第23話 英雄の祝宴
ヨルン・フェルドは、
助からなかった。
俺たちが南門へ着いたとき。
地面に寝かされていた。
朝まで立っていた場所。
昨日笑っていた場所。
同じ制服。
同じ顔。
ただ。
もう動かない。
隣で女性が泣いていた。
妻。
そして。
八歳くらいの少女。
「父さん」
何度も呼んでいた。
俺はノアを見る。
少年は手に、
昨日ヨルンからもらった赤い果物を持っていた。
食べていなかったらしい。
強く握りすぎて、
少し潰れている。
「おっさん」
小さな声。
「何」
「俺がこれもらわなきゃよかった?」
一瞬、
意味が分からなかった。
「何で」
「娘のだったんだろ」
「関係ない」
「でも――」
「関係ない」
強く言った。
ノアは黙る。
俺は自分へも言った。
関係ない。
果物をもらったこと。
笑ったこと。
門を通ったこと。
何も。
死を決めた理由にはならない。
でも。
今の俺たちは、
何かに理由を探したくなる。
人は、
理由のない不幸に耐えるのが苦手だ。
◇
その日の夕方。
ルーデンでは祭りが始まった。
「勇者レオンが妹を奇跡的に救った」
話はあっという間に広まった。
誰が広めたのか。
神殿か。
町の人か。
分からない。
町長から、
祝宴へ招待された。
レオンは断ろうとした。
でも。
セリアの回復。
勇者の帰還。
町として祝いたい。
断れば逆に不自然になる。
「行く必要あります?」
レオンが俺に聞いた。
「俺に聞くな」
「でも」
「行きたくないなら断ればいい」
「町の人は悪くありません」
「そうだな」
「祝ってくれてる」
「うん」
「だから……」
結局、
少しだけ顔を出すことになった。
◇
広場。
音楽。
料理。
酒。
子供たち。
レオンが現れると歓声。
「勇者様!」
「妹さんを救ったって!」
「奇跡だ!」
レオンは笑おうとした。
上手くいかない。
セリアはまだ神殿で休んでいる。
俺たちも席につく。
ガイルは酒へ手を出さない。
フィーネも食べない。
ミレイアは黙っている。
ユリウスだけは、
町長へ礼を述べ、
必要な対応をしている。
こういうとき、
彼は強い。
俺にはできない。
「ユリウス」
「何です」
「助かる」
「何が」
「こういうの」
「誰かが対応しなければならないでしょう」
「そういうところは好き」
ユリウスの動きが止まった。
「気持ち悪い言い方をしないでください」
「褒めたのに」
「あなたから言われると不安になります」
ひどい。
◇
乾杯。
レオンが立たされる。
町長。
「ルーデンが生んだ英雄へ!」
歓声。
俺は広場の向こうを見る。
そこから数本先の道。
同じ時間。
ヨルンの家では、
葬儀の準備が行われている。
祝宴。
葬儀。
同じ町。
たった数百メートル。
俺には、
その距離が異様に遠く感じた。
レオンが杯を置いた。
「すみません」
「勇者様?」
「少し外します」
歩き出す。
誰も止めない。
俺も立った。
後ろからガイル。
「行くのか?」
「ああ」
「俺らは?」
「残ってて」
「一人で大丈夫か」
「レオンは子供じゃない」
少し考える。
「でも一人にはしない」
自分でも矛盾していると思う。
ガイルは、
「そうか」
だけ言った。
◇
ヨルンの家。
小さな灯り。
大勢の人。
レオンは入口で止まった。
中へ入れない。
「行かないの?」
俺が聞く。
「何て言えば」
「分からん」
「俺が助けたせいで死んだかもしれない」
「そうだな」
慰めなかった。
今、
「お前のせいじゃない」
と言えば簡単だ。
でも。
俺たちは知っている。
セリアの死刻が消えた瞬間、
ヨルンに死刻が現れた。
無関係とは言えない。
「謝ればいいですか」
「何を?」
「ヨルンさんを死なせたこと」
「それを家族に言うの?」
レオンが黙る。
「自分が楽になるために言うなら、やめとけ」
「……」
昔。
部下がミスをした。
客へ謝りに行く。
本人は、
全部自分が悪かった、
と言おうとした。
俺は止めた。
謝罪は必要。
でも。
自分の罪悪感を全部相手へ渡すのは、
謝罪とは違う。
受け取った相手が、
その重さまで背負うことになる。
「今は」
俺は言った。
「亡くなった人に挨拶するだけでいいんじゃないか」
レオンが少し考える。
そして中へ入った。
◇
棺。
ヨルン。
妻。
娘。
俺たちは後ろへ。
ヨルンの妻がレオンに気づく。
立ち上がる。
「勇者様」
レオンの体が固まる。
「主人が」
妻が涙を拭う。
「昨日、嬉しそうに話してたんです」
やめてくれ。
そう思った。
俺でさえ。
「レオン様が帰ってきたって」
妻は微笑もうとする。
「昔、門の近くで剣の練習してた男の子が、本当に勇者になったって」
レオンの顔が歪む。
「……覚えてたんですか」
「もちろんですよ」
ヨルンは、
レオンが子供のころから門兵だった。
「娘にも」
妻が少女を見る。
「レオン様みたいな勇者になれって」
少女は泣きながら、
レオンを見た。
「お父さん」
「うん」
「勇者様に会えたって、昨日ずっと言ってた」
レオンの膝が、
わずかに揺れた。
それでも立っていた。
「そうか」
声が震える。
「ありがとう」
それしか言わなかった。
言えなかった。
◇
帰り道。
祝宴の音楽はまだ聞こえていた。
レオンが突然止まる。
「修一さん」
「何」
「俺は」
長い間。
「間違ってましたか」
来ると思っていた。
俺はすぐ答えなかった。
「妹を助けた」
「はい」
「ヨルンさんが死んだ」
「はい」
「俺が選んだ」
「はい」
「間違ってましたか」
俺はレオンを見る。
二十四歳。
強い。
勇者。
でも。
今はただの兄だった。
「俺に聞くな」
レオンが顔を上げる。
「そんな」
「俺が正しいって言えば安心するのか?」
「……」
「間違いだって言えば、セリアさんが死ねばよかったと思える?」
「思えません!」
「だろ」
俺は前を見る。
「なら、一生考えろ」
「一生?」
「たぶん答え出ない」
「……」
「でも忘れるな」
ヨルン。
娘。
妻。
「それがお前が選んだ結果だ」
レオンの目から涙が落ちた。
初めて見た。
俺は何も言わなかった。
肩も叩かなかった。
隣に立っていた。
それだけ。
しばらくして。
「修一さん」
「何」
「あなたがいてよかったです」
「急に何」
「父親みたいで」
「それは前にも聞いた」
「何の話です?」
「何でもない」
少し笑った。
レオンも。
ほんの少しだけ。
◇
翌朝。
セリアが俺たちを呼んだ。
昨日のことを聞いたらしい。
ヨルンが死んだ。
自分が助かった直後。
「私の代わりですか」
誰も答えられない。
セリアは泣いた。
「私、助からなければよかった」
レオンが、
「言うな!」
と即座に怒鳴った。
セリアがびくっとする。
俺はレオンを見る。
彼も気づいた。
声を落とす。
「ごめん」
妹の前へ座る。
「でも、それだけは言わないでくれ」
「お兄ちゃん」
「俺が選んだ」
「でも私も最後は――」
「俺が最初に選んだ」
レオンは逃げなかった。
「だから」
妹の手を握る。
「生きてくれ」
セリアが泣く。
「そんなのずるいよ」
「分かってる」
「私、どうしたらいいの」
レオンは答えられない。
俺も。
でも。
フィーネが言った。
「忘れないで生きるしかないんじゃないでしょうか」
全員が彼女を見る。
ダリオ。
フィーネも、
同じものを抱えている。
「私も」
フィーネ。
「まだ分かりません」
「でも、生きてることを謝るだけにしたくないです」
セリアが顔を上げる。
フィーネが少しだけ笑う。
「難しいですけど」
十九歳と十六歳。
二人の少女が、
同じ痛みを抱えていた。
俺は何も言わなかった。
ここは、
四十八歳の課長が口を挟む場所じゃない気がした。




