第31話 魔王領の食卓
魔王領。
その言葉から、俺が勝手に想像していたものがある。
黒い城。
溶岩。
骸骨。
人間を煮込んでいる大鍋。
四十八歳にもなって、ずいぶんゲームに影響されていたらしい。
実際に国境を越えて最初に見えたのは、
畑だった。
「……普通だな」
思わず言った。
グラムがこちらを見る。
「何がだ」
「いや」
畑。
麦に似た穀物。
遠くには家。
煙突から白い煙。
洗濯物。
子供。
本当に普通だった。
ただし。
畑を耕している男には角があり、
荷車を引いている女性には尻尾がある。
空を飛んでいる子供までいる。
普通なのか普通じゃないのか、
自分でも分からなくなってきた。
「魔族も農業するんですね」
フィーネが言う。
リゼルが振り返った。
「何だと思っていた」
「えっと」
フィーネが困る。
「人間を食べるとか?」
ノアが代わりに言った。
「ノア!」
俺は止めた。
リゼルの眉がぴくっと動く。
「人間は我々をそう教えているのか」
「俺は教えられてない」
ノア。
「適当に言った」
「余計悪い」
俺が頭を小突く。
「痛え」
「当然」
リゼルは呆れたように前を向いた。
◇
集落へ入る。
空気が変わった。
俺たちを見る視線。
冷たい。
怖がっている人もいる。
怒っている人もいる。
人間だ。
そう気づいた瞬間、
向こうにいた魔族の母親が小さな子供を自分の後ろへ隠した。
俺は足を止めそうになった。
王国の村で、
魔族という言葉を聞いたとき。
人々は同じ顔をしていた。
自分の子供を守る顔。
「歓迎されてませんね」
レオンが小声で言う。
「当然だ」
リゼル。
「人間の勇者が七人も歩いていればな」
「七人?」
ノア。
「俺も入ってる?」
「お前は数えていない」
「何だよ」
セラが鼻で笑った。
ユリウスは険しい顔で周囲を見ている。
「ここは軍事施設ではないのですか」
「違う」
グラム。
「国境村だ」
「ならなぜ兵士が」
確かに。
畑の脇。
武器を持つ魔族がいる。
家の屋根にも弓兵。
「人間領との国境だからだ」
リゼルが答える。
「そちらの村と同じだろう」
ユリウスは黙った。
◇
俺たちは集落の食堂へ通された。
捕虜なのか。
客なのか。
扱いがよく分からない。
大きな長机。
料理が運ばれてくる。
肉。
煮込み。
パン。
野菜。
思ったより豪華だった。
ノアの目が輝く。
「食っていい?」
「毒見してから」
ユリウス。
ノアが手を止める。
「毒入ってんの?」
「可能性の話です」
リゼルの目が冷たくなる。
「毒殺するなら国境でやっている」
「合理的ですね」
「褒めていない」
「私もです」
この二人も相性が悪い。
俺はスープを一口。
普通にうまい。
「毒なさそう」
「高城殿!」
「俺で試した」
「あなた、自分の死刻があるからって雑になってませんか?」
ユリウスに怒られた。
確かに。
最近少し感覚がおかしくなっている気はする。
死ぬ予定が見える。
すると、
その予定以外では死なないような気がしてくる。
でも。
セラは言っていた。
死刻は未来ではない。
それを思い出して、
急に怖くなった。
毒で死ぬ可能性は、
普通にあるのかもしれない。
「今さら顔色変えないでください」
ミレイア。
「もっと早く言って」
「止める前に飲んだのは高城さんです」
その通り。
◇
食事が始まった。
最初は誰も話さなかった。
ノアだけが食べる。
ガイル。
グラム。
向かい同士。
無言。
フィーネ。
リゼル。
斜め向かい。
こちらも無言。
俺。
誰と話せばいい。
会社の懇親会を思い出した。
部署同士の関係が悪い。
でも上から、
交流を深めろ、
と言われる。
席順まで考えたことがある。
仲の悪い二人を近くに置くか。
離すか。
若手を誰の隣にするか。
結局、
飲み会で人間関係が解決したことなど、
ほとんどなかった。
「グラム」
俺が言った。
「何だ」
「この煮込み、何の肉?」
「山羊だ」
「ガイル」
「何だよ」
「うまい?」
「まあ」
「グラム、ガイルがうまいって」
「聞こえている」
「そう」
会話終了。
難しい。
フィーネが笑いをこらえている。
「シュウおじさん」
「何」
「無理に仲良くさせようとしてません?」
「してない」
「してます」
バレた。
リゼルが冷たく言う。
「人間と仲良くする必要などない」
フィーネの表情が少し曇った。
「そうですか」
「リゼル」
グラムが言う。
「何だ」
「言い方」
「事実だ」
何となく。
グラムも苦労しているらしい。
少し親近感が湧く。
中間管理職っぽい。
◇
そのとき。
食堂の扉が開いた。
少女が入ってきた。
魔族。
十歳くらい。
片方の角が途中で折れている。
リゼルを見る。
「リゼル姉ちゃん」
リゼルの顔が変わった。
ほんの少し。
「どうした」
「薬」
少女が腕を見せる。
傷。
古い火傷。
フィーネが立った。
「見せて」
リゼルが止める。
「必要ない」
「でも」
「人間の治癒術など――」
「痛そうです」
フィーネが少女を見る。
「触っていい?」
少女はリゼルを見る。
リゼルは迷う。
やがて。
「……好きにしろ」
フィーネが治癒魔法を使う。
白い光。
傷は完全には消えない。
古すぎる。
でも痛みは和らいだらしい。
少女が目を丸くした。
「すごい」
「よかった」
フィーネが笑う。
少女も笑う。
リゼルだけ笑わない。
でも。
目は少しだけ柔らかくなった。
「その傷」
ミレイアが聞く。
リゼルの表情が戻る。
冷たい。
「人間につけられた」
空気が変わった。
少女が腕を隠す。
「三年前」
リゼル。
「この村ではない」
北にあった魔族の小さな集落。
王国軍が襲撃。
理由。
魔族が人間の村を襲った報復。
「でも」
リゼルは言う。
「我々はその人間の村を襲っていなかった」
俺たちは黙る。
聞いたことがある話。
魔族の襲撃として処理された人間の死。
「証拠は?」
ユリウス。
リゼルの目が鋭くなる。
「焼けた家と死体を見せれば満足か」
「そういう意味では」
「同じだ」
リゼルの声。
低い。
「人間はいつもそう言った」
王国兵。
魔族襲撃の報復。
村を焼く。
リゼルの家族。
弟。
両親。
死亡。
目の前の少女は、
その村の生き残り。
「だから人間が嫌い?」
フィーネが聞いた。
俺は止めようとした。
でも。
リゼルは答えた。
「ああ」
即答。
「嫌いだ」
フィーネが少し考える。
「じゃあ私も?」
「人間だからな」
「そうですか」
「……何だ」
「別に」
フィーネが少女の包帯を巻き直す。
「嫌いでも、治療はできますから」
リゼルが黙った。
俺は少し笑いそうになった。
十六歳。
強い。
◇
食事のあと。
集落の外。
俺は一人で歩いていた。
正確には、
一人になろうとしていた。
後ろから足音。
ユリウス。
「一人になりたいのですが」
「同じ」
「なら別方向へ」
「そっち行こうとしてた」
二人で止まる。
面倒。
結局、
並んで歩く。
「どう思います」
ユリウス。
「何が」
「魔族の話」
「まだ分からない」
「またですか」
「また」
俺は畑を見る。
「王国が全部嘘とも思わない」
「はい」
「魔族が全部正しいとも思わない」
「はい」
「グラムは人を助けた。でも魔王軍が人を殺してないとは限らない」
ユリウスが少し安心した顔。
「高城殿は魔族側へ傾いたのかと思いました」
「そんな簡単なら苦労しない」
会社でも。
本社。
支店。
営業。
製造。
それぞれから話を聞く。
全員、
自分の部署が正しいと言う。
嘘をついているとは限らない。
同じ出来事でも、
立場で見え方が変わる。
「俺が課長だったころ」
ユリウスが嫌な顔をする。
「またカチョウの話ですか」
「嫌?」
「最近少し分かるようになってきました」
「成長したな」
「それはやめてください」
「部下同士で揉めたとき」
俺は続ける。
「最初に片方だけ聞くと、その話が正解に見える」
「では両方を」
「それでも足りない」
「なぜ」
「二人とも自分に都合悪いことは少し抜くから」
「嘘を?」
「本人は嘘だと思ってないこともある」
ユリウスが考える。
「なら何を信じるのです」
「事実」
「誰が話したかじゃなく」
「何が実際に起きたか」
人間の村が焼けた。
魔族の村も焼けた。
死亡者の一部は生命力を奪われている。
王国は評価値を操作した。
魔王は元勇者。
これらは、
立場が変わっても消えない。
「だから」
俺は魔王城のある方角を見る。
遠く。
黒い山。
その上に建物が見え始めている。
「魔王本人の話を聞く」
ユリウス。
「信用するのですか」
「聞いてから疑う」
「面倒ですね」
「管理職だから」
「それはもう理由になっていません」
確かに。
◇
その夜。
出発前。
リゼルが俺へ小さな布袋を投げた。
「何?」
「返す」
短剣。
俺の。
「使えないって言ったじゃん」
「武器を持たない人間を魔王の前へ出せば、こちらが脅しているように見える」
「使えないけど」
「知るか」
鞘を腰へ。
フィーネが笑う。
「よかったですね」
「何が」
「勇者っぽいです」
「見た目だけな」
魔王城。
明日。
俺は、
この世界の人間が最も恐れている男と会う。
その男は、
五十年前。
勇者だった。
そして。
たぶん。
今の俺より、
ずっと多くのことを知っている。




