第17話 並んでほしいの
大聖堂は、この前と変わらず、見上げると首が痛くなるくらい高かった。
案内の神官に連れられて、奥へ進む。マリーとユーリさんは、扉の外で待つように言われた。マリーは「サボンひとりは心配です」と最後まで食い下がっていたけれど、聖女さまのご意向だと押し切られた。
奥の長椅子に、エルフリーデさまが座っていた。
今日も、くすんでいる。煤けた灰を、薄くかぶったみたいに。
……灰かぶり。
灰をかぶった女の子が、おとぎ話で、お姫さまになる。そんな話を、前にどこかで聞いた気がする。うまくは、思い出せないけれど。
その人が、わたしを見て、ほんの少しだけほんとうの顔で笑った気がした。
「来てくれてうれしいわ。座って、サボン」
すすめられた椅子にぽすんと座る。
エルフリーデさまは、しばらくわたしを眺めてからゆっくり言った。
「単刀直入に言うわね。あなたを、わたしと並ぶ聖女として迎えたいの。教会も、それを望んでる」
ええ、本当だったんだ? と思った。
エルフリーデさまと、並ぶ聖女。よく分からないけれど、たぶん、偉くなるってことだ。
「えっと……。わたし、洗濯婦をやめたくないんですけど。聖女さまのおそばで、お洗濯しててもいいってことですか?」
「……ふふ。そうね。そういうことに、しておきましょう」
エルフリーデさまは、わたしを上から下まで品定めするように見た。
「正直に言うとね。あなたのその身なりは、ひどいわ。でも、この前会ったときの姿は悪くなかった。磨けば、見栄えはどうとでもなる」
たしかに、リリにもいつもおなじことを言われている。
「わたしひとりじゃ、もう限界なの。移しても、移しても。こびりつく残りかすが、消えてくれない。……でも、あなたが“落として”くれるなら。わたしは、もっと続けられる」
「落とす……!? いいんですか、落として!」
思わず、ぐっと身を乗り出していた。落とす。その言葉だけで、もう、うずうずが止まらない。
「じゃあ、早速――」
「待って待って」
エルフリーデさまが、めずらしく、あわてた。それから、ちいさく苦笑する。
「せっかちな子。……話は、まだ途中よ」
転嫁。
前にも聞いた言葉だ。でも、どこへ転嫁するのかは教えてもらえなかった。
エルフリーデさまは、声を落とした。
「いいこと、サボン。あなたを“消したい”人たちがいるのは、知ってる?」
「はあ。何となくは……知り合いも言ってました」
「わたしの隣にいれば、その手は届かない。うまく立ち回ったり、偉い人と渡り合ったり。そういうのは、あなたには無理でしょう。だから、わたしが盾になってあげる」
やさしい言葉だった。
でも、その目の奥は、すこしも笑っていなかった。
……ううん。ちがうかも。
ほんの一瞬。あの日の、黒い涙をこぼした人の顔が、奥のほうでちらついた気がした。笑ってないんじゃなくて。笑い方を、忘れてしまっただけ、みたいな。
なんだか、よく分からない話だ。並ぶとか、盾とか。
わたしの頭は、もうそれどころじゃなかった。
だって、すぐそこに、いちばん落としがいのある汚れがあるんだから。
わたしの目は、もうエルフリーデさまの胸もとに吸い寄せられていた。
間近で見るくすみは、やっぱりすごい。
「あの、聖女さま。難しいお話は、わたしにはよく分からなくて……。でも、ひとつだけいいですか」
「なに」
お風呂にたっぷり使う大きいサボン水は、まだ仕込みの途中だ。でも、目の前にこれだけのくすみがあって、指をこまねいていられるわけがない。
「そのくすみ。ちゃんと落とすために、まず近くで視させてもらえませんか」
エルフリーデさまが、ふっと黙った。
わたしは構わず身を乗り出して、くすみをのぞきこむ。
目を凝らす。鼻を近づける。指をそっとかざす。
……あれ。なんだろう、これ。
この前は、何層にも溜まってる、というところまでしか視えなかった。でも、今日はもっと近い。落ち着いて、芯まで目を凝らす。
ひとつの黒い澱みだと思っていたのに。よく視ると、ぜんぜんちがう。
「このくすみ。ぜんぶ、聖女さまのじゃないですよね」
エルフリーデさまは、答えない。
「いろんな人の汚れが、混ざってる。脂っぽいの。酒くさいの。血の匂いがするのも。……みんな、聖女さまのじゃない。よその、えらい人の汚れだ」
なんで、聖女さまが、知らない人の汚れをこんなに抱えているんだろう。
それに——もっと、へんなことに気づいた。
「この汚れ……溜まってるんじゃなくて。少しずつ、どこかへ流れてってる」
くすみの底から、細い筋になって。汚れが、するすると、どこか外へ抜けていく。まるで、誰かに押しつけているみたいに。
……どこへ。
その先が、どうしても視えない。
エルフリーデさまの顔から、すうっと笑みが消えた。
はじめて見る、こわい目だった。
「……あなた、そこまで視えるのね」
その声が、ぞくっとするくらい低かった。
わたしは、見てはいけないものを見た気がした。
でも、それが何なのかはやっぱり分からない。
そのとき、ばたん、と扉が開いた。
神官さまが止めるのも聞かず、マリーが飛びこんでくる。
「お話、終わりましたか!? あの、ひとつだけ!」
マリーは息を切らしながら、まっすぐエルフリーデさまに言った。
「サボンを聖女にするなら、わたしも置いてください。見てください、その身なり!今日はこれでもマシなほうなんです! この子、わたしがいないと回らないんですから。……というか、教会のかたにもこの子のお世話は手に負えないと思うので!」
しん、とした。
エルフリーデさまは、こわい目のままマリーをしばらく見て。
それから、ふっと肩の力を抜いた。
「……いいわ。賑やかなのも、たまには悪くない。それに、外で待っている騎士。あれも、あなたの護衛なのでしょう? 連れて、おいでなさい」
扉の外から、「は、はいっ」と、ユーリさんの上ずった声がした。
ほっとした顔のマリーを、わたしはぼんやり見ていた。
よかった。マリーが、一緒にいられる。
でも、頭の隅では、さっきの汚れがまだひっかかっていた。
あの汚れは、どこへ流れていくんだろう。
その先で——いったい誰が、あれをぜんぶ引き受けているんだろう。




