第2話 十二人目の勇者は、おっさんだった
「もう一度、触れていただけますか」
「これに?」
「はい」
ミレイアが差し出したのは、透明な水晶だった。
占い師が使いそうな丸いものではない。
握り拳ほどの大きさで、表面には細かい文字が刻まれている。
俺は宿屋の一室で椅子に座り、その水晶へ右手を置いた。
何も起きない。
五秒。
十秒。
二十秒。
「……壊れてない?」
「壊れていません」
ミレイアは即答した。
「そうか」
「壊れていません」
二回言われた。
どうやら俺の方に問題があるらしい。
向かいではレオンが腕を組んでいる。
壁際にはガイル。
ベッドの上にはフィーネが座って足をぶらぶらさせていた。
昨日、森で彼らに助けられた。
そのまま街まで連れてきてもらい、広場にあった《天命録》を見た。
そこには、なぜか俺の名前があった。
そして俺にだけ、
死刻――三十日後
という文字が見えた。
一晩眠れば何かの間違いになっているかとも思った。
朝一番でもう一度広場へ行った。
変わっていなかった。
三十日後。
俺は死ぬらしい。
「高城さん」
ミレイアが俺を見る。
「魔力を感じますか?」
「まったく」
「体の中が温かくなるとか」
「暑いのは暑いけど」
「それは気温です」
「だろうね」
窓の外には朝の光。
異世界だろうと夏は暑いらしい。
ミレイアは水晶を机へ置いた。
難しい顔をしている。
「魔力量が測定限界以下です」
「要するに?」
ガイルが口を挟む。
「魔法は使えねえってことだろ」
「簡単に言えば」
「剣は?」
レオンが聞いた。
「使ったことない」
「槍は?」
「ない」
「弓は?」
「ない」
ガイルが鼻を鳴らした。
「格闘は?」
「会社で殴り合いになったことは一度もないな」
「そういう話じゃねえ」
分かっている。
俺だって少しは期待していた。
異世界。
勇者。
魔法。
ここまで揃えば、普通は何かあるだろう。
触れれば炎が出るとか。
一度見た技を覚えるとか。
相手の能力が数字で見えるとか。
しかし現実は、
魔力なし。
剣術なし。
運動能力は四十八歳相応。
しかも昨日森を歩いたせいで、今朝からふくらはぎが筋肉痛だった。
異世界に来ても加齢はついてくるらしい。
「なのに」
レオンが呟く。
「天命録には、高城さんの名がある」
「そこなんだよな」
俺も昨夜から何度考えたか分からない。
《天命録》。
王国に大きな役割を与えられた者の名が刻まれる石碑。
今回そこへ現れた十二の名は、魔王討伐のために選ばれた勇士候補だという。
俺を入れて十二人。
つまり少なくとも形式上は、俺もその一人らしい。
「間違えて刻まれた可能性は?」
俺が聞く。
ミレイアは首を横へ振った。
「ありません」
「ずいぶん自信あるな」
「天命録に刻まれる文字は、人が彫るものではありません」
「昨日、王城の神官しか刻めないって言ってなかったか?」
「正確には、神官が儀式を行うことで天命録が名を刻みます。誰かが石へ文字を彫っているわけではありません」
「便利なのか不便なのか分からないな」
俺は椅子へ深く座った。
フィーネが身を乗り出す。
「でも、シュウイチさんが十二人目なら一緒に来るんですよね?」
「どこへ?」
「魔王討伐です」
そうだった。
できれば忘れたかった。
「俺、魔法使えないらしいぞ」
「はい」
「剣も使えない」
「はい」
「走るのも遅い」
「昨日見ました」
「あれは忘れてくれ」
森で逃げたとき、木の根に二回つまずいた。
フィーネは少し考えた。
「じゃあ……応援?」
「四十八歳を異世界まで呼んで応援係にするな」
フィーネが笑った。
レオンも少しだけ口元を緩める。
最初に会ったときから思っていたが、彼はかなり人が良さそうだった。
二十四歳だという。
俺より二十四歳下。
下手をすれば部下どころか息子に近い年齢だ。
「高城さん」
レオンが姿勢を正した。
「王都へ向かいましょう」
「王都?」
「はい。天命録に名が刻まれた以上、王城で調べてもらうのが一番です。それに残る勇士候補たちも王都へ集まる予定です」
「それまでは?」
「俺たちと一緒に来てください」
ありがたい。
ありがたいが、一つ引っかかった。
「俺、戦わなくていいのか?」
「もちろん必要なら守ります」
レオンは迷わなかった。
「あなたは戦わなくていい。俺たちが守ります」
爽やかだ。
あまりにも爽やかなので、逆に申し訳なくなる。
「会社なら完全に人員配置ミスだな」
「じんいん?」
「何でもない」
ガイルが笑った。
「まあいいじゃねえか。荷物くらい持てるだろ」
「腰に優しい重さなら」
「注文多いな、おっさん」
「四十八だからな」
するとフィーネが、
「あ」
と声を上げた。
嫌な予感がした。
「何だ」
「シュウおじさん」
「やっぱりそうなるのか」
「ダメですか?」
「いや」
少し考えた。
高城さん。
シュウイチさん。
知らない世界でそう呼ばれるより、不思議としっくりくる。
「好きにしてくれ」
「シュウおじさん!」
嬉しそうだった。
ガイルが吹き出した。
ミレイアまで少し笑っている。
どうやら俺の異世界での立場が決まったらしい。
十二人目の勇者。
戦えない。
魔力もない。
呼び名は、シュウおじさん。
ひどいスタートだった。
◇
昼前。
旅に必要なものを買うため、街へ出た。
金は当然持っていない。
日本円なら財布に一万二千円ほどあるが、ここでは紙くずだ。
レオンたちが最低限の装備を用意してくれることになった。
「これなんてどうです?」
フィーネが持ってきたのは短剣だった。
「俺に?」
「護身用です」
鞘から少し抜いてみる。
刃が光る。
想像以上に本物だった。
すぐ戻した。
「怖い」
「持ってる方が?」
「持ってる俺が」
フィーネはまた笑った。
結局、丈夫な旅装と小さな革鞄だけ買ってもらった。
市場を歩く。
肉。
野菜。
果物。
知らないものばかりなのに、不思議と生活の匂いは同じだった。
値段で店主と揉めている客。
走り回る子供。
荷車を押す男。
朝食の皿を片づける食堂。
異世界と聞くと、すべてが珍しく見えると思っていた。
実際には、半分くらいはよく知っている光景だった。
人間が暮らしている。
それだけなら同じだ。
「どうしました?」
レオンが聞いた。
「いや。思ったより普通だなって」
「普通?」
「こっちの話」
そのときだった。
露店の前で、一人の老人が商人と話している。
何となく目に入っただけだった。
店の木札に、店主の名前が書いてある。
バルナ・ロッソ
その文字を見た瞬間。
視界の端に、赤いものが浮かんだ。
俺は立ち止まった。
もう一度見る。
店主の名前。
その下。
薄い赤色の文字。
死刻――十八日後
「……え?」
瞬きをする。
消えない。
「シュウおじさん?」
フィーネが振り返った。
俺は答えず、隣の店を見る。
木札。
別の名前。
何もない。
向かいの宿。
入口に経営者の名前。
何もない。
もう一度、バルナ・ロッソ。
死刻――十八日後
心臓が少し速くなる。
俺だけじゃない。
俺以外にも見える。
死ぬ予定が。
「レオン」
「はい?」
「ちょっと聞きたい」
俺は声を落とした。
「人の名前の横に、文字が見えることってあるか?」
「文字?」
「赤い文字」
四人が顔を見合わせる。
ミレイアが聞く。
「何と書かれています?」
俺は店主を見た。
十八日後。
まだ遠い。
言うべきか迷った。
そのとき、フィーネが露店の林檎のような果物を一個手に取った。
店主が笑う。
「嬢ちゃん、それ甘いぞ」
「本当ですか?」
「昨日入ったばっかりだ」
ただの店主だった。
十八日後に死ぬ人間には見えない。
俺は答えなかった。
「……いや」
「何です?」
「もう少し確かめてから話す」
昨日から、理解できないことばかり増えている。
しかし一つだけ分かった。
《天命録》に刻まれていた、
俺の三十日後。
あれは俺だけのものではない。
この世界には、
死ぬ日を刻まれている人間が他にもいる。
そしてなぜか。
それが俺には見える。




