第5話 運命を変えた代償
マーラを救った夜。
俺たちは少しだけ浮かれていた。
宿の食堂。
ガイルが酒を頼み、
レオンも珍しく一杯だけ飲んだ。
フィーネは果実水。
ミレイアはいつも通り冷静に、
「まだ一例です。結論を出すには早いです」
と言っていた。
その本人がいつもよりパンを二つ多く食べていたから、たぶん嬉しかったんだと思う。
「でも助かったんですよ」
フィーネが言う。
「そうですね」
「じゃあシュウおじさんも大丈夫です」
話が俺に来た。
「まだ二十九日あるからな」
「いっぱいあります」
「会社員に二十九日休みくれたら人生変わるけどな」
「会社?」
「こっちの話」
笑いが起きた。
俺も笑った。
正直に言えば、
安心していた。
マーラを救えた。
なら俺も救えるかもしれない。
死刻は命令ではない。
予定だ。
予定なら変えられる。
会社のスケジュールなんて毎日のように変わる。
死ぬ予定も同じならいい。
その夜は久しぶりによく眠れた。
◇
翌朝。
最初に起きたのは俺だった。
窓から入る朝日。
旅へ出る準備をする。
今日から王都へ向かう予定だ。
鞄。
水。
昨日買ってもらった旅装。
そして紙。
俺は昨夜までの記録を整理するため、机へ向かった。
こちらへ来てから書いた名前。
レオン。
ミレイア。
ガイル。
フィーネ。
マーラ。
店主バルナ。
自分。
癖だった。
仕事でも問題が起きれば、まず紙に書く。
頭の中だけで考えるより、文字にした方が整理できる。
マーラ。
赤い文字なし。
良かった。
バルナ。
死刻――十五日後
変わらない。
自分。
死刻――二十九日後
これも変わらない。
そして。
フィーネ・ラティス。
俺の手が止まった。
昨日まで、
何もなかった。
名前だけだった。
その下に。
赤い文字がある。
死刻――明日
一瞬、読めなかった。
意味を理解するのに時間がかかった。
もう一度見る。
フィーネ・ラティス。
間違いない。
死刻――明日
「……何で」
声が出た。
紙を持ち上げる。
光の加減。
見間違い。
寝ぼけている。
どれでもない。
赤い文字は消えない。
昨日。
マーラを救った。
昨日までフィーネには死刻がなかった。
そして今朝。
フィーネに現れた。
偶然。
そう考える。
だが。
あまりにも。
タイミングが。
扉が開いた。
「おはようございます、シュウおじさん」
心臓が跳ねた。
フィーネだった。
寝癖がついている。
まだ眠そうな顔。
十六歳の少女。
昨日、人を救った少女。
「早いですね」
「ああ」
紙を伏せた。
自分でも驚くほど反射的だった。
「どうしました?」
「何が?」
「顔」
「普通だろ」
「全然普通じゃないです」
鋭い。
俺は立ち上がった。
「レオンたち起こしてくる」
「まだ寝てますよ」
「起こす」
「朝ご飯まだですよ?」
「後でいい」
フィーネが首を傾げる。
その顔を見るのがつらかった。
俺は部屋を出た。
◇
「昨日までなかったんですか?」
ミレイアが聞いた。
「ない」
「確実に?」
「何度も見た」
別室。
フィーネには待ってもらっている。
レオン。
ミレイア。
ガイル。
三人だけ。
紙を机に置く。
当然、彼らには赤い文字が見えない。
「マーラを救ったあとに出た」
俺は言った。
誰も答えない。
一番最初に口を開いたのはガイルだった。
「偶然だろ」
「そうかもしれない」
「そうに決まってる」
強い口調。
自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
レオンが黙っている。
「高城さん」
しばらくして言った。
「フィーネにも話すべきです」
「分かってる」
言いたくない。
でも隠すわけにはいかない。
昨日マーラにしたのと同じことをする。
守る。
助ける。
できる。
昨日できた。
だから今日も。
そう思おうとした。
扉の向こうから声がした。
「入っていいですか?」
フィーネ。
全員が黙った。
たぶん、この沈黙だけで彼女には分かった。
扉が開く。
フィーネが俺たちを見る。
最後に俺の紙を見る。
「私ですか?」
誰も答えない。
「シュウおじさん」
「……ああ」
「いつ?」
「明日」
一瞬だけ。
フィーネの顔から表情が消えた。
十六歳。
怖くないはずがない。
しかし数秒後。
彼女は無理に笑った。
「じゃあ昨日と同じですね」
俺は顔を上げる。
「マーラさんを助けたみたいに、私も助けてください」
簡単な言葉だった。
信頼されていた。
だから余計に重かった。
「もちろん」
レオンが即答する。
「絶対に助ける」
ガイルも頷く。
ミレイアも。
俺も、
「そうだな」
と言った。
でも。
頭の奥に、
嫌な考えが消えずに残っていた。
マーラを救った。
その翌日に、
フィーネへ死刻が現れた。
もし。
死というものが、
消えたのではなく。
移っただけだとしたら。
俺は昨日、
一人を救ったんじゃない。
誰かから、
別の誰かへ。
死を押しつけただけなのではないか。
「シュウおじさん?」
フィーネが俺の顔を見る。
「私の名前、どうしたんですか?」
俺は答えられなかった。
紙の上。
フィーネ・ラティス。
その下で、
赤い文字だけが静かに残っていた。
死刻――明日




