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落ちない汚れはございません!〜街はずれの洗濯婦のはずがこの国の黒いものまで洗い流して洗濯聖女になっちゃいました〜  作者: 絹田屋


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第08話 リーネのごはん


 王宮の洗濯場に来て、半月。

 わたしの評判は、じわじわ広がっていた。

 「あの新入り、どんな染みでも落とす」と。


 特に、他の人が「もう無理」と匙を投げた汚れが、こっちに回ってくる。血の染み、こびりついた脂、古い食べこぼし。どれも、お手上げの常連だ。

 でも、わたしには、とっておきの相棒がいる。


 窓辺の、ちいさな壺。

 蓋を開けると、底のほうが、ふつふつと泡を立てる。

 ばあちゃん直伝の、肉溶かしの菌。わたしが付けた名前は、リーネ。


 血や脂みたいな、タンパクの汚れを食べてくれる。

 ……タンパク、なんて言葉、どこで覚えたんだろう。たまに、こういう知らないはずの言葉が、ぽろっと口に出る。ばあちゃんは、ただ『肉溶かしの菌』って呼んでたっけ。


「リーネ、今日もよろしくね」


 声をかけると、ぷく、と泡がひとつ。返事をしてくれたみたいに思える。気のせいだろうけど、なんだか、かわいい。


-----


 その日、洗濯場に運びこまれたのは、見たこともない大きさのテーブルクロスだった。

 配膳係のおばさんが、両手いっぱいに抱えて、うんざり顔で広げてみせる。


「ゆうべの、大広間の晩餐でね。これがまた、ひどいのなんの」


 まっ白な、上等の麻。……だったんだろう、もとは。

 いまは、あちこちに、こってりした料理のあとが点々と。肉汁の茶色いしみ、卵と乳のソースの黄ばみ、垂れたバターの輪。豪勢な料理ほど、こぼしたあとも豪勢だ。


「うわぁ……!」


 わたしは、もう、大きなしみの海に飛びこんでいた。

 顔を近づけて、においを嗅ぐ。


「肉の脂に、卵と乳のタンパク……こってり重なってますね。灰汁じゃ、脂は薄くなっても、芯の黄ばみは残るやつ」

「そうそう! 洗っても洗っても、薄ーく黄ばみが残っちゃってさ」


 ごしごし擦るのは下策だ。脂は浮いても、繊維にしみたタンパクは、擦るほど奥へめりこむ。

 こういうのは、順番が肝心。まず脂、それからタンパク。相手にあった手で、ひとつずつ落としていく。


 はじめに、ぬるま湯にひたして、固まった脂をゆるめる。熱すぎてはだめだ。タンパクは、熱を加えると固まって、二度とほどけなくなる。人肌より、ちょっと上。手首の内側で、たしかめる。


 脂がやわらいだら、泡草の根を溶いた水を、たっぷり。泡草は、油を抱いて、水へ連れ出してくれる。上等な麻に、灰汁みたいなきついものは使わない。やさしい泡で、肉汁とバターの脂を、ふわりと浮かせる。

 ここまでで、脂はあらかた退いた。でも――まだ、黄ばみが残っている。


 卵と乳の、こびりついたタンパク。これは、泡じゃ落とせない。たとえ擦っても、漂白しても、芯に居座ったまま。


 ——こんなときこそ、リーネの出番だ。


 薄めたリーネを、残った染みや濃い黄ばみのところに、ちょんちょんと塗っていく。


「ほら、ごはんだよ。たくさんあるよ」


 あとは、待つ。

 菌は、せかしても働かない。じっくり、繊維の奥のタンパクを、ひとつずつほどいていく。

 しばらくすると、布のあちこちから、ぷつ、ぷつ、と細かな泡。リーネが、ごちそうを食べている音だ。固まっていた脂と黄ばみが、ふやけて、ほろりと浮いてくる。

 頃合いを見て、ぬるま湯で、ていねいにすすぐ。にごった水を、何度も、何度も替えて。最後は、たっぷりの水で。菌も、ほどけた汚れも、いっしょに流しきってしまう。


 点々と散っていたしみが、うそみたいに消えて、まっ白な麻がよみがえった。


「ん! 落ちた! ……さてさて」


 でも、麻は、ここからが本番だ。落とすのと同じくらい、干し方が勝負なんだから。

 まず、強く絞らない。麻をぎゅっと絞ると、深いシワが芯まで入ってしまう。水気は、ほどほどに切るだけ。

 洗濯場のすみでは、温風の風車が、ごうごうと湯気をあげている。みんなは、なんでもこれに放りこんで、一気に乾かすけど……。


「これは、入れません」


 麻を、熱でむりやり乾かしてはいけない。ごわついて、縮んで、せっかくの風合いが台無しだ。それに、麻はもともと乾くのが早い。せかさなくたって、すぐからりとする。


 風通しのいいところに、大きな布を、竿へ二つ折りで通して垂らす。布じしんの重みで、シワが、すうっと下へ伸びていく。あとは、生乾きのうちに、両手でパン、パンと打って、縦と横の布目を、ピッとまっすぐ整えてやる。


 ほんとうは、麻のシワは無理に消さなくたっていい。自然な皺は、この布の持ち味でもあるんだから。でも、晩餐の卓に広げるなら、やっぱりぴしっとさせたい。


 仕上げは、火の魔石のこて。生乾きの上に、当て布を一枚かませて――テカリを出さないための、ひと手間――すっと、強めに。


 しわが、すうっと伸びた。ぱりっとして、それでいて、しなやか。

 ……それに、この布。長く使われてきたみたいで、糸が、くったりと柔らかい。麻は、洗うほどに角が取れて、肌になじむ。新品よりもずっといい手ざわりだ。


 ひろげた布いっぱいの、雪みたいな白。広いぶんだけ、気持ちよさも、けたちがいだ。


 受け取った配膳係のおばさんは、ぱあっと顔を輝かせた。


「すごい……これなら、まだまだ使える! 黄ばんだら捨てて新しいのを下ろすしか、なかったんだよ」

「落ちない汚れはございませんので! また汚れたら持ってきてください」


 配膳係のおばさんは、何度も礼を言って、ほくほく顔で帰っていった。


-----


「染みなら、あの子に出せ」


 そんな評判が立つと、指名がどっと増えた。

 でも、困ったことに。

 リーネは、ひと壺ぶんしかいない。

 働かせすぎると、菌が疲れて、泡の立ちが弱くなる。元気がなくなると、汚れの食べっぷりも、てきめんに落ちる。


「マリー。リーネ、増やそうと思って」

「は? 菌を、増やす?」

「うん。ばあちゃんがやってた。元気なのを取り分けて、新しい餌をやる。よく日の当たる、ぽかぽかの窓辺に置いとくと、ちゃんと増えるの」


 パン屋さんも酵母に一工夫してるわけだし。それを継ぐみたいに、種をわけて増やす。

 わたしは、いそいそと、小分けの壺を並べた。


 いちばん元気な泡を立てているところを、ひとさじ。新しい壺に、わけてやる。

 餌は、古い血布の切れはし。リーネの大好物だ。

 それから、置き場所。冷えると、菌は眠ってしまう。だから、火の魔石を仕込んだ温め石を、布にくるんで壺の脇に。人肌くらいの、ぽかぽかを切らさないように。


「これだけは、気をつけてね」


 自分に言いきかせる。

 壺は、毎日いちど、かならず覗く。変なにおいがしたら、おしまいだ。

 いい菌が育つ場所は、悪い菌にとっても、居心地がいい。ちょっと油断すると、よその菌が忍びこんで、まるごと乗っ取られる。そうなったら、つんと鼻を刺す、腐ったにおいがする。

 そうなる前に、見て、嗅いで、たしかめる。


 ばあちゃんも、毎朝そうしていた。寝起きのわたしを叩き起こす前に、まず菌の壺を覗いていた。


 数日して、わけた菌も、ちゃんとふつふついいだした。

 蓋を開けて、においをたしかめる。なんだか香ばしい、いいにおい。腐ったにおいはしない。


 ……増えた! リーネが、増えた!


「菌が増えて、そんなに嬉しそうな子。はじめて見たわ」


 マリーが、あきれた顔で言った。でも、ちょっとだけ笑っていた。


-----


 ユーリさんが、いつものように転がりこんできた。

 今日も、泥と返り血で、あちこち汚れている。演習で、派手にやったらしい。


「サ、サボン殿。その、また染み抜きをお願いできれば」


 わたしの目は、もう、ユーリさんの肩の血に吸い寄せられていた。

 乾きかけの、新しい血。古い染みとちがって、繊維の浅いところにいる。


「うわ。いい血ですね……新しくて、たっぷり」

「い、いい血……?」

「リーネのごはんに、ちょうどいいんです。ありがとうございます!」

「ごはん……僕の血が……?」


 ユーリさんが、複雑そうな顔で固まる。


 でも、こっちは、それどころじゃない。

 新鮮なタンパクは、菌が育つ、いちばんのごちそうだ。

 わけたばかりの、まだ小さい子たちにこそ、いい餌を食べさせてやりたい。


 血のついた布を、そっと小分けの壺のそばに置く。薄めたリーネを、ちょんと垂らしてやると――ぷく、ぷく、と、泡が勢いよく立ちはじめた。さっきまで控えめだった子が、急に元気いっぱいだ。


「見て、ユーリさん! すっごい食べっぷり! この子たち、あなたの血で、ぐんと育ちました!」

「そ、それは……よかった、です……?」


 ユーリさんは、自分の肩と壺を見くらべて、なんとも言えない顔をした。それから、わたしのよっぽど嬉しそうな顔を見て、つられたみたいに、ふっと笑った。


「……まあ、役に立てたなら」

「立ちました立ちました! また汚したら、すぐ持ってきてくださいね!」


 ユーリさんは、まんざらでもなさそうに帰っていった。なんだかんだ、いちばんの上客だ。


-----


 窓辺に、ふつふつと泡立つ壺が、いくつも並んだ。

 ひとつだった相棒が、いつのまにか、ちょっとした大所帯だ。

 わたしは、ならんだ壺を、うっとりながめた。これだけいれば、どんなに注文が増えても、もう怖くない。


 ……このときは、まだ知らなかった。

 わけて増やしたこの子たちを、いつか、ひと壺やふた壺じゃ手に負えない、とんでもなく大きな汚れに、いっせいにけしかける日が来るなんて。


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