第22話 おなじ場所から
その夜。
わたしは、こっそり子ども部屋に忍びこんだ。
マリーが廊下で見張り。ユーリさんは、神官の見回りの時間まで調べてくれた。
ノラちゃんが、いちばん小さな男の子をそっと連れてくる。
名前は、トト。まだ三つか四つだ。
その子も、やっぱりまっ黒だった。
サボン水を、薄めに。塩はひとつまみ。あとは、手数でゆっくり。
一度やったぶん、こつは掴んでいた。布じゃなく、子どもの肌。やさしく、根気よく。
黒い澱が、水に溶けていく。トトの肌が、白くなっていく。
とちゅうで、トトが薄目をあけた。
自分の白くなった手を見て、ふしぎそうに、にぎにぎする。
それから、ふにゃっと力を抜いて、また眠った。
……軽くなったんだ。
そう思うと、胸の奥が、じんとあたたかくなった。
でも。
拭いても拭いても、終わらない。この子ひとりで、こんなに手がかかる。
部屋には、まだ何十人も眠っている。みんな、くすんだまま。
一晩でぜんぶなんて、とても無理だ。
マリーが、そっと戻ってきて声を落とした。
「サボン。儀式の日、分かった。……三日後だって」
三日。
三日で、この子たちぜんぶ。
焦りが、胸をちりちり焼いた。
そのときだった。
扉の陰から、しずかな声がした。
「……やっぱり、こんなことだろうと思った」
エルフリーデさまだった。
わたしは、身構えた。怒られる、と思った。
でも、エルフリーデさまは、白くなったトトの頬をじっと見ていた。
「きれいに、なったのね。……ほんとうに、あなたは」
責める響きは、なかった。
もっと、遠くを見るような声だった。
エルフリーデさまは、床に眠る子どもたちをゆっくり見わたした。
「わたしも、この子たちとおなじだったの」
「え?」
「十二で、ここに呼ばれた。なんにも分からないまま、聖女さまに仕立てられた」
エルフリーデさまの指が、自分の胸もとのくすみに触れた。
「〈転嫁〉することしかできない、まがいものの聖女。最初は、自分のも客のも“落としたかった”。でも、できなかった。それでも、生きるには言うことを聞くしかなかったの」
なんて言えばいいか、分からなかった。
おなじ場所から、来たのに。
わたしにはローズばあちゃんがいた。拾って育てて、洗濯を教えてくれた、ばあちゃんが。それにマリーも。
でも、この人はそうじゃなかったんだ。
たったそれだけのことで、わたしたちは、ここまで分かれてしまった。
わたしの気持ちがわかったみたいで、マリーがわたしの手をぎゅっと握った。
「サボン。あなたを見てると、こわくなる」
「こわい?」
「あなたみたいに“落とせて”いたら。わたしは、こんなふうにはならなかったのかなって」
エルフリーデさまは、ふっと笑った。さみしそうに。
「……でも、もう遅い。わたしは、ここまで来てしまった」
そう言って、立ちあがる。
行ってしまう、と思った。
でも、扉の前でエルフリーデさまは足を止めた。
「いい、よく聞いて。……ひとつ、考えがあるの」
ふりむいたその顔は、なにかを決めた人の顔だった。
「三日後の儀式。あの子たちを助けられる方法が、ひとつだけある。……でも、それはわたしにしかできない」
それから、エルフリーデさまは声を落として、その段取りをひとつずつ教えてくれた。
聞きながら、わたしとマリーは、何度も息を呑んだ。
くわしい理屈は、よく分からない。でも、ひとつだけ、はっきり伝わってきた。
それは、エルフリーデさまが、自分の身をぜんぶ賭けるやり方だった。
うまくいけば、子どもたちは助かる。
でも、そのとき、この人がどうなるのか。それを、エルフリーデさまは、最後まで言わなかった。
言わない、ということが、答えだった。
「ほんとうに、いいんですか」
そう聞くと、エルフリーデさまは、ただひとつうなずいた。
だから、わたしも、うなずきかえした。
「わたしは、いつもどおりに、やればいいんですね」
わたしの決意が伝わったみたいに、エルフリーデさまが、ふっと笑った。
いつもの作り笑いじゃない。すこしだけ、泣きそうな笑顔で。
「落ちない汚れは、ございません。……そうでしょう?」
それは、わたしがいつも言う言葉だった。
あの人の口から聞くと、まるで、祈りみたいに聞こえた。




