第26話 ニンゲンの少女
~王女~
「あった!」
私は思わず声を上げていた。
鬱蒼とした森の中で、木漏れ日を浴びた朱い蕾。
アマリリスだ。
まだ蕾だし、今はほんのり朱いだけ。
一見すればごく普通の咲き掛けの朱頂蘭にしか見えない。
それでもその花弁に光の精霊の加護が宿っていることは、直接視界に入った今なら確信が持てる。
蕾の内に秘めた強い光の魔力がわずかながらこぼれ出ていたから。
私は駆けて行って、傷をつけない様この上ないくらい丁寧に、そっとアマリリスを摘んだ。
よく見ると、蕾は僅かに開きかけていて、内側の赤い可憐な花弁が良く見えた。
「綺麗……」
『月光華』をそっと摘まみ、ポーチの中から小瓶をとり出そうとした、その時だった。
「――!!」
私はようやくその気配に気づいた。
(人間……!?)
距離にしておよそ十メートル。
普段ならありえないことだった。
気配を殺すのが得意な野生動物でさえ、いつもなら三十メートルも近づけば必ず察知できる。
油断していたとしか言いようがない。
『月光華』探しに夢中になり過ぎて、気づくのに遅れた。
大失態だ。
だが、幸い向こうはまだこちらに気づいていないようだ。
私は咄嗟に木の幹の陰に身を隠し、近づいてくる人影に目を凝らした。
(え?子ども……!?)
そして私は目を丸くする。
それは幼い娘だった。
背丈は恐らく私の腰辺りくらいしかないだろう。
こんな森の奥深くに、明らかに場違いな光景だった。
それにあれは――
(あの時の女の子……!)
そうだ。
ちょうど今から一月くらい前。
マルティナたちと人間の集落をこっそり見に行った時に見掛けた子。
もっと大きな男の子たちのケンカを身体を張って止めた、あの小さな女の子だ。
その女の子が今、『寂寥の森』のこんな奥深くでひとり、ふらふらと彷徨っている。
(ど、どうしよう……このまま隠れてやり過ごす?)
でも、いくら魔物がいないとは言え、野生動物はいるのよ?
肉食の子もいるし、草食でも縄張り意識が強い大型の子たちもいる。
あんな小さな子、ひとりで帰れるの……?
私は息を殺して幼女を観察しながら思考を巡らせる。
が――
(あ、危ない!)
直後、幼女は木の根に足を取られて転倒した。
運悪く斜面に倒れ込んで、そのまま転がり落ちていく。
「!」
私は一瞬の迷いもなく木陰から飛び出した。
考えるより先に、身体が勝手に動いていた。
転がり落ちた先で固い木の幹に衝突する寸前、風魔法を唱えて木と幼女の間に空気のクッションを生み出す。
そのまま幼女は風の層に守られながらゆっくりと土の上に横たわった。
すぐさま駆け寄って怪我の具合を確認する。
(良かった。このくらいなら、私でも治せる)
頭を打って気を失っているものの、額が少し割れているだけだ。
他に外傷はなさそうだし、おでこのほうも出血はあるが、傷は浅い。
治癒魔法はあまり得意じゃないけれど、この程度なら造作もない。
『水の精霊よ……』
私は少女の額に手を当て、呪文を詠唱した。
傷口が光に包まれ、見る見るうちに閉じていく。
「これでよし……と」
私は少女のおでこに傷痕が全く残っていないことを確認してから、自分の膝の上から彼女の頭をそっとどかし、土の上に寝かせる。
そしてその場を去ろうと立ち上がり――
(――こんな小さな人間の子どもを、森に置き去りにして大丈夫かしら)
にわかに心配になってきた。
とりあえず、起きるまで待っていたほうが良いか……?
それともこっそり人間の村のそばまで運んでいく?
あ、その前に念のため肌の色を変えなきゃ。
「――!」
そのときだった。
突如発生する瘴気の揺らぎ。
(……なんてタイミングが悪い)
私は我知らず眉を顰めていた。
間違いない。
たった今、すぐ近くに魔物が発生した。
魔物は、どの個体も総じて『光に祝福されし子ら』を襲う。
その衝動の根底は食欲、そして強い殺戮欲。
彼等のその本能は野生動物に対するものとは明らかに一線を画す。ちなみに、私たちは光に愛されてもいないのに、こういう時だけは何故だか同じ。
つまり、魔物にとっては私たちも捕食対象であり殺戮対象だ。
しかも彼らはどういう訳か、こちらの居場所を察知する能力が極めて高い。
今回もそうだ。出現したばかりの魔物の気配が、何の迷いもなく、真っすぐこちらに向かってくる。
でも、私も結構鼻が利く方だ。
王城の〈戦士〉たちが感心半分、呆れ半分で舌を巻くくらいには。
数は……三。
それに、この気配は——
「……またあなたたちなの」
私は少女を柔らかい土の上に寝かし、立ち上がって溜め息をついた。
――冥猟犬。
『寂寥の森』ではあまり出現報告を聞かない魔物だ。
それが先月に続いて再び発生するとは。森の瘴気の流れが少し変わったのだろうか。
「……私はきっと美味しいけど、あなたたちじゃ無理よ」
私は大きな木幹の前に寝かせた少女から距離をとって、魔犬たちの前に歩み出る。
彼らが狙いを定めているのは、少女か、それとも私か。
――まあ、どうと言うことはない。三匹くらいなら。
「「「グルルルルルル……」」」
冥猟犬たちは涎をまき散らしながら私を囲んで身を屈め、臨戦態勢に入った。
そして、同時に四つの口を開く。その喉の奥が一斉に朱い輝きを放ち始める。
そして次の瞬間。
『……シルフィードよ!』
ザザンッ――――
「「「ガァァ――……?」」」
「森の中で火なんて吐かせないわ。それに……子どもが寝てるんだから、うるさくしないで」
風の刃が三体の冥猟犬、の丸太のように太い首をすっぱりと切断する。
ここまでは、先月とあまり変わらない。水か風かの違いはあるものの。
「同じ轍は踏まないわよ。汚れるのはもうイヤ」
バシュッ――――
突如、突風が巻き起こり、目に見えない風の結界が三体の魔犬の身体を包み込む。
緑色の鮮血はその球状の空気の膜の中で飛び散るものの、外へは一滴もこぼれだしてはいない。
風に包まれ、断末魔の絶叫すら封殺られた三体の魔物は、そのまま斜面の下へと落ちて行った。
「ふう……」
私はゆっくりと息を吐いた。
大精霊の力を借りた反動で、ちょっとした疲労感が私の身体を襲う。
魔物の出現のせいで掛け方が甘かった《色素移動》の魔法も、いつの間にか解けてしまっていた。
「さてと……」
この後、魔法を掛けなおして、それからあの子はやっぱりこのまま起こさずに、村の聖石の結界の中まで運ぼう。
闇の精霊の力を借りれば、人間たちに気づかれずに結界の境界線辺りまで連れて行くなんて造作もない。
そんなことを考えながら、振り返って――私はようやく気付く。
――そこには、幼い女の子が立っていた。
まん丸の大きな瞳を、さらに大きく見開いて。
「おねえさん……だぁれ?」
「!」
思ったよりずっと早く、少女の目が覚めてしまった。
「……おかおが……青い?」




