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落ちない汚れはございません!〜街はずれの洗濯婦のはずがこの国の黒いものまで洗い流して洗濯聖女になっちゃいました〜  作者: 絹田屋


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第16話 守ると言われても


 聖女さまとふたりで話した、その次の日。

 洗濯場は、朝からへんにそわそわしていた。

 みんながわたしを見て、こそこそやっている。でも、昨日までとは種類がちがう。おそれじゃない。なんだか、まぶしいものでも見るみたいな目だ。


「ねえ、聞いた? サボンちゃん、聖女さまに二回も呼ばれたんですって。しかも今度は、ふたりっきり」

「ふたりっきり!? やだ、それもうただ事じゃないわよ」

「これは大出世の予感ねえ。聖女さま付きの侍女、いえ女官さまかも」

「ふつうの洗濯婦が、聖女さまのお付きに……。うちの洗い場から、まさかの大抜擢ねえ」

「今のうちにご機嫌とっておかなきゃ。サボンちゃーん、今日の靴下はあたしが干しといたげる!」

「ずるい! あたしもあたしも!」


 ……なんだか、わけが分からない。

 当のわたしは、聞こえないふりをして、ひたすら靴下をごしごし洗っていた。出世も大抜擢も、正直、どうでもいい。それより、この靴下の泥のほうが、よっぽど手強い。

 そこへ、マリーとリリが、もつれるように駆けこんできた。ふたりとも、青い顔だ。


「サボン、たいへんなのよ!」

「お前、聖女さまに召し上げられるかもしれないんだぞ!」

「ええ……? 何かの間違いじゃないの?」


 リリが、肩で息をしながら言う。


「間違いなもんか。ぼく、お屋敷で聞いたんだ。奥様がたのお茶会、その話でもちきりだった。『あの洗濯娘を、聖女さま付きにするらしい』って」


 マリーも、ぎゅっと手を握ってくる。


「洗濯場でも、おなじ噂が回ってる。貴族のお屋敷から、王宮の隅々まで。……サボン。これ、ほんとに本気の話なのよ」


 わたしは洗いかけの靴下から顔も上げなかった。

 聖女に召し上げる。よく分からないけれど、たぶん、えらくなる話だ。

 でも、えらくなったって、汚れが増えるわけでも減るわけでもない。


「うーん。どうでもいいって言うか……。わたし、洗濯婦のままでいいんだけどねえ」

「その『どうでもいい』が、いちばん危ないの……!」


 ドロテアさんが腕を組んで、低く言った。


「いいかい。王宮ってのは、上にいくほど黒いんだ。聖女なんて高いところに祭り上げられたら、もう逃げ場がないよ」


 高いところ。黒いところ。

 ……正直、すこしだけそそられてしまった。


「えーと……、いちばん落としがいがありそうですね?」

「あんたって子は……!」


 マリーが頭を抱えた。ドロテアさんはもう何も言わなかった。


 そこへ、がしゃんと派手な物音がした。

 洗濯場の入口で、だれかが桶につまずいて転んでいる。

 しょっちゅう泥と藁にまみれる、見覚えのある顔。見習い騎士のユーリさんだ。


「サ、サボン殿。……お変わりなさそうで、なによりです。本日から、あなたの護衛につくことになりまして」


 護衛。わたしの。

 ぴんと来ないまま、わたしの目はもう別のところへ吸い寄せられていた。

 ユーリさんの外套。その裾に、見たことのない汚れがこびりついている。


「ユーリさん。それ」

「は、はい……! あの、僕は……あなたをお守りするためにまいりました」

「その外套、脱いでください。すぐ」

「ぼ、僕の外套を……!?」

「だって、すごい汚れ。早く」


 ユーリさんが、しゅんと肩を落とした。どうして落ちこむんだろう。

 でも、汚れを前にして待てるわけがない。

 わたしは彼の手から外套をはぎ取った。


 うわ、これは——燃える。

 裾に、よその土。王宮の黒い土じゃない、もっと乾いた土だ。それから、すり切れた縁に別の布の毛羽がからんでいる。指の腹で、繊維の目に沿ってそっと探る。鼻を近づける。

 ……うん。だれかと、もみ合った跡だ。それも、ひとりじゃない。


「ユーリさん。最近だれかと、もみ合いました? ふたり、ちがう人と」

「な……っ。なぜ、それを」

「汚れが、二種類あるんです。ひとつは、お香の煤みたいな匂い。……これ、教会のかな?」


 もうひとつの毛羽を指でつまむ。上等な、つやのある布。きらりと光る、金糸の切れはしだ。


「こっちは、すごくいい服の人。たぶん、お貴族さまですね」


 ユーリさんの顔がさあっと白くなった。

 あたりをうかがって、声を落とす。


「……さすが、サボン殿。じつは、あなたのことを嗅ぎ回る連中がいるんです。教会の手の者と、さるお貴族の手の者と。別々に。昨日、城下でそいつらが聞き込みをしているのを見つけまして。問いただそうとしたら、揉み合いに」


 わたしは外套の汚れをもう一度見つめた。

 なるほど。だから、二種類。

 ……でも、なんで、わたしの周りに。


 ユーリさんは、声をさらに落とした。


「貴族のほうは……あなたに、消えてほしいんです。これまであなたが言い当ててきたでしょう。賄賂、毒、書きかえた帳簿。その先には、名のある家がいくつもぶら下がってるんです。たかが洗濯婦に秘密を暴かれちゃ、たまらないんでしょう」

「はあ」

「教会は、逆です。あなたを“本物の聖女”として召し上げて、囲ってしまいたいらしい」


 ユーリさんが、まっすぐわたしを見た。


「消したい連中と、ほしい連中。どっちに転んでも、あなたの都合なんか誰も考えちゃいません。……だから、僕がお守りします。不甲斐ない、護衛ですけど」


 その顔は、まじめだった。耳だけ、なぜか赤かったけれど。


 マリーが、じろりとユーリさんを見た。


「……ちょっと。見習いのあんたが護衛なんて、よく許されたわね。なんか無茶したんじゃない?」

「む、無茶だなんて。……ただ、強く志願して。実技の試験を受けただけです」


 リリの耳がぴくりと動く。


「試験て?」

「三人がかりの先輩と、立ち合いを……。なんとか、勝ちました」

「うわぁ、なんか聞くんじゃなかった」


 リリとマリーが、ちいさくため息をついた。


 消したい連中と、ほしい連中……。

 ……あ、そういえば。と思った。

 ドロテアさんも、言っていた。ぴかぴかのものを見ると、欲しがるか、邪魔に思うか。どっちかなんだ、って。

 あのときは、ぴんと来なかった。でも、ユーリさんの話と、ぴたり重なる。

 欲しがる教会と、邪魔に思う貴族。わたしは、その真ん中にいるらしい。


 ……めずらしく、ちょっとだけ、分かった気がした。

 でも、分かったところで、わたしの頭はもう別のことでいっぱいだった。


 どっちにしても——この、お香の煤。教会の奥には、よっぽど黒いものが溜まっている、ということだ。

 甘いお香の、その奥。あの、聖女さまのくすみとおなじ、澱んだ気配がする。


 ……あの人は、あんなところに、ずっといるんだ。

 あの黒いの、ぜんぶ落としてあげられたら。そう思うと、指の先が、うずうずした。


「……わたしは洗濯婦ですよ。聖女さまになんて、柄じゃないし。汚れを落とすのを、やめるつもりもないんですけど」


 ドロテアさんが、首を、弱く振った。


「……上に言われたら、断れないんだよ。あたしたちは、そういう立場なんだ」


 その声は、いつもより、ずっと重かった。


 というか――そもそも、だ。

 聖女さまが、あんなに溜めこむなんて。ひょっとして、そうさせた“元凶”みたいなのが、どこかにいるんじゃないだろうか。

 だとしたら、その人は。きっと、もっと、ずうっと真っ黒で。


 それならいっそ、聖女さまと呼ばれるのを我慢すればすんごい汚れに出会えちゃうかも。


 ……うわぁ。やばそう。めんどくさそう。

 想像しただけで、ぞくぞくした。いったい、どれだけ落としがいがあるんだろう。


 わたしがうずうずしていると、マリーが肩をがしっとつかんだ。


「いやな予感がする。サボン。あんた今、もっと大物を洗う気でいるでしょ」

「え?……えへへ」

「えへへ、じゃない!」


 そのとき、入口にまた人影が立った。

 すました顔の教会の使者だ。


「洗濯聖女どのに。聖女エルフリーデさまより、大聖堂へお越し願いたいとのこと」


 ユーリさんが息を呑んだ。

 マリーがわたしの腕を強くつかむ。それから、きっと顔を上げた。


「言っておきますけど。サボンが行くなら、わたしも行きます! この子、ひとりじゃ着替えも食事もまともにできないんですから!」


 使者がめんくらった顔をした。

 でも、わたしはちょっとだけ、わくわくしていた。だって、エルフリーデさまに、また会える。


 あの黒い涙のこと。あれから、ずっと気になっていた。

 お風呂にどっぷり使える、大きいサボン水。まだ仕込みの途中だけど……はやく仕上げて、あの人のくすみも涙も、ぜんぶ落としてあげたいな。


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