第07話 汚れは嘘をつかない
王宮ぐらしにも、すこしずつ慣れてきた。
毎日、見たこともない量の汚れがやってくる。貴族の上着、女官のドレス、儀式の幕。わたしは、毎朝が宝探しみたいで、上機嫌だった。
ユーリは、あれから三日にあげず、泥まみれで駆けこんでくる。ドロテアは口うるさいけど、難しい汚れほど、こっちに回してくれるようになった。ばあちゃん特製の肉溶かしの菌――リーネも、新しい窓辺ですっかり元気だ。
知らなかった場所のはずなのに、気づけば、毎日が楽しくてしかたない。わたしは汚れさえ落とせれば、どこでも幸せらしい。
そんなある日、洗濯場の入口から、すっとんきょうな声がした。
「ちょっと、ちょっと待って! きみが噂の、染み抜きの名手!?」
ふり返ると、歳の近い男の子が立っていた。
ぴしっと糊のきいたお仕着せ。きれいに撫でつけた銀色の髪。襟元には、ちりひとつない。
その子は、わたしを上から下までながめて、わざとらしく天を仰いだ。
「……うっそだろ!? この、もっさもさの子が!?」
ずいっと近づいてきて、わたしの寝癖を、ひょいとつまむ。
「あの、どちら様でしょうか」
「僕はリリ! 王宮の執事見習いさ! いやー信じらんない。すごい腕なのに、自分はこのありさま!? もったいなさすぎる!」
そのまま、腕をつかまれて、くるりと回された。
「髪はぼさぼさ、爪は染みだらけ、服はよれよれ! 素材は最高なのに、手入れがゼロ! 宝の持ち腐れって、まさにこれだよ!」
「素材って……わたし、石とかじゃないんですけど」
「同じだよ! 磨けば光る!」
なんだか、どこかで聞いたような台詞だった。
「ねえ、僕に任せてみなよ! 見ちがえるくらい、可愛くしてあげる!」
「えー。いいです、めんどくさい」
「めんどくさいって!? お洒落が!?」
リリが、大げさにのけぞった。
そこへ、マリーが帳面を抱えてやってきた。
「ちょっと。うちのサボンに、何の用?」
リリが、つんと顎をあげた。
「見りゃわかるだろ! この子の身なりを、なんとかしようとしてるんだよ。付き人がついてて、よくこのまま放っとけるね」
「なっ……! わたしはちゃんと、毎朝うるさく言ってるわよ! この子が聞かないだけ!」
「言ってるだけ? 結果が出てなきゃ、やってないのと同じでしょ」
「なんですって!? 会ったばかりなのに、よくもそんな……!」
「事実だろ! 僕なら三日で見ちがえさせる。賭けてもいいよ」
「上等よ。やれるもんなら、やってみなさいよ!」
ぱちぱちと、二人のあいだに火花が散った。
「わたしをだしにしないでほしい」とは、さすがに言いだせない空気だった。
わたしはその横で、ちゃっかり洗濯を再開した。二人が言い合ってるあいだは、わたしの番じゃない。
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二人がひとしきり言い合って、リリが、はっと思い出したように包みを差し出した。
「……まあ、いいや。今日はこれを頼みに来たんだ。お願い、急ぎなんだよ」
包みを開くと、上等な絹のドレスだった。淡い水色の、見るからに高貴な一着。その裾に、べったりと、目立つ染みがついている。
「僕が仕えてる、奥方さまのなんだ。明後日の祝宴で着るのに、これじゃ出せない。何人がかりで洗っても、落ちなくてさ」
わたしの目は、もう染みに釘づけだった。
顔を近づけて、においを嗅ぐ。
(甘い。砂糖と卵と乳のお菓子……それから、なめらかな蜜蝋のにおい……上等な蝋燭のだ)
「これ、お菓子の染みですね。生クリームたっぷりの、焼き菓子。それも、ずいぶん上等なやつ」
「そ、そう。お茶会で、うっかり」
「お茶会?」
首を、かしげる。
染みの縁に、もうひとつ。乾いて、ぱりっとした、薄い膜。指でこすると、ほろりと剥がれた。
(蜜蝋。それも、こんなにべったり。お茶会で、蝋燭がこんなに垂れる? ……ずいぶん暗い部屋にいた……。暗くて窓のない、奥まった部屋。そんな部屋で何を?)
「変ですね。このドレス、お茶会には行ってませんよ」
リリの肩が、ぴくりと跳ねた。
裾を、ひっくり返してみる。内側にも、蝋のしずくが点々と。座っていた人の膝のあたりに、集まっている。長いこと、低い椅子に腰かけていた人の汚れ方だ。
もう一度、布に鼻を寄せる。
(このにおい……煙草と、男っぽい汗。お酒。お菓子と、蝋燭と……、古い金属……硬貨の汚れ? ああ、分かった。窓のない、夜の……)
「……賭場、ですね。それも夜通しの。奥方さま、ほんとは賭け事をなさってたんじゃ……」
「わーーっ!! 言うな、言うな!!」
リリが、血相を変えて、わたしの口をふさぎにきた。
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マリーが、すっ飛んできた。
「ちょっとあんた、なに口走ってるの!? お、奥方さまの賭け事って……。それ、明るみに出たら大変なやつ!」
「そう? わたしは、汚れの話をしてるだけだけど」
「その『だけ』が、いちばん怖いのよ!!」
小声で叫ぶみたいな声音だった。
リリとマリーが、まっ青になって顔を見あわせる。さっきまで火花を散らしていたのに、息がぴったりだ。
わたしは、騒ぐ二人をよそに、ドレスに取りかかった。
絹は、いちばん気をつかう布だ。水にどっぷり浸ければ、縮むし、輪じみが残る。乱暴にこすれば、毛羽立って、二度と戻らない。
だから、生クリームの脂は、水を使わずに落とす。油は、油で溶けるからだ。
松脂を蒸して採った、さらさらの油を、すこしだけ。布の裏から、染みのあたりに含ませる。脂がふわりとゆるんで、その油といっしょに、跡形もなく飛んでいった。
残った蝋は、熱を嫌う。温めれば広がるだけだから、逆に冷やして固めてから、爪の先でそっと起こす。ぱりっと、面白いように取れた。
最後に、毛並みをそっと撫でて、ととのえる。
淡い水色が、すっかりよみがえった。染みなんて、はじめからなかったみたいに。
「……ん! 落ちた!」
リリが、ドレスを受け取って、口をぱくぱくさせた。
「うそ……っ。何人がかりでも無理だったのに。きみ、いったいなんなの!?」
「洗濯婦ですけど」
リリは、しばらくぽかんとしていた。それから、きらりと目を光らせた。
「……決めた! 僕、君の身なりについては諦めないからな。こんな宝物をもっさもさのままにしとくなんて、ぜぇったい罪だよ!」
「えー……」
どうやら、面倒な子に気に入られてしまったらしい。
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その夜、ドロテアに呼ばれた。
「あんたの腕は、本物だ。それは、わたしが誰より知ってる」
ドロテアの声は、いつになく低かった。
「でもね、サボン。この王宮ではね。汚れより、それを見抜く目のほうが厄介なんだ。……気をつけな。あんたが思ってるより、ここはずっと黒い」
わたしは、よく分からないまま、こくりと頷いた。
黒い汚れなら、落とすだけなのに。ドロテアの言う『黒い』は、それとは少し、ちがうみたいだった。
その日から、王宮の洗濯場には、おかしな噂が立ちはじめた。
あの新入りの洗濯婦は、服を見ただけで持ち主の隠しごとまで言い当てる、と。
「あの子は、穢れを祓う聖女さまみたいだ」
誰かが、そう囁いたらしい。
でも、わたしには、さっぱり分からなかった。
ただ、汚れを落としただけなのに。
この王宮では、罪や嘘は『黒いもの』として人にこびりつく、と信じられているらしい。だから、汚れを落とすわたしが、黒いものまで祓っているように見えるのかも?
奇跡なんて、起こしてない。ただ、ていねいに洗っているだけ。見てわかる手順を、手順のとおりに、ていねいに。
なのに、その『ただ洗ってるだけ』が、いちばん人をこわがらせるらしい。よく、分からない。
となりで、マリーが、青い顔のままつぶやいた。
「……ねえサボン。ここで長くやっていく気なら、もう少し、口に気をつけようね」
「? はぁい」
わたしは、生返事をした。
次の汚れのことで、もう、頭がいっぱいだったから。




