第21話 世話係は見ている
聖女付きの暮らしは、退屈だった。
立派な部屋。上等なごはん。でも、どこへ行くにも神官の目がついてくる。エルフリーデさまの「専属」になったわたしは、もう、自由に洗濯場へも戻れない。人にいちいち言わないと身動きも取れない。
いちばんつらいのは、それじゃない。
まわりじゅう汚れだらけなのに、洗わせてもらえないことだ。
昼間、廊下ですれちがった、小さな男の子。袖口が真っ黒だった。思わず手が伸びかけて、ぐっとこらえる。見張りの神官が、じろりと睨んできた。
とくに気になるのは、子どもたちだ。ノラちゃんは綺麗にできたけど、ほかの子はまだ、みんなくすんでいる。見るたび、手がうずうずする。
でも、迂闊に手を出せば、また騒ぎになる。ユーリさんが、また血を流す。
……それは、いやだ。
その夜。
火を落とした部屋に、マリーがそっと滑りこんできた。ユーリさんは、見張りのふりをして扉のそばに立つ。廊下を行く足音が遠ざかるのを、みんなでじっと待つ。
燭台の残り火に、マリーの顔が、いつになくこわばって見えた。
わたしは、膝の上で、ちいさな上着をひろげていた。
子どもたちの服を、せめて洗わせてほしい。そう頼みこんで、ようやく一着だけ、わけてもらったものだ。袖口は、泥と手垢でごわごわだ。
あの子たちを洗ってあげられないなら、せめて、服だけでも。
昼間ずっと手を出せなかったぶん、うずうずが止まらない。リーネの壺をそっと開けて、染みに、ちょんと垂らす。こんなときでも、手が勝手に動いてしまう。
「いろいろ、分かってきた。……あんまり、いい話じゃない」
マリーは、声を落として続けた。
「わたし、〈勘定〉のスキルがあるでしょ。数が合わないと、すぐ気づくの。……この大聖堂、子どもの数がまるで合ってない」
「合ってない?」
「孤児院から、定期的に運ばれてくる。何人も、何人も。なのに、ここにいる数はちっとも増えない。古い子が、そのぶん消えてるのよ」
「消える? どこに」
「“いっぱいになった子”は、地下へ連れていかれるって。下働きの子が、こっそり教えてくれた。……そして、戻ってこない」
いっぱいになった子。
あの子たちが溜めこんでいる、黒いもの。あれが、いっぱいになると。
わたしは、ノラちゃんの、あの真っ黒だった体を思い出した。
あの子も、もうすこしで、地下に連れていかれていたんだ。
……そういえば、と思った。
子どもの洗濯物。廊下を運ばれていくのを、なんとなく見ていた。いつも山ほどあるのに、戻ってくる数は、少しずつ減っていた。汚れ物が減ったんじゃない。着ていた子が、いなくなっていたんだ。
数を数えるマリーとはちがう。でも、わたしも、おなじものを見ていた。洗濯物越しに、ずっと。
「地下で、なにを」
「そこまでは、まだ分からない。でも、近いうちに“儀式”があるって。神官たちが、ばたばた準備してる」
ユーリさんが、扉の外の気配にぴくりと顔を上げた。
足音が、ひとつ。
みんなで、息を止める。
……遠ざかっていった。ユーリさんが、ちいさく息をついて、扉のそばで低く言った。
「儀式の日には、貴族やお偉方も、こっそり集まるそうです。……教会の、いちばん大きな行事だと」
話が、だんだんつながってきた。
子どもに汚れを溜めこませて。いっぱいになったら、地下で、なにかに使う。
なんのために、そんなこと。
わたしには、難しいことは分からない。
でも、ひとつだけ、はっきりしていることがある。
あの子たちは、汚れている。そして、苦しんでいる。
だったら——やることは、ひとつだ。
「ねえ、マリー。その儀式って、いつ」
「サボン。あんた、まさか」
「子どもたち、ぜんぶ洗っちゃおう。儀式の、前に」
マリーが頭を抱えた。ユーリさんが、ごほっとむせる。
そのときだった。
こんこん、と、部屋の扉が鳴った。
マリーとユーリさんが、さっと何食わぬ顔に戻る。
入ってきたのは、エルフリーデさまだった。
ひとりきり。供も連れていない。聖女さまが、お付きもなしに、夜更けに人の部屋を訪ねる。そんなの、きっと、ふつうじゃない。
その顔は、青ざめていた。
そして――近くで見ると、やっぱり、くすんでいる。あの底なしの黒い澱は、今夜はいちだんと、重たそうに揺れていた。まるで、抱えきれないものを、無理やり抑えこんでいるみたいに。
「サボン。よく聞いて。……あなたを“並ぶ聖女に”という話。あれは、わたしが上に通したものなの」
「そうだったんですか」
「あなたを御せる、わたしの手元に置ける。そう請け合ったから、上も渋々うなずいた。……でも、こないだの一件でその約束は、なかったことにされた」
「こないだの?」
「あなたは、誰にも止められない。溜めた“器”でさえ、平気で空にしてしまう。……上はもう、あなたを“使える聖女”じゃなく“危ない邪魔者”だと見はじめてる」
エルフリーデさまの声が、震えた。
「あの子たちはね、儀式の中で使われる資源なのよ。……伝わるかしら。貴重な中身を消されて、偉い人たちは怒ってるの。だから、次の儀式にまぎれてあなたを消そうという声が出てきてる。わたしが抑えてるうちは、まだいい。……でも、長くはもたない」
わたしには、半分ものみこめなかった。
消す。わたしを。儀式。器。器の中身……。
ばらばらの言葉が、頭の中をぐるぐる回る。
でも、エルフリーデさまが本気でわたしを心配してくれているのだけは、なんとなく分かった。
いつも仮面みたいな人が、こんなに必死な顔をしている。
それでも。
わたしの考えは、変わらなかった。
「聖女さま。だったら、なおさらです。儀式の前に、あの子たちをぜんぶ綺麗にします」
「サボン……!」
「だって。汚れたままで、いいわけないでしょう」
いつものうずうずが。
今度はなぜか、胸の奥のあつい感じと、混ざっていた。




