第23話 大そうじのまえに
儀式の日が、来た。
朝から、大聖堂はぴりぴりしていた。神官たちが、せわしなく行き交う。
わたしの部屋にも見張りがついた。でも、エルフリーデさまが「専属の支度がある」と言って、人払いしてくれた。
扉が閉まると、マリーがぐっと拳をにぎった。
「いよいよ、ね」
「うん」
ユーリさんも、剣の具合を確かめている。
エルフリーデさまの段取りでは、儀式のあいだ、子どもたちは地下の祭壇に集められるという。器を、ぜんぶ一度に“使う”ために。
わたしは聖女付きとして、その場に入れてもらう。
そして、儀式が始まったら。
まず、エルフリーデさまが動く。
わたしは、その合図で、いっぺんに落とす。
ほんとうは、夜のうちにこっそり落としてしまえたら、よかった。
あの“器事件”から、神官たちはぴりぴりしている。空っぽにされた子が見つかれば、すぐに騒ぎだ。何十人も気づかれずに、なんてとても無理だった。
だけど、今日だけはちがう。
儀式のために、子どもたちがぜんぶ一カ所に集められる。
みんなをいっぺんに助けられる、たった一度の好機だ。
何十人ぶんを、いっぺんに。できるか、正直、分からない。
でも、やるしかない。あの子たちを、もう一度、軽くしてやるんだ。
それに——わたしにも、わたしの仕込みがある。
この何日か、“大そうじの支度”にかこつけて、こっそり拵えておいたのだ。
とびきり、よく滑る石鹸水。
ばあちゃん直伝の石鹸を、これでもかと濃く、ぬるぬるに溶いた自信作だ。指を入れると、ぬるんっと逃げる。おまけに、汚れ落ちだって抜群ときてる。
聖女付きになってからは、掃除だって“お役目”のうち。たらいを抱えて廊下をうろついても、見張りは、洗濯婦のすることだと気にも留めない。その目を盗んで、すこしずつ、あちこちに運んでおいた。
一度だけ、ひやりとしたけど。
おととい、廊下のすみに大だらいを据えていたら、見回りの神官に見つかったのだ。
「おい。そこで、なにをしている」
「大そうじの支度です! 儀式の日はお客さまがたくさん通られるから、床をぴっかぴかにしようと思って」
胸を張って答えたら、神官は「……感心なことだ」と、つまらなそうに行ってしまった。
嘘は、ひとつも言っていない。床は、ぴっかぴかになる予定だ。
これを、どこで、どう使うか。……それは、いざとなってのお楽しみ。
……ふふ。洗濯婦を、なめてもらっちゃ困る。
こんこん、と、扉が鳴った。
扉のすきまから、するりと見知った顔が滑りこんできた。
「やあ。遅くなってごめんね」
リリだった。
マリーが、目をまるくする。
「リリ!? なんで、あんたがここに」
「案内係として、もぐりこんだのさ。執事見習いの、役得ってやつ」
リリは得意げに胸をはった。それから、すぐ真顔になる。
「地下に、おっきな祭壇があってさ。まわりには、白い寝台がずらり。あそこに、あの子たちを寝かせるつもりなんだ」
「……寝台」
「警備の薄い道も逃げ道も、ぜんぶ調べた。ひどい話だよ。あんな小さい子を、何十人も」
いつも軽口ばかりのリリが、めずらしく、声を硬くしていた。
「……あんた。わざわざ、こんな危ないとこに」
「きみたちだけにいい格好、させるかよ」
マリーが、なにか言いかけて、やめた。耳が、すこし赤い。
四人、顔をつき合わせる。
ユーリさんが、低く言った。
「儀式が始まれば、神官たちの目は祭壇に集まる。その隙が、勝負です」
リリが、続ける。
「子どもたちを逃がす道は、僕がひらく」
マリーも、うなずいた。
「出口で、子たちを受けるわ。人数は、ぜんぶ数えてあるから」
みんなが、わたしを見た。
「わたしは、落とすだけ。落ちない汚れは、ございません」
「サボン。あんたの仕込みは、できてる?」
「バッチリ。とびきりの、とっておき」
それぞれの役目が、決まった。
……でも、ひとつだけ、気がかりがある。
この計画を考えたのは、エルフリーデさま自身だ。
そのために、あの人は、五年しがみついてきた居場所を捨てようとしている。
……ほんとうに、いいんだろうか。
そのとき、鐘が鳴った。
ごーん、ごーん、と。腹の底に響く、重い音。
儀式の、始まりの合図だ。
扉の外が、にわかにざわめいた。
「時間だ。……行こう」
ユーリさんが、剣を帯びる。
わたしは、道具袋をぎゅっと抱えた。
サボン水も塩も布も、たっぷり。今日は、フル装備だ。
大そうじだ。いままででいちばん、大きな。
地下へ続く階段は、ひやりと冷たかった。
降りるほどに、お香の匂いが濃くなる。
その奥から、低い、大勢の声がした。祈りの言葉みたいな。
そして——子どもの、すすり泣きも。
わたしの中で、なにかがぐっと熱くなった。
……待ってて。今、行くから。




