第18話 選ばれた、子どもたち
聖女になる話は、とんとん拍子に進んだ。
洗濯場を出ていく朝。先輩の女たちが、わざわざ井戸端に並んで見送ってくれた。
「サボンちゃん、向こうでも達者でね」
「えらくなっても、あたしらのこと忘れんじゃないよ」
「忘れたって、洗濯のことだけは忘れないだろうけどさ」
どっと笑いが起きた。みんな、目のふちがちょっと赤い。
ドロテアさんは、腕を組んで、いちばんうしろに立っていた。
わたしが頭を下げると、ふん、と鼻を鳴らす。
「控えめに……と言っても、あんたは止まれないんだろうね。まぁやれるだけやってきな。向こうの水は硬いよ。石鹸の泡立ちが悪い。覚えときな」
それだけ言って、ぷいと顔をそむけた。
最後まで、洗濯の話だった。でも、それがドロテアさんなりの、はげましなんだと思う。
そうして連れてこられたのが、大聖堂の奥の部屋だった。聖女付き、というらしい。
マリーは世話係として、ユーリさんは護衛として、一緒に来てくれた。
「すごい部屋ねえ。サボン、あんたほんとに聖女さまになっちゃうの」
「うーん。お洗濯できるなら、なんでもいいけど」
立派な天井を、ぼんやり見上げる。でも、頭に浮かんでいたのは、ぜんぜんべつのことだった。
「……そういえば。三ヶ月のつもりで出てきたから、空けてきた家がそろそろ心配になってくるな〜。来月に戻れるかな?」
ばあちゃんが遺してくれた、あの洗い場。閉めきったままだと、湿気で黴びてしまう。たまには、風を通さないと。
「聖女になろうかってときに、心配するのそこ!?」
マリーが、がっくり肩を落とした。
なんだかんだ言っても、いちばんに運びこんだのは着替えでも何でもなく、リーネの壺だった。
肉溶かしの菌の、リーネ。置いてきたら、ごはんをやる子がいなくなる。それに、仕込みかけの大きいサボン水も運んできてもらった。お風呂にどっぷり使える、あの一壺だ。途中でほったらかしになんて、できるわけがない。
洗濯板に、たらい。使いこんだへらと布。それを両手にかかえて歩くわたしを、すれちがう神官さまたちが、ぎょっとした顔で見ていた。
「壺を抱えた聖女さまなんて、聞いたことないわよ」
マリーが、こめかみを押さえる。でも、リーネを置いてくるなんて、わたしには考えられなかった。
ユーリさんは、廊下の角ごとに立ち止まってはきょろきょろしていた。護衛というより、はじめてのおつかいに来た子どもみたいだ。
奥へ進むほど、天井は高く、飾りは立派になっていく。
でも、わたしの目には、その立派さの下に古いくすみが見えた。ちょっとやそっとじゃ落ちない、年代物の澱だ。お香の匂いで、必死に隠しているみたいな。
ここは、外から見るよりずっと黒い。
案内の侍女が、ある広間で足を止めた。
そこに、子どもたちがいた。
みんな上等な白い服を着て、行儀よく並んでいる。いちばん上の子で、十くらい。下は、まだ三つ四つだ。
「こちらは、聖女さまに見出された幸運な子らです。いずれ、聖女さまにお仕えする見習いでもあります」
侍女の声は、誇らしげだった。
でも、わたしは違和感で固まっていた。
なんだ、これ。
子どもたちが、みんな、くすんでいる。真っ白な服の下で、肌が煤けている。それも、ひとりやふたりじゃない。
それに——静かすぎる。
子どもがこんなに集まっているのに、誰も、笑っていない。じゃれもしない。ただ、人形みたいに並んでいる。
いちばん端の、ちいさな男の子。木の人形を握っていた。でも、遊んではいない。ただ、ぎゅっと握りしめたまま、つま先を見ている。
侍女が一歩動くと、その子の肩が、びくっと跳ねた。
ひとりひとり、ちがう汚れを背負っていた。脂ぎった汚れ。酒くさい汚れ。鉄のにおいのする汚れ。どれも、子どもにはまるで似合わない。
とくに、奥にいるちいさな女の子。
その子だけ、もう、まっ黒だった。
今まで見た、どんな汚れよりひどい。あの聖女さまのくすみより、ずっと。
子どもなのに。いちばん綺麗なはずの、子どもなのに。
気づいたら、その子に近づいていた。
しゃがんで、顔をのぞきこむ。
女の子は、おびえもしなかった。ただ、つかれた目でこちらを見上げた。
ほかの子は、まだ、人形みたいにでも立っていられる。でも、この子は、立っているだけでやっとに見えた。膝が、いまにも折れそうに。
「……あなた、お名前は」
「……ノラ」
かすれた、ちいさな声だった。
ノラちゃんの汚れを、そっと読む。
ぜんぶ、この子のじゃない。
脂。酒。金の匂い。それから、血。
大人の、ずるくて重たい汚れが、小さな体にぎっしり詰まっている。
こんなもの、子どもが自分でためこめるはずがない。……つまり、だれかが、外から詰めこんだんだ。
いちばん新しい汚れは、まだ湿っているみたいだった。つい昨日、誰かの分が注ぎ足されたばかり。
あのとき、聖女さまの中で見た。外へ流れていく、汚れの筋。
その先が、………………。
頭が、かっと熱くなった。
なんで心臓が、こんなにどくどくしているのか、自分でも分からない。
でも、ひとつだけ。この子を、このままにしておけない。それだけは、はっきりしていた。
わたしの口から出たのは、いつものあれだった。
「この子の汚れ。落とさせて、もらえませんか」
侍女の顔色が変わった。
「な、なりません。その子らに、触れては」
「だって、こんなに汚れてる。かわいそうじゃないですか」
「いけません……! それは、聖女さまの大切な——」
侍女が言いかけて、口をつぐんだ。
聖女さまの、大切な、なに?
やっぱり、わたしには分からなかった。
「さ、サボン」
うしろで、マリーがひゅっと息を呑んで声を掛ける。
わたしの肩に伸びかけた手が、止める途中で、宙で迷っている。
ユーリさんは、すっと前に出た。広間の入口と、侍女の動きを、油断なく目で追っている。さっきまで廊下できょろきょろしていた人とは、別人みたいだった。
ふたりとも、この場のなにかを、分かってしまったらしい。
わたしに分かるのは、ひとつだけ。
この子は、汚れている。だったら、落とすだけだ。
ノラちゃんのちいさな手を、両手で包んだ。
その子が、はじめて、すこし目を見ひらいた。
それから、消え入りそうな声で言った。
「……おねえちゃん。洗ったら、おこられるよ」
その一言が。
今まででいちばん、わたしを燃えさせた。
誰に怒られたって、知るもんか。
落ちない汚れは、ございません。
……この子のも、ぜったいに。




