第05話 王都へ
まっ白な、どこでもない場所。やさしい声が、上のほうから降ってくる。
「きみには、特別な力を授けよう。さあ、好きなものを選びなさい」
目の前に、きらきらしたものが、いくつも浮かぶ。
「救国の聖女に、全属性の適性。聖魔導士や、最強の騎士だって選べるよ」
どれもこれも光って見えた。
でも、わたしの欲しいものは、とっくに決まっていた。
「……んとねぇ、おせんたく!」
「……おせんたく?」
「ママがね、おせんたくできたらオトナなんだって!」
大人になったらね、口ぐせだったママ。
おりこうにしててもダメで、お手伝いしてもダメだった。スマホも大人のもので、せんたっきも大人のものだって。
「はやくオトナになりたい! オトナになったら、もっといっぱいできるんだもん!」
大人になりたい。おせんたくできるのは大人になってからって。
そしたら白いごうんごうん回るせんたっきに触らせてもらえる。きっとあの中はとても面白くて、宇宙にだっていけるはず。
「ええと……宇宙が好きなの? だったらほら、お空を飛べる魔法とかもあるよ?」
「やだー! おせんたくがいい!」
「…………ええ〜……」
だって、もう大人だもん。
わたしにだってできるはず!
「おせんたく! おせんたく!」
「わかった。わかったから。きみには、とびきりの〈洗浄〉を授けよう。けれど、次に生まれるところは洗濯婦……ええと、お洗濯するひとのところだよ? お姫様じゃないけど、本当にいいの?」
「いいの! おせんたく!! おせんたくがいいの!!」
「わああぁ! わかったわかった。泣かないでおくれ」
次に行く君の未来が、素敵なものでありますように。
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がたん、と揺れて、目が覚めた。
……また、あの夢だ。よく分からないけど、昔から、たまに見る。白い箱がごうんごうん回る夢も、光る板の夢も。どれも、なんだったんだろう。
目の前には、見慣れないビロード張りの座席。となりで、マリーが窓の外に張りついていた。
「サボン、見て見て! もうすぐ王都の城門よ。すごい人……!」
王宮からの、迎えの馬車だ。なんでも、王宮で『どうしても落ちない汚れ』に困って、街で評判のわたしに白羽の矢が立ったらしい。あの封筒のあと、話はとんとん拍子に進んだ。
わたしは、欠伸をひとつ。
「ねむい……」
「もー、緊張感のない。王宮よ、王宮! ほんものの聖女様に、会えちゃうかもしれないのよ」
「ふうん。聖女様の服って、誰が洗ってるんだろうね」
「王宮の洗濯係に決まってるでしょ! これから、あんたが行くところよ!」
マリーは、めかしこんだよそ行きで、さっきからそわそわしっぱなしだ。こういう晴れがましいのが、この子は大好きなんだろう。わたしはといえば、いちばんましな仕事着を着せられて、マリーに何度も髪を梳かされた。それでも、気を抜くと、すぐ寝癖がもどってくる。
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馬車を降りると、見上げるような白い宮殿だった。磨きあげられた床、金の燭台、隙ひとつない装いの侍従たち。マリーは、口を開けっぱなしで歩いている。
わたしのほうは、床の隅の、かすかな靴を引きずった跡が気になっていた。誰かが慌てて拭いて、拭き残したのかな。
「サボン、よそ見しない!」
マリーに、首根っこを引っぱられた。
そうして通されたのが、王宮の奥の、御用洗濯場だった。
うちの洗い場が、十も二十も入りそうな広さ。何十という洗濯婦が、湯気の中で立ち働いている。
棚には、見たこともない量の洗剤と道具。木や鉄の洗濯板に、鉄のこてが大小さまざま、ずらりと並んでいる。襟用の細いの、皺のばし用の、平たい鉄の隊列。
「うわ、すごい。こんなに種類が……! しかも全部、魔石仕込み……!」
こての柄には、ちいさな火の魔石が埋めこまれていた。炭をおこさなくても、握ればじんわり熱を持つ、上等な品だ。うちのは、いちいち竈で焼いて、すぐ冷める鉄の塊だったのに。
(うわ……すごい。ここ、すごい)
胸が高鳴った。こんなにたくさんの汚れが、ひとところに。
汚れそのものは、街と変わらない。汗に、油に、葡萄酒。どれも、見慣れたものばかり。でも、その量がけたちがいだ。
「あんたが、噂の染み抜き娘かい」
低い、よく通る声がした。
ふり返ると、背の高い女の人が立っていた。歳は、ばあちゃんよりすこし下くらい。きっちり結った髪に、糊のきいた前掛け。値踏みするような目で、わたしを上から下まで見る。
「主任のドロテアだ。あんたの噂は、街でずいぶん集めさせてもらった。くたびれた革靴を宝石みたいに磨いたり、血のシミだって真っ白に洗い上げる娘がいるってね」
「ああ、そうなんです。どっちもよく落ちましたよ!」
「……ふん。自慢げな割に、ずいぶんしまりのない格好だね」
「そうですかね? あ、名前はサボンです。こっちは友達のマリー。よろしくお願いします」
「腕のほうも、その格好どおりじゃないといいけどね」
マリーが、むっとした顔をした。でも、わたしは気にならない。だって、本当にしまりのない格好だし。
「使えるかどうかは、これから見る。その前に、決まりだ。鑑定を受けな」
ドロテアが、若い神官を呼んだ。手には、曇った水晶。
「教会から修行で来ております。新入りさんの鑑定も、わたしの役目で。……といっても、大げさなものじゃありません。スキルや適性があるか、見るだけです」
「わたし、鑑定なんて受けたことないんですけど」
「おや、そうでしたか。では、いい機会ですね」
神官が、水晶をわたしの額にかざす。
鑑定なんて、本当に、はじめてだった。捨て子だったし、そんな機会もなかった。
じきに、曇った水晶が、ぼうっと光りはじめた。
「……これは」
神官の声が、裏返った。
「〈洗浄〉……それも、極……!? 馬鹿な。洗浄はともかく、極位のスキルなんて、聖女様クラスのでしかお目にかかれませんよ!」
「ええ? 確かなのかい」
ドロテアが、神官に詰め寄った。
「その石、当てになるのかい。極位だって? こんな、しまりのない小娘が」
「ま、間違いありません……! 何度見ても、〈洗浄(極)〉です……!」
洗濯場が、しんとした。みんなが、わたしを見ている。
でも、ぴんと来ていなかった。
(せんじょう……?)
頭の奥で、なにかが、ちらりとよぎる。やさしい声と、まっ白な場所。とびきりの、……なんとか。……でも、すぐに消えた。
「あの、それってすごいんですか?」
「すごいに決まってるだろう……!」
神官が、ひっくり返った声で叫んだ。
まわりの洗濯婦たちが、口々に囁きあう。聖女様クラスだ、とんでもない、と。
首を、かしげた。
汚れが視えて、落とし方が解る。そんなの、洗濯婦ならみんな出来ると思っていた。
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ドロテアは、ふんと鼻を鳴らしただけだった。
「鑑定がなんと言おうと、わたしは腕でしか人を見ない。……ちょうどいい。これを落としてごらん」
奥から運ばれてきたのは、目の覚めるような白い祭服だった。聖女様が、近く大きな儀式で着るものらしい。
その胸元に、べったりとした黒ずみと黄ばみの大きな染み。
「これが、わざわざあんたを呼んだわけさ。うちの誰もが手をつけたがらない。儀式は、明後日だ」
わたしは、もう祭服に飛びついていた。
「サボン! お行儀!」
「うわぁ、これ……すごい。蝋と香油、それに汗かな。重なってますね」
顔を近づけて、においを嗅ぐ。指先が、勝手にうずうずしてきた。
(蝋を浮かせて、香油は泡草で抱く。黄ばみは灰汁を薄く……でもこの黒ずみなんだろうな。これは手間がすごい)
めんどくさい。でも、その奥に、まっさらな白が見えている。これが落ちたときの白を思うと、もう、たまらない。
お湯は、使わない。蝋は、温めると溶けて広がる。冷やして固めて、爪でそっと起こす。大きいかけらだけ、先に取る。
ぱり、ぱりと、白い蝋がはがれていく。この、ぱりっと取れる感じが、ちょっと気持ちいい。
残った蝋と香油は、油の汚れだ。泡草の根を、いつもより濃いめに溶く。油を抱かせて、ぬるま湯で浮かせていく。じわり、じわり。
油の膜が退くと、胸元の刺繍が、はっきりと顔を出した。銀糸だ。それが、根もとまで黒々と沈んでいる。
指で、そっとなぞってみる。粉も浮かないし、にじみもしない。鼻を寄せると、卵の腐ったような匂いが、つんと残っていた。
……ああ、なるほど。これか。みんなが匙を投げたの。
「これ、汚れじゃないですよ。銀が、化けてるんです」
いつのまにか、ドロテアが、すぐ後ろに立っていた。
「化けてる、だって?」
「銀は、硫黄に触れると黒くなるんです。戸棚にしまった銀の匙が、いつのまにか黒ずんでるでしょう。あれと同じ。……この祭服、どこかで硫黄くさいものと一緒にされましたね。黒く染めた布か……それか地熱地帯の煙とか」
ドロテアの眉が、ぴくりと動いた。心当たりが、あるみたいだった。
道理で、誰も落とせなかったわけだ。
これを、汚れだと思って擦ったら、おしまい。銀糸の銀は、息を吹きかけたら飛ぶくらい薄い。擦れば、黒ごと銀まで剥げて、二度と戻らない。かといって、灰汁で漂白したって無駄。これは“色”じゃないんだから。化けた銀は、いくら漂白したって、化けたまま。
落とすんじゃない。——戻すんだ。
たらいに、熱めの湯を張る。岩塩を、これでもかと溶かして、灰汁もひとつまみ。
「一番小さい鉄ごて、借りていいですか? 魔石は入ってなくていいんですが」
「え? ああ、……何に使うんだい」
怪訝な顔したドロテアが、年季の入った小さな鉄ごてを渡してくれた。
「これを銀糸の刺繍に当てます」
「えっ?」
鉄ごてを沈めて、黒くなった刺繍に平たい面をぴたりと押し当てる。
「何してるんだい?」
「まぁ、見ててください」
離しちゃだめだ。銀と鉄が、湯の中で手を繋いでいないと、始まらない。
(ほら、戻っておいで)
じっと、待つ。
すると——黒が、端から、すうっと退きはじめた。沈んでいた銀が、もとの輝きを、すこしずつ思い出していく。かわりに、鉄のほうへ、黒い濁りが移っていった。卵くさい匂いも、薄れていく。
銀糸は、一本も傷んでないし減っていない。化けていたのが、戻っただけ。
あとは、いつもの汚れだ。
最後に頑固に残った黄ばみ。汗が乾いて染みてを繰り返した後だと思う。多分、装飾品があって肌が触れ合う時間が長かったんだろうな。灰汁を、ほんの少し。白い布だからって、油断すると生地まで傷む。長くは置かない。
ひとつ、ふたつ……すすぐ。にごった水を、何度も替えて。
黄ばみが、すうっと抜けていった。
「……ん! 落ちたぁ!」
祭服は、雪みたいな白を取りもどしていた。胸元の聖印は、黒く死んでいた銀が、月の光みたいに冴えかえっている。染みも、黒ずみも、もうどこにもない。
洗濯場が、また静まりかえった。
ドロテアが、ゆっくり近づいてくる。祭服を手に取って、隅から隅まで、食い入るように検める。その手が、かすかに震えていた。
「たった、半日で」
わたしは、胸を張った。
「落ちない汚れは、ございませんとも!」
ドロテアはしばらくわたしを見て、それから、ふっと口元をゆるめた。
「そうかそうか。たいした腕だ。呼んだ甲斐があったってもんさ」
さっきまで刺すようだった声が、ほんの少し、やわらいでいた。
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「あんた、しばらくここで働かないか」
祭服をふんわりと乾かした後、たたみながら、ドロテアが言った。
「腕は、本物だ。王宮には、あんたじゃないと落ちない汚れがまだまだ眠ってる」
「本当ですか!? あ……でも、ばあちゃんの家を空けるのはちょっと」
「なに、いきなり住み込めとは言わないさ。これから、儀式が立て込む時期でね。猫の手も借りたいんだ。まずは、その忙しいあいだだけでいい。給金は、街の三月ぶんをひと月で出そう」
「みつき……!?」
わたしが返事をするより早く、マリーが食いついた。目の色が、変わっている。
「サボン。やりましょう。ぜったい、やるべきよ」
マリーもいいなら、いいか。
その後、〈洗浄(極)〉の『極』っていうのが、どれだけ大それた位か。神官さまから、こんこんと聞かされた。何百年に一度だとか、聖女様と同じだとか。……でも、正直、ぴんと来ない。
ちなみに、マリーも鑑定を受けた。〈勘定〉のスキル持ちだった。ごくささやかな加護も付いてることも分かった。それと『この洗濯婦の世話は自分にしかできない』という頑固な売り込みが効いて、付き人として正式に置いてもらえることになった。
こうして、わたしの王宮ぐらしが決まった。知らない場所でも、マリーがそばにいてくれるのは、やっぱり心強い。
「すごいじゃない、サボン。〈洗浄(極)〉だって。あんた、ほんとに聖女様になっちゃうかも」
「ならないよ。洗濯婦だもん」
わたしは、広い洗濯場を見渡した。
貴族の衣、官吏のローブ、儀式の祭服。この王宮には、街では考えられない量と、なかなか見かけない汚れが、きっと山ほど眠っている。
(うわあ……たのしみ)
わくわくが、止まらない。
となりで、マリーが、ぶるっと身を震わせた。
「……なんだか、ここ。きれいすぎて、逆にこわい」
「そう? 汚れなら、いっぱいありそうだけど」
「あんたのそういうとこが、いちばんこわいのよ」
マリーが、長いため息をついた。
わたしには、よく分からない。
ただ、どんな汚れが待っているのか――それだけが、楽しみだった。




