第25話 フィーネは十二年前に死んでいる
バルド村を出た翌朝。
フィーネの様子がおかしかった。
朝食を残した。
珍しい。
「体調悪い?」
俺が聞く。
「大丈夫です」
この言葉。
信用してはいけないやつだ。
「フィーネ」
「本当に大丈夫です」
「二回言うと余計怪しい」
「シュウおじさん、面倒です」
「仕事だったから」
「何の?」
「大丈夫って言う部下を疑う」
フィーネは少し笑った。
でも。
すぐ消えた。
ガイルの記録。
生命力枯渇。
死者から生まれる魔力。
それを見てから、
ずっと何か考えている。
「フィーネ」
「はい」
「何か思い出した?」
少女の肩が小さく動いた。
当たりらしい。
「分かりません」
「何が」
「昔のこと」
「どこ?」
「私が育った神殿」
フィーネは遠くを見る。
「ここから、たぶん半日くらいです」
◇
聖リオナ神殿。
山の中腹。
大きくはない。
白い石造り。
フィーネは、
そこで十二歳まで育ったらしい。
「家は?」
ノア。
「ここです」
「ずっと?」
「はい」
「母ちゃんは?」
フィーネの足が一瞬止まる。
「亡くなりました」
ノアが、
「ごめん」
と言う。
「大丈夫です」
まただ。
俺は何も言わなかった。
◇
神殿へ入る。
年老いた神官が、
フィーネを見た瞬間、
持っていた書物を落とした。
「フィーネ……?」
「お久しぶりです、ロディン様」
老人。
ロディン。
七十代。
手が震えている。
「なぜ」
「旅の途中です」
「そうではない」
ロディンはフィーネを見る。
まるで。
幽霊を見ているような顔。
「どうしてここへ戻った」
フィーネの表情が変わる。
「聞きたいことがあります」
ロディン。
「何を」
「私が六歳のとき」
静かになる。
「何があったんですか」
◇
フィーネの記憶。
六歳。
高熱。
神殿。
母。
泣いていた。
白い光。
そこから先が、
曖昧。
母親はその夜死亡。
フィーネは助かった。
ずっと。
病気だったと思っていた。
でも。
「違うんですね」
フィーネが言う。
ロディンは答えない。
「私にも死刻が出ました」
老人の顔色が変わる。
「何?」
「旅の途中で」
フィーネ。
「でも予定時刻になる前に消えました」
俺を見る。
「その直後、別の人が死にました」
ロディンが椅子へ座り込んだ。
「やはり……」
その一言。
フィーネが息を止める。
「知ってるんですか」
「……」
「ロディン様」
「私は」
老人が顔を覆う。
「十二年間、黙っていた」
◇
地下。
記録庫。
神殿の奥。
ロディンが一枚の古い石板を出した。
十二年前。
フィーネ・ラティス
年齢六歳。
その横。
俺には読める。
古い記録でも、
今なら意味が分かった。
《死刻対象》
そして。
《処理完了》
フィーネが、
「何て書いてあるんですか」
と聞いた。
俺はすぐ答えられなかった。
「シュウおじさん」
「……フィーネ」
「言ってください」
俺は石板を見る。
「お前は」
喉が乾く。
「十二年前」
「うん」
「死刻に選ばれてた」
フィーネの顔から表情が消える。
ロディンが続けた。
「その夜」
六歳のフィーネは突然、
生命力を奪われ始めた。
治癒術でも止められない。
母親。
エリナ・ラティス。
高位治癒術師。
娘を助けるため。
禁じられた術を使った。
生命経路転移。
本来、
傷や病を分散するため研究された術。
それを、
死刻へ使用した。
フィーネへ流れていた生命の収奪を、
自分へ移した。
「母親が」
ミレイアの声。
「死刻を引き受けた?」
ロディン。
「正確には分からない」
「ただ」
老人が震える。
「フィーネの生命力低下は止まり、エリナの生命が急速に失われた」
母親は死亡。
フィーネは生きた。
なのに。
神殿の記録では。
フィーネ・ラティス
処理完了
つまり。
「生命を奪う側は」
俺は呟いた。
「フィーネが死んだことになってる」
ミレイアが頷く。
「だから」
旅の途中。
フィーネに死刻が現れた。
一度、
選ばれた。
しかし。
直前。
仕組みのどこかが、
この人間はすでに死亡処理済み
と判断した。
死刻を解除。
そして。
別人。
ダリオへ。
「私」
フィーネが言った。
声が小さい。
「死んでるんですか?」
「違う」
レオンが即座に言う。
「生きてる」
「でも記録では」
「記録なんて関係ない!」
強い。
フィーネがびくっとする。
レオンは、
妹の件から、
少し感情が早く出るようになった。
「俺たちには見える」
レオン。
「フィーネはここにいる」
フィーネは自分の手を見る。
「じゃあ」
震えている。
「お母さんは」
誰も言わない。
「私の代わりに死んだんですね」
ロディンが泣いた。
「エリナは、自分で選んだ」
「同じです」
「違う!」
「同じです!」
フィーネが初めて怒鳴った。
「ダリオさんと!」
部屋が静まる。
「私が生きたから」
涙。
「お母さんが死んで」
「そのあとも私は生きて」
「それでまたダリオさんが――」
息が速くなる。
俺はフィーネへ近づいた。
「フィーネ」
「私がいなければ」
「その言い方はやめろ」
少し強く言った。
少女が俺を見る。
「でも」
「六歳のお前が決めたの?」
「……」
「母親に、代わりに死んでって頼んだ?」
「頼んでません」
「じゃあ」
俺は一度止まった。
簡単に、
気にするな、
とは言いたくない。
彼女が抱えているものは、
そんな言葉で消えない。
「お母さんが選んだことまで、お前が全部背負うな」
フィーネが泣く。
「でも私のためです」
「そうだな」
否定しない。
「たぶん、お前のために選んだ」
「だったら!」
「だから」
俺は彼女を見る。
「お前が今から何するかまで、お母さんに決められたわけじゃない」
フィーネが止まる。
俺は昔を思い出していた。
部下が大きな失敗をした。
先輩がカバーした。
休日出勤。
残業。
本人は、
自分のせいで先輩に迷惑をかけた、
と言い続けた。
俺は最初、
「気にするな」
と言った。
何度も。
でも本人は気にした。
当たり前だ。
実際に迷惑はかけている。
そこで、
先輩本人が言った。
《俺が手伝うって決めたんだから、お前が勝手に俺を被害者にするな》
乱暴な言い方だった。
でも。
それで部下は少し変わった。
「母親が」
俺は言う。
「フィーネを生かすって決めた」
「……はい」
「なら」
「その決断を、フィーネが自分を嫌う理由だけに使うのは違うと思う」
少女の目から涙が落ちる。
「どうすればいいんですか」
「知らん」
フィーネが泣きながら、
少しだけ笑った。
「そこまで言って」
「四十八歳でも分からないことはある」
「課長なのに?」
「課長を何だと思ってる」
「何でも分かる人」
「部下もそう思ってたなら困る」
ガイルが小さく笑った。
レオンも。
少しだけ、
部屋の空気が戻る。
◇
その夜。
フィーネは母親の墓へ行った。
一人で。
俺たちはついていかなかった。
正確には。
少し離れた場所にいた。
ノアが、
「ついてってんじゃん」
と言った。
「見えないところだからいい」
「おっさん心配性だな」
「自覚ある」
墓の前。
フィーネは長く座っていた。
何を話したのか。
俺たちは聞かない。
戻ってきたのは、
一時間後。
目は赤い。
でも。
「お腹空きました」
と言った。
俺は笑った。
「食べよう」
「いっぱい」
「好きなだけ」
ガイル。
「俺の肉はやらんぞ」
「誰もガイルさんのとは言ってません」
「何で毎回俺だけ扱い悪いんだ」
ノアが笑う。
◇
食事のあと。
ミレイアが例の石板を見ていた。
「どうした?」
俺が聞く。
「この術」
「フィーネのお母さんの?」
「はい」
生命経路転移。
本来は、
一人へ集中した負担を、
複数へ分散するための術。
「複数?」
俺が聞く。
「理論上は」
ミレイア。
「例えば一人が受ける魔力負荷を、十人へ十分の一ずつ分ける」
俺はその言葉を、
なぜか手帳へ書いた。
一人の負担を、複数へ分ける。
まだ。
何に使えるのか分からない。
ただ。
妙に引っかかった。
俺は自分のページを見る。
高城修一
死刻――十一日後
十一日。
もう、
三十日の半分以上が終わっている。
魔王へ近づいているのか。
自分の死へ近づいているだけなのか。
分からない。
ただ。
新しく分かったことがある。
フィーネの死刻は、
未来予知ではなかった。
十二年前の記録と、
今の彼女を照合し、
一度は選び、
そして取り消した。
つまり。
死刻を決めている何かは、
人を見ている。
記録している。
判断している。
そして。
間違えることもある。
神様には、
少し似合わない気がした。




