した。声が震えないよう息を整えたが、空の種子袋を抱えたハンナの姿が頭から離れなかった。
「こちらから命令を出すのではないのですか?」南の村長が怪訝そうに尋ねた。彼の長靴には乾いた馬糞がつき、机の下へ入れるたび、隣の料理人が鼻を押さえていた。
「私は畑を耕したことがありません。皆さんの村に、何をどれだけ残すべきかも知りません。私が一人で決めれば、また誰かの歯を欠けさせます」
騎士エミルが欠けた前歯を隠さず笑い、食堂の空気が少し緩んだ。農民たちは持参した袋を開き、春にまく分、食べる分、翌年へ残す分を分け始める。穀物商は、食用として売る予定だった麦の中にも、発芽率を調べれば種へ回せるものがあると話した。
料理人のベッカは、種に適さない割れ麦を粉にすれば、春までの食料になると提案した。運送業者は、雪の少ない沿岸路を使えば馬車を一台増やせると言い、修道院長は地下倉庫に保管していた豆を提供すると申し出た。ただし、孤児院の食事を減らさないことが条件だった。
「すべてを一か所へ集めるのは反対です」北端の村から来た農婦が、赤く荒れた手で地図を押さえた。袖口からは、自分で編んだらしい緑色の毛糸がほつれていた。
「昨年の雪崩では、中央倉庫へ続く道が二週間塞がりました。村ごとに最低限を残さなければ、倉庫に麦があっても子どもには届きません」
「では、保管場所を七か所に分けましょう」アデライドはそう言いかけ、自分で決定する前に口を閉じた。集まった者たちの顔を見て、言葉を改めた。
「七か所に分ける案について、問題があれば教えてください」
会議は夕方まで続いた。誰かが話している途中で別の者が口を挟み、麦袋の重さを巡って農夫と運送業者が言い争い、ベッカは冷めた煮込みを厨房へ持ち帰って塩を足した。二度温めた豆は少し煮崩れたが、全員が空になった木椀を重ねてから、ようやく一枚の計画書が完成した。
計画書には、地方代表、農民、料理人、運送業者、監査官、修道院の倉庫番が、それぞれ自分の担当欄へ署名した。王族であっても、全員の承認なしに種麦の用途を変えられない条項も加えられている。最後の空欄へ署名したオルセンは、インクの乾く紙を暖炉へかざした。
「これで、同じ流用は防げます」オルセンは眼鏡を外し、曇った硝子を袖で拭いた。監査院の黒い上着は長旅で皺だらけになり、襟には昼食の煮汁が一滴ついていた。
「ありがとうございます。しかし、まだ必要量の六割しかありません」
「残りは王都の備蓄と北方軍の予備食糧を調整するしかないでしょう。ただし、軍の冬越しに必要な分へ手をつけてはなりません」
アデライドは頷き、全員の署名が入った計画書を複写係へ渡した。一冊だけを王宮へ置くのではなく、七か所すべてへ同じ記録を残す。誰か一人が紙を抜いても、ほかの六冊から分かるようにするためだった。
食堂を出る頃には、空から大粒の雪が降っていた。修道院の庭では、雪をかぶった柊の赤い実が、松明の光を受けて濡れている。アデライドは外套の留め具を締めようとしたが、指が冷えて金具をうまくつまめなかった。
「アデライド様、お客様です」若い修道女が、小さく折った紙を差し出した。紙には差出人の名がなく、十三歳の頃にジークハルトと使っていた「青い鳥の部屋で」という合図だけが書かれていた。
青い鳥の部屋とは、修道院に隣接する王家の狩猟館にある小部屋だった。子どもの頃、北方視察へ連れてこられた二人は、退屈な晩餐を抜け出してそこへ隠れたことがある。壁紙に描かれた青い鳥の数を競い、厨房から持ち出した蜂蜜菓子を半分に割って食べた。
「お断りしますと、お伝えください」アデライドは紙を返そうとした。しかし修道女は、頼まれたのは紙を渡すことだけだと言い、厨房へ戻ってしまった。
アデライドは紙を握り潰した。別邸へ帰る道へ足を向けても、雪の中で二歩進むたびに、十三歳のジークハルトの声が頭へ戻ってくる。間違えても嫌いにならないと言った少年と、夜会で自分を捨てた男を、どうしても別人にできなかった。
狩猟館の小部屋には、昔と同じ青い鳥の壁紙が残っていた。ただし、暖炉脇の一部は湿気で剝がれ、鳥の頭だけが壁から垂れ下がっている。小卓には熱い紅茶と蜂蜜菓子が二つ置かれ、ジークハルトは王太子の正装ではなく、紺色の旅行着で待っていた。
「来てくれたのか」ジークハルトは椅子から立った。頬は以前より痩せ、袖口の銀の留め具は、アデライドが直さなかったため今も曲がっていた。
「お話を伺ったら帰ります」
「雪が強くなっている。せめて茶を飲め」
「必要ありません」
そう答えながらも、アデライドは蜂蜜菓子から目を離せなかった。王宮を出た夜に抱えていた箱の菓子は、ハンナや兵士たちと食べた。それでも、十三歳の二人が半分ずつ分けた甘さだけは、舌の奥に残っていた。
ジークハルトは菓子を割り、片方をアデライドの皿へ置いた。割れ目は均等ではなく、彼の方が少し小さい。昔も必ず、彼は大きい方をアデライドへ渡した。
「君が北方で、種麦を集めていると聞いた」
「あなたが祝典へ流用したからです」
「女性職業学校は必要だった。あの日、喜んでいた者たちを君も見れば、無駄遣いとは言えないはずだ」
「学校が必要であることと、種麦を無断で使ってよいことは別です」
ジークハルトは紅茶の器を持ち上げたが、口をつけずに戻した。小卓の脚が傾いているため、置くたびに茶の表面が揺れる。彼はその揺れが止まるまで黙っていた。
「私は、君に追いつきたかった」ジークハルトは曲がった留め具へ触れた。普段なら人前で見せない癖だった。
「君は何をしても間違えなかった。教師に褒められ、父上からも私より王に向いていると言われた。私は君に助けられるたび、王太子の服を着せられた子どものようだった」
「私は、間違えていました」
「どこがだ。君は今回も、数日で食糧委員会を作った」
「皆さんに作っていただいたのです」
ジークハルトは小さく笑った。その笑い方も、少年時代と変わらなかった。アデライドの指は、食べていない蜂蜜菓子の端へ触れていた。
「十三歳の試験の日を覚えているか?」
「忘れたことはありません」
「君が答案を破ろうとしたから、私は止めた。間違えても嫌いにならないと言ったのは、君を慰めるための嘘ではなかった」
ジークハルトは卓越しに手を伸ばした。アデライドの手へ触れる直前で止め、掌を上へ向ける。取るかどうかを彼女へ選ばせる仕草に、胸の奥が痛んだ。
「私は君を愛していた。今も、君だけは私の弱さを知っている。監査院へ渡した記録から、私の署名がある頁を外してくれ」
アデライドは手を取らなかった。けれど、椅子から立つこともできなかった。窓の外では雪が硝子へ当たり、乾いた音を立てている。
「それをすれば、あなたはまた責任を負わずに済みます」
「今回だけだ。種麦は必ず取り戻す。学校も守る。王太子位を失えば、どちらもできなくなる」
「監査院へ、正直にお話しください」
「父上は私を廃嫡する。マリアンヌも、学校の女性たちも見捨てられる。君はそれを望むのか?」
望んではいなかった。洪水の濁流を前に、原稿を捨てて自分の言葉で住民を励ましたジークハルトを、アデライドは知っている。彼の演説で支援物資が集まり、ハンナがもう一度スープを飲んだことも知っている。
「頁を外せば、種麦の不足はどうなるのですか?」
「王室予備費で買い戻す。隣国と交渉もする。君の委員会へも協力する」
「もう、売る国はありません」
「君なら見つけられる。これまでだって、そうしてくれただろう」
アデライドは目を閉じた。最後の一言が、十三歳の約束より深く入り込んだ。頼られているうちは、まだ自分は捨てられていないと思ってしまった。
監査書類は狩猟館の隣室へ運ばれていた。翌朝、王都へ発送する前に、オルセンが確認する予定である。アデライドは保管箱の鍵を預かっていなかったが、封印方法も予備鍵の場所も知っていた。
深夜、修道院の鐘が二度鳴った。アデライドは寝間着の上へ外套を羽織り、雪の廊下を歩いた。厨房では翌朝のパン生地が布をかけられて膨らみ、消えかけた竈から酸っぱい酵母の匂いが漂っていた。
保管室の扉を開けると、月明かりが赤い革表紙の監査報告書を照らした。アデライドはジークハルトの署名がある頁を見つけ、綴じ糸を小刀で切った。紙を抜いた瞬間、隣の厨房で皿が一枚落ち、身体が跳ねた。
抜いた頁を外套の内側へ隠した。報告書を元の場所へ戻し、封印も同じ形に整える。誰にも気づかれない手際は、十三年間、他人の失敗を隠してきた仕事によって身についたものだった。
自室へ戻る途中、青い鳥の部屋から明かりが漏れていた。ジークハルトがまだ起きているのだと思い、アデライドは抜いた頁を渡そうと扉へ近づいた。中から聞こえたのは、マリアンヌの笑い声だった。
「本当に、アデライド様が報告書を直してくださるのですか?」マリアンヌは王都から来たらしく、桃色の毛皮外套を椅子へ掛けていた。卓上には、アデライドが口をつけなかった蜂蜜菓子の半分が残っている。
「彼女は結局、私を見捨てられない」ジークハルトは蜂蜜菓子をつまみ、残りを一口で食べた。アデライドが大きい方を受け取らなかったため、皿には二つ分が残されていた。
「夜会では、ずいぶん立派なことをおっしゃっていましたのに」
「強がっただけだ。昔の話をして、少し弱った顔を見せれば戻ってくる。次も泣きつけば、すべて処理するだろう」
アデライドは外套の内側で、抜いた頁を握った。紙の端が掌へ食い込み、薄い傷をつけた。扉を開けて問いただすことも、泣きながら紙を投げつけることもできず、音を立てないよう一歩ずつ後ろへ下がった。
そのとき、廊下の反対側からオルセンが走ってきた。寝間着の上に監査院の外套だけを着ており、眼鏡は片方の耳から外れかけている。手には、新しい王命書が握られていた。
「アデライド様、北方軍の備蓄を接収する命令が出ました」オルセンは息を整える暇もなく、書類を差し出した。封蝋には王太子の印があり、日付は今夜になっていた。
「接収量は?」
「冬越しに必要な分を除く、とは書かれていません。全備蓄の七割です」
七割を奪えば、国境を守る兵士たちは二月を越せない。魔獣の襲撃が起きても討伐隊を出せず、その背後にあるハンナの村まで危険にさらされる。それでも命令書には、女性職業学校と王都住民への緊急支援のためと、美しい言葉が並んでいた。
「王太子殿下は、種麦の不足を埋めるために、別の者の食料を奪うおつもりなのですね」アデライドは自分の声が、遠い部屋から聞こえるように感じた。青い鳥の部屋では、ジークハルトとマリアンヌがまだ笑っている。
「この命令は明朝、軍へ届きます。止めるには、殿下の予算流用と一連の判断を、監査院が直ちに問題として扱う必要があります」
アデライドは外套から抜いた頁を取り出した。握り締めたため皺が寄り、掌の血が端へ小さくついている。オルセンは紙を見て顔色を変えた。
「なぜ、これをお持ちなのですか?」
「私が抜きました」
オルセンは何も言わなかった。廊下の窓辺には、修道女が昼に飾った白い雪割草が置かれ、暖房のない空気の中で花弁を閉じている。アデライドは一度だけ青い鳥の部屋を振り返り、報告書の頁を差し出した。
「監査院へ戻してください。それから、私が証拠を隠そうとしたことも記録してください」
「提出すれば、あなたも処分を受けます」
「分かっています」
「王太子殿下を守ろうとしたのですか?」
アデライドは蜂蜜の甘い匂いが残る扉を見た。十三歳の少年は、確かに自分の手を握ってくれた。あの日の優しさまで嘘にしてしまえば、もっと簡単に憎めるのに、それはできなかった。
「私は彼を守りたかった」アデライドは皺だらけになった頁を、オルセンの掌へ載せた。指を離すと、紙についた自分の血が見えた。
「でも本当は、彼に嫌われた自分を認めたくなかっただけです」
翌朝、北方軍への接収命令は監査院によって差し止められた。ジークハルトの予算流用と監査妨害について正式な審問が決まり、マリアンヌの事業費も凍結された。女性職業学校の授業は続けられたが、祝典用に注文されていた新しい衣装と馬車は取り消された。
アデライドも、緊急食糧委員会の役職を解かれた。証拠を持ち出し、監査報告書の完全性を損なった責任により、一年間、王国の公職へ就くことを禁じられる。自首と証拠返還によって刑事拘禁は免れたが、処分記録は消されなかった。
処分書が届けられた別邸の居間には、朝食の固焼きパンと山羊乳が置かれていた。アデライドは一口も食べられず、山羊乳の表面に浮かぶ泡を匙で潰し続けた。窓の外では、雪の間から黄色い水仙の芽が少しだけ伸びている。
ガレスは彼女の向かいへ座り、処分書を読んだ。黒い仕事着の袖には、朝の薪割りでついた木屑が残っている。読み終えても、国王へ抗議するとも、処分が重すぎるとも言わなかった。
「止めてくださらないのですか?」アデライドは匙を器へ置いた。金属が陶器へ当たり、自分で思ったより大きな音がした。
「君は、処分を受けたくないのか?」
「分かりません。怖いです。公職に就けなければ、私は何の役にも立ちません」
「一年間、役に立たない人間として暮らせ」
「そんな言い方がありますか」
アデライドは腹を立てて顔を上げた。ガレスは笑わず、処分書を彼女の前へ戻した。暖炉では薪が崩れ、その上で温めていた林檎の皮が焦げ始めていた。
「君の責任を奪うことは、君を助けることではない」ガレスは焦げた林檎を火から外し、黒くなった部分を小刀で削った。残った半分を皿へ載せ、アデライドの固焼きパンの隣へ置いた。
「だが、処分を受ける一年を、一人で過ごせとは言っていない」
アデライドは処分書の署名欄へペンを置いた。指先が震え、最初の一文字は普段より大きく傾いた。書き直したくなったが、ガレスの事故報告書に残っていた歪んだ署名を思い出し、そのまま最後まで書いた。
署名を終えると、インクが乾く前に涙が一滴落ちた。文字の一部がにじみ、アデライドは布で吸い取ろうとした。しかし途中で手を止め、濡れた署名をそのままガレスへ差し出した。
「これが、私の失敗です」
「そうだ」
「消してくださらないのですね」
「消さない。一緒に直す」
アデライドは冷めた山羊乳を一口飲んだ。焦げた林檎は苦く、その下には少しだけ甘い部分が残っていた。処分書の文字は涙でにじんでいたが、自分の名前だけは最後まで読むことができた。




