第27話 『星の民』のリコ
~王女~
(――しまった!)
目を見開いて呆然と立ち尽くす少女を目の当たりにして、今更ながら、相手がニンゲンであることを再認識する。
手遅れとは思いつつも、慌てて自身に《色素移動》の魔法を掛けようとして――
不意に、少女が呟いた。
「おねえさん、すっごくキレイ……!」
思わず呪文の詠唱を止めてしまった。
少女が興奮に目を輝かせて、満面の笑みを浮かべたからだ。
「え……?」
……ニンゲンはみんな、私たちを『魔人』と呼んで恐れるはずではなかったの?
「あなたは……」
「わたし?わたしはねえ、リコだよ!」
名前を聞かれたのと勘違いしたようで、女の子はニコニコと笑ってそう名乗った。
「そ、そう……リコ。素敵なお名前ね。あなたは、私が怖くないの?」
「え、なんで?ぜんぜんコワくないよ?だっておねえさん、すっごくやさしそうだもん」
「でも……肌の色があなたたちと違うでしょう」
「うん、青くてすっごくキレイ!」
「……そ、そう?……ありがとう」
「おねえさんは、もしかしてようせいさん!?お耳もとがってるし、なによりキレイだし!」
「ど、どうかしら……」
「すごい、リコ、ようせいさんに会っちゃったぁ……!すごい……すごいね!」
元気よく喋り続ける少女に若干気圧されつつも、私もそのあまりに無垢な笑顔につられて思わず頬が緩む。
「え、ええ、そうね……」
てっきり恐れ戦いて泣きわめくかと思ったのに、泣くどころかその大きな瞳をキラキラと輝かせている。
この前、身体の大きな男の子たちに猛然と突っ込んでいったときもそうだけど、この子は随分と肝の据わった子どものようだ。
それに、目が覚めてしまったものは仕方ない。
気を失っている間にこの子をこっそりと人間たちの村に運ぶ作戦は、どちらにせよもう実行不可能だ。
「えーと……じゃあ、ちょっとだけお話しようか、リコ?」
「するー!」
私は興奮する彼女に微笑みかけ、それからふたりして大木の幹に背を預け、並んで腰を下ろした。
「ねえ、リコ?あなたひとりなの?……どうしてこんなところに」
私が尋ねると、そこで初めてリコは思い出したように目を見開いた。
「あ!そうだ!おくすりさがさなきゃ」
「え?お薬?」
突拍子もない言葉に思わず聞き返す。
「そう!お母さんがくるしそうなの。だからわたし、森におくすりをさがしにきたの!」
「あなたひとりで……?」
「そうだよ」
女の子はコクリと頷いた。
「どくなんだって。お父さんたちが言ってた。でもどくなおせるくすりがないんだって。森のなかにならあるかもって、大人のひとたちが言ってたの。だからわたし、くすりをさがしにきたの」
「毒?」
「そう。からだじゅうにむらさき色のまるい点々ができて、けっかんもうかび上がっちゃって、ひどいねつで……息もすごくくるしそうなの!」
母親の症状を思い出したのだろうか。
リコは今にも泣きだしそうな顔でそう言った。
――全身の斑点、血管の膨張と高熱に呼吸の異常……それはきっと……
「まものにかまれたんだって言ってた……」
「魔物?」
「そうだよ。うさぎのまものなんだって……大人のひとが、アルミ……なんとかって」
「アルミラージに毒はないわ」
代わりに黒くて長い角があるはず。
その特徴に気づかないなんてことは、まずないだろう。
それに非力なニンゲンが一角兎獣と遭遇して、生きているとは思えない。
兎型の一角獣アルミラージは食欲も旺盛な魔物だ。
何よりそのレベルの魔物が、ルイーズたちの探知網に引っ掛からないとは思えない。
「それはアルミラージじゃないわね。きっと毒兎よ」
「どくうさぎ……それはまたべつのまもの?」
「毒兎は魔物じゃないわ。この『寂寥の森』に棲む固有種。普通の野生動物よ。毒があるけどね」
毒兎は肉食性ではない。
あくまで自己防衛のために外敵を噛み、毒を注入する。
わたしたちには効かないけれど、他の動物――特に赤い血の流れる動物――なら全身に紫色の斑点が現れ、血管が膨張し、高熱を伴う。
鳥竜で森の中を行く際、時々運悪く驚いた毒兎にウマの脚を噛まれることがある。
即死に至る猛毒ではないが、一時的に麻痺をもたらす。
数分で回復するが、数時間経ってからまた別の症状が出るのが特徴だ。
毒の回りは遅いが、何もしなければ大抵の場合は二週間程度で死に至る。
いや鳥竜で二週間だ。
それより遥かに体重の少ない人間なら、二、三日といったところかもしれない。
何より毒兎が厄介なのは、普通の毒消しがほとんど効かないことだ。
「森のおくなら、もしかしたらすごいおくすりがあるかもって『がくしゃ』おじさんが言ってたの」
リコは真剣な顔でそう言った。
がくしゃおじさん?
“学者のおじさん”ということだろうか。
「……大人の人が、あなたに森で薬を探してきなさいって言ったの?」
私が尋ねると、少女はぶんぶんと首を横に振った。
「ううん、ちがうよ。『がくしゃ』おじさんがレオンおじさんたちとはなしているのをきいたの。ジェラルドおじさんとザックおじさんもいたよ」
「レオン……?」
知らない名前の中にひとつだけ、聞き覚えのある名前があった。
「リコ、あなたレオンを知ってるの?」
「もちろんしってるよ!だってゆうめいじんじゃん!」
思わず私が訊くと、リコはそう答えて胸を張った。
幼い子どもらしく、表情が忙しなくくるくると変わる。
今だけはまた、母親の病状を忘れているのかもしれない。
「レオンおじさんは、ゆうしゃのまつえいなんだよ?」
“末裔”という言葉の意味は、恐らく分かっていないんだろうな……と思いつつ、聞き馴染のないワードのほうへ無意識に興味が向く。
「ゆうしゃ?」
「そうだよ。せいぎのみかたなの」
今の彼女はどこか少し誇らしげだ。
けれど、“ゆうしゃ”については、それ以上は彼女も知らないようだった。
「そう。……でも」
だから私は代わりに別のことを聞いてみた。
「あの人は、あなた達と同じ『星の民』じゃないんでしょ?」
「そうだよ、レオンおじさんは『だいちのたみ』なんだよ!まっくろなかみの毛、カッコイイよねー」
少女は何の迷いもなく答えた。
「……あなたは、『大地の民』は嫌いじゃないの?」
彼女の答えは本当はもう分かっていたけれど、何となく、もう一度聞きたくて私はそう訊ねた。
「きらいじゃないよ!」
予想通り、彼女はぶんぶんと首を振った。
「みんな『だいちのたみ』はわるいひとだって言うけど、ちがうんだよ!ほんとはみんないいひとなんだよ!『だいちのたみ』も『うみのたみ』も、みんないいひとなんだよ」
そしてきっぱりと言い切った。
「どうしてそう思うの?」
「だってレオンおじさん、いいひとだもん」
一月前に彼らの集落を観察に行ったときにも、リコはそう言っていた。
彼女には何の迷いもない。
「リコはねー『うみのたみ』になりたいなー」
それからリコは、目をキラキラさせて唐突にそう言った。
「え、どうして?」
これはまた予想外。
『海の民』は、レオンの話でもあまり詳しくは出てこなかった勢力だ。
すでに三つの民族争いでは最初に脱落し、今は大陸の西にある島々に逃げて言ったのだとか。
「だってきっと、うみでいっぱいあそべるでしょ?リコうみ好きだもん」
でも、リコの理由は思った以上に単純で明解だった。
「ふふ。なるほど」
私は思わず笑ってしまう。
つられてリコもにっこり笑ってから、その大きな瞳で私を見つめて言った。
「おねえさんもうみ好き?」
「……私は、海って見たことがないわ」
問われて、私は素直に答えた。
『ニヴルヘイム』に海はない。
だから私は当然、見たことがない。
だって、生まれてから一度も、『ニヴルヘイム』から出たことがないのだから。
「そうなの?わたしも一回しか見たことないんだけど、すっごくきれいなんだよ!おねえさんにも見せてあげたいなー」
――海。
言葉としては知っている。
泉のずっと大きなやつだ。
見渡す限り、水しかなくて、しかもその水はすごくしょっぱいのだとか。
「じゃあ、こんどいっしょに行こうよ、うみ!リコが大きくなったらつれてってあげる!」
リコはそう言ってにっこりと笑った。
「うふふ。ありがとう。楽しみにしてるわ」
「うん……約束だよ!」
私が微笑み返すと、少女は嬉しそうに頷いた。
彼女の可愛らしい笑顔を見て、私はその栗色の髪をそっと撫でた。
「……ねえ、リコ。一つ聞いて良い?」
「うん、いいよ!なあに?おねえさん」
「レオンって、どんな人?」
「レオンおじさん?うーんとね、すっごくいいひとだよ!……あ、でもちょっとカタブツだけどねー」
「ふふふ。あなた難しい言葉知ってるわね」
リコは「でしょう?」と嬉しそうにまた胸を張る。
「つよくてやさしくてかっこいいんだけど、みんなのことばっかりで、ちょっとあぶなっかしいの」
「そうなんだ」
その舌っ足らずの喋り方でちょっとませた台詞を言う彼女が可笑しくて、私はまた笑った。
きっと両親か、別の大人の受け売りなんだろうけれど。
それにしても、単身で森の奥に入ってしまうようなお転婆な少女に心配されるなんて、あの男もよほどなのね。
「おねえさん、わたし、そろそろいくね」
それから少しして、リコは名残惜しそうに立ち上がった。
私も頷く。
リコと一緒にいるのは楽しいけど、いつまでも続けるわけには行かない。
どうやらこの子は大人たちに黙って森に入ってしまったようだ。
今頃、きっと彼女の両親たちはさぞや心配しているだろう。
それにリコは、目的があってここに来た。
「おかあさんのおくすり、さがさなきゃ」
「……じゃあ、リコ。最後にもうひとつだけ教えて」
私は彼女の小さな手を取って尋ねた。
「リコはレオンが好き?」
「うん、大好き!」
リコは私の手を強く握り返して即答した。
私はまた頷く。
話したいことは話せた。
私の気持ちも、決まった。
「リコ。あのね……」
けれど、私がポーチに手を伸ばしながら口を開いた、その時だった。




