表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
落ちない汚れはございません!〜街はずれの洗濯婦のはずがこの国の黒いものまで洗い流して洗濯聖女になっちゃいました〜  作者: 絹田屋


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/11

第09話 そんな匂いはしませんね


 色んなものを落とし続けていたら、洗濯場でのわたしの扱いは、すっかり変わった。


 みんな、わたしにはちょっとだけ距離を置く。難しい汚れを、おそるおそる持ってくる。そして、落とすたびにひそひそと囁きあう。


「ただものじゃないわね……」

「水量や洗剤の量も、目分量で計ってるのにピッタリみたいだし……」


 わたしは、汚れさえ落ちれば、それで満足なんだけど。


 マリーはマリーで、なんだか手持ち無沙汰そうだった。たぶん、手応えのある仕事がそこまでないんだと思う。洗い場の受付も帳面も完璧にこなして、あとはわたしの世話くらい。


「サボンの世話係だから当然だけどさ。せっかく王宮まで来たのに、わたしはただの付き添いね」


 そんなある日のことだ。

 ひとりの文官が、今にも泣きそうな顔で、洗濯場に駆けこんできた。

 ひょろりと背が高くて、目の下には、濃いくま。腕いっぱいに、帳面を抱えている。


「す、すみません……! ここの、責任者の方は……!」


 応対に出たマリーが、てきぱきと受けた。


「ドロテアさんは、いま席を外してます。わたしでよければ、御用を伺いますよ」

「あ……えっと。ぼく、家政方のニコといいます。この洗濯場の、調達と帳簿を任されていて……」


 ニコさんは、抱えた帳面を、ぎゅっと抱きしめた。


「その帳簿が……どうしても、合わないんです」


 聞けば、こうだった。

 ニコさんは、洗濯場で使う洗剤や布の、仕入れを任されている。ところが、ここ数ヶ月、その費用がふくれあがる一方だという。


「帳簿には、高い洗剤をどっさり仕入れたことになってます。記録も判子も、ぜんぶそろってる。でも……ぼくには、そんなに頼んだ覚えがないんです」


 ぱたぱたと帳面を開いて見せてくれたけど、わたしにはさっぱりだった。


「上役には、おまえの管理が杜撰だからだと責められて……。このままじゃ、ぼくがぜんぶ弁償させられる。下手したら、牢に……」


 ニコさんは、とうとう、ぐすぐすと泣きはじめた。

 よく見れば、お仕着せの袖は、墨で真っ黒。指は、ペンだこだらけ。きっと毎晩おそくまで、たった一人で帳面と格闘してきたんだろう。


「ぼくが、ぜんぶ確かめてれば……。でも、判子の数が多すぎて。一日に、何百も……」


 その汚れ方は、嘘をついていない。この人は、なまけ者じゃない。むしろ、働きすぎなくらいだ。

 マリーの目つきが、すっと変わった。

 こういう数字の話になると、この子は人が変わる。鑑定で〈勘定〉のスキルが出たのは、伊達じゃない。


「ニコさん。その帳簿、よく見せてもらっても?」


 マリーは帳面を受け取ると、ものすごい速さで、数字を追いはじめた。

 指が、ぴっぴっと数字の列をすべっていく。口の中で、小さく足し算をつぶやきながら。こうなったマリーは、もう誰の声も聞こえない。

 わたしが汚れに夢中になるのと、たぶん、同じ顔だ。


-----


 しばらくして、マリーが、ぴたりと指を止めた。


「……おかしい。この『特上の泡草の根』。帳簿じゃ、毎月、樽で何十も買ったことになってる。こんな量、ほんとに使いきれるの?」


 マリーが、わたしを見た。


「ねえサボン。あんたなら、においで分かるでしょ。ここ、ほんとにこんなに特上を使ってる?」


 わたしは、干したての布を片っぱしから嗅いでいった。

 すぐに、見当がついた。


「特上が使われてるのは……ほら、この辺だけ。貴族の、上等な絹やドレス。絹はね、髪の毛とおなじなんです。きつい灰汁や、混ぜものの多い安物を使うと、黄ばんで、ごわついて、二度と戻らない。混ぜもののない、純度の高いやさしい特上の泡草じゃないと、傷めずには落とせないの」


 干し場の布の山を、ざっと指で分ける。


「でも、それ以外は、ぜんぶ安物。使用人の普段着も、洗濯場の雑巾も、台ふきも。特上が要るのは、せいぜい、このひと山ぶん。毎月、樽で何十も使うなんて、どう考えても多すぎるよ」


 ニコさんが、すがるように身を乗りだす。

 ほんとうかどうか、確かめてみせることにした。


 貴族ものに残っていた泡草と、使用人ものの泡草を、それぞれ溶いてみせる。

 片方は、とろりと、こくのある泡。布にふくませて指の腹で押すと、固まった油が、みるみる浮いて、すうっと水に溶けていく。

 もう片方は、薄い泡がすぐ消えて、汚れは布の表面でにじむだけ。奥には、ちっとも届かない。


「ね? おなじ泡草でも、特上と安物じゃ、仕事がまるでちがう。においも、泡の立ちも。洗濯婦だったら、どの布にどっちが使われたかなんて、ぜったい分かりますね」


 ……いけない。確かめるだけのはずが、つい一枚、すっかり洗ってしまった。

 ふふ。やっぱり、ちゃんとした道具は気持ちいい。手が、勝手に喜んでる。


「とにかく。実際に特上が要るのは、ほんのちょっと。帳簿が言うほどの量は、どこにも使われてません」

「……やっぱり」


 マリーが、ばしんと帳面を叩いた。

 こんなに活き活きと帳簿に食らいつくマリーを見るのは、ひさしぶりだった。


「つまり、こういうこと。実際に特上が要るのは、ほんのひと握り。なのに帳簿は、その何十倍も買ったことにしてる。ほとんどは安物で済ませて、特上を買ったことにした差額を……まるまる、ふところに入れてるのよ」

「さ、差額って……」

「特上と安物じゃ、値段が十倍はちがう。この量なら、相当な額。ニコさん、あなたが使いこんだんじゃない。判子を押させられただけ。これを書いた誰かが、犯人」


 ニコさんは、ぽかんとしていた。それから、わなわなと震えだした。


「で、でも……これを書けるのは、ぼくの上の、調達長さまだけで……」


 言いかけて、ニコさんは、まっ青になった。

 マリーも、すっと顔色を変える。

 わたしだけが、きょとんとしていた。


「? 犯人が分かって、よかったじゃないですか」

「「よくない(わ)よ!!」」


 マリーとニコさんの声が、きれいにそろった。


「だって相手は、王宮のお偉いさんなのよ!?」

「下手に騒げば、ぼくたちのほうが揉み消される……!」


 二人が、そろって頭を抱えた。

 まぁ、確かに。帳簿が言うほどの量は、どこにも見当たらない。買ったことにして、無いんだから、困るのは、分かる。


 安物の洗剤で、特上を買ったふりをする。それも、ひとつの汚れだ。表ばかり、きれいにつくろって。奥のほうに、こっそり染みついている。

 わたしは、見えてしまっただけ。落とすのが、仕事だから。


----------


 その帳簿の写しは、マリーの手で、ドロテアに渡された。

 ドロテアはしばらく無言で数字を見て、それから、低く言った。


「……よりによって、調達長か。これは、わたしの手にあまるね」


 めずらしく、その顔に、苦いものが浮かんでいた。


「道理で。いくら上に掛けあっても、いい洗剤がろくに回ってこないわけだ。……現場をどれだけ見たって、これは見抜けない。汚れじゃなく、数字の裏に隠されてたんだから」


 ドロテアは、ふう、と息をついた。


「いいかい、二人とも。このことは、軽々しく口にするんじゃないよ。とくにサボン、あんたはね」


 わたしは、こくりと頷いた。よく分からないけど、ドロテアが言うなら、そうしておくのがいいんだろう。


 それから数日して、調達長は、こっそり姿を消したらしい。ニコさんにかかっていた疑いも、きれいに晴れた。

 ニコさんは、わたしとマリーに、何度も頭を下げにきた。


「ほんとに、助かりました……! あの……これからも、困ったことがあったら……」

「汚れなら、いつでも」


 それから、ニコさんは、マリーのほうを見た。


「マリーさんの、あの数字の強さと速さ……。ぼく、ほんとに尊敬します」


 マリーは、つんとしながらも、まんざらでもなさそうだった。

 ずっと『付き添い』だと思っていた自分が、今日は、ちゃんと誰かを助けられた。それが、嬉しいんだと思う。

 

 でも、その夜、ふと思った。

 あの調達長は、ずいぶん簡単に、消えてしまった。誰かが、すばやく片づけたみたいに。

 王宮には、これよりもっと大きな『汚れ』が、まだまだ隠れている気がする。


 ……うーん。難しいことは、よく分からないな。


 わたしにできるのは、目の前の汚れを、ていねいに落とすことだけ。それ以上のことは、きっと、わたしの手にはあまる。

 難しいことを考えるのは、マリーやドロテアに任せよう。

 でも、となりの寝床では、マリーがなかなか寝つけないみたいだった。寝返りばかり打っている。たぶん、わたしの代わりに、ずっと心配してくれているんだろう。


 何かわたしも考えようとしたけど、結局ぐっすり眠ってしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ