第12話 魔族の爪痕
古い礼拝堂へ着いたのは、日が傾き始めたころだった。
誰もグラムとの戦いについて口にしなかった。
いや。
一人だけ例外がいた。
「でっかかったな!」
ノアだった。
「斧もすげえし!」
「静かに歩け」
ガイル。
「ガイルより強かった?」
「黙れ」
「押されてたよな」
「黙れって言ってるだろ!」
「俺も見た」
「高城!」
俺は少し笑った。
ガイルが怒っている。
ただ、本当に腹を立てている相手はノアでも俺でもない。
自分だ。
そしてたぶん、グラムでもない。
魔族が人間を助けていた。
それが気に入らないのだろう。
いや。
正確には、
理解できないことが気に入らない。
人は、自分が長く信じてきたものと反対の事実を見せられると、すぐには受け入れられない。
俺にも経験がある。
十年以上、正しいと思って続けてきた業務を、新しく来た若い社員から、
「これ、必要ですか?」
と言われたことがあった。
腹が立った。
ちゃんと理由がある。
そう言い返そうとして調べてみた。
理由の半分は、
昔からそうしているから
だった。
あのときの情けなさを思い出す。
ガイルが同じだとは言わない。
彼にはもっと重い何かがある気がする。
だから今は触れない。
課長を長くやって覚えたことの一つ。
本人が話せる状態になる前に正論をぶつけても、
だいたい逆効果になる。
◇
礼拝堂は半分崩れていた。
屋根はところどころ抜け、石壁には蔦が絡みついている。
祭壇らしいものも割れていた。
「本当に記録があるんですか?」
レオン。
「セラが嘘ついてなければ」
「信用してるんです?」
「半分」
「残り半分は?」
「疑ってる」
「ちょうどいいですね」
最近、レオンは俺の考え方に少し慣れてきた。
ミレイアが地下への入口を見つける。
石板。
魔法の封印。
「古い術式です」
「開けられる?」
「少し時間を」
ミレイアが作業を始める。
待っている間。
ノアが礼拝堂の奥をうろついていた。
「勝手に触るなよ」
「分かってる」
分かっている子供はだいたいその返事をしない。
俺も周囲を見る。
壁画。
勇者らしい人々。
巨大な魔物。
剣。
魔法。
戦争。
その中に妙な絵があった。
人が倒れている。
その上から、光のようなものが空へ伸びている。
空ではなく。
塔。
「ミレイア」
呼ぶ。
「これ」
彼女が近づく。
壁画を見る。
「古い宗教画でしょうか」
「この塔、何?」
「分かりません」
「人が死んで、光が塔へ行ってるように見えない?」
ミレイアの表情が変わった。
ダリオが死んだ直後に上昇した魔力。
結界。
そしてこの絵。
偶然にしては。
「開きました」
石板から光が消えた。
地下へ。
◇
記録は大量に残っていた。
紙ではない。
薄い金属板。
石版。
魔法で文字を保存した透明な板。
俺には大半が読めない。
文字そのものは理解できるのに、古語になると意味が変わるらしい。
ミレイアが読む。
レオンも多少。
俺は二人が読み上げた内容を手帳へ書いた。
「高城さん」
ミレイア。
「全部書くつもりですか?」
「後で忘れる」
「かなりの量ですよ」
「だから書く」
会社でも同じだった。
トラブルの直後、人間の記憶ほど当てにならないものはない。
「確かこうだった」
「たぶん言った」
「聞いてない」
事故報告書を作るたびに、それで何度揉めたか。
だから時間。
場所。
誰が何を見たか。
分かること。
分からないこと。
分けて書く。
「これは?」
レオンが一枚を持ち上げた。
記録。
五十年以上前。
村の被害報告だった。
《魔族襲撃により住民二十三名死亡》
ガイルが反応した。
「場所は?」
ミレイアが読む。
「レムナ村」
「知ってる」
ガイル。
「北の村だ。昔から魔族に何度も襲われてる」
その下。
負傷記録。
俺は読み上げてもらいながら書く。
死亡者二十三。
裂傷。
刺傷。
打撲。
「待って」
俺は手を止めた。
「何です?」
「魔族の襲撃なんだよな?」
「そう記録されています」
「爪とか牙で死んだ人は?」
ミレイアが再び読む。
沈黙。
「……少ないですね」
「何人?」
「二名」
「残り二十一人は?」
「刺創が十三。切創五。圧迫死三」
ガイルが眉を寄せる。
「魔族だって剣は使う」
「そうだな」
俺は別の記録を見る。
刺創の特徴。
武器幅。
深さ。
「これ、人間の槍と違う?」
ガイルが紙を取る。
黙った。
レオンも見る。
「王国兵の制式槍に近い」
誰も話さない。
次の記録。
別の村。
魔族襲撃。
死亡十六。
刺創多数。
さらに別。
同じ。
全部ではない。
魔族の爪や牙で死亡した例もある。
焼かれた村も。
本当に魔族が襲った事件も存在する。
だから余計に厄介だった。
「混ざってる」
俺は言った。
「本物と偽物が」
ミレイアを見る。
「全部嘘なら分かりやすい。でも本当に魔族が襲った事件の中に、誰かが別の事件を紛れ込ませてる」
会社で数字をごまかすとき。
完全な嘘はバレやすい。
百件全部架空にするより、
九十九件の本物に一件だけ混ぜる方が見つかりにくい。
嫌なほど知っている。
監査対応で何度も、
「全体としては合ってるんですが」
という言葉を聞いた。
問題はたいてい、
その“全体としては”の中に隠れていた。
「何のために?」
レオンが聞く。
「分からない」
「王国軍が人間を殺したと?」
「まだ決めつけるな」
俺は即座に言った。
セラの言葉を思い出す。
誰か一人の話だけで敵を決めるな。
「記録がそう見えるだけだ。誰が殺したかまでは分からない」
ガイルが低い声で言った。
「でも人間の武器だ」
「魔族が奪って使った可能性もある」
「高城」
「何」
「お前、どっちの味方なんだ」
その言葉は少し刺さった。
レオンが、
「ガイル」
と止める。
俺は手を上げた。
「いい」
ガイルを見る。
「分からない側の味方だ」
「何だそれ」
「分からないのに決めるのが嫌なんだよ」
会社では嫌というほど決めてきた。
部下同士が揉める。
顧客から苦情。
上司は早く処分を決めろと言う。
本人は自分は悪くないと言う。
早く結論を出せば、
「対応が早い」
と褒められる。
でも後になって別の事実が出ることがある。
一度貼った評価は、なかなか剥がれない。
俺は何度か失敗した。
若い頃。
部下の言い分を最後まで聞かずに注意したこともある。
あとで、その部下の方が正しかったと分かった。
謝った。
許してはくれた。
でも、
注意したときのあいつの顔だけは今でも覚えている。
「だから」
俺は言った。
「まだ決めない」
ガイルは何も言わなかった。
そのとき。
ノアが奥から声を上げた。
「おっさん!」
「だから勝手に触るなって――」
行く。
ノアが古い箱を開けていた。
中には一枚の金属板。
そこに記された文章。
ミレイアが読む。
途中で止まった。
「どうした?」
「これは……」
「何?」
彼女がこちらを見る。
「死亡者発生時の、魔力回収量の記録です」
礼拝堂の地下が、
急に寒く感じた。




